『経営に終わりはない』藤沢武夫

藤沢武夫の略歴

藤沢武夫(ふじさわ・たけお、1910年~1988年)
実業家、経営者。
茨城県結城市の生まれ。京華中学校を卒業。
本田技研工業に常務として入社し、副社長を経て、最高顧問。
販売・経理部門を担当し、本田宗一郎とともに「世界のホンダ」を築く。

『経営に終わりはない』の目次

一、生命をあずかる仕事
二、思いがけぬ危機
三、本業以外に手を出すな
四、万物流転の法則
五、経営者の心構え
六、模索と学習の日々
七、たいまつは自分で持て
八、海のむこうへ
九、頭の切り替え
十、本田かぶれ
あとがき

概要

1998年7月10日に第1刷が発行。文春文庫。235ページ。

1986年11月に文春ネスコから発売された単行本を文庫化したもの。

浜松の人はみんな彼を逃してしまったのですよ。技術者として有名であり、人間としてもすばらしい男なのに、だれもあの人をつかまえなかった。ということは、あの人に心底惚れる人がいなかったということでしょう。(P.15「一、生命をあずかる仕事」)

静岡の浜松や愛知の名古屋では、見込みがないと感じた本田宗一郎(ほんだ・そういちろう、1906年~1991年)。通産省の技官・竹島弘の紹介で、藤沢武夫と出会う。

藤沢は、以前から大きな夢を持っている誰かと一緒になって仕事をしようとしていた。金銭面や販売は自分が担うつもりで。

そのような時に、良いタイミングで本田と出会った。

そして、二人が組むことは、あっさりと決まり、本田は東京へ。

後年、浜松には、本田をつかまえておかなかったことを惜しむ声が、とても多く出てきたという。

だから、鈴鹿でみんなにいったことは、帰りのお客さんの顔をよく見て商売しろ、ということでした。つまらないような顔をして帰ったら、もう二度と来ない。それが商売の鉄則だということですね。(P.57「二、思いがけぬ危機」)

ここの前の部分では、藤沢武夫とも交流のある作家・五木寛之(いつき・ひろゆき、1932年~)の小説についての記述。鈴鹿サーキットを舞台にした小説『冬のひまわり』の一つの場面。

完成したばかりのレース場。前日は雨で道路がぬかるみに。そこで白いハイヒールを履いてきた女性が泥に靴を取られて泣いている。

これは実際にあったもので、藤沢は、以後そのようなことがないように、何かを始める時には、必ず万全の準備が整ってから、公開することにしようと決意したという。

そのため、帰りのお客さんの顔を見て、満足してもらえたか、つまらなかったのかを判断するようにしているとのこと。

生産企業は生産企業なんですから、為替差益なんかで金儲けをしちゃいけない。だから、私は本業以外のもので金儲けをしてはいけないという原則を、本田技研でつくってしまったのです。本田技研は本業で金儲けをする。(P.69「三、本業以外に手を出すな」)

土地の購入や投機などをしなかったホンダ。生産企業として、つくった商品で儲けることで、技術者や現場の人たちも誇りを持てる。

そうすることで、情熱を持って仕事に励むことができる。

本業以外で儲けようとしてはいけない。状況によっては、苦しい時期もあるかもしれないが、本業しかないと思うことで、自らの力で会社を何とかしようと従業員が努力をする。

藤沢武夫は、個人でも株の取り引きなどはしなかったようだ。お金に関して、常に身ぎれいでいることで、まわりの人たちが安心して、ついてきてくれるとも。

世の中には万物流転の法則があり、どんな富と権力も必ず滅びるときが来る。しかし、だからこそ本田技研が生まれてくる余地があった。だが、この万物流転の掟があるかぎり、大きくなったものもいずれは衰えることになる。その掟を避けて通ることができるかどうかを勉強してもらいたいということなのです。(P.90「四、万物流転の法則」)

ここでは、技術者たちにコスト意識を持ってもらうように指導したという話。立場や地位が上がると、より重要になってくるお金について知識。

大きくなったものは、いつか衰退してしまう。それを防止するために、技術者にも、お金の流れについて、つまり経理、さらに経営についても知っておいてもらいたいとの思いがあった藤沢武夫。

