
- 他者の期待や「らしさ」の呪縛から逃れ、自分を主体的に定義する重要性。
- 変化には犠牲が必要であり、柔軟で素直な思考で成長を目指す姿勢が不可欠。
- 意見と嗜好を切り離し、現在の環境は過去の選択だと受け入れ、未来へ対応。
- 楽しさを追求すれば自然と豊かになり、体験を自分だけに留める喜びを提唱。
森博嗣の略歴・経歴
森博嗣(もり・ひろし、1957年~)
小説家、工学者。
愛知県の生まれ。東海中学校・高等学校、名古屋大学工学部建築学科を卒業。名古屋大学大学院修士課程を修了。三重大学、名古屋大学で勤務。1990年に工学博士(名古屋大学)の学位を取得。1996年に『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。
『自分探しと楽しさについて』の目次
まえがき
第1章 自分はどこにあるか
第2章 楽しさはどこにあるのか
第3章 他者は自分のどこにあるのか
第4章 自分は社会のどこにあるのか
第5章 ぶらりとどこかへ行こう
あとがき
『自分探しと楽しさについて』の概要・内容
2011年2月22日に第一刷が発行。集英社新書。188ページ。
『自分探しと楽しさについて』の要約・感想
- 「あなたらしさ」という他者の呪縛
- 現状を変えるために差し出すべき対価
- 固執しない知性、素直さという強さ
- 意見と嗜好を切り離す思考の作法
- 「少し考えてみる」人が少ない現実
- 環境は過去の自分の選択の結果である
- 矛盾を飲み込み、考えすぎない技術
- 知性と孤独、その隣にあるもの
- 「今が一番楽しい」と毎年更新する生き方
- 誰にも話さない旅がもたらす豊かさ
- 「趣味と実益」はなぜ不純なのか
- 楽しさが金を生むという逆転の発想
- 天才の思考と執筆の驚くべき速度
- まとめ:自分の頭で考え、純粋な楽しさを追い求めよ
本書の特異性は、その執筆スタイルにある。著者は冒頭で、こう宣言するのだ。
僕が思いついたことだけしか書かない。なにかを調べたり、人から聞いたことも書かない。これは、そういう性質の問題で、個人的な「考え方」以外に答はないように思うからだ。(P.7「まえがき」)
外部の情報を一切遮断し、自らの内なる思索と経験のみを頼りに、人生の根源的なテーマを解き明かしていく。
この稀有な試みによって紡がれた言葉は、他のどんな自己啓発書とも一線を画す、圧倒的な説得力と純度を持っている。
人生を心から楽しんでいる人と、そうでない人。
その違いはどこにあるのか。
もしあなたが、日々の生活に漠然とした閉塞感や疑問を抱いているのなら、本書は鋭いメスのように、あなたの思考の深層に切り込んでくるだろう。
この記事では、『自分探しと楽しさについて』の中から、特に現代を生きる我々の心に突き刺さるであろう森博嗣の思索の断片を、私自身の解釈を交えながら深く掘り下げていく。
彼の言葉は、時に極端で、挑発的ですらある。
しかし、その過激さの奥には、私たちが目を背けてきた「真実」が隠されているのである。
なぜなら、著者自身がこう述べているからだ。
そういうわけだから、書いていることの中には極端な表現が混じると思う。だが、僕としては「これくらいはしかたがないよ」と最小限譲歩した結果である。それくらい言わないと、なかなか人は話を聞いてくれない。ずっと僕はそういうふうに感じて生きてきた。(P.9「まえがき」)
これは、生来の天邪鬼を自認する著者による、読者へのささやかな断り書きである。
ある種の誇張やデフォルメは、本質を伝えるためのレトリックであり、嘘偽りがないことの表明でもある。
彼の挑発的な言葉の真意を、共に探っていこうではないか。
「あなたらしさ」という他者の呪縛
私たちは、社会の中で他者との関係性の中で生きている。
