
書籍紹介
- 製紙工場製造部長を務め上げた永田耕衣が、定年後に俳句と知的探求に全力を注いだ「理想の晩年」を生きた軌跡。
- 企業人生と俳句創作を両立させた主人公の生き方は、精神の自由と創造の喜びを獲得できることを鮮やかに提示。
- 城山三郎自身も若き日に詩を志した経験を持ち、耕衣との不思議な縁を通じて、詩心と人生の晩年をめぐる深い共感を込めて描写。
- 人生の最終章を「消化試合」ではなく「新たな創造の舞台」として主体的に生きるための、普遍的な哲学を投げかける名著。
城山三郎の略歴・経歴
城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)
小説家。本名は、杉浦英一(すぎうら・えいいち)。
愛知県名古屋市の出身。名古屋市立名古屋商業学校(現在の名古屋市立向陽高等学校)を経て、1945年に愛知県立工業専門学校(現在の名古屋工業大学)に入学。大日本帝国海軍に志願入隊し、海軍特別幹部練習生として、特攻隊である伏龍部隊に配属。
1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)予科入学、1952年に一橋大学を卒業。
1957年に『輸出』で第4回文學界新人賞。
1959年に『総会屋錦城』で第40回直木賞。
1975年に『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。
永田耕衣の略歴・経歴
永田耕衣(ながた・こうい、1900年~1997年)
俳人。本名は、永田軍二(ながた・ぐんじ)。
兵庫県加古川市尾上町今福の生まれ。上尋常高等小学校尋常科、高等科を経て、1917年に兵庫県立工業学校(現在の兵庫県立兵庫工業高等学校)機械科を卒業。三菱製紙高砂工場に技手補として就職。
1949年に俳誌『琴座』(りらざ)を創刊。
1952年に三菱製紙・高砂工場の製造部長。1955年に三菱製紙を定年退職。
『部長の大晩年』の目次
一 妙な退職祝い
二 蛍の里
三 まぶしい「趣味生活」
四 暗い夜
五 出会いは絶景
六 長生を導くもの
七 おそい受賞
八 活断層の真上
あとがき
解説 高橋睦郎
『部長の大晩年』の概要・内容
2001年10月1日に第一刷が発行。朝日文庫。239ページ。
1998年9月に刊行された単行本を文庫化したもの。
初出誌は『週間朝日』1998年1月2-9日号~5月22日号。
解説は、詩人・歌人・俳人の高橋睦郎(たかはし・むつお、1937年~)。福岡県北九州市の生まれ。福岡県立門司東高等学校、福岡教育大学教育学部国語科を卒業。日本デザインセンター、サン・アドなどで勤務した人物。
『部長の大晩年』のあらすじ・要約・感想
- 経済小説の巨匠が描く異色の伝記
- 企業人と芸術家という二つの顔
- 退職後に広がる深遠なる知の交流
- 前衛詩人との出会いと批評精神
- 歴史が交差する不思議な縁
- 無駄を削ぎ落とした理想の晩年
- 古典に学ぶ詩の真髄と著者の秘密
- 伝記文学の奥深さと事実の境界
- 理想の晩年に向けた大いなる示唆
人生の終盤をいかに豊かに生き切るかという命題は、時代や社会環境を超えて多くの人々が直面する、極めて普遍的かつ深遠な課題である。
特に巨大な組織の中で長年にわたり心身をすり減らして働き続けた人々にとって、第一線を退いた後の空白の時間をどのように設計するかは、実存に関わる切実な問題となる。
かつては仕事という強固な社会的な足場があったものの、定年という制度によってそれが失われた途端に、自己の存在意義を完全に見失ってしまう悲劇的なケースは枚挙にいとまがない。
キャリアの最終局面における自己実現のあり方は、個人の主観的な幸福度を根本から左右する重大な要素として、盛んに研究の対象となっている。
長い職業生活の果てにようやく訪れる自由な時間を、単なる消化試合としての余生として無為に消費するのか、あるいは新たな創造の舞台として主体的に活用していくのか。
その選択によって、人生という長く複雑な物語の最終章の輝きは、全く異なるものへと変貌していくのである。
