- バーンアウトは「理想と現実のギャップ」から生まれる
- 個人の問題ではなく、職場や社会構造の問題
- 「自己実現」のプレッシャーが逆に人を苦しめる
- 働かなくても人間は尊厳を持つ存在
ジョナサン・マレシックの略歴・経歴
ジョナサン・マレシック(Jonathan Malesic)
アメリカのエッセイスト、ジャーナリスト。
大学教授になりテニュアも取得したがバーンアウトして退職した経験を持つ。
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』の目次
はじめに
第一部 バーンアウト文化
一章 誰もがバーンアウトしているのに、誰もバーンアウトの実態を知らない
二章 バーンアウト 最初の二〇〇〇年
三章 バーンアウト・スペクトラム
四章 バーンアウトの時代、労働環境はいかに悪化したか
五章 仕事の聖人と仕事の殉教者 私たちの理想の問題点
第二部 カウンターカルチャー
六章 すべてを手に入れることはできる 新たな「良い人生」像
七章 ベネディクト会は仕事という悪霊をどのように手なづけたのか
八章 さまざまなバーンアウト対策
終わりに ポスト・パンデミックの世界における非エッセンシャルワーク
謝辞
註
訳者あとがき
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』の概要・内容
2023年11月10日に第一刷が発行。青土社。305ページ。ソフトカバー。127mm✕188mm。四六判。
副題は「バーンアウト文化を終わらせるためにできること」。
原書は、2022年に出版。原題は『THE END OF BURNOUT: Why Work Drains Us and How to Build Better Lives』。
翻訳は、吉嶺英美(よしみね・ひでみ)。翻訳家であり、サンノゼ州立大学社会学部歴史学科を卒業をした人物。
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』の内容・感想
- なぜこんなに頑張っているのに、心は晴れないのだろう?
- 仕事と人格を同一視することの危うさ
- バーンアウトの三要素とその連鎖
- 働く意味の空虚さは古代からの問い
- 職場環境とのミスマッチが生む燃え尽き
- 自己実現という呪い
- 働かなくても、人間には尊厳がある
- 修道院に見る持続可能な働き方
- パンデミックがもたらした価値観の転換
- 感想と考察:燃え尽きの根本にある「期待」の問題
- 『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』をおすすめしたい人
「なぜこんなに頑張っているのに、心は晴れないのだろう?」
「毎日忙しいはずなのに、どこか空虚さを感じてしまう――」
現代社会に生きる多くの人が抱える、そんな感覚。その正体は「バーンアウト(燃え尽き症候群)」かもしれません。
本記事では、ジョナサン・マレシックによる話題の書『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』を読み解きながら、以下の問いに向き合っていきます。
- バーンアウトとは何か?
- なぜ人は燃え尽きてしまうのか?
- 私たちはどのように回復し、希望を取り戻せるのか?
この本は、単なるビジネス書でも自己啓発書でもありません。「働くこと」「生きること」そのものを見つめ直すための、深く、静かな問いが詰まっています。
仕事と人格を同一視することの危うさ
この本のなかで私はバーンアウトを、仕事に対する「期待」と「現実」のギャップに引きずり込まれることと定義した。(P.8)
マレシックは、バーンアウトとは単なる疲労やストレスではなく、「理想」と「現実」の落差によって生じる精神的な危機だと述べます。それは、いくら休んでも癒えない、根深い心の消耗です。
とりわけ現代人は、「仕事を通して自分の価値を証明しよう」と無意識に考えてしまいがちです。「仕事=自分」「成果=存在意義」といった図式が、私たちの思考を縛っているのです。たとえば「あなたは何をしている人?」と聞かれれば、多くの人が職業で自分を説明します。そのこと自体が、仕事と人格の過剰な同一視を表しています。
しかし、マレシックはこの結びつきに警鐘を鳴らします。仕事と自己を過剰に重ねれば、職場での失敗や不一致が「自己否定」へと直結してしまうからです。
バーンアウトの三要素とその連鎖
バーンアウトの責任は個人にはない。だが当然ながら、その影響を受けるのは個人だ。マスラークは、バーンアウトには三つの側面、すなわち消耗感、シニシズム(脱人格化とも呼ばれる)、そして有能感や達成感の低下があると考えていた。(P.31)
社会心理学者のクリスティーナ・マスラーク(Christina Maslach、1946年~)が提唱したバーンアウトの三要素は、以下の通りです。
- 消耗感:慢性的な肉体的・精神的疲労
- シニシズム:仕事や他人に対する冷笑的・無関心な態度
- 有能感や達成感の低下:努力しても成果が得られないという無力感
これらは互いに絡み合い、悪循環を生み出します。たとえば疲労が重なると、他人や職場に対して皮肉っぽくなり、やがて自分の能力にも疑問を抱くようになる……といった具合です。
バーンアウトは、「やる気がない人」や「甘えている人」がなるのではありません。むしろ、まじめで理想を持ちすぎる人こそが、もっとも危険なのです。
働く意味の空虚さは古代からの問い
「空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか」(P.53)
この一節は、紀元前300年頃に書かれた『伝道の書』の言葉です。この引用に込められているのは、「努力の果てに何が残るのか?」という根源的な問いです。働き続けても報われない、充実感が得られない、死後にすべてが無になるとしたら……私たちの労働にはどれだけの価値があるのか?