その中で、いつの間にか他者からの評価や期待によって、自分自身の輪郭を決められてしまうことがある。
その典型例が、「あなたらしくない」という言葉だろう。
善意から発せられることも多いこの言葉は、しかし、時として個人の自由を縛る呪いにもなり得る。
森博嗣は、この言葉が持つ欺瞞を冷徹に見抜いている。
だいたいにおいて、「それ、君らしくないね」などという言葉は、それを言う人間の思惑どおりではない、というだけの意味で使われる。単に、「そういうの、俺は気に入らない」という言葉と置き換えても良い場合がほとんどだ。(P.31「第1章 自分はどこにあるか」)
これは、痛烈な指摘である。
相手が抱く「自分らしさ」のイメージから外れたとき、人はこの言葉を口にする。
つまり、それは「私の期待通りに行動しろ」「私の理解できる範囲に留まれ」という、身勝手な要求の言い換えに過ぎないのだ。
この種の言葉に思考を縛られてしまった人もいるのではないだろうか。
他者の都合の良い「らしさ」に自分を合わせる必要など、どこにもなかったのである。
しかし、過去を悔いても仕方がない。
重要なのは、これまでの人生もまた、紛れもなく自分自身が選択してきた道のりであるという事実を受け入れることだ。
そして、ここから時間をかけて、あるべき軌道へと修正していくことである。
「自分」の定義は、他者に委ねるものではなく、自らの手で主体的に確立していくものなのだ。
現状を変えるために差し出すべき対価
「今の自分を変えたい」「もっと楽しい人生を送りたい」と願いながらも、多くの人が同じ場所で足踏みを続けている。
その原因は、変化に伴う痛みを恐れているからに他ならない。
森博嗣は、変化を望むのであれば、何かを差し出す覚悟が必要だと、極めてシンプルな言葉で断言する。
答は簡単である。なにかを犠牲にしろ、ということだ。でなければ、変化しない。(P.78「第2章 楽しさはどこにあるのか」)
時間がない、お金がない、余裕がない。
これらは、多くの人が行動しない理由として挙げる常套句である。
しかし、それは単なる言い訳に過ぎない。
本当に何かを変えたいのであれば、今ある何かを「犠牲」にするしかないのだ。
例えば、娯楽の時間を削って自己投資の時間に充てる。
飲み会の付き合いを断って、新しいスキルを学ぶ。
安楽な現状維持という心地良い状態を我慢し、未知の領域へ踏み出す忍耐を持つ。
これらは全て、未来のための「犠牲」である。
この法則は、あまりにも当たり前で、自明の理である。
だが、驚くほど多くの人が、この当たり前のことから目を逸らし、何も犠牲にすることなく魔法のような変化が訪れることを期待している。
行動を起こさない限り、現実は何一つ変わらない。
変化とは、具体的な行動によってのみもたらされる必然的な帰結なのである。
固執しない知性、素直さという強さ
自分の意見や信念を持つことは重要である。
しかし、一度持った意見に固執し、変化を拒むことは、知的な停滞を意味する。
特に、自分の間違いを認められない態度は、成長の最大の妨げとなる。
森博嗣は、自身の唯一のポリシーとして「なにものにも拘らない」ことを挙げ、さらにこう続ける。
僕の唯一のポリシィは、「なにものにも拘らない」というものだけれど、あえてもう一つ挙げるならば、「常に素直に」ということを心掛けている。僕は、自分としては、良く意見を変える方だと思っている。「違うな」と感じたときには、躊躇なくころっと意見を変える。今までの立場には拘らない。これは、科学者の特徴だとも思う。(P.106「第3章 他者は自分のどこにあるのか」)
本書では、この引用に続いて、間違っていることを正すのは恥ずかしい行為ではなく、常に「正しい」ほうを選ぶべきだという趣旨の文章が展開される。
これは、極めて重要な考え方である。
