『最強の人生指南書』齋藤孝

齋藤孝の略歴

齋藤孝(さいとう・たかし、1960年~)
教育学者、著述家。
静岡県静岡市の生まれ。東京大学法学部を卒業。
東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻、博士課程を満期退学。

佐藤一斎の略歴

佐藤一斎(さとう・いっさい、1772年~1859年)
江戸時代後期の儒学者。
美濃国(現在の岐阜県)岩村藩の出身。林家塾の塾頭。昌平坂学問所の教官。
『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』などが有名で、その四冊の総称は「言志四録」。

『最強の人生指南書』の目次

はじめに
序章 現代こそ『言志四録』が役に立つ
第一章 「忙しい」の九割は無駄な仕事――仕事術
第二章 禍は「上」から起こる――人間関係・リーダー論
第三章 志があれば、何からでも学べる――学習法
第四章 「やむを得ざる」の生き方――人生論

概要

2010年6月10日に初版第一刷が発行。祥伝社新書。256ページ。

副題は、“佐藤一斎「言志四録」を読む”。

佐藤一斎は、幕府直轄の教育機関であった昌平坂学問所のトップ、いまで言えば大学の学長まで務めた人です。日本における儒学の大成者として大変尊敬をされていました。『言志四録』は、儒学のみならず、朱子学や陽明学など東洋の思想・学問に通じていた佐藤一斎が、
四二歳から八二歳まで四〇年にわたって思索した成果を集めた語録です。(P.4「はじめに」)

言志四録の詳細は以下。

『言志録』:全246条。42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆。

『言志後録』:全255条。57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆。

『言志晩録』:全292条。67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆。

『言志耋録』:全340条。80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆。

ちなみに、『言志後録』の後録は「こうろく」、『言志耋録』の耋録は「てつろく」と読む。

利益を出すには、マイナスを取り除くのが一番だというのは、なかなか合理的なやり方です。本当に自分の利益を考えるなら、儲けようとするより、害を減らすことを考えたほうがうまくいきます。(P.42:第一章 「忙しい」の九割は無駄な仕事――仕事術)

ここでは『言志晩録』の131条にある「利を興すは害を除くに如かず」の解説。

リターンは管理できないが、リスクは管理できると似たような話。マイナスを極力減らしておいて、結果的にプラスをより多くする手法。

その後には、仕事や人間関係、交渉などについて具体的な事例を出しながら解説が続いていく。

また自己にとっての害や苦だと思うことが、他者には利や楽の場合もあるので、交渉を通じてバランスを取ると良いという助言も。

これは、過去ではなく、いまの過ちに焦点を絞れという、なかなか切れ味のいいアドバイスの言葉です。(P.51:第一章 「忙しい」の九割は無駄な仕事――仕事術)

“これは”というのは『言志録』の43条「昨の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過を改むる者は鮮なし」のこと。

過去の間違いを改めるのは、大切ではあるが、現在の間違いを直ぐに改めた方が良いという部分。

なかなか現在の間違いは認めるのは、自己否定になってしまうので難しい。

だが、さらに未来の視点で、現在を過去として捉え、客観的に分析すると行動を直しやすいという齋藤孝からの助言も。

儒学は、お金や商売をわりと下に見る傾向があるのですが、ここでははっきりと「利益」自体は悪いものではないと名言しています。悪いのは利益そのものではなく、その利益を独占してしまうことだというのです。(P.56第一章 「忙しい」の九割は無駄な仕事――仕事術)

『言志録』の67条「利は天下公共の物なれば、何ぞ曾て悪有らん。但だ自ら之を専にすれば、即ち怨を取るの道たるのみ」の解説。

いつの時代でも通用する処世術。利益を独占してはいけない。他者の妬みや嫉み、怨みが生じてしまうため。

そのような状況を防ぐために、他者にも利益を上手く配分する。すると自分も継続的に利益を上げられる。

せっかく選んでくれたお茶碗を観賞して、かつ礼儀としてお茶碗の正面部分を避けて飲むべきですが、素人はなかなか観賞の余裕もないでしょう。それを作法としてお茶碗を回してから飲むと決めておけば、誰もができるようになるだろうというのが、決まりごとの効果です。(P.101:第二章 禍は「上」から起こる――人間関係・リーダー論)

礼儀や作法、型、ルールに関する齋藤孝の考察。この前の部分で、佐藤一斎の他者に対する心掛けや思い遣りについての言葉があり、そこから発展。

礼儀や作法、型、ルールといったものは、堅苦しいものと思われてしまうかもしれないが、改めて分析してみると、他者への心遣いを配慮したものとなっている場合もあるという話。

誰もが平均以上、及第点を無理なく取れる、決まりごとは重要。

少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。(晩・60)
(P.138:第三章 志があれば、何からでも学べる――学習法)

『言志晩録』の60条。一般的に「三学の教え」とも呼ばれて、有名な言葉。結局のところ、学び続けて、成長し続けなさいという話。

年齢を重ねていけば、体力は著しく低下していってしまう。ただ頭脳や知力は、まだまだ伸びる可能性もある。

もしくは、学びを止めた時点から、老化が始まるとも言えるかもしれない。

感想

一時期、齋藤孝の書籍を読み漁っていた。その時に、こちらも読んだ。

佐藤一斎という人物も『言志四録』も知らなかったので、とても勉強になった。

さすがに「三学の教え」は知っていたが、まさかその原典が『言志四録』だったとは驚いた。

また西郷隆盛(さいごう・たかもり、1828年~1877年)が特に好んで、自ら選んだ『手抄言志録』としてまとめたのも全く知らなかった。

その他に、佐藤一斎の弟子には、佐久間象山(さくま・しょうざん、1811年~1864年)がいたことも知らなかった。

そのため、佐久間象山から坂本龍馬(さかもと・りょうま、1836年~1867年)や勝海舟(かつ・かいしゅう、1823年~1899年)、吉田松陰(よしだ・しょういん、1830年~1859年)。

吉田松陰から高杉晋作(たかすぎ・しんさく、1839年~1867年)、伊藤博文(いとう・ひろぶみ、1841年~1909年)、山縣有朋(やまがた・ありとも、1838年~1922年)。

といった流れで、幕末から明治にかけての重要人物たちにも影響を与えたというのも面白い。

実践的で分かりやすいアドバイスが多いので、非常に役立つ内容。漢文のリズムも小気味良いので、頭に残りやすいし、声に出して読みたくなる。

非常にオススメの本である。

書籍紹介

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佐藤一斎・碑文めぐり

佐藤一斎は、1772年に美濃国岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の家老である佐藤信由(さとう・のぶより)の二男として、江戸浜町の下屋敷(現在の東京都中央区日本橋浜町)で生まれた。

岩村藩ということで、岩村町には碑文が設けられている。

公式サイト:いわむら観光協会「佐藤一斎 碑文めぐり」