そうした人生の晩年における精神的な豊かさの極致を、実在の人物の軌跡を通じて鮮やかに描き出したのが、本作である。
日本の高度経済成長期において、組織の歯車として生きる人間の悲哀と矜持を冷徹に描き続けてきた著者が、一人の特異な俳人の晩年に焦点を当てたことには、極めて深い意味が込められている。
これは単なる一人の文化人の評伝という枠組みを大きく超えて、我々はいかに生き、いかに老いていくべきかという根源的な哲学の問いを読者に強く投げかける名著である。
仕事という檻から解放された人間が、最終的にどのような精神の自由を獲得できるのかという壮大な実験の記録としても読むことができる。
経済小説の巨匠が描く異色の伝記
本作の著者である城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)は、日本の文学界において経済小説という全く新しいジャンルを独力で切り拓いた先駆者として広く知られている。
彼は愛知県の商業学校から工業専門学校へと進学し、実践的な商業と高度な技術の両面における素養を若くして身につけていた。
しかし、彼の青春時代は凄惨な戦争の影に覆われており、大日本帝国海軍に志願入隊したという、その後の人生を決定づける重い過去を持っている。
彼が配属されたのは、特攻隊である伏龍部隊という、極限の死と常に隣り合わせの、言葉を失うほど過酷な環境であった。
重い潜水服を着て暗い海底に身を潜め、頭上を通過する敵の艦船に対して棒機雷を突き立てて自爆するという、あまりにも悲惨で絶望的な作戦を前提とした部隊である。
この戦争の最末期における強烈な体験と、不条理な死線を彷徨った生々しい記憶は、戦後の彼の死生観や人間観に対して決定的な影響を与えたと考えられる。
九死に一生を得て終戦を迎えた後、彼は大学で経済学や商業学を本格的に学び直し、猛烈な勢いで高度経済成長期へと突入していく日本の企業社会を、冷徹かつ温かい眼差しで見つめるようになった。
利益至上主義の組織という巨大なシステムの中で、時に理不尽な要求にじっと耐えながらも、家族のため、あるいは己の矜持のために必死に生き抜こうとする人々の姿を、彼は深い共感を持って描き出し続けたのである。
彼の残した膨大な作品群は、戦後の日本社会が抱えていた光と影を浮き彫りにし、日々戦い続ける多くの読者の心を強く打った。
そんな経済小説の巨匠が、本作においては、従来の企業経営者や官僚といったエリート層の主人公たちとは全く異なるタイプの人物を題材に選んでいる。
企業人と芸術家という二つの顔
本作の主人公として丹念に描かれているのは、永田耕衣(ながた・こうい、1900年~1997年)という、非常にユニークで複雑な経歴を持つ俳人である。
彼は工業学校の機械科で専門的な技術と工学的な論理的思考を学び、卒業後は大規模な製紙工場の現場に技術者として足を踏み入れた。
彼が就職した三菱製紙の高砂工場は、当時の日本の急速な近代化と産業発展を根底から支えた重要な拠点の一つであり、そこでの労働は極めて厳格で過酷なものであったと推測される。
彼は技手補という現場の最前線から地道にキャリアをスタートさせ、持ち前の勤勉さと工学的な知見をフルに活かして、着実に組織内の険しい階段を登っていった。
そして最終的には、工場の製造部長という、巨大な生産現場の根幹を統括する、極めて重い責任を伴う役職にまで見事に昇り詰めている。
工場の製造部長といえば、日々の生産効率の向上や厳格な品質管理、さらには多数の従業員の複雑な労務管理などといった課題の解決に奔走しなければならない激務中の激務である。
論理的な思考力と、いかなるトラブルにも動じない冷徹な判断力が絶えず要求される厳しいビジネスの現場において、彼は長年にわたって第一線で戦い続けてきた。
しかし驚くべきことに、彼はその苛烈な企業生活の裏側で、言葉の芸術である俳句の世界に深く傾倒し、誰にも真似できない独自の表現を静かに追求し続けていたのである。
合理性や効率性が完全に支配する工場の世界と、言葉の自由な飛躍や非論理的な直感が重んじられる俳句の世界は、一見すると水と油のように相反するものに思える。
