記事内に広告が含まれています

齋藤孝『日本人の闘い方』要約・感想

齋藤孝『日本人の闘い方』表紙

  1. 個性の活用:自分の強みを活かす
  2. 覚悟と知略:決断力と計画力
  3. 柔軟な対応:変化を恐れない姿勢
  4. 有効な努力:未然に災いを防ぐ

齋藤孝の略歴・経歴

齋藤孝(さいとう・たかし、1960年~)
教育学者、著述家。明治大学文学部教授。
静岡県静岡市の生まれ。静岡県立静岡高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。
東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻、博士課程を満期退学。
2001年に発売した『声に出して読みたい日本語』がベストセラーに。後に250万部を超える。

『日本人の闘い方』の目次

はじめに
第一章 心に「武」を秘めているか
第二章 常に戦う気持ちを持っているか
第三章 知識や技術が骨身にまで達しているか
第四章 自分の得意技に徹しているか
第五章 剛毅なる心を持っているか
第六章 若い頃から骨を鍛えてきたか
第七章 「断」の訓練はできているか
第八章 正々堂々と戦っているか
第九章 今、あなたは戦っているか
第十章 本気で取り組んでいるか
第十一章 ほどほどをわきまえているか
第十二章 現実に行動しているか
第十三章 覚悟を決めて戦っているか
第十四章 気力は充実しているか
第十五章 自分の特性をわきまえているか
第十六章 師と仰ぐ人はいるか
第十七章 大局的判断をしているか
第十八章 士気を高く保っているか
第十九章 志士の魂を持っているか
第二十章 臍の下に覚悟と気はあるか
第二十一章 蝮の毒を持っているか
第二十二章 本当にそれが必要か
第二十三章 基本を身につけているか
第二十四章 決断力は鈍っていないか
第二十五章 威厳を持っているか
第二十六章 チームの心は一つにまとまっているか
第二十七章 利害を離れて、断固たる決断をくだせるか
第二十八章 燃える火を心の中に持っているか
第二十九章 勝つことに徹しているか
第三十章 敵の弱点を突いているか
第三十一章 ミスを想定して対策を立てているか
第三十二章 部下を信じているか
第三十三章 隙を見せてはいないか
第三十四章 一喜一憂してはいないか
第三十五章 自分は運がいいと信じているか
第三十六章 小であることを嘆いていないか
第三十七章 「脚下の蛇」を制しているか
第三十八章 陰と陽は一体になっているか
第三十九章 臨機応変に対処できるか
第四十章 まずは土台がしっかりしているか
第四十一章 無駄な努力をしていないか
第四十二章 鯉のように滝に登る努力をしているか
第四十三章 ピンポイントで攻めているか
第四十四章 迷うことなく突き進んでいるか
第四十五章 空理空論に陥っていないか
第四十六章 自ら選んだ道を全うしているか
第四十七章 気を漲らせているか
第四十八章 得意技を磨いているか
第四十九章 圧倒的なパワーを持っているか
第五十章 勇気や知略だけに頼ってはいないか
第五十一章 心の中に北極星を持っているか
第五十二章 負けない手を打っているか
第五十三章 質実剛健を忘れてはいないか
おわりに

『日本人の闘い方』の概要・内容

2016年1月25日に第一刷が発行。致知出版社。ソフトカバー。189ページ。四六判。127mm✕188mm。

副題的に「日本最古の兵法書『闘戦経』に学ぶ」、「勝ち戦の原理原則」というコピーが記載される。

「はじめに」には「現代ビジネスマンに送る日本最古の兵書」と付記。

「おわりに」には「日本人のDNAに連なる『闘戦経』」と付記。

『闘戦経』とは?

『闘戦経』(とうせんきょう)…平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書。

現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書。武士道や武士道精神の始まりとされ、鎌倉幕府の御家人などに愛読されたと伝わる。起源については大江家の家宝を起源とする説が有力で、大江家三十五代の大江匡房(おおえのまさふさ)が著者といわれる。

大江匡房とは?