私たちは、プライドやこれまでの立場を守るために、明らかに間違っていると気づいた後でも、その意見を撤回できないことがある。
しかし、それは「我執」であり、思考の膠着状態に他ならない。
大切なのは、自分の過ちを認める「素直さ」と、より正しいと思われる方へ躊躇なく舵を切る「柔軟性」である。
これは、科学者が仮説と検証を繰り返しながら真理に迫っていくプロセスと同じであり、知性ある人間の本来あるべき姿なのだ。
こだわりや固執は、時として自己の成長を阻む足枷となることを、肝に銘じておく必要がある。
意見と嗜好を切り離す思考の作法
私たちは物事を判断する際、無意識のうちに自分の好き嫌い、つまり嗜好を判断基準にしてしまうことがある。
「自分が好きだから正しい」「自分が嫌いだから間違っている」という論法である。
しかし、客観的な「意見」と主観的な「嗜好」は、本来まったく別の次元にある。
森博嗣は、この二つを明確に切り離して思考することの重要性を、自らの例を挙げて示す。
こういうことを書くと、また勘違いされそうだが、僕はゲームはまったくしない人間だ。意見とは、自分の嗜好をサポートするものではない。僕は喫煙は自由だと考えている。しかし、僕は喫煙はしない。僕は推理小説を書くが、現実の殺人事件などには一切興味がない。(P.115「第3章 他者は自分のどこにあるのか」)
この文章が書かれる直前の文脈では、テレビゲームに対して肯定的な意見が述べられていた。
それを読んだ読者の多くは、「著者はゲームが好きなのだろう」と推測するはずだ。
私自身も、彼の作風から、そうしたデジタルな遊戯を好むタイプだと勝手に思い込んでいた。
しかし、彼はそれをあっさりと否定する。
ゲームをしない人間が、ゲームの価値を客観的に評価する。
これは、個人の嗜好と、社会的な事象に対する論理的な意見とを、完全に分離して考えている証拠である。
この思考法は、現代を生きる私たちにとって非常に重要である。
感情的な好き嫌いで物事を判断するのではなく、対象を冷静に分析し、論理に基づいた意見を構築する。
この訓練を積むことで、より公平で客観的な視点を養うことができるだろう。
ちなみに、別の著作『夢の叶え方を知っていますか?』によれば、彼はかつて喫煙者であったが30代後半にやめ、飲酒も40代前半にやめたという。
自らの過去の嗜好すらも、現在の意見とは切り離して考えているのである。
「少し考えてみる」人が少ない現実
情報が洪水のように押し寄せる現代社会。
私たちは、日々大量の情報を浴びながらも、その一つ一つを深く吟味することなく、表面的に受け流してはいないだろうか。
森博嗣のような卓越した知性の持ち主から見れば、世の中の多くの人々は、ほとんど「考えていない」に等しい状態に見えるのかもしれない。
彼は、そのもどかしさを静かに吐露する。
「少し考えてみればわかるだろう」とは思うけれど、残念ながら、少し考えてみる人は割合としては少ない。したがって、「正義」はなかなか伝わらない。(P.117「第3章 他者は自分のどこにあるのか」)
この言葉は、我々の胸に鋭く突き刺さる。
私たちは本当に「考えて」いるだろうか。
常識や世間の風潮、あるいは誰かの受け売りの意見を、さも自分の考えであるかのように錯覚していないだろうか。
「少し考えてみる」という行為は、意識的に行わなければ、日常の喧騒の中に埋もれてしまう。
物事の本質や、その裏に隠された構造、発せられた言葉の真意。
そうしたものに思いを馳せる時間を、意図的に確保する必要があるのだ。
森博嗣が言う「正義」が、単純な善悪二元論ではない、より複雑で高次な「正しさ」を指していることは想像に難くない。
その種の真理は、思考を巡らせた者にしか、その姿を現さないのである。
環境は過去の自分の選択の結果である
