- 文豪の〆切との格闘
- 作家と編集者との関係性
- 〆切の有効な活用法
- 人生と〆切の哲学
左右社の略歴・経歴
左右社(さゆうしゃ)
日本の出版社。
新書館出身の小柳学(こやなぎ・まなぶ、1958年~)によって、2005年に設立された。
「左右社」という名は、書家の石川九楊(いしかわ・きゅうよう、1945年~)による命名。
『〆切本』の目次
締/切 白川静
はじめにⅠ章 書けぬ、どうしても書けぬ
机 田山花袋
文士の生活/執筆/読書と創作ほか 夏目漱石
はがき 大正二年/大正六年 島崎藤村
作のこと 泉鏡花
はがき 昭和六年 寺田寅彦
手紙 昭和二十一年 志賀直哉
私の貧乏物語 谷崎潤一郎
新聞小説難 菊池寛
『文藝管見』自序 里見弴
無恒債者無恒心 内田百閒
手紙 昭和二十六年 吉川英治
遊べ遊べ 獅子文六
はがき 大正十五年 梶井基次郎
三つの連載長篇 江戸川乱歩
書けない原稿 横光利一
日記 昭和十二年 林芙美子
友横光利一の霊に 稲垣足穂
日記 昭和三十一年 古川ロッパ
私は筆を絶つ 幸田文
人生三つの愉しみ 坂口安吾
日記 昭和二十五年/ 昭和三十五年 高見順
仕事の波 長谷川町子
手紙/はがき 昭和二十三年 太宰治
清張日記 昭和五十五年 松本清張
文士の息子 大岡昇平
手紙 昭和二十七年 小山清
身辺雑記 吉田健一
仕事にかかるまで 木下順二
私の小説作法 遠藤周作
ガッカリ 山口瞳
退屈夢想庵 平成四年 田村隆一
作家が見る夢 吉行淳之介×筒井康隆
吉凶歌占い 野坂昭如
なぜ正月なんかがあるんだろう 梶山季之
私の一週間 有吉佐和子
解放感 藤子不二雄Ⓐ
食べる話 後藤明生
作家生活十一年目の敗退 内田康夫
罐詰体質について 井上ひさし
著者校のこと 佐木隆三
自宅の黙示録 赤瀬川原平
書斎症候群 浅田次郎
作家の缶詰 高橋源一郎
おいしいカン詰めのされ方 泉麻人
怠け虫 大沢在昌
締切り忘れてた事件 新井素子
受賞の五月 吉本ばなな
肉眼ではね 西加奈子Ⅱ章 敵か、味方か? 編集者
自著序跋 川端康成
編集中記 横光利一
『「近代文学」創刊のころ』のこと 埴谷雄高
〆切哲学 上林暁
手紙 昭和二十七年 扇谷正造
流感記 梅崎春生
歪んでしまった魂 胡桃沢耕史
編集者残酷物語 手塚治虫
似た者談義 憂世問答 深沢七郎×色川武大
編集者の狂気について 嵐山光三郎
〆切の謎をさぐれ!! 岡崎京子
パートナーの条件 阿刀田高
約束は守らなければなりません 永江朗
編集者をめぐるいい話 川本三郎
喧嘩 雑誌編集者の立場 高田宏
ドストエフスキー『賭博者』解説 原卓也
植字工悲話 村上春樹Ⅲ章 〆切りなんかこわくない
私の発想法 山田風太郎
北国日記 三浦綾子
なぜ? 山口瞳
早い方・遅い方 笠井潔
早くてすみませんが…… 吉村昭
〆切り 北杜夫
「好色屋西鶴」書き始める 中島梓
何故、締切にルーズなのか 森博嗣Ⅳ章 〆切の効能・効果
のばせばのびる、か 外山滋比古
勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響 樋口収
子午線を求めて 跋 堀江敏幸
締切の効用 大澤真幸
〈ひとやすみ付録〉 締切意識度チェック まずは自分の性格を知ろうⅤ章 人生とは、〆切である
イーヨーのつぼの中 小川洋子
自由という名の不自由 米原万里
書かないことの不安、書くことの不幸 金井美恵子
村の鍛冶屋 車谷長吉
大長編にも、数行の詩にも共通する文章の原則 轡田隆史
締め切りと枚数は守れ 池井優
締め切りまで 谷川俊太郎
作家の日常 星新一
明日があるのは若者だけだ。 黒岩重吾
時間について 池波正太郎
世は〆切 山本夏彦
作者おことわり 柴田錬三郎著者紹介・出典
❖『文章読本』発売遅延に就いて 谷崎潤一郎
『〆切本』の概要・内容
2016年9月20日に第一刷が発行。左右社。365ページ。ソフトカバー。127mm✕188mm。四六判。
以下、登場する作家たちを簡易的に紹介。
白川静(しらかわ・しずか、1910年~2006年)…漢文学者。福井県福井市の出身。立命館大学文学部漢文学科を卒業。
田山花袋(たやま・かたい、1872年~1930年)…小説家。群馬県館林市の出身。
夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)…小説家。東京都新宿区の出身。東京帝国大学文科大学英文学科を卒業。
島崎藤村(しまざき・とうそん、1872年~1943年)…小説家、詩人。長野県中野市の出身。明治学院本科を卒業。
泉鏡花(いずみ・きょうか、1873年~1939年)…小説家。石川県金沢市の出身。北陸英和学校を中退。
寺田寅彦(てらだ・とらひこ、1878年~1935年)…物理学者、随筆家。東京都千代田区の出身。東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業。
志賀直哉(しが・なおや、1883年~1971年)…小説家。宮城県石巻市の生まれ。東京都千代田区の育ち。東京帝国大学文学部国文学科を中退。
谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)…小説家。東京都中央区の出身。東京帝国大学文学部国文学科を中退。
菊池寛(きくち・かん、1888年~1948年)…小説家、劇作家。香川県高松市の出身。京都帝国大学文学部英文科を卒業。
里見弴(さとみ・とん、1888年~1983年)…小説家。神奈川県横浜市の出身。東京帝国大学文学部中退。
内田百閒(うちだ・ひゃっけん、1889年~1971年)…小説家・随筆家。岡山県岡山市の出身。東京帝国大学文学部独文学科を卒業。
吉川英治(よしかわ・えいじ、1892年~1962年)…小説家。神奈川県横浜市の出身。山内尋常高等小学校を中退。
獅子文六(しし・ぶんろく、1893年~1969年)…小説家。神奈川県横浜市の出身。慶應義塾大学部理財科予科を中退。
梶井基次郎(かじい・もとじろう、1901年~1932年)…小説家。大阪府大阪市西区の出身。東京帝国大学文学部英文科を中退。
江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ、1894年~1965年)…小説家。三重県名張市の生まれ。愛知県名古屋市の育ち。早稲田大学政治経済学部を卒業。
横光利一(よこみつ・りいち、1898年~1947年)…小説家。福島県会津若松市の生まれ、滋賀県大津市、三重県伊賀市の育ち。早稲田大学政治経済学部を中退。
林芙美子(はやし・ふみこ、1903年~1951年)…小説家。山口県下関市、もしくは福岡県門司市の生まれ、九州を点々として育つ。尾道市立高等女学校(現在の尾道東高等学校)を卒業。
稲垣足穂(いながき・たるほ、1900年~1977年)…小説家。大阪府大阪市の出身。関西学院普通部を卒業。
古川ロッパ(ふるかわ・ろっぱ、1903年~1961年)…俳優・随筆家。東京都千代田区の出身。早稲田大学文学部英文科を中退。
幸田文(こうだ・あや、1904年~1990年)…小説家。東京都墨田区の出身。女子学院高等科を卒業。
坂口安吾(さかぐち・あんご、1906年~1955年)…小説家。新潟県新潟市の出身。東洋大学印度哲学倫理学科第二科を卒業。
高見順(たかみ・じゅん、1907年~1965年)…小説家、詩人。福井県坂井市の生まれ。東京都の育ち。東京帝国大学文学部英文科を卒業。
長谷川町子(はせがわ・まちこ、1920年~1992年)…漫画家。佐賀県多久市の生まれ、福岡県福岡市の育ち。東京の山脇高等女学校を卒業。
太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)…小説家。青森県五所川原市の出身。東京帝国大学文学部仏文学科を中退。
松本清張(まつもと・せいちょう、1909年~1992年)…小説家。福岡県北九州市、もしくは広島県広島市の生まれ。福岡県小倉市の育ち。板櫃尋常高等小学校を卒業。
大岡昇平(おおおか・しょうへい、1909年~1988年)…小説家。東京都の出身。京都帝国大学文学部仏文学科を卒業。
小山清(こやま・きよし、1911年~1965年)…小説家。東京都台東区の出身。明治学院中等部を卒業。
吉田健一(よしだ・けんいち、1912年~1977年)…評論家。東京都の生まれ、海外各地の育ち。ケンブリッジ大学・キングズカレッジを中退。
木下順二(きのした・じゅんじ、1914年~2006年)…劇作家。東京都文京区の生まれ。熊本県熊本市の育ち。東京帝国大学文学部英文科を卒業。東京大学大学院文学部英文科修士課程を修了。
遠藤周作(えんどう・しゅうさく、1923年~1996年)…小説家。東京都豊島区の生まれ。満州の育ち。慶応義塾大学文学部仏文学科を卒業。
山口瞳(やまぐち・ひとみ、1926年~1995年)…小説家、随筆家。東京都大田区の出身。 國學院大學文学部を卒業。
田村隆一(たむら・りゅういち、1923年~1998年)…詩人。東京都豊島区の出身。明治大学専門部文科を卒業。
吉行淳之介(よしゆき・じゅんのすけ、1924年~1994年)…小説家。岡山県岡山市の生まれ。東京都の育ち。東京大学文学部英文科を中退。
筒井康隆(つつい・やすたか、1934年~)…小説家。大阪府大阪市東住吉区の出身。同志社大学文学部美学芸術学科を卒業。
野坂昭如(のさか・あきゆき、1930年~2015年)…小説家。神奈川県鎌倉市の生まれ。兵庫県神戸市の育ち。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。
梶山季之(かじやま・ときゆき、1930年~1975年)…小説家。朝鮮の京城の出身。 広島高等師範学校国語科を卒業。
有吉佐和子(ありよし・さわこ、1931年~1984年)…小説家。和歌山県和歌山市の生まれ。インド、東京、和歌山の育ち。東京女子大学短期大学部英語科を卒業。