さらにマレシックはここで、コヘレト(ヘブライ語で伝道者)の姿を引用し、「人生の楽しみ――食事、酒、セックス、芸術、学問――を知り尽くした人物」ですら、「死」という現実を前にして、それらの快楽が無力であることを嘆いていると指摘します。
現代の私たちにとっても、同じ問いが響きます。学問や芸術は楽しいし、セックスも堪能することができる。しかし、それでもなお「それらは何をもたらすのか?」「この人生にどんな意味があるのか?」という根源的な虚無は拭えません。
知的労働に従事する者の方が、肉体労働者よりもバーンアウトしやすいという指摘もあります。なぜなら、意味への問いがより鋭く突きつけられるからです。こうした「空虚さ」は、決して今に始まったことではなく、人類が抱え続けてきた普遍的な不安なのです。
職場環境とのミスマッチが生む燃え尽き
労働者が「人と仕事のミスマッチ」をもっとも多く経験する分野として、作業負荷、裁量権、報酬、コミュニティ、公正さ、価値観の六分野を挙げている。(P.121)
バーンアウトの原因は、必ずしも「仕事の量」だけではありません。マレシックは、「人と仕事のミスマッチ」に注目します。具体的には、以下の6つの分野です:
- 作業負荷:タスクの多さや締め切りの厳しさ
- 裁量権:自分で決められることの少なさ
- 報酬:賃金・賞与が努力に見合っていない
- コミュニティ:職場の人間関係の希薄さ
- 公正さ:評価や待遇が不平等
- 価値観:個人の信念と仕事の方向性が一致しない
このミスマッチが続くことで、「やっても報われない」「この仕事に意味を感じない」といった無力感や怒りが蓄積されていきます。
特に「価値観の不一致」は深刻です。それは単なる疲労ではなく、自分自身の存在意義を揺るがす内的な葛藤だからです。
自己実現という呪い
仕事は「尊厳」、「人格」、「目的」の源だ、という「高貴な嘘」は、アメリカ四〇〇年の歴史のなかで育ってきた。(P.141)
現代社会では、「やりがいのある仕事をしよう」「自分の好きなことを仕事にしよう」というメッセージが至るところにあふれています。しかし、その裏には「やりがいを感じられない仕事は価値がない」という隠れた圧力が存在しています。
マレシックは、この思想を「嘘」と断じます。なぜなら、仕事は人格や尊厳の源ではなく、あくまで生活の手段であるべきだからです。
本書の中では、その三つ目の「目的」の事例でスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs、1955年~2011年)の話も。急成長を必要とするアップルにおいて、1985年のインタビューで「目的はお金ではない。そんなものはなんの意味もない」と語り、アップルの目的はもっと高い所にあるとした。最終的には、2011年に世界でもっとも高い時価総額を持つ上場企業となった。
だがマレシックは、そんなことは「なんの意味もない」とバッサリと切る。
仕事を仕事以上のものにする危険性。または自己実現という言葉も、単なる低賃金で悪環境の労働のためのレトリックに使われる場合もあるという話などにも触れる。
働かなくても、人間には尊厳がある
尊厳の形而上学的根拠がどうであれ、プロテスタントの倫理観を煽る不安を解消する方法はただひとつ、一人ひとりの尊厳を無条件で認めること、それもその人が賃金労働者か否かに関わらず無条件に認めることだ。(P.181)
自分の社会的価値、つまり人間としての尊厳が担保されていれば、仕事で自分を証明しなければならないという圧力が無くなる。仕事と自分は別という考え方。
マレシックは、「働いていない人にも尊厳がある」と繰り返し強調します。現代社会では、「働いていない=無価値」という偏見が根強くありますが、それは誤った見方です。