技術や工場の効率面は、本田宗一郎が担当。藤沢武夫は、お金や販売の担当。そして、会社をより良くするために、現場の人たちにも、お金について勉強をしてもらったということ。

そこで、複数の知恵を集めれば、本田一人よりもプラスになる。本田宗一郎の持っている力よりもレベルの高い判断力が生まれる。そういう体制をつくらなければならないのです。これまでのところ、ホンダは、そうしてきました。(P.102「五、経営者の心構え」)

いつか落ちる時がくる。本田宗一郎が死んでしまった場合など。そのための対応策が必要。

本田宗一郎を、一人でまかなえる人間などいない。というよりも、その必要もない。

複数の人間によるレベルの高い判断ができる体制や仕組みを整えることが大切だという話。

また後半では、本田宗一郎は特別な人間。彼のような人物を育てるのは無理とも。

貸さないところに借りに行くバカはいない。貸すようにさせてから借りに行くのが原則です。銀行というのはそんなにレベルの高い商売じゃありません。企業の先が見えるくらいだったら、銀行屋などやっていませんよ。(P.148「七、たいまつは自分で持て」)

三菱銀行との取り引きを始めていたホンダ。借金をしたのは、取り引きの開始から4年後の頃。

しかも、会社の危機だからというわけではなく、借り入れをして、結び付きを強めておこうという判断。

そもそも、借金をしていないので、立場は対等。また藤沢武夫は、三菱銀行に対して、ホンダのことを包み隠さずにさらけ出したという。

全てを知っていれば、銀行も正確な判断ができる。そして、絶対の信頼が構築される。

その後も、主力銀行である三菱銀行に、ホンダのお金の流れが分かるような形で関係は継続。これがとても重要であると説く。

いくつもの銀行を相手にしないで済むし、取り引きも第三者である三菱銀行からの意見も聞けて安心。手間も省けて、効率的であると。

藤沢武夫の経営信条は、すべてをシンプルにするということ。

“たいまつは自分で持て”
と私はしばしばいってきました。これは、人から教わったり、本で読んだ知識ではなく、自分の味わった苦しみから生まれた実感なのです。どんなに苦しくても、たいまつは自分の手で持って進まなければいけない。これが私の根本の思想であり、また、ホンダのモットーともなりました。(P.161「七、たいまつは自分で持て」)

“たいまつは自分で持て”という藤沢武夫の言葉。

なかなか有名で、実際に藤沢武夫の著書に同様のタイトル『松明は自分の手で』というものがPHP研究所から出ているくらい。

事業のお金や販売網など、さまざまにおいて、誰か別の人のものを利用しないこと。自分で、完成品をつくり上げなくてはならないということ。

誰かのものを利用していると、有事の時に、身動きが取れなくなる場合がある。また効率や能率といった問題も。主導権は、常に自分で握っていられるようにするということ。

感想

最初のページには、作家・五木寛之の文章がある。藤沢武夫がいかに魅力的な人物であるかというもの。

もともと藤沢武夫を何で知ったのか覚えていない。

経営者の誰かがオススメしていた本なのかもしれない。もしくは、五木寛之の小説やエッセイは好きだったので、そこで登場したのかもしれない。

ホンダといえば、本田宗一郎が強烈なスポットライトが当たる。ただ、藤沢武夫も、ビジネススクールなどでは、名参謀として、取り上げられている人物。

文化芸術にも詳しく、歌舞伎役者・中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、1909年~1988年)や作家・谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)どの交流も。

本書では、最初にも引用した浜松や名古屋の地域との離別と東京への進出は、なかなか衝撃的というか、印象に残った。

当時でも、それなりに有名であったのに、賛同者というか、協力者がいなかったというのは、不思議な感じがする。

あとは、やはり“たいまつは自分で持て”という言葉の重み。自分もしっかりと自分の足で立ち、松明を自分の手で持ち、自分の道を歩んでいきたいと改めて思った。

経営に関するさまざまな分野について、実体験を基に書かれているので、とても読みやすく、また読み応えもある。ホンダの歴史についても学べる。

経営の根幹、技術と経営、組織づくり、体制づくり。

そして、藤沢武夫という生き方。藤沢武夫を通した本田宗一郎などなど。さまざまな視点で味わえる。

エッセイでもあり、ノンフィクションでもあり、いろいろと楽しめるオススメの本である。

書籍紹介

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