出口治明の略歴
出口治明(でぐち・はるあき、1948年~)
実業家、ライフネット生命保険の創業者。
三重県津市の生まれ。三重県立上野高等学校、京都大学法学部(専攻:憲法)を卒業。日本生命保険相互会社に勤務し、ロンドン現地法人の社長、国際業務部長などを歴任。退社後にライフネット生命保険を設立。読書家としても知られる。
『戦前の大金持ち』の目次
まえがき
第一章 “革命プロデューサー”梅屋庄吉
【評伝】映画で稼いだ財を全て革命に賭けた
【解説】国家意識や教育システムがなかった時代の自由な生き方
第二章 “パリの蕩尽王”薩摩治郎八
【評伝】八〇〇億円を散財して名を残した
【解説】お金は貯めるものではなく、使うものだ
第三章 “初もの喰い狂”大倉喜八郎
【評伝】戦争をビジネスチャンスにした
【解説】なぜ大倉財閥は三菱・三井財閥のように残らなかったのか
第四章 “吉野の山林王”土倉庄三郎
【評伝】吉野杉を財として近代日本のパトロンとなった
【解説】東京ではなく地方こそが日本の最先端だった
第五章 “相場の神様”山崎種二
【評伝】「売りのヤマタネ」は、堅実で着実な投資家だった
【解説】ビジネスに必要なのは自分なりの哲学
第六章 “世界の真珠王”御木本幸吉
【評伝】世界中の女性の首を真珠でしめる
【解説】誰よりも早く「マーケティング」の価値に気付いた
最終章 “庭園日本一”足立全康
【解説】生き方そのものがMBAの教科書になる
あとがき
『戦前の大金持ち』の概要
2018年6月4日に第一刷が発行。小学館新書。221ページ。
戦前に活躍した大金持ちである、梅屋庄吉、薩摩治郎八、大倉喜八郎、土倉庄三郎、山崎種二、御木本幸吉、足立全康の評伝と解説をまとめた作品。
以下、人物の概要。
梅屋庄吉(うめや・しょうきち、1869年~1934年)…実業家。政治家・孫文(そん・ぶん、1866年~1925年)の支援者。日活の創業者の一人。長崎県の生まれ。香港で貿易商としての地位を築き、帰国後に映画事業で成功。
薩摩治郎八(さつま・じろはち、1901年~1976年)…著作家。東京都の生まれ。“木綿王”と呼ばれた薩摩治兵衛(さつま・じへえ、1831年~1909年)の孫。イギリスのオックスフォード大学に留学。フランスの社交界で人気を博し、“バロン薩摩”と呼ばれる。画家や音楽家を支援。日仏の文化交流に尽力。
大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837年~1928年)…実業家、武器商人。大倉財閥の創業者。新潟県新発田市の生まれ。貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品など多くの企業を興す。東京経済大学の前身・大倉商業学校や日本初の私立美術館・大倉集古館を創設。
土倉庄三郎(どぐら・しょうざぶろう、1840年~1917年)…林業家。奈良県吉野郡の生まれ。吉野川の回収や、東熊野街道の開設など木材の流通経路を整備し、各地で植林を指導。政治家・板垣退助(いたがき・たいすけ、1837年~1919年)の洋行費用を提供。同志社大学、日本女子大学の創設時に多額の寄付を行なう。
山崎種二(やまざき・たねじ、1893年~1983年)…相場師、実業家、教育家。群馬県高崎市の生まれ。米の卸売業社、証券会社を創業。米相場と株式相場で成功。富士見中学高等学校を創設。現代日本画専門の山種美術館を設立。
御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858年~1954年)…実業家。ミキモトの前身となる御木本真珠店の創業者。三重県鳥羽市の生まれ。真珠の養殖とブランド化で成功。販路を世界中に広げ、“真珠王(パール・キング)”とも。
足立全康(あだち・ぜんこう、1899年~1990年)…実業家。島根県安来市の生まれ。大阪を拠点にしながら、不動産や繊維関係など、さまざまな事業を興して成功。画家・横山大観(よこやま・たいかん、1868年~1958年)の作品と日本庭園で有名な足立美術館を創設。
評伝は、以下の二人のライターによるもの。
稲泉連(いないずみ・れん、1979年~)…ノンフィクションライター。東京都の生まれ。早稲田大学第二文学部を卒業。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
山川徹(やまかわ・とおる、1977年~)…ノンフィクションライター。山形県の生まれ。東北学院大学法学部、国学院大学文学部2部を卒業。
解説は、出口治明。
最終章である足立全康を除いて、評伝と解説で、一つの章となる構成。
『戦前の大金持ち』の感想
出口治明の本を読み進めていたら、見つけたこの著作。
歴史的な人物の伝記や評伝が好きな自分には、最適な作品だと思って読む。
結論としては、とても楽しめた。
知っている人物は、大倉喜八郎くらい。山崎種二と御木本幸吉は、名前を聞いたことがあるくらい。
他の人物たちは、全く知らなかったから、とても勉強にもなった。
このような人物たちがいたのかと、非常に楽しめた。やっぱり、伝記や評伝って、めっちゃ面白い。
実際に、さらに興味を持って、大倉集古館に言ったり、土倉庄三郎の本を読んだりもした。
他の人物たちもさらに深掘りしていきたい。
以下、引用をしながら紹介。
<富貴在心>=<この手によって造られざる富は多しといえども貴むに足らず>(P.34「第一章 “革命プロデューサー”梅屋庄吉」)
自らお金持ちになった人物が、このような発言をしているという重要さ。
富そのものは、人の価値ではない。人の心が、人の価値である。
私も早く大金持ちになって、このような発言をしてみたい。
「消費」それ自体を「芸術」に変えてしまったという「消費芸術家」ということなら、それは、日本の歴史を広く見渡してみても、薩摩治郎八しかいない(P.57「第二章 “パリの蕩尽王”薩摩治郎八」)
