『座右のニーチェ』齋藤孝

齋藤孝の略歴

齋藤孝(さいとう・たかし、1960年~)
教育学者、著述家。
静岡県静岡市の生まれ。東京大学法学部を卒業。
東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻、博士課程を満期退学。

フリードリヒ・ニーチェの略歴

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年~1900年)
ドイツの哲学者、詩人。
プフォルタ学院を卒業。ボン大学へ入学後、ライプツィヒ大学に転学し卒業。バーゼル大学などで教鞭を執る。

『座右のニーチェ』の目次

まえがき 日めくりニーチェ活用法
第一章 一本の矢になれ
第二章 一瞬を生きよ
第三章 肉体の声を聞け
第四章 過剰を贈れ
第五章 クリエイティブに生きろ
おわりに 学べ――哄笑することを
あとがき
主要参考文献

概要

2008年6月20日に第一刷が発行。光文社新書。224ページ。

副題は「突破力が身につく本」。

1973年に発行された手塚富雄の訳による『ツァラトゥストラ』を中心にニーチェの言葉を紹介。

『ツァラトゥストラはこう言った』(原題・Also sprach Zarathustra)は、1883年から1885年にかけて発表されたニーチェの後期思想を代表する著作。全4部から構成されている。

人間関係は、狭くなるほど息苦しくなる。
ほどよい距離をもってつき合うことは、人間関係の極意である。(P.27「第一章 一本の矢になれ」)

「わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める」とニーチェは語る。それに対しての齋藤孝の解説。

家族や友人などの場合、関係が長期間続くと、無言のうちに固定的な思考に陥ってしまいやすく、変化や成長が阻まれてしまうこともある。あるいは、身近な人間が嫉妬心から敵になってしまうことも。

そのため、最初からある程度、人との距離感を上手に取ることが秘訣であるという。裏を返せば、常に新しい人間関係を広く構築することも、良いのかもしれない。

ニーチェは『この人を見よ』で、自分は、ルサンチマン(怨恨感情)を自分にとって価値のないものとして自分自身に禁じ、清算した、といっている。そして、ブッダを、魂を怨恨感情から解放する、魂の衛生学者として高く評価している。仏教とは、ルサンチマンからの解脱だったのだ。(P.30「第一章 一本の矢になれ」)

「嫉妬の炎につつまれた者は、最後には、さそりと同様に、自分自身に毒針を向けるのだ」とニーチェは言う。嫉妬や怨恨は、前向きな心を失わせて、自分自身を疲弊させてしまう。

そのような感情に振り回されてしまったら、相手や自分も歪めてしまう。ルサンチマンを抑えて、もしくは健康的に解消して、建設的に生きなさいということ。

ちなみに『この人を見よ』(原題・Ecce homo)は1888年に完成したニーチェの自伝。ニーチェが亡くなった後の1908年に出版されたもの。

死後の世界など関係なく、「今のおまえのその肉体を生きろ」、とニーチェは説く。霊魂は生き残るから、今はどうでもいいという、現世軽視の考え方を、彼は激しく批判する。この瞬間に、よく笑い、よく食べ、よく生きること。それが彼の理想だった。(P.69「第二章 一瞬を生きよ」)

生の全肯定の思想。ここでは、キリスト教を引き合いに出す。死んだ後の神の国で、あなたは永遠に生きられますよ、という教え。ニーチェは、それを否定し、現世をより直視して、今は生きろと強く主張。

先述のルサンチマンの部分では、仏教は肯定された。極楽浄土や来世を想定する仏教も、ここでは否定されるということ。

過去も未来も地続きの道で、今この瞬間が現在。つまり、現在のこの瞬間は、全ての過去も未来も組み込まれているから、非常に重要である。だから、今この瞬間を大切に生きよ、ということ。

