
書籍紹介
- 福沢桃介は挫折を重ねながら人脈・貯蓄・投資で成り上がり「電力王」となった。
- 収入の二割貯蓄、健全株の研究、借金禁止など、冷静な投資原則を貫いた。
- 他人を当てにせず自己省察し、物事を宿命として受け入れ、自分のやり方で進んだ。
- 事業は誠実に行い、強い自己肯定と「運・鈍・根」で、愉快に生きることを説いた。
江上剛の略歴・経歴
江上剛(えがみ・ごう、1954年~)
作家。
兵庫県丹波市の出身。兵庫県立柏原高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。1977年から2003年まで第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)に勤務。
2002年、経済小説『非情銀行』で作家デビュー。2003年3月に、築地支店長を最後に、みずほ銀行を退行。
福沢桃介の略歴・経歴
福沢桃介(ふくざわ・ももすけ、1868年~1938年)
実業家。旧姓・岩崎(いわさき)。
福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835年~1901年)の娘婿。妻は、福沢諭吉の次女・福沢房(ふくざわ・ふさ、1870年~1954年)。
埼玉県比企郡吉見町の出身。1874年に川越市に移住。小学校と漢学塾に通い、中学校を経て、慶應義塾を卒業。1887年にアメリカへ留学。語学学校やイーストマン・ビジネス・カレッジを経て、ペンシルバニア鉄道に事務見習いとしても勤務。1889年に帰国して、福沢房と結婚。
北海道炭礦鉄道で働くが、結核のため入院。静養中に株式投資で巨額の利益を上げる。貿易会社の丸三商会を設立するのが失敗。北海道炭礦鉄道に復帰。名古屋電灯などの電力事業や鉄道事業に注力。後に「電力王」と呼ばれることに。
川上貞奴の略歴・経歴
川上貞奴(かわかみ・さだやっこ、1871年~1946年)
舞踏家、実業家。旧姓・小山(こやま)。
夫は、興行師の川上音二郎(かわかみ・おとじろう、1864年~1911年)。
東京都の生まれ。芸妓となり、1894年に川上音二郎と結婚。川上音二郎一座とともに、1899年にアメリカ、1900年にはイギリス、フランスで公演を行い、世界的な成功を収める。
1911年に、川上音二郎が亡くなると舞台からは引退。後に福沢桃介の事業のパートナーとなる。福沢桃介とは、1885年に初めて知り合うが、福沢桃介の留学と結婚で距離を置いた関係になったという背景がある。
『電力王・福澤桃介』の目次
プロローグ
第一章 美少女
第二章 名門
第三章 アメリカ生活
第四章 新入社員
第五章 失意の時
第六章 裏切りは世の常
第七章 勤め人の生き方
第八章 電力は面白い
第九章 木曽川開発
第十章 桃介流に愉快に生きる
エピローグ
参考文献
『電力王・福澤桃介』の概要・内容
2026年2月20日に第一刷が発行。PHP文芸文庫。391ページ。
2023年3月2日に刊行された『野心と軽蔑 電力王・福澤桃介』を改題、加筆、修正し、文庫化したもの。
『電力王・福澤桃介』のあらすじ・要約・感想
- 明治期の家族観と成功者の実態
- アメリカ留学で学んだ人脈の真髄
- 資本蓄積と安田善次郎の金銭哲学
- 儒教思想に学ぶ慢心と過信の戒め
- 時代を先取りした株式投資の三原則
- 川上貞奴の献身と自己実現の形
- 裏切りを乗り越える精神的独立
- 宿命を受け入れ独自の道を切り拓く
- 木曽川開発に見る事業と誠実さ
- 究極の自己肯定と成功の三大要素
- 軽薄さを恐れず愉快に生き抜く
- 江上剛が描く人間ドラマの魅力
日本の近代産業史において、国家の根幹を支える電力事業の礎を築き上げた偉大な実業家が存在する。
彼の名は福沢桃介(ふくざわ・ももすけ、1868年~1938年)である。
生家の旧姓は岩崎といい、埼玉県比企郡吉見町に生まれて、幼少期に川越市へと移住した背景を持つ。