藤子不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・えー、1934年~2022年)…漫画家。富山県氷見市の出身。富山県立高岡中部高等学校(現在の富山県立高岡高等学校)を卒業。
後藤明生(ごとう・めいせい、1932年~1999年)…小説家。朝鮮の咸鏡南道の出身。早稲田大学第二文学部露文学科を卒業。
内田康夫(うちだ・やすお、1934年~2018年)…小説家。東京都北区の生まれ。国内各地の育ち。東洋大学文学部国文学科を中退。
井上ひさし(いのうえ・ひさし、1934年~2010年)…小説家、劇作家。山形県東置賜郡の生まれ、宮城県の育ち。上智大学外国語学部フランス語学科を卒業。
佐木隆三(さき・りゅうぞう、1937年~2015年)…小説家。朝鮮の生まれ。広島県安芸高田市、福岡県北九州市の育ち。福岡県立八幡中央高校を卒業。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい、1937年~2014年)…小説家・美術家。神奈川県横浜市の生まれ。大分県大分市、愛知県名古屋市の育ち。武蔵野美術大学油絵学科を中退。
浅田次郎(あさだ・じろう、1951年~)…小説家。東京都中野区の出身。中央大学杉並高等学校を卒業。
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう、1951年~)…小説家。広島県尾道市の生まれ。大阪、広島、東京、兵庫などで育つ。横浜国立大学経済学部を中退。
泉麻人(いずみ・あさと、1956年~)…コラムニスト。東京都新宿区の出身。慶應義塾大学商学部を卒業。
大沢在昌(おおさわ・ありまさ、1956年~)…小説家。愛知県名古屋市の出身。慶応義塾大学法学部を中退。
新井素子(あらい・もとこ、1960年~)…小説家。東京都練馬区の出身。立教大学文学部ドイツ文学科を卒業。
吉本ばなな(よしもと・ばなな、1964年~)…小説家。東京都文京区の出身。日本大学芸術学部文芸学科を卒業。
西加奈子(にし・かなこ、1977年~)…小説家。イランのテヘランの生まれ。エジプトのカイロ、大阪府和泉市の育ち。関西大学文学部を卒業。
川端康成(かわばた・やすなり、1899年~1972年)…小説家。大阪府大阪市の生まれ。茨木市の育ち。東京帝国大学文学部国文学科を卒業。
埴谷雄高(はにや・ゆたか、1909年~1997年)…小説家。台湾の出身。日本大学を中退。
上林暁(かんばやし・あかつき、1902年~1980年)…小説家。高知県幡多郡の出身。東京帝国大学文学部英文科を卒業。
扇谷正造(おうぎや・しょうぞう、1913年~1992年)…文筆家、編集者。宮城県遠田郡の出身。東京帝国大学文学部国史学科を卒業。
梅崎春生(うめざき・はるお、1915年~1965年)…小説家。福岡県福岡市中央区の出身。東京帝国大学文学部国文科を卒業。
胡桃沢耕史(くるみざわ・こうし、1925年~1994年)…小説家。東京都墨田区の出身。拓殖大学商学部を卒業。
手塚治虫(てづか・おさむ、1928年~1989年)…漫画家。大阪府豊中市の生まれ、兵庫県宝塚市の育ち。大阪大学医学部医学専門部を卒業。
深沢七郎(ふかざわ・しちろう、1914年~1987年)…小説家、ギタリスト。山梨県笛吹市の出身。山梨県立日川中学校(現在の山梨県立日川高等学校)を卒業。
色川武大(いろかわ・たけひろ、1929年~1989年)…小説家、雀士。東京都新宿区の出身。東京市立第三中学校(現在の東京都立文京高等学校)を中退。
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう、1942年~)…編集者、小説家。静岡県浜松市の生まれ。東京都国立市の育ち。國學院大學文学部国文科を卒業。
岡崎京子(おかざき・きょうこ、1963年~)…漫画家。東京都世田谷区の出身。跡見学園女子大学短期大学部生活芸術科を卒業。
阿刀田高(あとうだ・たかし、1935年~)…小説家。東京都の生まれ。新潟県長岡市、東京都で育つ。早稲田大学第一文学部仏文学科を卒業。
永江朗(ながえ・あきら、1958年~)…著作家。北海道旭川市の出身。法政大学文学部哲学科を卒業。
川本三郎(かわもと・さぶろう、1944年~)…評論家。東京都渋谷区の生まれ。杉並区の育ち。東京大学法学部政治学科を卒業。
高田宏(たかだ・ひろし、1932年~2015年)…評論家。京都府京都市の生まれ。石川県加賀市の育ち。京都大学文学部仏文学科を卒業。
原卓也(はら・たくや、1930年~2004年)…翻訳家。東京都の出身。東京外国語大学ロシヤ語を卒業。
村上春樹(むらかみ・はるき、1949年~)…小説家。京都府京都市伏見区の生まれ。兵庫県西宮市、芦屋市の育ち。早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。
山田風太郎(やまだ・ふうたろう、1922年~2001年)…小説家。兵庫県養父市の出身。東京医科大学を卒業。
三浦綾子(みうら・あやこ、1922年~1999年)…小説家。北海道旭川市の出身。旭川市立高等女学校を卒業。