ニーチェ自身、少年時代から苛烈ともいえる勉強をした。ニーチェのような独創的な考え方は、抑圧のない自由な環境で、勉強や訓練なしに生まれたと考えるのは間違いだ。ニーチェ思想を支えているのは正反対に、ものすごくトレーニングされた知性なのである。学校では優等生で、膨大な量の学習を積み重ねた。文献学者として、砂を噛むような地味な作業をひたすらつづけた。(P.87「第二章 一瞬を生きよ」)

ニーチェといった偉人たちは、物凄い才能がある大天才に違いない。ただその才能や功績も、たまたま天から授かったものではなく、自ら過酷なトレーニングによって磨かれた能力や知性であるという。

ニーチェも齋藤孝も、修行時代を恐れるなと語る。最初から全てが思うように上手くいくことは、それほど多くはない。大量の研鑽によって、下地ができて、その上に成果が出るということ。

加えて、「最も大いなる事件というのは、われわれのもつ最も騒がしい時間ではなくて、最も静かな時間なのだ」とニーチェは語る。

ニーチェは、そうした周囲の意見に流されることくらいバカバカしいことはないと考える人間だ。効率のいい快適な生き方の向こうにあるものこそ、人生に彩りを添えるものではないだろうか。(P.182「第五章 クリエイティブに生きろ」)

続いて「君たちは君たちの感覚でつかんだものを究極まで考え抜くべきだ」というニーチェの言葉が紹介される。

好感度やポピュリズムに陥ってしまいやすい。周りに流されずに自己を保って、自己の感覚で得たものを、熟慮して生きていくべしということ。

検索や口コミ、ランキングなど、全て他者の総体。自己の五感でつかみとったものを信じて、創造的に考えて行動を取る。

そして「評価は創造である。君たち、創造する者よ、聞け。評価そのものが、評価を受けるいっさいの事物の要であり、精髄である」とニーチェは語る。

ニーチェの思想を愛さず、要約しようとする人間、あるいは、高校の倫理社会の教科書などで通り一遍の知識を覚えたくらいで満足している人間に、ニーチェは失望する。
肉体性を持って読む。それが本書のミッションだ。(P.221「あとがき」)

齋藤孝は、ニーチェの言葉を引用しながら、この本書の最後で、肉体性を強調する。血肉となるようにとの言葉も「まえがき」で書かれている。

物理的に現実世界で具体的に行動をしなさいという風に読者を、非常に爽やかに鼓舞する。

よくある話ではあるが、本を読んで分かった気になってはいけないというもの。本を読んで、読む前と何が変わったのか。またその後、どのような行動を取るか。というのが、大きなポイントである。

感想

齋藤孝の書籍は、非常に分かりやすく読みやすい。また自分の幅を広げてくれるようなテーマが多いので、一時期読み漁っていた。過去の偉人の紹介なども多いので、非常に勉強になる。

今回は、ニーチェ。

何となくの概要くらいしか知らなかった。この本の後に、実際に『ツァラトゥストラ』『この人を見よ』などを購入して読んだ。

もちろん、私には不明な部分も多かったが、勇気をもらえるというか、読んでいて元気になる言葉や考えさせられる文章、考え方、視点などが多く、とても刺激を受けた。

ちなみに、齋藤孝の「座右の◯◯」シリーズは、他に『座右の諭吉』『座右のゲーテ』『座右の世阿弥』がある。それぞれに副題がついていて、どいったテーマでまとめられているかも明瞭になっている。

『座右の諭吉』では「才能より決断」。『座右のゲーテ』では「壁に突き当たったとき開く本」。『座右の世阿弥』では「不安の時代を生き切る29の教え」。

また、そこから原書や関連書籍に入っていくのも面白いと思う。引用と解説といった基本構成になっているのが、読みやすさのポイントかもしれない。

どの書籍も老若男女に幅広く受け入れられやすいと思うので、興味のあるものから読み進めていくのが良いかも。

書籍紹介

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ドイツのボンにある総合大学。ボン大学は通称で、正式名称はライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン(Universität Bonn)。

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