『資本論入門』向坂逸郎

向坂逸郎の略歴

向坂逸郎(さきさか・いつろう、1897年~1985年)
マルクス経済学者、社会主義思想家、九州大学教授。
福岡県大牟田市の出身。福岡県立八女中学校、小倉中学校、第五高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業。ドイツ留学後、九州大学の助教授、後に教授となる。

カール・マルクスの略歴

カール・マルクス(Karl Marx、1818年~1883年)
プロイセン王国(ドイツ)の哲学者、経済学者、革命家。
1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者。1849年、31歳以降はイギリスを拠点として活動。著作に『資本論』など。フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820年~1895年)との共著『共産党宣言』など。

『資本論入門』の目次

Ⅰ はじめに ――旅について――
Ⅱ 社会と労働
一 『小さな王国』
ニ 社会とは何か
三 人間の労働
Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――
一 青年時代のマルクス
ニ 初期の思想
三 史的唯物論(一)
1 物質的生産力の発展と文化
2 資本主義と個性の喪失
四 史的唯物論(ニ)
1 奴隷制、農奴制、資本制
2 新しい経済学の成立
3 『経済学批判』――史的唯物論の要綱――
Ⅳ 『資本論』――近代社会の経済的運動法則――
一 『資本論』の成立
ニ 労働過程
三 『資本論』と人間の行為
四 何故労働価値説でなければならぬか
五 貨幣の必然性
六 人間労働力の搾取
七 価値法則は複雑な姿で貫かれる
八 生産部門間の均衡とその破壊
九 資本主義的蓄積の一般的法則
あとがき

概要

1967年10月20日に第一刷が発行。岩波新書。204ページ。
2019年11月28日に電子書籍版が発行。

感想

神津朝夫(こうず・あさお、1953年~)の『知っておきたいマルクス「資本論」』を読んで、面白かった。

その神津朝夫が、向坂逸郎の勉強会に参加していたようだ。

『知っておきたいマルクス「資本論」』の「あとがき」には次のような文章が。

私は学部学生・大学院生時代に、向坂逸郎先生のご自宅での通称「寺子屋」で『資本論』を読んでいた。(P.188「あとがき」)

毎週土曜日の研究会にほぼ毎回参加していたという。

というわけで、向坂逸郎の本を探してみて見つけたのが、この『資本論入門』

しかも、kindle unlimitedにあったので、早速読んでみた。

『資本論』の概要の解説と共に、向坂逸郎の考えをまとめた随筆が、組み合わさったような内容。

いわゆる『資本論』の入門書を探している人は少し驚くと思う。

数冊、入門書を読んでから、この本を読むといった方法が良いかも。もしくは、必要な部分だけ拾い読みするといった感じか。

その頃に旅のけわしさを推測すると、性格の弱い人間に、あのように旅に出る積極的な心の動きがありうるだろうか。また、弱々しい人間に「五月雨の空吹落せ大井川」などという句が生まれるだろうか。(No.101「Ⅰ はじめに ――旅について――」)

「はじめに」である。

カール・マルクスの話ではない。ドイツの話でもない。日本の話である。俳諧の話である。

松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644年~1694年)の話なのである。

そして、ここでは、松尾芭蕉は精神的に強く、また肉体的にも強い人間だったのではないか、という推測を筆者の向坂逸郎がしている。

人生は旅であり、また同様に闘いでもあると。

それは、カール・マルクスも同じである、といった風な流れになる。

松尾芭蕉というのは、ある時代の人間にとっては、一般教養的なものなのだろうか。

それとも、ある一定レベル以上の人間にとっては、一般教養的なものなのだろうか。

俳人の荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)や、小説家で精神科医の加賀乙彦(かが・おとひこ、1929年~2023年)なども、松尾芭蕉に関する文章を多く残しているし。

松尾芭蕉についても、いろいろと読み漁っていきたいところ。

ちなみに後半にも再び松尾芭蕉について言及している部分がある。そこでは、縛られない自由な精神を松尾芭蕉は求めたのではないか、という推測も。

「Ⅱ 社会と労働」では、小説家の谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)の作品『小さな王国』を取り上げてもいる。

松尾芭蕉や谷崎潤一郎が登場するとは思わなかった。

話をマルクスに戻す。

彼の大学卒業の学位論文は、『デモクリトスとエピクロスの自然哲学の相違』というものであった。一八四一年イェーナ大学から学位を得た。(No.503「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

マルクスは大学で哲学を学び、特にエピクロスを高く評価していた。

ちなみに二人の人物に関しては以下の通り。

デモクリトス(Democritus、前460年頃~前370年頃) は、古代ギリシアの哲学者。原子論が有名。

エピクロス(Epikouros、前341年~前270年) は、古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。エピクロス派の始祖。快楽主義で知られる。