「職場環境が悪い」「人間関係に恵まれない」と、自分の置かれた状況に対する不満を口にする人は少なくない。
しかし、その不満の原因を外部にばかり求めては、根本的な解決には至らない。
森博嗣は、現在の環境が、過去の自分自身の選択の積み重ねによって形成されたものであるという、厳しい現実を突きつける。
もう一つ気づいてほしいのは、自分の周囲の環境が悪いのは、これまでに自分が手を打ってこなかったからだ、ということ。だから、すぐに手を打っても、それが改善されるのは、ずっと先のことになる。この種の挙動は、「社会」でも「他者」でも同様だし、もちろん「自分」についても当てはまることである。(P.140「第4章 自分は社会のどこにあるのか」)
これまで、どれだけ場当たり的で、長期的な視点に欠けた選択をしてきたことか。
現在の状況は、決して偶然の産物ではなく、過去の自分の無作為や怠慢が招いた必然的な結果なのである。
重要なのは、ここからどうするかだ。
今、この瞬間に正しい一手を打ったとしても、その効果が表れるのは、ずっと未来のことになる。
相手が大きな組織や権力であれば、その時間はさらに長くなるだろう。
だからこそ、現状を注意深く観察し、1年後、3年後、5年後、10年後といった未来を見越した上で、今打つべき最善の一手を考え抜かなければならない。
未来は、現在の行動によってのみ、変えることができるのだ。
矛盾を飲み込み、考えすぎない技術
考えることは人間にとって不可欠な能力だが、その思考が時に我々を袋小路に追い込むことがある。
考えれば考えるほど、世の中や自分自身の内にある矛盾に直面し、絶望的な気分に陥ってしまうのだ。
しかし、森博嗣はその矛盾こそが当たり前の状態なのだと説き、思考の罠にはまらないための心構えを示す。
難しいのは、考えることであり、さらに難しいのは、考えすぎないことだ。考えていけば、必ず矛盾が生じる。矛盾があったからといって絶望することはない。世の中すべて、自分も他者も社会も矛盾だらけなのだから。これらは、物理的な矛盾ではなく、感情や思想の矛盾、つまり想像が生み出すものどうしの矛盾である。(P.151「第4章 自分は社会のどこにあるのか」)
物理法則には矛盾は存在しない。
しかし、人間が作り出した思想や感情、価値観の世界は、元より矛盾を内包している。
その中で完全な論理的整合性を求めようとすること自体が、間違いの始まりなのだ。
大切なのは、思考と実践のバランスである。
矛盾に気づき、悩みながらも、行動を止めないこと。
行動し、その結果を受けて、再び思考を修正していく。
このサイクルを繰り返すことこそが、人生を前に進める力となる。
決して、完璧な答えを求めて机上で思索を続ける思想家や哲学者になってはならない。
私たちは、矛盾だらけの世界で、それでも何かを成し遂げようと試みる「実践者」であるべきなのだ。
知性と孤独、その隣にあるもの
森博嗣の著作には、時折、彼の個人的な経験が静かに、しかし印象的に差し挟まれることがある。
それは、彼のクールな論理展開に、人間的な深みと陰影を与える。
僕の身近でも、友人が数名自殺している。友人とまでは呼べない知り合いの範囲ならば、もっと多い。(P.152「第4章 自分は社会のどこにあるのか」)
この短い告白は、読者に衝撃を与える。
彼の周囲には、おそらく大学の研究者や技術者など、極めて知性の高い人々が集まっていたはずだ。
その中で、これほど多くの人が自ら命を絶ったという事実は、知性が必ずしも幸福に直結するわけではないという、厳然たる事実を示している。
むしろ、頭が良すぎるがゆえに、世の中の矛盾や人生の不条理に耐えられなくなってしまうのかもしれない。
思考の迷宮にはまり込み、出口を見失ってしまう。
この一文は、本書全体に流れる、知性に対する彼の冷静で、どこか突き放したような視点を象徴しているかのようである。