彼は後に、あの有名な啓蒙思想家である福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835年~1901年)の次女である福沢房(ふくざわ・ふさ、1870年~1954年)と結婚し、福沢家の婿養子となった。
江上剛(えがみ・ごう、1954年~)が執筆した『電力王・福澤桃介』は、この極めて多面的な魅力を持つ人物の生涯を、鮮やかに描き出した名作である。
彼は決して順風満帆なエリート街道を歩んだわけではなく、幾多の挫折や失敗を経験しながら、自らの才覚と行動力で道を切り拓いていった。
本記事では、この書籍に描かれた彼の波乱万丈な人生の軌跡を辿りながら、現代を生きる我々にも通じる重要な教訓を読み解いていく。
特に、彼独自の人間関係の構築方法や、冷静沈着な投資哲学、そして人生を謳歌するための心構えについて、深く考察を加えていきたい。
明治から大正、昭和にかけての激動の時代を駆け抜けた彼の生き様は、現代の複雑な社会を生き抜くための羅針盤となるはずである。
それでは、彼がいかにして「電力王」と呼ばれるまでの圧倒的な地位を築き上げたのか、その詳細な歩みを見ていこう。
明治期の家族観と成功者の実態
物語の前半において、現代の我々の倫理観を大きく揺さぶるような、当時の社会における赤裸々な常識が描かれている。
それは、地位や財力を手にした男性の私生活に関する、極めて特異な価値観である。
現在の成功者は、例外なく愛人を持っている。それが成功者の甲斐性でもあるかのように皆愛人を自宅に連れ帰り、夫人に世話をさせている。
当代きっての成功者である渋沢栄一しかり、安田善次郎しかりである。(P.78「第二章 名門」)
ここで言及されている「現在」とは、この物語の時代背景である1886年頃、元号で言えば明治20年頃を指している。
当時は、「家」や「一族の繁栄」、そして「長男による家督相続」といったものが、個人の感情よりもはるかに重要視されていた時代だった。
多くの子供をもうけて一族の血脈を絶やさないための手段として、愛人(妾)を持つことは、当時の有力者たちの間では一種の合理的な選択肢として機能していたのである。
日本資本主義の父と称される渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840年~1931年)や、金融王と呼ばれた安田善次郎(やすだ・ぜんじろう、1838年~1921年)でさえも、この時代の価値観の枠組みの中で生きていた。
しかし、現在2020年代の一般的な価値観からすれば、これは完全に非常識であり、到底受け入れがたい考え方である。
何よりも驚かされるのは、男性が愛人を自宅の敷地内に連れ帰り、正妻がその愛人の世話までしていたという事実である。
大阪経済の重鎮であった五代友厚(ごだい・ともあつ、1836年~1885年)の生涯に関する記録などを読んでも、本妻と愛人が同じ敷地内でともに暮らしていたという記述があった。
だが、福沢諭吉に関しては、恐らく当時としては珍しく妻一筋であったという。
この辺りの時代背景や、それぞれの価値観の違いも重要なポイント。
歴史を学ぶということは、単に過去の出来事を暗記することではなく、こうした異なる時代の価値観を相対化し、人間の営みの多様性を理解することでもある。
アメリカ留学で学んだ人脈の真髄
彼は慶應義塾を卒業後、1887年に大きな野心を胸に抱いてアメリカへと留学に旅立った。
語学学校やイーストマン・ビジネス・カレッジで実学を学ぶと同時に、巨大企業であるペンシルバニア鉄道で事務見習いとして実際に勤務する経験も得た。
この異国での生活を通じて、彼は単なる学問の知識にとどまらない、より実践的な人生の教訓を獲得していく。
世に出るためには、人と良き関係を結ぶ必要がある。その人を利用しようというのではない。その人に可愛がられることで、多くのチャンスを得ることが出来るのだ。(P.123「第三章 アメリカ生活」)
ここで語られているのは、人付き合いの極意であり、人間関係を構築することの圧倒的な大切さである。
