- デジタルの成功の鍵
- データと戦略の優位性
- コンテンツと経済の現実
- 幻想と危機と対抗手段
マシュー・ハインドマンの略歴・経歴
マシュー・ハインドマン(Matthew Hindman)
政治学者。大学教授。
ウィラメット大学で学士号を取得。プリンストン大学で政治学の博士号を取得。
著書に『The Myth of Digital Democracy』(2009年、プリンストン大学出版局)もある
『デジタルエコノミーの罠』の目次
謝辞
第1章 関心経済を見直す
第2章 傾いた土俵
第3章 パーソナル化の政治経済学
第4章 サイバー空間の経済地理学
第5章 ウェブトラフィックの動学
第6章 同じモノがさらに少なく ― オンライン地方ニュース
第7章 ニュースの粘着性を高めるには
第8章 インターネットの「自然」
訳者解説
データ、手法、モデルに関する補遺
原註
参考文献
索引
『デジタルエコノミーの罠』の概要・内容
2020年11月20日に第一刷が発行。NTT出版。348ページ。ソフトカバー。127mm✕188mm。四六判。
副題は「なぜ不平等が生まれ、メディアは衰亡するのか」。
原題は『The Internet Trap: How the Digital Economy Builds Monopolies and Undermines Democracy』で、2018年9月25日に刊行。
訳者は、コンサルタント、評論家、翻訳家の山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)。
東京都の生まれ。麻布中学校・高等学校を卒業。東京大学工学部都市工学科を卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程を経て、野村総合研究所の研究員に。
マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程を修了。
『デジタルエコノミーの罠』の要約・感想・書評
- インターネットの「不都合な真実」を暴く一冊
- デジタル世界の成功を左右する「粘着性」
- サイトの生死を分ける「表示速度」という現実
- なぜ我々は同じブランドを選び続けるのか?
- 最強の武器はアルゴリズムより「データ」
- 勝者を生む「バンドリング」という戦略
- なぜネットには低品質な記事が溢れるのか
- 多様化しないデジタルコンテンツの現実
- 拡大し続けるインターネット経済の勝者総取り
- アクセス解析の数字に潜む「見せかけ」
- 衰退するオンライン地方ニュースの行く末
- 動画シフトはメディアを救う戦略ではない
- ウェブサイト成功のための不変の真理
- 我々が抱くインターネットの幻想と現実
インターネットの「不都合な真実」を暴く一冊
インターネットは、誰もが平等に情報を発信し、誰もが成功のチャンスを掴める広大なフロンティアである。私たちは、そう信じてきた。
しかし、その楽観的なイメージは、果たして現実を正しく映し出しているのだろうか。
本書『デジタルエコノミーの罠 なぜ不平等が生まれ、メディアは衰亡するのか』は、その心地よい幻想を、膨大なデータと冷徹な分析によって根底から覆す一冊である。
著者は、政治学者であるマシュー・ハインドマン(Matthew Hindman)。プリンストン大学で政治学の博士号を取得した気鋭の研究者だ。
翻訳は、数々の名著を日本に紹介してきた評論家であり翻訳家の山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)が手掛けている。
彼の翻訳によって、原著の鋭い洞察が、より一層鮮やかに私たちの前に立ち現れる。
本書が描き出すのは、私たちの直感や理想とはかけ離れた、デジタル世界の「リアル」である。
そこでは、自由で開かれた競争ではなく、圧倒的な勝者による独占と、構造的な不平等が支配している。
この記事では、本書『デジタルエコノミーの罠』で示された衝撃的な事実の数々を、引用を交えながら深く掘り下げていく。
あなたがもし、ウェブの世界で何かを成し遂げたいと考えているならば、本書が示す「不都合な真実」は、必ずや強力な羅針盤となるはずだ。
デジタル世界の成功を左右する「粘着性」
ウェブサイトやオンラインサービスが成功するために、最も重要な要素とは何だろうか。デザインの美しさか、コンテンツの質か、それとも革新的な機能か。
著者のマシュー・ハインドマンは、それら全てを包含する概念として「粘着性(stickiness)」の重要性を説く。
粘着性とは、単にユーザーをサイトに呼び込む力だけを指すのではない。
いかにユーザーを引きつけ、長く滞在させ、そして何度も繰り返し訪れてもらうか、という総合的な能力のことである。この粘着性のわずかな差が、やがて天と地ほどの格差を生むことになる。