笠井潔(かさい・きよし、1948年~)…小説家。東京都中央区の出身。和光大学を中退。
吉村昭(よしむら・あきら、1927年~2006年)…小説家。東京都荒川区の出身。学習院大学文学部を中退。
北杜夫(きた・もりお、1927年~2011年)…小説家、精神科医。東京都港区の出身。東北大学医学部を卒業。
中島梓(なかじま・あずさ、1953年~2009年)…小説家。東京都葛飾区の出身。早稲田大学第一文学部文芸科を卒業。
森博嗣(もり・ひろし、1957年~)…小説家、工学者。愛知県の出身。名古屋大学工学部建築学科を卒業。名古屋大学大学院修士課程を修了。
外山滋比古(とやま・しげひこ、1923年~2020年)…評論家。愛知県西尾市の出身。東京文理科大学(現在の筑波大学)文学部英文学科を卒業。
樋口収(ひぐち・おさむ、1977年~)…社会心理学者。一橋大学社会学部を卒業後、一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士の後期課程を卒業。
堀江敏幸(ほりえ・としゆき、1964年~)…小説家。岐阜県多治見市の出身。早稲田大学第一文学部フランス文学専修を卒業。。東京大学大学院人文科学研究科フランス文学専攻博士課程を単位取得退学。
大澤真幸(おおさわ・まさち、1958年~)…社会学者。長野県松本市の出身。東京大学文学部社会学科を卒業。
小川洋子(おがわ・ようこ、1962年~)…小説家。岡山県岡山市中区の出身。早稲田大学第一文学部文芸学専修を卒業。
米原万里(よねはら・まり、1950年~2006年)…エッセイスト。東京都の出身。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科を卒業。東京大学大学院露語露文学修士課程を修了。
金井美恵子(かない・みえこ、1947年~)…小説家。群馬県高崎市の出身。群馬県立高崎女子高等学校を卒業。
車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ、1945年~2015年)…小説家。兵庫県姫路市の出身。慶應義塾大学文学部独文科を卒業。
轡田隆史(くつわだ・たかふみ、1936年~2022年)…評論家。東京都の出身。早稲田大学政治経済学部を卒業。
池井優(いけい・まさる、1935年~)…評論家、歴史学者。東京都の出身。慶應義塾大学法学部政治学科、慶應義塾大学院修士課程を修了。
谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう、1931年~2024年)…詩人。東京都杉並区の出身。東京都立豊多摩高等学校を卒業。
星新一(ほし・しんいち、1926年~1997年)…小説家。東京都文京区の出身。東京大学農学部農芸化学科を卒業。東京大学大学院修士課程を修了。
黒岩重吾(くろいわ・じゅうご、1924年~2003年)…小説家。大阪府大阪市の出身。同志社大学法学部を卒業。
池波正太郎(いけなみ・しょうたろう、1923年~1990年)…小説家。東京都台東区の出身。西町小学校を卒業。
山本夏彦(やまもと・なつひこ、1915年~2002年)…随筆家。東京都台東区の出身。
柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)…小説家。岡山県備前市の出身。慶應義塾大学文学部支那文学科を卒業。
『〆切本』の要約・感想
- Ⅰ章 書けぬ、どうしても書けぬ:創造の苦しみと日常
- Ⅱ章 敵か、味方か? 編集者:伴走者との愛憎劇
- Ⅲ章 〆切りなんかこわくない:達人たちの対処法
- Ⅳ章 〆切の効能・効果:創造性を刺激する力
- Ⅴ章 人生とは、〆切である:時間と向き合う哲学
- まとめ:〆切は敵か味方か? 文豪たちの叡智に学ぶ
日々、何かに追われるように生きていると感じることはないだろうか。
仕事の納期、レポートの提出期限、あるいはもっと個人的な目標達成の期日。私たちは常に「〆切」と共にあり、時にそれに苦しめられ、時にそれに助けられる。
今回紹介する書籍『〆切本』は、そんな普遍的なテーマである「〆切」を、近現代の著名な作家たちがどのように捉え、格闘してきたかを、彼ら自身の言葉を通して浮き彫りにする一冊である。
本書は、単なるエピソード集ではない。文豪たちの赤裸々な告白、ユーモラスな言い訳、そして深い洞察に満ちた哲学が詰まっている。ページをめくるごとに、私たちは時代を超えて作家たちと対話し、〆切という存在の本質に迫ることができるだろう。
本書は、文章を書く仕事に携わる人はもちろん、あらゆる分野で目標達成や時間管理に悩む人々にとって、多くの示唆と共感、そして勇気を与えてくれるはずである。『〆切本』を紐解き、文豪たちの〆切との闘いを見ていこう。
Ⅰ章 書けぬ、どうしても書けぬ:創造の苦しみと日常