彼は貧しい家の出身であり、福沢諭吉という巨大な後ろ盾を持つ娘婿になったとはいえ、最終的には自分自身の力で泥臭く這い上がっていく必要があった。
他者の名声に寄りかかるだけでは、真の成功を掴むことはできないと自覚していたのである。
そのためには、周囲の人間から信頼され、援助を引き出すための「可愛げ」や「愛嬌」が不可欠であった。
これは、相手を一方的に搾取したり、計算高く利用したりするという冷たい意味合いではない。
相手に対して敬意を払い、誠実に接することで、自然と相手から「応援したい」「引き立ててやりたい」と思わせるような人間的魅力を磨くということである。
彼がアメリカという実力主義の社会で、多様な人種や価値観を持つ人々と交わりながら築いていったさまざまな人間関係のネットワークは、後の事業展開において大いに役立った。
能力や技術だけが優れていても、孤立していては大きな仕事は成し遂げられない。
他者との良質な関係性こそが、思いもよらないチャンスを運んでくるという真理は、時代を超えて現代の我々にも強く響く教訓である。
資本蓄積と安田善次郎の金銭哲学
帰国後、彼は北海道炭礦鉄道で働き始めるが、結核を患い、不本意ながら入院と静養を余儀なくされる。
しかし、この困難な時期に彼を支え、後の大飛躍の基礎を作ったのは、極めて堅実な金銭管理の哲学であった。
翁は「収入の二割は貯蓄し、何があっても使うな」とまで言い切る。収入があればあったで贅沢をし、使い切るようでは成功者になれないと言うのだ。
私は翁の考えに賛同する者である。(P.176「第五章 失意の時」)
ここで言及されている「翁」とは、一代で巨大な金融財閥を築き上げた安田善次郎のことである。
安田善次郎の徹底した倹約の精神と、理詰めの金銭哲学に、彼も強く賛成し、それを自らの行動規範に取り入れたというエピソードである。
資本主義の社会において、事業を起こしたり投資を行ったりするためには、絶対的に「種銭(資本)」が必要となる。
どれほど素晴らしいアイデアがあっても、元手がなければ何も始めることはできない。
そして、その種銭を作るための最も確実な方法は、どんなに収入が増えようとも、一定の割合を強制的に貯蓄に回し、生活水準を無闇に上げないことである。
人間の欲望には際限がなく、収入が増えれば増えた分だけ、贅沢をして使い切ってしまうのが一般的な人間の弱さである。
彼はその弱さを自覚し、収入の二割を絶対に手を付けない資金として隔離することで、後の株式投資で巨額の利益を上げるための重要な元手を蓄積していった。
この「先取り貯蓄」の考え方は、現代の個人資産運用や金融リテラシーの基本中の基本として語り継がれている手法そのものである。
儒教思想に学ぶ慢心と過信の戒め
静養中に株式投資に目を付けた彼は、その持ち前の分析力と決断力で巨額の利益を上げることになる。
しかし、投資の世界は常に冷酷であり、連戦連勝というわけにはいかない。
後に彼は、中規模な失敗も経験し、相場の恐ろしさと人間の心理の脆さを痛感することになる。
孔子の高弟である曾子でさえ「吾日に吾が身を三省す」と言い、一日の終わりに三度、反省しなければ過信、慢心に陥ると戒めたのである。(P.191「第五章 失意の時」)
ここでは、古代中国の偉大な思想家である孔子(こうし、紀元前552年~紀元前479年)の教えを受け継いだ、曾子(そうし、紀元前505年~紀元前436年)の有名な逸話が引かれている。
聖人君子に近いとされるような歴史的な賢人でさえも、毎日何度も自らの行動や思考を振り返り、厳しく点検しなければ、すぐに過信や慢心に支配されてしまうのだ。
ましてや、欲望と恐怖が渦巻く相場の世界で一時の成功を収めた凡人であれば、なおさら一層、自らを戒めなければならない。
投資で大きな利益を得た直後は、自分の判断力が世界で最も優れているかのような万能感に陥りやすい。
そのような慢心こそが、リスク管理を甘くさせ、致命的な大損失を引き起こす最大の原因となることを彼は学んだのである。