デジタル世界での生き残りは、粘着性(stickiness)に左右される――企業が利用者を引きつけ、長く滞在させ、何度も繰り返し戻ってこさせる能力だ。粘着性は、永続複利のインターネット利率のようなもので、初期の成長におけるわずかな優位性が、巨大な長期ギャップにつながる。粘着性のちがいは累積するのではなく、累乗されるのだ。(P.10「第1章 関心経済を見直す」)
ここで重要なのは、粘着性の効果が「累積」ではなく「累乗」されるという点だ。
つまり、その差は足し算ではなく、掛け算で、指数関数的に開いていく。
最初に少しだけ優位に立ったサイトが、そのアドバンテージを雪だるま式に大きくし、最終的には他の追随を許さない独占的な地位を築く。
これが、デジタルエコミーの罠の根幹にある勝者総取りのメカニズムなのである。
私たちが日常的に使う検索エンジンやSNS、ECサイトを思い浮かべてみれば、この現実は明らかだろう。
一度トップに立ったサービスは、さらに多くのユーザーとデータを集め、その力でサービスを改善し、さらに粘着性を高めていく。
この正のフィードバックループから抜け出すことは、極めて困難なのだ。
サイトの生死を分ける「表示速度」という現実
では、その重要な「粘着性」を高めるためには、具体的に何が必要なのだろうか。
本書は、多くの人が見過ごしがちな、しかし決定的に重要な要素を指摘する。それが、ウェブサイトの「応答速度」である。
私たちは、クリックしてからページが表示されるまでのわずかな時間を、ほとんど意識することはないかもしれない。
しかし、そのコンマ数秒の遅れが、ユーザーの行動に絶大な影響を与え、サイトの運命を左右するという。
本書のはじめに示したとおり、サイトの応答性のわずかな差でも、トラフィックの大きな差を生み出す。マリッサ・メイヤーの言うように「速度こそが最も重要な機能」なのだ。(P.43「第2章 傾いた土俵:アーキテクチャの優位性」)
ここで名前が挙がっているマリッサ・メイヤー(Marissa Ann Mayer、1975年~)は、Googleの元副社長であり、Yahoo!のCEOも務めたアメリカのIT業界を代表する実業家である。
検索の巨人であるGoogleを初期から支えた彼女が、「速度こそが最も重要な機能」と断言している事実は重い。
どんなに優れたコンテンツやデザインも、ユーザーが待ってくれなければ意味がない。
速度は、他の全ての要素の土台となる、必要不可欠な基盤なのである。この事実は、ウェブサイト運営者にとって厳しい現実を突きつける。
サーバーの性能、画像の最適化、コードの簡潔さなど、技術的な投資と最適化を怠ったサイトは、ユーザーが知らず知らずのうちに離脱し、粘着性を失っていく。
デジタルエコノミーの競争は、私たちがページを読み込むのを待つ、その一瞬で既に始まっているのだ。
なぜ我々は同じブランドを選び続けるのか?
インターネットは情報の海であり、私たちは無数の選択肢の中から自由に商品やサービスを選べるはずだった。
しかし、実際にはどうだろうか。私たちは特定のECサイトで買い物をし、特定のニュースサイトを読み、特定のブランドの製品を買い続けてはいないだろうか。
この現象の裏には、「経験財」と「探索費用」という経済学の概念が深く関わっている。経験財とは、実際に使ってみなければその品質が分からない商品のことだ。
そして、新しい商品を試すためにかかる時間や手間のことを探索費用と呼ぶ。
経験財は強い惰性を生み出すことが多い。消費者はそこで、強いブランド忠誠心をもつようになる。事前に品質を判断するのがむずかしいとき、――つまり探索費用が高いとき――消費者配膳の消費パターンに固執しがちだ。(P.54「第2章 傾いた土俵:広告とブランディング」)
例えば、初めて利用するオンラインストアで買い物をするのは、少し勇気がいる。
本当に商品は届くのか、品質は大丈夫か、個人情報の扱いは安全か、といった不安がつきまとう。これが探索費用である。
一方で、いつも使っている信頼できるサイトであれば、そうした心配なくスムーズに買い物ができ、失敗するリスクも低い。
その結果、私たちは無意識のうちに慣れ親しんだ選択肢に固執し、強いブランドへの忠誠心が生まれるのだ。
これは、一種の「慣性の法則」と言えるかもしれない。
人間は本質的に変化を嫌い、手間を省きたい生き物である。企業側は、この心理を利用し、一度掴んだ顧客を離さないために、一貫した品質の維持と広告によってブランドイメージを強化し続ける。
こうして、デジタルエコノミーにおいても、既存の強いブランドがさらに強くなるという構造が生まれるのである。
最強の武器はアルゴリズムより「データ」
パーソナライゼーション、つまり個々のユーザーに最適化された情報を提供することは、デジタルエコノミーにおける成功の鍵とされている。
その中核を担うのが、膨大なデータを解析する「アルゴリズム」である。多くの企業が、最高のアルゴリズムを開発しようと巨額の投資を行っている。