第一章「書けぬ、どうしても書けぬ」では、作家たちが直面する最も根源的な苦悩、すなわち「書けない」という現実が生々しく描かれている。華やかな文壇のイメージとは裏腹に、彼らがいかにして言葉を紡ぎ出そうと格闘していたか、その日常が垣間見える。
夏目漱石の執筆生活の描写や、島崎藤村の書簡からは、創作活動がいかに精神力を消耗するものかが伝わってくる。また、谷崎潤一郎が語る「私の貧乏物語」や、菊池寛の「新聞小説難」でも同様である。まさしく、文豪たちの締め切りに対する悲痛な叫びや言い訳が聞こえてくるかのようだ。
そんな中、独自の視点を示す作家もいる。小説家であり演出家でもあった獅子文六は、勤勉に量をこなす同時代の作家たちの風潮に、少しばかり異を唱えるような言葉を残している。
恐らく、この忙がしい世の中に、自然と歩調を合わせているのだろうか。それならつまらない。こんな世の中につき合ったって仕様がない。こういう世の中だから、遊んでやろうという方が文士らしい。(P.48「Ⅰ章 書けぬ、どうしても書けぬ:遊べ遊べ 獅子文六」)
彼の本名は、岩田豊雄(いわた・とよお)。先述の通り、横浜で生まれ育ち、慶應義塾で学んだ経歴を持つ。
この獅子文六の言葉には、どこか飄々とした雰囲気が漂う。生真面目に仕事へ打ち込む文士たちの姿に、一種の反発心のようなものを感じていたのかもしれない。
しかし、その物言いには嫌味がなく、むしろ「文士たるもの、世間の喧騒に流されず、もっと自由であれ」という、彼なりの美学が感じられる。多忙な現代を生きる我々にとっても、少し立ち止まって考えさせられる視点ではないだろうか。
一方で、書けない苦しみの中でも、地道な努力の重要性を説く声もある。小説『放浪記』などで知られる林芙美子は、その日記にこう記している。
こつこつと仕事をしませう。それよりほかに道なしといふところなり。(一月三十日)(P.57「Ⅰ章 書けぬ、どうしても書けぬ:日記 昭和十二年 林芙美子」)
これは昭和十二年、すなわち1937年1月30日の記述である。
彼女は、九州を転々として育ち、尾道で女学校時代を過ごした後、作家として身を立てた。その波乱万丈な人生を知る者にとっては、この「こつこつと仕事をしませう」という言葉が、一層重みを持って響くかもしれない。
結局のところ、才能や閃きだけでは作品は生まれず、日々の地道な積み重ねこそが道を切り拓くのだという、普遍的な真理を彼女は語っているのである。これは、作家に限らず、あらゆる仕事に通じる基本姿勢であろう。
この章には他にも、過去から現在までの錚々たる作家たちの名前が並ぶ。彼らの「書けぬ」苦悩を知ることは、〆切に追われる現代人にとっても、どこか救いとなるかもしれない。
Ⅱ章 敵か、味方か? 編集者:伴走者との愛憎劇
第二章「敵か、味方か? 編集者」では、作家と編集者の複雑な関係性が描かれる。
編集者は、作家にとって最も身近な読者であり、厳しくも温かい伴走者である。しかし、同時に〆切を突きつけ、時に作家を追い詰める存在でもある。この章では、そんな編集者との愛憎半ばするドラマが展開される。
川端康成の文章からは、編集者への義理や愛情が垣間見える。一方で、横光利一の「編集中記」や埴谷雄高の「『近代文学』創刊のころ」の話からは編集者としての立場の苛立ち、腹立ちも。上林暁の「〆切哲学」には、編集者の経験のある作家の両面の心の動きがうかがえる。
特に興味深いのは、手塚治虫の「編集者残酷物語」や、嵐山光三郎の「編集者の狂気について」、岡崎京子の「〆切の謎をさぐれ!!」といったエピソードであろう。これらは、時に常軌を逸した編集者の行動や、それに振り回される作家の姿、心情をユーモラスに、あるいは赤裸々に描いている。
阿刀田高が語る「パートナーの条件」や、永江朗の「約束は守らなければなりません」、川本三郎の「編集者をめぐるいい話」、高田宏の「喧嘩 雑誌編集者の立場」からは、理想的な編集者像や、良好な関係性を築くためのヒントが見えてくる。
また、原卓也による「ドストエフスキー『賭博者』」の解説や、村上春樹の「植字工悲話」は、作家や編集者だけでなく、出版に関わる他の人々にも光を当てたエピソードも。
この章を読むと、作品づくりにおける上での編集者の役割を改めて認識させられる。〆切を管理し、作家を励まし、時には厳しく要求する編集者の存在は、まさに作品誕生の触媒と言えるだろう。
Ⅲ章 〆切りなんかこわくない:達人たちの対処法
第三章「〆切りなんかこわくない」では、〆切に対する多様な向き合い方、あるいは一種の「攻略法」が示される。〆切をプレッシャーと感じるのではなく、むしろ味方につけ、創作の推進力とする作家たちの姿が描かれている。
山田風太郎の「私の発想法」や、三浦綾子の「北国日記」からは、独自のルーティンや心構えによって、コンスタントに執筆を続ける秘訣がうかがえる。特に三浦綾子は、病と闘いながらも多くの作品を生み出したことで知られており、その言葉には説得力がある。
また、山口瞳の「なぜ?」では三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)のエピソードも。笠井潔の「早い方・遅い方」というエッセイでは、条件や状況による執筆速度と〆切の関係についての多種多様な話も。