日々、自分の行動に驕りがなかったか、他人に対する配慮を欠いていなかったか、判断に感情が混じっていなかったかを静かに振り返る時間を持つこと。
この「三省」の精神は、投資家としてだけでなく、上に立つ経営者として、あるいは一人の成熟した人間として生きていくための不可欠な自己管理の技術である。
彼は単なる成金で終わることなく、古典から引き出した深い洞察力によって、自分自身の内面をコントロールする術を身に付けようと努力していたのだ。
時代を先取りした株式投資の三原則
失敗と反省を繰り返す中で、彼は相場の波に翻弄されないための、極めて論理的で冷徹な独自の投資ルールを確立していく。
それは、現代の高度な金融市場においても十分に通用する、本質的な投資哲学であった。
私は、株式投資について三つの原則を考えた。
一つ目は預金利子を基準とするということ。
二つ目は、安全な、健全な経営の会社の株を選ぶこと。十分に会社を研究して、その株を買わねばならない。
三つ目は、借金までして株を買わないこと。株式投資で成功するには、運がいいだけではだめである。より思慮深くなければならないのだ。(P.194、P.195からの抜粋「第五章 失意の時」)
この三つの原則は、彼がいかに冷静な分析家であったかを物語っている。
一つ目の原則に関しては、当時の経済状況を正確に把握する必要がある。当時は定期預金の利子が5%から7%の間を行き来するような高金利の時代であった。
彼はその定期預金の確実な利回りを基準点として設定し、株式の配当利回りが5%以下に下がれば割高と判断して売り、7%以上になれば割安と判断して買うという、明確な基準に基づく売買を行っていた。
二つ目の原則は、投機的な値動きに賭けるのではなく、企業のファンダメンタルズ(基礎的条件)を徹底的に研究し、勉強することである。
事業内容が堅実で、経営が健全な企業を選び抜くという姿勢は、ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年~)などが提唱する現代のバリュー投資(割安株投資)の考え方に完全に合致している。
そして三つ目の原則は、レバレッジ(借金)の禁止である。借金をして投資を行えば、相場が少し逆行しただけで強制的に決済させられ、冷静な判断を失ってしまう。
自己資金の範囲内で行うからこそ、一時的な価格の変動に耐え、長期的な視野で企業の成長を待つことができるのである。
投資における結論として、一時的な運の良さだけでは長期的な成功は望めない。
深い知性と探求心、そして自ら定めたルールを厳格に守り抜く冷静な行動力が不可欠だということである。
川上貞奴の献身と自己実現の形
彼の人生を語る上で、もう一人決して外すことのできない重要な女性が存在する。
それが、日本を代表する舞踏家であり、後に彼と深い絆で結ばれたビジネスパートナーとなる川上貞奴(かわかみ・さだやっこ、1871年~1946年)である。
彼女は東京都に生まれ、芸妓としての修業を積んだ後、1894年に興行師である川上音二郎(かわかみ・おとじろう、1864年~1911年)と結婚した。
その後、川上音二郎一座の女優として、1899年にはアメリカ、1900年にはイギリスやフランスを巡業し、欧米の芸術界に大きな衝撃を与え、世界的な大成功を収めるという劇的な人生を歩んだ人物である。
私のような花柳界に身を置いた女は、自分自身が世に出ることは出来ない。それならば男を支えて、その男を一人前にすることが、自分が世に出ることなのだと貞奴は言った。(P.204「第六章 裏切りは世の常」)
この言葉には、明治から大正という、女性が表立って社会で活躍することが極めて困難であった時代の、複雑な制約と葛藤が色濃く反映されている。
彼女自身は世界を熱狂させるほどの圧倒的な才能を持ちながらも、日本の社会構造の中では、女性というだけで主役として世に出る道を閉ざされていた。
そこで彼女は、夫である川上音二郎の才能を信じ、彼を裏から支え、彼を世界的な興行師として大成させることに、自分自身の人生の意義を重ね合わせたのである。