しかし、本書はネットフリックスが開催した有名なコンペティションの事例を引いて、衝撃的な結論を提示する。
それは、アルゴリズムそのものよりも、元となる「データ」の質と量が、最終的な精度を決定づけるという事実だ。
ネットフリックスのコンペは、きわめて限られた特性群で始まった。単に利用者、映画、採点、その採点の日付だ。精度がぐっと上がったのは、その限られたデータを使い、新しい特性を抽出すうようになってからだ。たとえばその経時効果〔時間が及ぼす影響〕などだ。
ここでの教訓はいささかパラドックスめいている。ネットフリックスは最高のアルゴリズムを見つけるために巨大データセットを公開したが、アルゴリズム自体は結局、データそのものほどは重要でないことが判明したのだ。(P.87「第3章 パーソナル化の政治経済学:ネットフリックスプライズの教訓」)
ネットフリックスは、自社の推薦システムの精度を向上させるため、世界中のプログラマーに匿名化された巨大な視聴履歴データを提供し、賞金をかけて最高のアルゴリズムを募集した。
しかし、最終的に精度を大きく向上させたのは、アルゴリズムの抜本的な革新ではなかった。
提供されたデータから「ユーザーの評価が時間と共にどう変化するか」といった新しい特徴量(特性)を見つけ出し、それを分析に加える工夫だった。
この教訓は極めて重要である。
デジタルエコノミーの勝者である巨大プラットフォーマーたちが持つ真の強みは、外部からは見えない独自のアルゴリズムではない。
日々のサービス提供を通じて蓄積される、他社には真似のできない膨大かつ質の高い「データ」そのものなのだ。
データを持つ者が、結果的にアルゴリズムの競争においても勝利を収めるのである。
勝者を生む「バンドリング」という戦略
デジタルエコノミーの勝者は、しばしば巧みな価格戦略を駆使して市場を支配する。
その中でも特に強力な武器となるのが「バンドリング」である。バンドリングとは、複数の異なる製品やサービスを一つのパッケージとしてセット販売する手法だ。
なぜバンドリングはこれほど効果的なのだろうか。
その秘密の一つは、それが巧妙な「価格差別」として機能する点にある。
企業にとっての理想は、顧客一人ひとりの「これくらいなら払ってもいい」と考える上限額で商品を売ることだが、それを正確に知るのは不可能に近い。
しかし、バンドリングを使えば、それに近い効果を生み出せる。
バンドリングが効くのは、ある意味でそれが一種の価格差別となっているからだ。企業としては、まったく同じ製品について、人々にちがう金額を課したくてたまらない――理想的には、それぞれの消費者の支払い意志額/可能額の上限の値段をつけたい。バンドリングは、平均の法則を活用する。(P.111「第4章 サイバー空間の経済地理学:バンドリングとアグリゲーション」)
例えば、マイクロソフトの「Office」スイートを考えてみよう。
ある人は「Word」に1万円の価値を感じるが「Excel」は不要だと考え、別の人は「Excel」に1万2000円の価値を感じるが「Word」は要らないと考えているかもしれない。
個別に売ると、どちらか一方しか買ってくれない可能性がある。
しかし、「WordとExcelのセットで1万4000円」というバンドル価格を提示すれば、両方の人が「お得だ」と感じて購入する可能性が高まる。
個々の支払い意志額を予測するのは難しくても、セットにすることでより多くの顧客から安定した収益を上げられるのだ。
さらに、バンドリングは新規参入者に対する強力な障壁としても機能する。
この点について、アメリカのビジネス理論家であるバリー・ネイルバフ(Barry J. Nalebuff、1958年~)は鋭い指摘をしている。
バンドリングには他にもメリットがある。バリー・ネイルバフは、バンドリングが競争を抑止すると示唆している。バンドリングにより、新興企業は複数の市場に同時に参入する必要が出てくる――一つだけの市場に参入するよりずっとむずかしい。これは特に、強い規模の経済がある市場について言える。新規の競合企業は効率的になるためには大規模になる必要があり、複数の市場で同時に競争できるほどの規模になるというのは、じつにハードルが高い。(P.112「第4章 サイバー空間の経済地理学:バンドリングとアグリゲーション」)
マイクロソフトに対抗して新しいワープロソフトで市場に参入しようとしても、顧客は表計算ソフトやプレゼンソフトもセットで欲しがるため、結局は「Office」を選んでしまう。
新規参入企業が、これら全ての分野でマイクロソフトと同時に戦うのは、ほとんど不可能に近い。バンドリングは、既存の支配的企業がその地位を盤石にするための、極めて強力な戦略なのである。
なぜネットには低品質な記事が溢れるのか
インターネット上には、玉石混淆、無数のコンテンツが存在する。