「今が一番楽しい」と毎年更新する生き方
では、そんな矛盾と不条理に満ちた世界で、人はどうすれば幸福に、楽しく生きることができるのか。
その問いに対する森博嗣自身の答えが、彼の生き様そのものに凝縮されている。
子供のときからずっと楽しいことを探し求める人生だったと思う。いつもそれなりに楽しかったけれど、どんどん楽しくなっている。そして、今が一番楽しい。去年は、生まれてから一番楽しい充実した年だったけれど、今年の方がもっとずっと楽しい一年になりそうだ。毎年、そう感じる。(P.164「第5章 ぶらりとどこかへ行こう」)
なんと素晴らしい生き方だろうか。
過去の栄光や楽しかった思い出に浸るのではなく、常に「今、この瞬間」が人生で最高に楽しいと断言し、それを毎年更新し続けている。
これは、多くの人が理想としながらも、なかなか実現できない境地である。
過去を懐かしむことは、現在の停滞を意味するのかもしれない。
常に新しい楽しさを発見し、自らの世界を広げ続けていく。
そのような前向きな姿勢こそが、人生を豊かにする唯一の方法なのだ。
楽しいと感じる方へ、ただひたすらに進んでいく。
その先に、思いがけない豊かさが待っているのかもしれない。
誰にも話さない旅がもたらす豊かさ
現代は、誰もがSNSで自らの体験を発信する時代である。
美しい風景、美味しい食事、珍しい体験。
それらを他者と共有し、「いいね」をもらうことで承認欲求を満たす。
しかし、その行為は、本当に体験そのものの価値を高めているのだろうか。
森博嗣は、そうした風潮とは全く逆の価値観を提示する。
体験を他者と共有せず、完全に自分だけのものにすることの喜びを説くのだ。
それから、こういう一人旅や、珍しい街へ行ったことを、人に話さないのが楽しい。内緒にしておくのが面白い。たいていの人は、帰国したら報告をするだろう。それでは台無しだ。せっかく一人旅をしたのだから、自分だけのものにしておくのがよろしい。写真も撮らない。自分が見たもの、覚えた物がすべて。そういう旅の方が楽しいと思う。(P.167「第5章 ぶらりとどこかへ行こう」)
これは、現代に生きる私たちにとって、非常に難易度の高い行為に思える。
誰かに報告したい、自慢したいという欲求を抑え、体験を自分の中で完結させる。
しかし、これこそが究極の贅沢なのかもしれない。
他者の評価というフィルターを通さず、純粋に自分自身の五感で感じたことだけが、真の体験として内面に蓄積されていく。
森博嗣のこの徹底した承認欲求の無さには驚かされるばかりだ。
もちろん、彼が言うように、ある程度の誇張はあるのかもしれない。
親しい家族や友人には、旅の話をすることもあるだろう。
しかし、その根底にある「自分だけの宝物を持つ喜び」という価値観は、私たちが忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれる。
「趣味と実益」はなぜ不純なのか
「好きなことを仕事に」「趣味と実益を兼ねて」。
これらは、現代社会で非常にポジティブな言葉として捉えられている。
無駄なく、効率的に、楽しみながら利益も得る。
一見すると、これ以上ない理想的な生き方に思える。
しかし、森博嗣は、この考え方を「不純だ」と一刀両断にする。
ついこのまえまで、「趣味と実益を兼ねて」という指向が流行った。楽しみでやっているけれど、なんらかの利益が得られるようなものが好まれた。僕は単に「不純」だと思うだけだが、もちろん「実益」が嬉しい、それが楽しい、という人は多いことだろう。(P.173「第5章 ぶらりとどこかへ行こう」)
なぜ不純なのか。
それは、楽しみに「実益」という要素が混ざった瞬間、その楽しさの純度が著しく低下するからである。
お金が絡めば、それは「仕事」になる。