これは、単なる自己犠牲ではない。他者の成功の中に自分自身の成功を見出すという、高度な心理的投影のメカニズムである。
昔から「内助の功」という言葉で美化されてきた概念であるが、現代においても、形を変えて似たような心理的投影は存在しているように思う。
夫の出世だけでなく、子供への過度な教育熱なども、自分自身が果たせなかった夢や自己実現を、最も身近な他者に託すという点で同じ構造を持っている。
彼女は1911年に夫と死別すると舞台から引退し、その後はかつて深い縁のあった彼の事業を実質的なパートナーとして支えていくことになる。
二人の関係は、単なる男女の恋愛感情を超えた、互いの魂を支え合うような強烈な同志愛であったのだと推測される。
裏切りを乗り越える精神的独立
実業家としての道を歩む中で、彼は人間の持つ醜い側面や、利己的な本性にも直面せざるを得なかった。
信頼していたはずのまわりの人間たちに次々と裏切られ、必要な資金を集めることができず、野心を持って立ち上げた独立会社が虚しく失敗に終わってしまった痛恨の出来事がある。
怒りと絶望に打ち震える中、彼は深い自己省察の末に、ある冷徹な真理に到達する。
なぜ腹が立つのか。それは友人とはいえ、他人を当てにしていたからだ。(P.232「第六章 裏切りは世の常」)
彼は、自分の計画が頓挫した本当の理由は、他人の悪意そのものにあるのではなく、自分自身が「世の中では裏切りが常であること」を忘れ、甘い期待を抱いていたことにあると気がついたのである。
他人が自分のために動いてくれるはずだ、友好的な約束は守られるはずだという、根拠のない希望的観測が、怒りと失望の根本的な原因であった。
これは、現代を生きる我々も深く心に留めておきたい、極めて重要な人間理解である。
冷たく聞こえるかもしれないが、生きる上での一つの知恵として、他人を安易に当てにしないこと、他人に過度な期待をしないことは、精神の平穏を保つための防波堤となる。
もちろん、誰も信じない孤独な人間になれという意味ではない。
他者の協力を得ようと努力はするが、最終的な結果を他人の行動に依存させない、という強靭な精神的独立が必要だということである。
自分の人生に対する期待には、自分自身が誰よりも徹底的に応える覚悟を持つこと。
そうした自己責任の原則を骨の髄まで理解したからこそ、彼はその後の幾多の困難を乗り越え、巨大な事業を成し遂げることができたのである。
宿命を受け入れ独自の道を切り拓く
事業の規模が拡大するにつれて、彼は日本の財界を牛耳る巨大な名門一族の当主たちとも接することになる。
その筆頭であり、また彼を支援してくれたのが、三菱財閥の三代目総帥である岩崎久弥(いわさき・ひさや、1865年~1955年)である。
同じ時代を生き、同じように事業を展開しながらも、二人の出発点は天と地ほども異なっていた。
一方は生まれながらにして莫大な富と権力を約束された財閥の御曹司であり、もう一方は地方の貧しい家から身一つで成り上がってきた男である。
羨ましいと思わないでもないが、人にはそれぞれの運命が定まっていると思うしかない。私は私のやり方で頂上を目指すのだ。結果として頂上を極められなくても、それはそれでいいではないか。(P.284「第八章 電力は面白い」)
この独白には、彼が自分自身の出生や家柄の違い、つまりどう足掻いても変えることのできない「宿命」というものを、静かに受け入れている様子が表れている。
岩崎久弥の恵まれた環境を前にして、嫉妬や怨恨に囚われることは、人間の感情として自然なことかもしれない。
しかし彼は、そうした他者との無意味な比較にエネルギーを浪費することをきっぱりと拒否した。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの視点があり、それぞれの運命の形があるのだと達観したのである。
持たざる者には、持たざる者なりの戦い方がある。
他人の土俵で勝負するのではなく、自分の強みを生かした「私のやり方」で、ひたすらに頂上を目指すことだけに集中する覚悟を決めたのだ。