しかし彼は、その二つの全く異なる世界を見事に自分の中で融合させ、定年退職の数年前には自らの手で俳誌を創刊するほどの凄まじい情熱を注ぎ込んでいた。
退職後に広がる深遠なる知の交流
定年退職という人生の大きな節目を無事に迎えた後、彼はその有り余る時間を、かつて十分に確保できなかった知的探求のために全面的に注ぎ込んでいく。
その溢れんばかりの熱意は、単なる老後の趣味という穏やかな領域を遥かに超越しており、専門的な学問領域にまで深く踏み込むほどの激しいものであった。
彼は自らの知的好奇心を満たすために、難解な専門書の著者に直接手紙を出して議論を交わすほどの、非常に積極的で恐れを知らない姿勢を持っていた。
その一人が、『エリオットの詩学』の著者で、京大教授の深瀬基寛。
さらに深瀬に紹介され、英文学者の大浦幸男や外山滋比古といった人たちを知った。(P.128「長生を導くもの」)
そうした情熱的な交流の輪の中に、深瀬基寛(ふかせ・もとひろ、1895年~1966年)という日本文学界に輝く傑出した英文学者が含まれていたことは非常に興味深い。
彼は京都の自由で奥深い学問的な土壌の中で育まれた知性を持ち、難解な海外文学の日本への紹介や鋭い批評において、極めて大きな足跡を残した人物である。
さらにその豊かな人脈から派生して、大浦幸男(おおうら・ゆきお、1915年~2008年)や、外山滋比古(とやま・しげひこ、1923年~2020年)といった、日本を代表する知の巨人たちとの貴重な接点が次々と生まれていく。
彼らの専門分野の背景には、T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot、1888年~1965年)という、二十世紀の西洋文学に決定的な影響を与えた偉大な詩人の存在がある。
ノーベル文学賞も受賞したこの難解で知的な詩人の作品世界に、一人の引退した日本の元工場長が深い関心を寄せ、専門の学者たちと堂々と渡り合っていたという事実は驚異的である。
特に外山滋比古に関しては、年齢が二回り近くも離れた若い世代の学者であるにもかかわらず、そこに対等で真剣な知的交流が存在していたことは特筆に値する。
ちなみに外山滋比古は刊行から現在まで売れ続けている『思考の整理学』の著者である。
真の芸術や学問の探求という高みにおいては、社会的な地位や年齢といった世俗的な属性は全く意味を持たないということを、彼の生き方は如実に証明している。
彼の文学に対する守備範囲の途方もない広さと、知識の深淵をどこまでも覗き込もうとする探求の深さ、そして何よりもその衰えを知らない情熱には、ただただ圧倒されるばかりである。
前衛詩人との出会いと批評精神
彼の知的探求の歩みは決して止まることなく、常に新しい文学表現や未知の才能との出会いを求め、自らの感性をナイフのように鋭く研ぎ澄ませ続けていた。
耕衣はまた『高橋新吉詩集』を、出版されたばかりの文庫本で読み、「手遅れの感」を深くしながらも、その世界にひきこまれた。(P.129「長生を導くもの」)
ここで登場する高橋新吉(たかはし・しんきち、1901年~1987年)は、日本の近代詩史においてダダイズムという極めて前衛的な芸術運動を強力に推し進めた、異端で独創的な詩人である。
既存の伝統的な価値観や論理を徹底的に破壊し、無意識の底から湧き上がる衝動を直接的に言葉にぶつけるような彼の過激な詩風は、当時の文学界に計り知れない衝撃を与えた。
その反逆的で前衛的なエネルギーは、後の中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)といった天才的な詩人たちの魂にも強烈な火をつけ、多大な文学的影響を及ぼすことになった。
実は、この過激で破天荒な詩人よりも、堅実な製紙工場の製造部長を務め上げた彼の方が年齢が上であるという事実には、歴史の妙とも言える深い感慨を覚えざるを得ない。
彼の感性は、長く無味乾燥な企業という枠組みの中で生きながらも全く摩耗することなく、むしろ真の芸術家や前衛詩人と呼ぶにふさわしいほどの純度を奇跡的に保ち続けていたのである。