仕事には納期や品質、他者からの評価といった制約がつきまとう。
それはもはや、100%純粋な「楽しみ」ではなくなってしまう。
趣味は、仕事とは全く異なる次元にあるべきだ。
生産性も効率も関係ない。
ただ、その行為自体が楽しいから行う。
その無目的で無駄な時間こそが、人生に豊かさと潤いをもたらす。
楽しさの中に仕事という「不純物」が混入することを、彼は断固として拒否するのである。
楽しさが金を生むという逆転の発想
本書を貫く最も重要で、そして最も希望に満ちたメッセージは、最後の最後に提示される。
それは、多くの人が信じて疑わない「金と楽しみ」に関する常識を、根底から覆すものである。
逆である。楽しさを求めれば、金は入ってくる。真剣に楽しみを実現したいと思う人は、自然に金持ちになっている。これは、自由を求めると、自然に金持ちになる、ということと同じだ。金が楽しみを生むのではなく、楽しみが金を生む。この原理を間違えなければきっと大丈夫だ。(P.177「第5章 ぶらりとどこかへ行こう」)
私たちは、「お金があれば、もっと楽しいことができるのに」と考えがちだ。
金銭的な制約が、自分の自由や楽しみを奪っていると信じ込んでいる。
しかし、森博嗣は、その因果関係は全くの「逆」であると喝破する。
まず、追求すべきは「楽しさ」である。
自分の心が本当に楽しいと感じることを、真剣に、徹底的に追求する。
すると、自然と道は開いて、お金持ちになれるという。
これは、天才的な観察眼を持つ彼が、世の中の成功者たちから見出した一つの原理なのである。
天才の思考と執筆の驚くべき速度
最後に、本書がどのようにして生み出されたのか、その創作の裏側を覗いてみよう。
あとがきには、森博嗣という作家の驚くべき執筆スタイルが記されている。
トータルで約十二時間で書き上げたもので、執筆期間は七日である(これでも、小説よりは文字数当り三割増ほど時間がかかる)。(P.187「あとがき」)
いつものように、僕は長文を区切らずに一気に書き上げただけで、本文中の小タイトルはすべて集英社の鯉沼広行氏がつけてくれたものである。適切な仕事にとても感謝している。(二〇一〇年九月記)(P.188「あとがき」)
この密度と純度を誇る思索の書が、わずか12時間で書き上げられたという事実に、まず愕然とする。
そして、構成を考えずに一気に書き上げ、章立てや小見出しは編集者に委ねるという手法。
これは、彼の頭の中では、既に全ての思考が論理的に体系化されており、あとはそれをタイピングという作業で出力するだけなのだろう。
さらに注目すべきは、あとがきが書かれたのが2010年9月であるのに対し、本書が実際に出版されたのは2011年2月だという点だ。
半年近くの余裕を持ったスケジュール管理。
この徹底した合理性と計画性こそが、彼の驚異的な生産性を支えているのである。
まとめ:自分の頭で考え、純粋な楽しさを追い求めよ
森博嗣の『自分探しと楽しさについて』は、安易な答えや慰めを求める読者を突き放す。
しかし、自らの足で立ち、自らの頭で考える覚悟のある者にとっては、これ以上なく信頼できる道標となるだろう。
「自分らしさ」という呪縛から逃れ、変化のための「犠牲」を払い、固執しない「柔軟な思考」を持つこと。
そして何よりも、「金が楽しみを生むのではなく、楽しみが金を生む」という大原則を胸に刻むこと。
本書に散りばめられた言葉は、あなたの人生観を根底から揺さぶる力を持っている。
もしあなたが現状に甘んじることなく、より自由で、より楽しい人生を本気で望むのなら、ぜひこの一冊を手に取ってみてほしい。
そこには、あなた自身で答えを見つけ出すための、最高のヒントが詰まっているはずだ。
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