病気や障害、育児や介護、あるいは失業中であっても、人はその存在だけで価値がある。この視点を取り戻すことができれば、「働かなければ生きている意味がない」という呪縛から解き放たれるでしょう。
修道院に見る持続可能な働き方
疲弊し、消耗するような仕事ではないから、彼らは死ぬまでコミュニティに貢献しつづけられるのだ。(P.225)
本書では、ベネディクト会というカトリック修道院の労働文化が紹介されています。そこでは、年齢や能力に応じた仕事が割り当てられ、成果主義や競争とは無縁の働き方が実践されています。
修道士たちは、賃金労働ではなく、共同体への奉仕として働きます。そこには「仕事=自己実現」といった強迫観念もなければ、「生産性を高めよ」というプレッシャーもありません。
その姿から、現代の私たちは「働くことの本来の意味」を学ぶことができるのです。
パンデミックがもたらした価値観の転換
結局、私たちの社会は仕事よりも健康を優先した。私たちは働くために存在しているのではないと証明したのだ。(「終わりに」)
コロナ禍によって、働き方は大きく変化しました。テレワークや雇用の不安定化、医療従事者への過剰な負担……。
しかし同時に、私たちは「健康」や「家族との時間」など、仕事以外の価値にも気づかされました。マレシックはこの変化を、働き方改革のチャンスとしてとらえています。
「私たちは働くために存在しているのではない」——この当たり前の事実を、私たちはようやく思い出しつつあるのです。
感想と考察:燃え尽きの根本にある「期待」の問題
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』を読んで最も印象に残ったのは、「燃え尽き」とは単に疲れている状態ではなく、期待と現実のギャップから生まれる“信念の喪失”に近いという視点でした。
著者マレシック自身も大学教師としてバーンアウトを経験しており、他人事ではないリアリティがあります。印象的なのは、彼が回復を目指すなかで「働かない時間」や「生産性の呪縛からの解放」を重視していることです。
私たちは「自己実現」や「やりがい」といった言葉に酔いすぎて、働くことに過剰な意味や成果を求めすぎてしまったのかもしれません。もちろんやりがいは大切ですが、それが義務や呪いになってしまっては本末転倒です。
この本は、単なる「メンタルヘルス対策本」ではなく、「人が人らしく生きるための働き方とは何か?」という本質的な問いを投げかけてくれます。
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』をおすすめしたい人
最後に、本書をおすすめしたい読者層をまとめておきます。
- 仕事にやりがいを感じられず、慢性的に疲れている人
- 「今の働き方をこのまま続けていいのか」と疑問を持っている人
- 「仕事ができない=自分に価値がない」と感じてしまう人
- 「成果を出せない自分」を責めてしまう人
- 「燃え尽き」の根本原因を構造的に理解したい人
この本を読むことで、「頑張っているのに満たされない」自分を責めるのではなく、社会の構造や働き方そのものを見つめ直す視点が得られるはずです。
本書は電子書籍のKindle、または中古でバリューブックスやメルカリなどでも手軽に入手できます。読みやすい翻訳と豊富な引用・事例が特徴で、繰り返し読み返す価値のある一冊です。
仕事に疲れたすべての人へ、そしてこれから働きはじめる未来の世代へ、本書が小さな道しるべとなることを、心から願っています。あなた自身の回復のために、あるいは大切な誰かのために、ぜひ手に取ってみてください。
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