大江匡房(おおえのまさふさ、1041年~1111年)…公卿、儒学者、歌人。『闘戦経』の著者とされる。

小倉百人一首では権中納言匡房(ごんちゅうなごん・まさふさ)として以下の和歌がある。

・百人一首、73番:『後拾遺和歌集』
高砂の 尾のへの桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ

・現代語訳
遠くにある高い山の、頂にある桜も美しく咲いたことだ。人里近くにある山の霞よ、どうか立たないでほしい。美しい桜が、霞んで見えなくなってしまうから。

『日本人の闘い方』の要約・感想

  • 齋藤孝が『闘戦経』を分かりやすく解説
  • 自分の得意技に徹しているか
  • 覚悟を決めて戦っているか
  • 臨機応変に対処できるか
  • 無駄な努力をしていないか
  • 負けない手を打っているか
  • まとめ:『孫子』『闘戦経』の両輪

齋藤孝が『闘戦経』を分かりやすく解説

現代社会は、日々変化し、私たちは様々な課題や困難に直面する。

そのような中で、確固たる自分を持ち、しなやかに、そして力強く生き抜くための指針が求められているのではないだろうか。

教育学者であり、多岐にわたる分野で精力的に執筆活動を続ける齋藤孝による著書『日本人の闘い方』は、まさに現代を生きる私たちに「日本最古の兵法書『闘戦経』に学ぶ」ことにより導き出される「勝ち戦の原理原則」を提示してくれる一冊である。

本書の根幹をなすのは、『闘戦経』(とうせんきょう)という、平安時代末期に成立したとされる日本最古の兵法書である。その著者については、平安時代後期の公卿であり、儒学者、歌人としても名高い大江匡房とされている。百人一首では権中納言匡房としても知られる人物である。

明治大学文学部教授でもある齋藤孝は、その明快な語り口と実践的な提言で、多くの読者から支持を得ている。

東京大学法学部を卒業後、東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻博士課程を満期退学という経歴を持ち、教育学の専門家としての深い知見に基づいた著作は、常に私たちに新たな視点を与えてくれる。

齋藤孝の人気の本は多岐にわたり、数々のベストセラーを生み出してきた。その執筆活動は国語教育、コミュニケーション論、身体論から、今回取り上げるような古典や歴史に根差したものまで幅広く、その関心の広さと深さには驚かされるばかりである。

『日本人の闘い方』は、全五十三章という非常に細分化された章立てで構成されており、各章が一つの問いかけ、あるいは心構えを提示する形となっている。

この構成は、読者が自分の状況や課題に合わせて、必要な部分から読み進めることを可能にし、また、一つ一つのテーマについて深く考えるきっかけを与えてくれる。

次にその中から、いくつかの章を抜きしつつ解説していく。

自分の得意技に徹しているか

第四章「自分の得意技に徹しているか」では、個々の特性を活かすことの重要性が述べられている。

金は金としてなすべきことをし、土は土としてなすべことをする。つまり金と土は同じ資質を持っているわけではないし、同じことをやる必要もない。
天地の道は純粋にして一途であることが何よりも大切なのだ。(P.22「第四章 自分の得意技に徹しているか」)

この一節は、まさに自分の資質を見極め、その強みを最大限に伸ばすことの必要性を説いている。

現代社会では、ともすれば誰もが同じような能力を求められがちであるが、真に成果を出すためには、他者との比較ではなく、自己の持つ独自の強みに意識を集中し、それを磨き上げることこそが肝要なのである。

誰もが同じである必要はなく、それぞれの個性を活かしてこそ、組織も社会も活性化する。

覚悟を決めて戦っているか

第十三章「覚悟を決めて戦っているか」では、孫子の兵法にも触れながら、戦いに臨む際の心構えについて深く考察している。

それも極力少ないリスクで高いリターンを狙うことを理想としています。それを象徴するのが計篇第一にある「兵は詭道なり」で、「戦争とは相手を騙すこと」と看破しています。あるいは「戦わずして勝つ」ことを最善の方策ともしています。『孫子』は十三篇から成っていますが、全編に共通するのは、「懼れの念」に根ざして書かれたということです。(P.52「第十三章 覚悟を決めて戦っているか」)

この引用が示すように、『孫子』は単なる戦術書ではなく、「詭道」(きどう)、つまり相手を欺き、戦わずして勝利を収めることを理想とする、深い洞察に満ちた書物である。

そこには常に「懼れ」(おそれ)、すなわち慎重さや危機意識が根底にある。

現代のビジネスシーンや交渉事においても、相手の心理を読み、無用な争いを避けつつ目的を達成する知恵として、この『孫子』の思想は非常に示唆に富む。

覚悟とは、単に勇猛であることではなく、状況を冷静に分析し、あらゆる可能性を考慮した上で、最善の道を選ぶ知略と決断力を伴うものでなければならない。

また「はじめに」でも述べられているように、『闘戦経』『孫子』の補完する役割を担っている点も重要である。

臨機応変に対処できるか

第三十九章「臨機応変に対処できるか」では、固定観念にとらわれず、状況の変化に柔軟に対応する能力が強調される。

戦いの最中にあっては仁義などない。互いに刃を交えて戦っている時に、常に通用するような理屈もない。
鼓頭に仁義無く、刃先に常理無し。(P.136「第三十九章 臨機応変に対処できるか」)