そして、「結果として頂上を極められなくても、それはそれでいい」という言葉の裏には、結果への執着を手放し、挑戦するプロセスそのものを楽しむという、極めて成熟した精神状態が垣間見える。
相対的な評価ではなく、絶対的な自分自身の尺度で生き抜く強さを、彼はこの時点で完全に身に付けていたのである。
木曽川開発に見る事業と誠実さ
彼の実業家としての最大の功績は、なんと言っても木曽川水系における大規模な水力発電の開発である。
この前人未到の巨大プロジェクトは、自然の猛威や莫大な資金調達、そして地域住民との複雑な利害調整など、想像を絶する困難の連続であった。
そうした巨大事業の陣頭指揮を執る中で、彼がリーダーとして最も重要視した哲学がある。
しかし人間というものは、成功し始めると、傲慢になり、何事もやっつけ主義、小手先主義に陥る。これが事業の躓きとなるのだ。
とにかく事業は、馬鹿正直に行い、親切一途に行わねばならない。これが順調にいく秘訣である。ごまかし、小細工を弄することは断じて許されない。(P.310「第九章 木曽川開発」)
事業が軌道に乗り、利益が出始めると、人はどうしても自分の能力を過信し、仕事への向き合い方が雑になってしまうものである。
効率や目先の利益だけを追い求め、やっつけ仕事や小手先のテクニックで問題を処理しようとする。
しかし、自然を相手にし、多くの人間の命と生活に関わるインフラ事業において、そのような傲慢な態度は致命的な破綻を招く。
彼が説くのは、徹底した誠実さと、周囲に対する深い思いやりである。
どんなに複雑な問題であっても、ごまかしや小細工を弄することなく、馬鹿正直なまでに真正面から向き合うこと。
そして、関係するすべての人々に対して、親切一途に対応し、相手の立場を慮ること。
この一見すると泥臭く非効率に思える姿勢こそが、結果的に最も強固な信頼関係を築き、事業を順調に推移させる最大の秘訣なのである。
経営学においても、ステークホルダー(利害関係者)との良好な関係構築が長期的な企業の価値を高めるという理論があるが、彼はそれを自らの体験から導き出し、実地で実践していたのである。
究極の自己肯定と成功の三大要素
彼は晩年、「電力王」として確固たる地位を築いた後、自らの成功の理由について独自の幸福論を語っている。
世間一般で言われるような、努力や忍耐といったありふれた言葉ではなく、もっと本質的で人間の精神の奥底に関わる秘訣である。
一つは、自分のことを「世界で一番偉い」と思うこと、もう一つは「世界で一番幸福者」であると思うこと。(P.354「第十章 桃介流に愉快に生きる」)
この極端とも言える自己肯定感の高さこそが、彼の計り知れないエネルギーの源泉であった。
もちろん、これは他人を見下して威張り散らすという意味ではない。
自分自身の存在価値を誰よりも高く評価し、今自分が置かれている状況がいかに困難であっても、それを最高の幸福であると思い込む強烈な自己暗示の力である。
心理学においても、ポジティブな自己暗示が実際のパフォーマンスを劇的に向上させる効果があることは実証されている。
彼は、自身の成功の要因として、天の時を得る「運の良さ」、神経質になりすぎず些細なことに動じない「鋭すぎない程良い鈍さ」、そして一度決めたことをやり遂げる「根気良く継続すること」の三つを挙げている。
この「運、鈍、根」という有名な三大要素に加えて、上記の二つの強烈な自己肯定の精神が組み合わさることで、彼は桃介流の無敵の人生哲学を完成させたのである。
特に「鈍さ(鈍感力)」の重要性は、情報過多で他人の評価に過敏になりがちな現代のストレス社会を生き抜くための、強力な武器になるに違いない。
軽薄さを恐れず愉快に生き抜く
小説の終盤、エピローグに向かう直前の最後の場面で、彼は後進の者たちに向けて、魂の底から絞り出すようなメッセージを残している。
それは、幾多の成功と失敗、栄光と挫折、そして愛と別れを経験し尽くした男の、究極の人生賛歌である。
諸君!