吉村昭の「早くてすみませんが……」という言葉は、まさに早めに仕事を終えるタイプの実践例と言える。彼は徹底した取材と資料収集に基づいた緻密な作品で知られるが、その裏には計画的な執筆姿勢があったのかもしれない。
というよりも、小心者の性であると本人が述べているのが微笑ましい。
北杜夫の「〆切り」と題された文章では、水上勉(みずかみ・つとむ、1919年~2004年)の〆切に対する作家としての姿勢と技術に圧倒される話。また中島梓の「『好色屋西鶴』書き始める」からは、〆切を逆手に取るかのような姿勢も見える。
そして、森博嗣の「何故、締切にルーズなのか」という問いかけは、〆切に対する根本的な姿勢を考えさせる。
工学博士でもある彼は、論理的かつ独自の視点で物事を捉えることで知られる。彼の考察は、単なる精神論にとどまらず、〆切というシステムそのものへの批評的な眼差しを含んでいるのかもしれない。この作家の締め切りに対する考え方は、他の著作でも触れられていることがあり、一貫した哲学を持っていることがうかがえる。
この章を通じて見えてくるのは、〆切は必ずしも恐怖の対象ではなく、使い方次第で強力なツールになり得るということである。作家たちが編み出した様々な「〆切術」は、現代を生きる私たちにとっても、仕事や勉強の効率を高める上で大いに参考になるだろう。
Ⅳ章 〆切の効能・効果:創造性を刺激する力
第四章「〆切の効能・効果」では、〆切がもたらすポジティブな側面、すなわち「効能」について掘り下げられる。〆切は単なる制約ではなく、人間の心理や行動に働きかけ、創造性や生産性を引き出す力を持っているのではないか、という視点が提示される。
評論家であり、思考法に関する著作も多い外山滋比古は、「のばせばのびる、か」と題した文章の中で、物理学者であり随筆家でもあった寺田寅彦の仕事術を紹介している。
寺田寅彦は、原稿を頼まれて承知すると、すぐ、だいたいのところを書いてしまったそうである。<中略>そうして、書いた原稿を、彼は締切りになるともう一度ゆっくり見直して、多少手を加えて渡していたらしい。(P.280「Ⅳ章 〆切の効能・効果:のばせばのびる、か 外山滋比古」)
寺田寅彦は東京帝国大学で物理学を学び、教鞭をとった人物である。
外山滋比古が紹介するこの方法は、驚くほど合理的である。依頼を受けたら、まず完成形に近いものを、たとえ完璧でなくても、素早く作り上げてしまう。そして、〆切が近づいた段階で改めて見直し、推敲する。
これは、いわゆる「完璧主義」に陥ってなかなか着手できない、あるいは途中で行き詰まってしまうといった事態を避けるための、非常に有効な戦略と言えるだろう。
ソフトウェア開発の世界でも、早い段階で動くプロトタイプを作成し、それを改善していくアプローチがあるが、それに通じるものがある。元マイクロソフトの中島聡(なかじま・さとし、1960年~)も同様の考え方で仕事をしていると、その著書『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』で述べている。
まさに「〆切 使い方」の達人と言えるかもしれない。
一方で、〆切の効果を学術的に研究している専門家でさえ、〆切に翻弄されることがあるようだ。社会心理学者の樋口収は、自身の研究テーマに関連する原稿執筆で、皮肉な体験をしている。
お願いをされたとき、一週間は短いと一瞬思ったものの、論文のベースとなるものはあるから締め切りまでの時間は十分にあると考えてしまった!(ここまで読んでいただいた読者の方には、何が起こったのか想像がつくだろう)。こうした内容の論文を書いておきながら、自分自身の作業が遅れてしまったことは恥ずかしい限りである。(P.295「Ⅳ章 〆切の効能・効果:勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響 樋口収」)
樋口収は一橋大学で社会心理学を修めた研究者である。
「勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響」という、まさに〆切心理に関する論文を執筆した経験がありながら、自身の原稿依頼では〆切に遅れてしまったという告白である。
これは、まるで落語のオチのようで、思わず笑みがこぼれる。しかし、同時に、人間がいかに時間感覚を楽観的に見積もりがちか、そして〆切のプレッシャーがいかに心理に影響を与えるかを物語る、示唆に富んだエピソードでもある。専門家でさえこうなのだから、我々が〆切に苦しむのも無理はない、と少し安心するかもしれない。
この章では他に、堀江敏幸が「子午線を求めて 跋」で語る経験や、社会学者の大澤真幸による「締切の効用」の考察などが紹介されている。また、〈ひとやすみ付録〉として「締切意識度チェック」が設けられており、読者自身が自分の〆切に対する傾向を知ることができる。