これほどまでに鋭敏で傷つきやすい感性を抱えながら、よくぞ苛烈な企業の生産現場において、精神を病むことなく長年にわたり無事に社会生活を送り続けることができたものだと感嘆してしまう。
新しい才能や未知の表現に出会うのが遅かったことに対して、本気で悔しがるほどの瑞々しい情熱は、老いとは無縁の精神の永遠の若さを示している。
しかし彼は、そうした新しい表現に触れた際にも、ただ手放しで全てを肯定し、盲目的に受け入れるような単純で思慮の浅い読者では決してなかった。
対象の文学的価値を自らの厳しい基準で厳密に計り、作品によっては鋭い批判の刃を向けることも全く辞さない、極めて強靭で冷静な批評眼をしっかりと持ち合わせていたのである。
長年のビジネス経験によって培われた論理的な思考力と、俳句という表現形式によって磨き上げられた直感的な感性。
そして、他者の優れた作品に対する深い尊敬の念と、決して安易な妥協を許さない厳格な批評精神。
そうした相反するあらゆる要素のバランス感覚の塩梅が、彼の中で奇跡的なまでに完璧に調和していたのである。
歴史が交差する不思議な縁
本作をさらに深く読み進めていくと、著者の城山三郎の人生と主人公の人生の間に、歴史の目に見えない糸が不思議な形で絡み合っていたという驚くべき事実が浮かび上がってくる。
「それ以外」のことについて目が行かず、ということでは、この当時、わたしは橋本の縁で二度も「琴座」に寄稿。
耕衣がわたしについての紹介文までつけてくれたのに、俳句門外漢であったため、耕衣その人を知ろうともせず、悔いを残す結果になった。(P.134「長生を導くもの」)
著者が、主人公の主宰する前衛的な俳句雑誌に、過去に二度も文章を寄稿していたという事実には、深い歴史的な因縁を感じずにはいられない。
この奇跡的な接点を結びつけた鍵となる重要な人物が、橋本隆正(はしもと・たかまさ、1896年?~1970年)である。
彼はかつて、日本の激動の経済史に巨大な爪痕を残した伝説的な総合商社である、鈴木商店の重要な幹部を務めていた傑出したビジネスマンである。
鈴木商店といえば、大番頭であった稀代の経営者、金子直吉(かねこ・なおきち、1866年~1944年)の強烈なリーダーシップのもと、第一次世界大戦の特需に乗じて奇跡的な急成長を遂げた巨大企業である。
しかし、その後の反動不況や大正時代の米騒動の混乱の中で、民衆の怒りの標的となり、本社が焼き討ちに遭うという壮絶な最後を遂げたことでも歴史に名を刻んでいる。
著者は自らの経済小説『鼠(ねずみ)鈴木商店焼打ち事件』の綿密な取材の過程で、この歴史的な大事件の生き証人である橋本から貴重な証言を引き出し、世代を超えた深い信頼関係を築き上げていた。
そして、その実力派のビジネスマンであった橋本自身が、なんと主人公の主宰する俳句雑誌の同人として名を連ねていたのである。
経済史の巨大なうねりの中で必死に生き抜いた猛者たちの人脈が、思いがけない形で文学という全く異なる次元で静かに交差していたという事実は、歴史の奥深さを痛感させる。
著者は当時、自身の執筆活動や経済史の膨大な調査に没頭するあまり、その雑誌を主宰していた巨大な才能の存在に気づくことができなかったことを、後年になって深く悔やんでいる。
しかし、この若き日のすれ違いがあったからこそ、長い歳月を経た後に、著者の中で主人公の人生を全霊で描き出そうとする強烈な動機が醸成されたとも言えるのではないだろうか。
無駄を削ぎ落とした理想の晩年
七十歳という古希の大きな節目を迎えた際、主人公が残した研ぎ澄まされた言葉には、自らの残りの人生を芸術に捧げ尽くそうとする凄まじい覚悟と、圧倒的な精神の気高さが横溢している。
「大したことは、一身の晩年をいかに立体的に充実して生きつらぬくかということだけである。
一切のムダを排除し、秀れた人物に接し、秀れた書をよみ、秀れた芸術を教えられ、かつ発見してゆく以外、充実の道はない」(P.159「おそい受賞」)
この荘厳な言葉は、彼の主宰する雑誌の昭和四十五年の後記にひっそりと、しかし鋼のような確固たる意志を持って記されたものである。
1970年という、日本が高度経済成長の頂点を極め、日本中が浮かれて物質的な豊かさを謳歌していた時代に発せられたこの宣言は、現代においても全く色褪せることのない普遍的な真理を鋭く突いている。