別にカール・マルクスが最初から大学で経済学の学位論文を書いていたわけではないのも面白い点。

マルクスに一番大きな影響を与えた人物は、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年~1831年)。

『ライン新聞』の諸論説は、ヘーゲル調で書かれている。『ライン新聞』の中で、マルクスは、巧みに弁証法を駆使して、例えば検閲制度を批判する。(No.597「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

ヘーゲルの文体に似ていたり、議論の技術である弁証法を利用していたりなど。

また、マルクスとエンゲルスは、フォイエルバハの唯物論の思想的影響も強く受けている。

ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach、1804年~1872年)は、ドイツの哲学者。青年ヘーゲル派の代表的な存在。唯物論的な立場から、特に当時のキリスト教に対して激しく批判。現世的な幸福を説く。い

マルクス主義者たちは、「史的唯物論」や「唯物史観」という言葉を用いる。

マルクスやエンゲルスの歴史観のこと。

マルクス本人は、この言葉を使っていないのも注意が必要。

歴史をつくりうるためには、人間は生きなければならないといい、生きるというのは、人間の欲望をみたすことである。欲望をみたすためには、このための手段をつくらなければならない。つまり、物質的生産である。(No.705「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

『フォイエルバハにかんする提言』の中でのマルクスの主張。

これは人間の歴史的行為であり、人間生活の根本的条件である、というまとめ。

人間の欲望を満たすのが根源にある。その人間の生活の積み重ねが歴史。

これが「史的唯物論」や「唯物史観」の定義といった感じか。

資本主義は、人間を平均的低賃金と平均的教育と週刊誌とで、平均的につくり上げ、平均的に話題を与え、面白くもない話で、面白くもない交友をつくるようにしつつあるから、食いものだって、地方的個性はなくなって、平均的になる。(No.784「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

ここは、向坂逸郎の鋭い指摘。資本主義の影響によって、さまざまなものが平均的になっていく。個性が無くなっていく。

ここでは、基本的に教育ということ。そのあとには、交通網の発展による、大規模生産が可能になり、労働者はさらに平均化され、没個性化される、との主張も。

全てが商品なので、欲しい人の近くが良いということ。輸送が簡単になり、距離が短くなる。

各地も平均化されてしまう。怖いな。

一八五〇年代のマルクスは、経済学の完成につとめた。大英博物館に一日八時間ぐらいはつめた、と娘ラウラの夫ポール・ラファルグはのべている。(No.1014「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

ポール・ラファルグ(Paul Lafargue、1842年~1911年)は、フランスの社会主義者でジャーナリスト。

ジェニー・ラウラ・マルクス(Jenny Laura Marx、1845年~1911年)は、カール・マルクスの次女。

マルクスは、物凄い勢いで読書をしていたという。

しかも『資本論』の第一巻を見ると、幅広いジャンルを読んでいることが分かると。

アリストテレス(Aristotelēs、前384年~前322年)以下の古典語の著作から、イギリス、フランス、イタリア、ロシア、ドイツ等の社会科学に関する多くの著作、さらに自然科学の本も読んでいたマルクス。

さらに若い頃から文芸好きで以下のような逸話も。

ホーマー、バイブル、ダンテ、シェークスピヤ、セルバンテス、デューマ、スコット、バルザック、ゲーテ、ハイネ等はいうにおよばず、晩年にはプーシキン、ゴーゴリ、シチェドリン等のロシア文学を原語でたのしんだといわれている。(No.1055「Ⅲ 『資本論』への道 ――マルクスの思想的発展――」)

ちなみに、マルクスのパートナーであったエンゲルスも若い頃から文芸好きというのも面白い。

ギリシア語、ラテン語といった古典語から、ドイツ語、英語、そして、ロシア語は、少なくとも出来たということか。

やはり、賢い人は語学も余裕なのか。

博物学者の南方熊楠(みなかた・くまぐす、1867年~1941年)などもいるし。微妙にマルクスと時代が重なっているのも、楽しいな。

資本主義の社会は、人間が、自分自身のつくり出した人間的産物に対して、自分たちの支配力を失っているという、そして、そのことを不思議がらないで、当然のこと、われわれの力でどうにもならぬこととあきらめている社会である。(No.1405「Ⅳ 『資本論』――近代社会の経済的運動法則――」)

めちゃくちゃ怖い指摘。

自分たちで作ったものに支配されて、そして諦めている社会。

しかも当然であると思っている。

続いて『マルクス・エンゲルス選集』第12巻・18~19ページに書かれている「生産物が生産者を支配する」という言葉。

これも同じ意味で、シンプルで強力である。

支配されないこと。当然と思わないこと、諦めないこと。それが一番大事。

といわけで、入門書を読んだ後に、違う角度から『資本論』を知りたい人にオススメの本。あるいは、人文科学とか興味のある人が手に取る『資本論』の入門書である。

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