ところで、「締切」と「〆切」という表記の違いについて、本書では特に言及されていないようだが、一般的に「締切」がよりフォーマルな場面で使われ、「〆切」はやや俗な表記とされることが多い。しかし、本書のタイトルにも使われているように、出版業界などでは慣習的に「〆切」が好んで使われる傾向があるようだ。
〆切は、単に作業の終わりを示すだけでなく、私たちの集中力を高め、潜在能力を引き出し、物事を前に進めるための重要な「仕掛け」なのかもしれない。この章を読むことで、〆切に対するネガティブなイメージが少し和らぎ、むしろ積極的に活用しようという気持ちになれるだろう。
Ⅴ章 人生とは、〆切である:時間と向き合う哲学
最終章である第五章「人生とは、〆切である」では、〆切という概念を個々の執筆活動から、より広範な人生そのものへと拡張して考察する。作家たちが、限りある時間の中でいかに生き、いかに表現と向き合ってきたか、その哲学が語られる。
小川洋子の「イーヨーのつぼの中」や、米原万里の「自由という名の不自由」、金井美恵子の「書かないことの不安、書くことの不幸」といった文章は、書くという行為、そして生きるという行為そのものに潜む、自由と制約、不安と充実といった二律背反のテーマに深く切り込んでいる。
車谷長吉の「村の鍛冶屋」や、轡田隆史の「大長編にも、数行の詩にも共通する文章の原則」、池井優の「締め切りと枚数は守れ」といった言葉は、プロフェッショナルとしての規律や、言葉に対する誠実な姿勢、そして悲哀も。
詩人の谷川俊太郎の「締め切りまで」や、星新一の「作家の日常」は、創作活動と日常の営みとの関わりを淡々と、しかし深く描いている。特に星新一は、生涯にわたって膨大な数のショートショートを生み出したことで知られるが、その安定した生産性の裏には、確立された日常のルーティンがあったのかもしれない。
そして、ハードボイルドや歴史小説で人気を博した黒岩重吾は、人生における時間と〆切について、実に示唆深い言葉を残している。
けど、「明日があるさ」ってことは、明日、先延ばしした事をやらんといかんいうことも忘れずにな。「明日があるさ」と先延ばしして八十年の人生を終わったら、そら、単なるアホでしかないで(笑)。(P.334「Ⅴ章 人生とは、〆切である:明日があるのは若者だけだ。」)
黒岩重吾は大阪生まれで、同志社大学在学中に学徒出陣を経験し、戦後に復学して卒業、後に直木賞を受賞した作家である。彼の名前はよく知っていたが、このような関西弁混じりのざっくばらんな語り口は意外であった。
この言葉は、単なる楽観主義への警鐘ではない。「明日がある」という希望を持つことは大切だが、それは今日やるべきことを先延ばしにする言い訳にはならない。限られた人生という時間の中で、私たちは常に「今日」という〆切に直面しているのだ、という厳しい現実を突きつけている。この言葉に触れて、彼の小説作品にも興味が湧いてきた。
この章には他にも、時代小説の大家である池波正太郎の「時間について」や、コラムニストの山本夏彦の「世は〆切」では、それぞれの人生観が凝縮されたような文章が収録されている。そして柴田錬三郎の「作者おことわり」では、開き直った作家の強さと悲しみも。
結局のところ、人生そのものが一つの大きな〆切なのかもしれない。私たちは皆、限りある時間の中で、それぞれの課題や目標に取り組んでいる。
この章を読むと、日々の小さな〆切との格闘が、実は人生という壮大なテーマと地続きであることに気づかされる。作家たちの言葉は、私たちが時間をどう捉え、どう生きていくべきかについて、深い思索へと誘うだろう。
まとめ:〆切は敵か味方か? 文豪たちの叡智に学ぶ
『〆切本』は、近現代の日本を代表する作家たちが、「〆切」という普遍的なテーマといかに向き合い、格闘し、そして時には利用してきたかを、彼ら自身の言葉で綴った貴重なアンソロジーである。本書は、単なる「〆切にまつわるエピソード集」にとどまらない。そこには、書くことの苦悩と喜び、編集者との人間ドラマ、時間管理術、そして人生哲学までが凝縮されている。
ページを繰るたびに、文豪たちの息遣いや、ペンを走らせる音、あるいは頭を抱える呻き声まで聞こえてくるかのようだ。獅子文六の飄々とした態度、林芙美子の地道な決意、寺田寅彦の合理的な仕事術、樋口収の人間味あふれる失敗談、そして黒岩重吾の人生訓。
多種多様な作家たちの独白やエッセイは、オムニバス映画のように次々と展開され、読者を飽きさせない。本書を通じて、今まで名前しか知らなかった作家の意外な一面を発見したり、既知の作家の新たな魅力に気づかされたりするだろう。個人的には、黒岩重吾の語り口や、星新一、柴田錬三郎、森博嗣といった好きな作家たちの言葉に改めて触れることができたのは、大きな喜びであった。
本書は、作家や編集者といった出版界隈の人々はもちろんのこと、あらゆる職業、あらゆる立場で「〆切」と格闘するすべての人々にとって、示唆に富む一冊である。
仕事の納期に追われるビジネスパーソン、レポート提出に悩む学生、あるいは個人的な目標達成を目指すすべての人々。私たちは皆、多かれ少なかれ、〆切のプレッシャーの中で生きている。