年齢を重ねるごとに人は保守的になり、過去の栄光や思い出に縋って生きる高齢者が多い中で、彼のこの徹底して未来志向で若々しい発言は、我々に強烈な衝撃と感動を与える。
人生の残り時間が有限であることを誰よりも深く自覚した上で、世俗的な付き合いや無意味な習慣といった一切の無駄を、外科医の手術のように冷徹に削ぎ落としていく決意。
そして、残された貴重な時間の全てを、真に優れた人物との対話、人類の叡智が詰まった書物の読書、そして魂を揺さぶる芸術との対峙にのみ注ぎ込もうとする孤高の姿勢。
それはまさに、文学や芸術といった人間精神の最高到達点に向かって、自らの魂を熱狂的に没頭させていく、厳しい求道者のような生き方である。
これほどまでに精神的に純化され、知的な喜びに満ち溢れた静謐な日々は、人生の最終盤における極めて理想的な生活の一つの究極の完成形であると断言できる。
もちろん、年齢を重ねるにつれて、残酷にも肉体的な衰えや逃れられない病の影は、徐々に、しかし確実に彼の身体を蝕み始めていたはずである。
しかし、その脆弱な肉体の限界を嘲笑うかのように、彼の内面からとめどなく湧き上がる知的な欲望と創造へのエネルギーは、いよいよ激しく燃え盛っていたのである。
古典に学ぶ詩の真髄と著者の秘密
巻末に収められた秀逸な解説は、文学の根源的な意味について深い考察を与えてくれると同時に、著者の知られざる過去の素顔をも読者にそっと明らかにしてくれる。
中国の古い言葉に「詩は志を謂う」というものがある。
詩とはつまるところその作者の内心の志を表現したものだ、というほどの意味だろう。
城山三郎さんは年少の頃、詩人志望だった、と仄聞したことがある。(P.233「解説」)
この心打つ解説を執筆している高橋睦郎(たかはし・むつお、1937年~)は、詩、短歌、俳句といった日本の伝統的な定型詩から現代詩に至るまで、幅広い分野で第一線で活躍する現代最高峰の表現者の一人である。
彼が静かに引いている「詩は志を謂う」という言葉は、古代中国の悠久の歴史と深く結びついた、極めて含蓄のある美しい表現である。
歴史学的な文献考証によれば、この言葉の出典は、中国最古の歴史書として名高い『尚書』(書経)に収められた「舜典」という篇の古い一節にまで遡ることができる。
さらに、同じく古代中国の最も古い詩集である『詩経』に付された序文、いわゆる『毛詩序』においても、この詩と志の関係性について極めて詳細かつ体系的な文学論が格調高く展開されている。
人間の心の奥底に秘められた真実の思いや、日常の言葉にならない切実な願いを、美しく定型化された言葉の器に託して表現すること。
それこそが詩というものの揺るぎない本質であり、数千年の時を超えて人類が言葉を紡ぎ続けてきた根源的な理由なのである。
そして驚くべきことに、経済小説という極めて散文的で現実主義的なジャンルの第一人者として知られる著者が、若き日には純粋な詩人を志していたという衝撃的な事実がここで明かされる。
過酷な戦争体験を経て、戦後の荒廃した社会を歯を食いしばって生き抜くために、彼は自らの繊細な詩心を一旦は心の奥底に封印し、経済小説という厳しい表現手法を選択したのかもしれない。
しかし、彼の強靭な精神の根底には、常に詩に対する深い憧憬と敬意が、地下水脈のように静かに脈打っていたはずである。
だからこそ彼は、晩年になって、企業人でありながらも生涯を通じて詩心を熱く燃やし続けたこの特異な俳人の人生に、運命的に強く惹きつけられたのではないだろうか。
伝記文学の奥深さと事実の境界
同時に解説者・高橋睦郎は、文学的真実と歴史的事実の境界線という、ノンフィクションや伝記小説が常に抱える宿命的なジレンマについても、誠実に言及している。
以上、いくつかの誤解はあるが、それは取材源が限られたための止むをえない誤解であって、この小説の瑕というほどではない。(P.236「解説」)
解説者自身は、本作の著者が記述したよりも遥かに長い期間にわたって、主人公である俳人・永田耕衣と直接的かつ親密な交流を重ねてきた、数少ない理解者の一人である。