この言葉は、戦場という極限状態においては、平時の倫理観や常識が通用しない過酷な現実を示している。

これは、現代のビジネスや交渉においても、時には非常な決断や、従来のやり方にとらわれない柔軟な発想が求められる場面があることを示唆している。

平時には通用する正論も、切迫した状況下では機能しないことがある。そのような時に、いかに冷静に状況を判断し、最善手、あるいは次善の策を打ち出せるかが問われる。

それはある意味で、無慈悲とも取れる対応を迫られることもあるかもしれないが、目的を達成するためには不可欠な判断となる場合もあるだろう。

まさに先手必勝の精神で、変化を恐れず対応していく力が求められる。

無駄な努力をしていないか

第四十一章「無駄な努力をしていないか」では、努力の方向性を見極めることの重要性が説かれている。

つまり、人間には得手不得手があって、向いていないことに対していくら頑張っても大した成果は上げられない。亀が鳥に学ぶような無駄なことはするなということです。(P.145「第四十一章 無駄な努力をしていないか」)

この教えは、自分の得意な分野、才能を活かせる領域で努力することの効率性と効果を教えてくれる。

誰にでも得手不得手はある。自分が苦手とすることに固執し、多大な時間を費やしても、期待するような成果が得られないことは往々にしてある。

例えば、営業や交渉が不得手であると感じるならば、無理にそれを克服しようとするよりも、得意な調査や資料作成、研究や開発といった分野で貢献する道を探る方が賢明かもしれない。

もちろん、キャリアを積んだり、試行錯誤したりすれば、苦手意識を軽減することは可能だろう。

しかし、根本的な向き不向きを見極め、自分の強みが最大限に活かせる場所で努力を重ねることが、結果的にはより大きな成果に繋がるのである。

負けない手を打っているか

第五十二章「負けない手を打っているか」では、『闘戦経』の武の考え方の核心に迫る。

軍隊の根本は災いを防ぐことにある。
兵の本は禍患を杜ぐにあり。
【解説】
これこそが『闘戦経』の武の考えをよく表した言葉だと思います。
軍の基本は攻めて相手を滅ぼすのではなく、災いをあらかじめ防ぐことにあるのです。(P.181「第五十二章 負けない手を打っているか」)

この「禍患(かかん)を杜ぐ(ふさぐ)」という言葉。

禍患は、災い、不幸、災難。杜ぐは、閉じる、蓋をする。

すなわち災いを未然に、防ぐという考え方は、攻撃よりも防御、事を起こすよりも事前に問題の芽を摘むことの重要性を示している。

「無事これ名馬」という言葉にも通じるように、何事もなく平穏であること自体が価値であり、そのためには、攻め込まれる隙を作らないよう、常に自らの足元を固め、弱点を補強しておく必要がある。

交渉事においては、曖昧な態度を取らず、断るべきことはきっぱりと断る勇気も、この「禍患を杜ぐ」に通じるだろう。

ビジネスの交渉などにおいても、安易な妥協や譲歩ではなく、さまざまな代替案を提示することで、双方にとって納得のいく着地点を見出す努力が必要だろう。

これらは一朝一夕に身につくものではなく、実際の経験を積み重ね、そこから学び、修正していく地道な努力によってしか磨かれない。

まとめ:『孫子』『闘戦経』の両輪

そして最終章である第五十三章「質実剛健を忘れてはいないか」は、飾り気がなく中身が充実しており、心身ともに強くたくましいこと、特に精神の強さの重要性を改めて説き、本書を締めくくる。

本書『日本人の闘い方』は、各章が短くまとめられており、非常にテンポよく読み進めることができる。齋藤孝の語り口は平易で、普段あまり読書をしないという人にも理解しやすいだろう。

一つ一つの言葉はシンプルであるが、その背後には『闘戦経』という長きにわたり読み継がれてきた古典の知恵が息づいている。情報過多で複雑な現代社会において、このような普遍的で本質的なメッセージこそが、私たちの心に深く響くのではないだろうか。

本書を読むことで、私たちは日々の生活や仕事の中で忘れがちな「闘う」ということの本当の意味を再認識させられる。

齋藤孝が『闘戦経』を通して現代に蘇らせた「日本人の闘い方」は、変化の激しい時代を生き抜くための、力強い指針となるに違いない。『孫子』『闘戦経』の二つの両輪で日々を闘っていくのが良いのだろう。

この本は、齋藤孝の数ある著作の中でも、特に現代人が直面する課題に対する具体的な心構えを示してくれる一冊として、多くの読者にとって貴重な作品となるはずだ。

書籍紹介

関連書籍