この部分は、フランス文学者で評論家の鹿島茂(かしま・しげる、1949年~)の『蕩尽王、パリをゆく』の一節の引用。
現在の貨幣価値にして、200億円とも800億円とも言われる財産を、パリで消費したという薩摩治郎八。
スケールが違い過ぎる。
ただ、こういった人もいないと、芸術や文化というのは、継続できなのだろう。
こういった明治人がいることも面白い。
どちらかと言うと、日本では歴史的に倹約や節約に関する美徳がある。
慎ましさや清貧さ、といったもの。
ここで、解説の出口治明は、薩摩治郎八に共感というか、好意的に扱っている。
出口治明も、学生時代にお金はなかったものの、普段は安い食事をしながら、時々ふらりと、高級料理などを食べていたとか。
その後も、似たような生活で、時々、豪勢にお金を使うことがあったとか。
お金の使い方というのは、とても難しいものである。
吉野山には次のような庄三郎の言葉が伝わる。
「いつか外国人が吉野山に桜を見に来ることもあるだろう。その日まで桜を守らなければならない」(P.115「第四章 “吉野の山林王”土倉庄三郎」)
そして、実際に、百数十年を経た現在では、吉野山に世界中から観光客が来ているという事実も。
どれだけ先見の明があったんだ。
土倉庄三郎には、さらり興味を持って、田中淳夫(たなか・あつお、1959年~)の『樹喜王 土倉庄三郎』を注文して、読んだ。
Amazonでは、『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』が発売されているが、中古でも高額。
同内容の改定複製本である『樹喜王 土倉庄三郎』を直接、著者へと連絡して購入するのがオススメである。
<もうけた金には損がついて回る。貯めた金には信用がつく>という信念を語り、また、戦後に穀物商品取引所が再開されたときは、理事長室には渋沢栄一が額皿に書いた次のような対句を飾っていたそうです。
<成名毎在窮苦日(名を成すはつねに窮苦の日にあり)>
<敗事多因得意時(敗れること多くは得意の時による)>
(P.152「第五章 “相場の神様”山崎種二」)
儲けた金には損。貯めた金には信用。
なるほど、肝に銘じておくとしよう。
事業や資金の話になると出てくる確率の高い人物、渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840年~1931年)。
山崎種二も尊敬していのか。
倦まず弛まず、といった感じで、淡々と諸々を継続していこうと思う。
営業の自由が市場にもたらされると、一攫千金を狙った粗悪な真珠が出回るようになり、結果的に「ミキモト」のブランドがより高まることになったのです。(P.191「第六章 “世界の真珠王”御木本幸吉」)
どんなにお金が掛かっても、世界の檜舞台で名を売って、一流の場所に「ミキモト」の名を並べようとした御木本幸吉。
最終的には、現在にも続くブランドとなった。
上記の引用は、市場原理の面白さを表現していると思う。
競争が起これば、最初は多少の混乱はあっても、最終的に上質なものが残るというもの。
教育者で投資家の瀧本哲史(たきもと・てつふみ、1972年~2019年)は、さらに進めて、ニセモノが出回らないようにするために、しっかりとマーケティングせよ、といった主旨のことを言っていた。
むしろ、ニセモノを排除するために、といった感じか。
ブランディングもマーケティングも、超重要である。当然、サービスや商品の質の高さが前提ではある。
消費者や市井の人々というのは、愚かではない。長期的には、良いものが残っていくのである。
1800年代の後半から1900年代の前半にかけて、大きな事業をしてきた大金持ちたちの行動や思考を知ることができる本。
歴史好きやビジネス好き、伝記や評伝に関心のある人には非常にオススメの作品である。
美術館や関連施設なども実際に、それなりに訪問しているが、まだまだ行ききれていないので、どんどん巡って行こうと思う。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
大倉集古館:大倉喜八郎
大倉集古館は、東京都港区にある1917年に開館した日本初の私立美術館。大倉喜八郎が収集した古美術や典籍類を収蔵・展示。喜八郎の死後は、嫡男である大倉喜七郎(おおくら・きしちろう、1882年~1963年)が近代日本画などの充実に尽力。
実際に訪問済み。建物そのものも趣があって良かったし、内観も展示品も素晴らしかった。The Okura Tokyoレストランの食事とセットのチケットもあるので、今度、利用してみたいと思う。
公式サイト:大倉集古館
山種美術館:山崎種二
山種美術館は、1966年に開館した東京都渋谷区にある美術館。山崎種二が収集した日本画を中心に収蔵。開館時は東京都中央区であったが、1998年に千代田区へ仮移転し、2009年に現在の場所へと移転。
実際に訪問済み。割りと普通の街中というか、ちょっと外れだけど、普通のビルの並びにある。中に入ると一気に美術館という感じ。カフェも併設。
公式サイト:山種美術館
ミキモト真珠島:御木本幸吉
ミキモト真珠島は、三重県鳥羽市にある真珠に関する観光文化施設。敷地内には御木本幸吉記念館や真珠博物館などがある。1893年に御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した場所でもある。
公式サイト:ミキモト真珠島
足立美術館:足立全康
足立美術館は、1970年に島根県安来市に開館した近代日本画を中心とした美術館。横山大観の作品と日本庭園が有名。地元出身の実業家である足立全康のコレクションが中心。
公式サイト:足立美術館