人生は短くもあり、長くもある。
愉快に生きよ!
愉快に生きよ!
軽薄と言われようと構わない。
愉快に生きよ!
人生は生きるに値するぞ。(P.382「第十章 桃介流に愉快に生きる」)
人の一生というものは、宇宙の歴史から見れば一瞬の瞬きのように短いものでありながら、苦難の渦中にある時には永遠のように長く感じられるものである。
彼はその人生の有限性と矛盾を完全に理解した上で、それでもなお「愉快に生きよ」と三度も繰り返して叫んでいる。
世間からの体裁を気にし、重圧に押しつぶされて眉間に皺を寄せて生きることは、彼に言わせれば全く無意味なことであった。
他人から「軽薄な男だ」「真面目さが足りない」と後ろ指を指され、批判されようとも、そんなことは一切構わない。
自らの心が弾むこと、自分が面白いと感じることに全力を注ぎ、喜劇的に人生を全うすることの尊さを説いているのである。
虚無主義や悲観主義に陥ることなく、「人生は生きるに値するぞ」と言い切るその力強い言葉には、読者の心を奮い立たせる圧倒的な熱量が込められている。
我々もまた、彼のこの言葉を胸に刻み、日々の些細な悩みに囚われることなく、もっと伸び伸びと、愉快に生きていきたいものである。
江上剛が描く人間ドラマの魅力
本書『電力王・福澤桃介』を通読しての総合的な感想として、私が事前の想定をはるかに超えて面白く、深く引き込まれた作品であった。
江上剛の筆致は、膨大な歴史的資料に基づきながらも決して無味乾燥な記録にならず、血の通った人間ドラマとして見事に昇華されている。
小説の構成として設けられたプロローグとエピローグについては、個人的には本編の熱量だけで十分に完結しているため不要のようにも感じた。
しかし、現代と過去を繋ぐ視点として、これがあるからこそ、歴史小説や伝記小説に馴染みのない読者でもすんなりと物語の世界に入っていきやすいという効果を狙ったものなのかもしれない。
この一冊を通じて、彼の波乱に満ちた生涯の全体像が、立体的な輪郭を伴って明確に理解できた。
また、義父である福沢諭吉が、卓越した才能を持つ彼に対して、期待と同時にある種の警戒感を含んだ愛憎入り交じる複雑な視線を向けていた理由も、人間関係の機微として非常に納得がいくものであった。
今回、この魅力的な人物の生き様に触れたことで、明治から昭和初期にかけての日本資本主義の形成期に対する知的な好奇心がさらに刺激された。
彼に関連する他の歴史書や、川上貞奴の生涯を描いた文献なども、もっと幅広く読み込んでみたいという強い意欲が湧いている。
江上剛の巧みな文章力と、緻密に計算された物語の構成力も、高く評価されるべきであろう。
歴史に興味がある人はもちろん、現在何らかの困難な壁に直面し、生き方のヒントを求めているすべての人に、強く推薦したい作品である。
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書籍紹介
関連書籍
関連スポット
福沢桃介記念館
福沢桃介記念館は、長野県木曽郡南木曽町読書にある福沢桃介の旧別荘を利用した記念館。近くには、桃介橋もある。
観光協会の紹介ページ:福沢桃介記念館
福沢桃介の像と川上貞奴のレリーフ
岐阜県恵那市大井町に、福沢桃介の像と川上貞奴のレリーフがある。
公式サイトは特に無い。
文化のみち二葉館
文化のみち二葉館(ふたばかん)は、福沢桃介と川上貞奴が、1920年から1926年まで共に暮らした旧邸宅を使った文化施設。1階は川上貞奴と福沢桃介について、2階は愛知や名古屋にゆかりのある文学者や文芸作品について紹介。
公式サイト:文化のみち二葉館