本書に登場する文豪たちの〆切の言い訳からは人間の悲哀やコミカルさを感じて、心が軽くなるだろう。また彼らが編み出した〆切の使い方の工夫、そして、〆切との向き合い方から見えてくる哲学は、現代を生きる私たちに、共感と勇気、そして実践的なヒントを与えてくれるはずだ。
もし、あなたが今、目の前の〆切に苦しんでいるのなら、あるいは時間管理や目標達成の方法について悩んでいるのなら、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。きっと、ページの中に、あなたの状況を打開する鍵や、心を軽くする言葉が見つかるだろう。〆切は、単なる敵ではない。それは、使い方次第で、私たちを成長させ、目標達成へと導いてくれる、強力な味方にもなり得るのだから。
最後に、本書の巻末には、谷崎潤一郎による『文章読本』発売遅延に関するお詫び文も収録されている。これもまた、大作家の人間味あふれる一面を垣間見せてくれる、興味深い付録である。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
田山花袋記念文学館
群馬県館林市城町にある田山花袋を記念した文学館。
公式サイト:田山花袋記念文学館
漱石山房記念館
東京都新宿区早稲田南町にある夏目漱石を記念した博物館。夏目漱石は新宿の生まれ育ちで、1916年に亡くなるまでの9年間を現在の新宿区早稲田南町で過ごした。
公式サイト:漱石山房記念館
藤村記念館
藤村記念館は、岐阜県中津川市馬籠にある島崎藤村の文化施設。
公式サイト:藤村記念館
泉鏡花記念館
石川県金沢市下新町にある泉鏡花の文学館。生家跡に建つ邸宅を増築、改修した施設。
公式サイト:泉鏡花記念館
寺田寅彦記念館
寺田寅彦記念館は、高知県高知市小津町にある寺田寅彦の文化施設。
公式サイト:寺田寅彦記念館
志賀直哉旧居
志賀直哉旧居は、奈良県奈良市高畑町にある志賀直哉の文化施設。志賀直哉が自身で設計したもの。
公式サイト:志賀直哉旧居
谷崎潤一郎記念館
兵庫県芦屋市伊勢町にある谷崎潤一郎の記念館。
公式サイト:谷崎潤一郎記念館
菊池寛記念館
菊池寛記念館は、菊池寛の出身地である香川県高松市にある記念館。サンクリスタル高松の3階にある。1・2階は高松市中央図書館、4階は高松市歴史資料館。
公式サイト:菊池寛記念館
吉川英治記念館
吉川英治記念館は、東京都青梅市柚木町にある吉川英治の文化施設。
公式サイト:吉川英治記念館
林芙美子記念館
林芙美子記念館は、林芙美子が晩年を過ごした旧宅を利用した東京都新宿区にある文化施設。
公式サイト:林芙美子記念館
長谷川町子美術館
長谷川町子美術館は、東京都世田谷区桜新町にある長谷川町子の文化施設。道路の反対側には、長谷川町子記念館も。
公式サイト:長谷川町子美術館
太宰治記念館「斜陽館」
青森県五所川原市金木町にある太宰治の生家を利用し記念館。
公式サイト:太宰治記念館「斜陽館」
松本清張記念館
松本清張記念館は、福岡県北九州市小倉北区にある松本清張の記念館。
公式サイト:松本清張記念館
遠藤周作文学館
遠藤周作文学館は、長崎県長崎市にある遠藤周作の文化施設。
公式サイト:遠藤周作文学館
有吉佐和子記念館
有吉佐和子記念館は、和歌山県和歌山市伝法橋南ノ丁にある有吉佐和子の文化施設。
公式サイト:有吉佐和子記念館
氷見市潮風ギャラリー・藤子不二雄Ⓐアートコレクション
氷見市潮風(ひみししおかぜ)ギャラリー・藤子不二雄Ⓐアートコレクションは、富山県氷見市にある藤子不二雄Ⓐのマンガミュージアム。
公式サイト:氷見市潮風ギャラリー・藤子不二雄Ⓐアートコレクション
川端康成文学館
川端康成文学館は、川端康成が幼少期を過ごした大阪府茨木市にある文学館。著書や遺品、書簡など約400点を展示。
公式サイト:川端康成文学館
湯沢町歴史民俗資料館・雪国館:川端康成
湯沢町歴史民俗資料館・雪国館は、新潟県南魚沼郡湯沢町にある文化施設。湯沢が舞台となった川端康成の小説『雪国』と雪国である湯沢の暮らしや歴史を中心とした展示をする。
公式サイト:湯沢町歴史民俗資料館・雪国館
手塚治虫記念館
手塚治虫記念館は、兵庫県宝塚市武庫川町にある手塚治虫の文化施設。
公式サイト:手塚治虫記念館
山田風太郎記念館
山田風太郎記念館は、兵庫県養父市関宮にある山田風太郎の文化施設。
公式サイト:山田風太郎記念館
三浦綾子記念文学館
三浦綾子記念文学館は、北海道旭川市神楽にある三浦綾子の文化施設。
公式サイト:三浦綾子記念文学館
吉村昭記念文学館
吉村昭記念文学館は、東京都荒川区立図書館「ゆいの森あらかわ」にある吉村昭の文化施設。
公式サイト:吉村昭記念館
池波正太郎記念文庫
池波正太郎記念文庫は、東京都台東区立中央図書館にある池波正太郎の文化施設。
公式サイト:池波正太郎記念文庫
池波正太郎真田太平記館
池波正太郎真田太平記館は、長野県上田市中央にある文化施設。
公式サイト:池波正太郎真田太平記館