小説の中で記載されている昭和六十年以降という時期よりもずっと以前、実に昭和四十六年の頃から、彼は数十度にもわたって主人公の自宅を訪問し、膝を交えて深い文学的対話を繰り返していたという。
そうした極めて近しい当事者の厳しい目から見れば、外部からの限られた取材に基づいて構築されたこの伝記小説の中に、いくつかの事実誤認や解釈の齟齬が見受けられるのは、ある意味で当然のことと言える。
いかに優れた調査能力を持つ一流の作家であっても、すでに失われた過去の時間を完全に復元し、複雑な人間の内面を寸分違わず描き出すことは、原理的に不可能に近い困難な作業だからである。
しかし解説者は、そうした細部の誤りや調査不足を的確に指摘しつつも、それが作品全体が持つ圧倒的な価値や本質的な魅力を少しも損なうものではないと、非常に寛容に断言している。
伝記小説というジャンルにおいて最も重要なのは、客観的な年表の羅列や事実の正確な記録ではなく、そこに血の通った一人の人間の真実の姿を立体的に浮かび上がらせることにある。
著者の深い人間洞察力と卓越した想像力によって見事に再構築された主人公の姿は、歴史的な事実の細部を超越して、読者の心に強烈なリアリティを持って迫ってくる。
細かな瑕疵を補って余りあるほどの熱い生命力が、この小説の行間には満ち溢れているのである。
解説者の鋭くも温かい指摘を通じて、文学作品における事実と虚構の複雑な関係性や、書き手と対象者との間にある永遠の距離感というものについて、改めて深く考えさせられる。
そして、この誠実で愛情に満ちた解説文を読むことで、解説者自身のこれまでの文学的営みや、彼が著した関連書籍に対しても、抑えきれないほどの強い興味が湧いてくるのである。
理想の晩年に向けた大いなる示唆
本作を深く読み終えて心に強く残るのは、一人の人間が自己の探求を極め尽くした果てに見せる、圧倒的な精神の美しさと清々しさである。
組織の論理にがんじがらめに縛られ、目まぐるしい日々の業務に追われる中で、我々は時に自分自身の大切な感情や、真に情熱を傾けるべき対象を完全に見失ってしまいがちである。
しかし、主人公のブレない生き方は、いかなる過酷な環境にあっても、自らの内なる声にじっと耳を澄ませ、精神的な豊かさを追求することは十分に可能であるという事実を力強く証明してくれた。
人生の終盤において、あらゆる無駄を徹底的に削ぎ落とし、本当に価値のあるものだけと真摯に向き合うその孤高の姿勢は、これから先の長い時間を生きる我々にとって、極めて実践的で尊い道標となる。
彼が人生の全てを懸けて紡ぎ出した前衛的な俳句の数々には、思考の果てにたどり着いた神秘的な飛躍と、深い人生哲学が間違いなく凝縮されているに違いない。
本作を素晴らしい入口として、主人公が世に残した実際の俳句作品や、彼が心血を注いで編集した雑誌の貴重なバックナンバーなどを、もっと深く、もっと広範に読み込んでみたいという強い衝動に駆られる。
人生百年時代と声高に言われる現代において、定年後の長く不透明な時間をいかに生きるかという問いに対する明確な答えは、決して一つではない。
しかし、この異色の俳人が見事に体現した「大晩年」の姿は、我々が自らの人生の最終章を悔いなく設計する上で、最高峰のヒントを与えてくれるはずである。
文学や芸術を心から愛する全ての人々に、そして人生の大きな岐路に立ち止まり、自らの生き方の意味を根本から問い直そうとしている全ての人々に、心から一読を勧めたい傑作である。
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公式サイトは無い。
鶴林寺:永田耕衣の文学碑
兵庫県加古川市加古川町北在家にある天台宗の寺院。永田耕衣の文学碑がある。
公式サイト:鶴林寺
文化のみち二葉館:城山三郎
文化のみち二葉館(ふたばかん)は、愛知県名古屋市東区橦木町にある展示施設。旧川上貞奴邸(きゅうかわかみさだやっこてい)とも呼ばれる。2階には、名古屋にゆかりのある文学資料室があり、城山三郎の関連資料や復元された書斎なども展示されている。
公式サイト:文化のみち二葉館