私たちは、高品質な情報に簡単にアクセスできるようになったと感じる一方で、内容の薄い、いわゆる「低品質なコンテンツ」の氾濫に辟易することもあるだろう。
なぜ、このような状況が生まれるのか。
本書が提示する経済モデルは、その残酷な現実を解き明かす。
ウェブサイトが利潤を最大化しようとすると、必然的に「低品質なコンテンツの大量生産」へと向かう圧力がかかるというのだ。
規模の経済は量と相関しているのであって、質には関係しない。高品質のコンテンツは、費用はかかるくせに、必ずしも追加の売上を生み出さない。
つまりウェブサイトは、消費者が大量にどうでもいい安手のコンテンツを読むと利潤が最大化される。品質は、競合他社が大頭するのを避ける程度の高さで十分だ――それ以上にする意味はない。読者の時間予算が大きいなら、ウェブサイトは大量の低賃金ライターを雇おうとする。要するに、このモデルはこの段階ですでにコンテンツミル〔低品質のコンテンツを濫発するサイト〕の論理をつくり出したわけだ。(P.123「第4章 サイバー空間の経済地理学:デジタルコンテンツ生産の簡単なモデル」)
これは衝撃的な指摘である。
ウェブサイト運営者の視点に立つと、一本の高品質な記事に時間とコストをかけるよりも、そこそこの品質の記事を安価に、そして素早く大量に生産した方が、全体のトラフィックと広告収入を最大化できる場合が多い。
なぜなら、ユーザーの時間は有限であり、彼らがサイトに滞在する「粘着性」は、記事一本一本の質よりも、むしろ更新頻度やコンテンツの量によって担保される側面があるからだ。
品質は、ユーザーが「ここはもう見なくていいや」と見切りをつけない、最低限のレベルを維持すれば十分。
それ以上の品質向上は、コストに見合うリターン(追加の売上)を生まない。
この論理が、ウェブ上に低賃金で雇われたライターによる「コンテンツミル」が跋扈する背景となっている。
質の高いジャーナリズムや深い洞察に満ちた記事が、経済的な合理性の中で駆逐されていくという、デジタルエコノミーの暗い側面がここにある。
多様化しないデジタルコンテンツの現実
インターネットは、個人の趣味嗜好を無限に満たしてくれる「タコツボ化」した世界だと思われがちだ。ニッチな興味を持つ人々が、それぞれ専門的なコミュニティに集い、多様な文化が花開く。
しかし、データが示す現実は、そのイメージとは大きく異なる。
多くのコンテンツ分野において、ユーザーの嗜好は驚くほど多様化しておらず、むしろ少数の巨大なプラットフォームに集中しているのが実態だ、とハインドマンは指摘する。
芸能コンテンツは、相反する面よりは重なりあう面のほうが大きい。民主党支持者も共和党支持者も、スポーツはESPN〔ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のスポーツ専門チャンネル〕で見ている。多くのデジタルコンテンツ分野は、多用な選好があるという証拠をほとんど、いやまったく示さない。(P.125「第4章 サイバー空間の経済地理学:デジタルコンテンツ生産の簡単なモデル」)
政治的な信条が異なる人々でさえ、スポーツ中継を見るときは同じ巨大メディアにアクセスする。
これは、感覚的には意外かもしれないが、非常に重要な事実である。
インターネットが可能にしたのは、選択肢の無限の多様化ではなく、最も強いブランドやプラットフォームへの、より効率的な集約だったのだ。
この「集中」のメカニズムは、先に述べた「粘着性」や「収穫逓増」の法則によって駆動される。
使いやすく、情報が豊富で、多くの人が利用しているサービスは、さらに多くの人を引きつけ、その地位を不動のものにしていく。
デジタル世界は、細分化された無数の村に分かれるのではなく、少数の巨大な帝国によって支配される運命にあるのかもしれない。
拡大し続けるインターネット経済の勝者総取り
デジタルエコノミーは、現代社会において最もダイナミックな成長分野の一つである。
その影響力は、もはや無視できないレベルに達している。そして、その成長の果実は、ごく一部の勝者に集中していく「収穫逓増」の法則に強く支配されている。
だがもっと広い視点からすると、収穫逓増革命は空前の重要性を持つようになっている。インターネット経済はいまや先進諸国の経済全体の5%以上を占めている。何兆ドツもの規模をもつデジタル経済は、いまだに年率およそ8%で成長しており、これはその他の経済よりはるかに高い成長率だ。経済地理学向けに開発された収穫逓増モデルは、デジタル生活のパラドックスに見える多くの現象を説明してくれる。(P.133「第4章 サイバー空間の経済地理学:デジタル経済での収穫逓増」)
「収穫逓増」とは、生産規模が拡大するにつれて、単位あたりのコストが低下し、利益が加速度的に増えていく現象を指す。
デジタルコンテンツやソフトウェアは、一度開発してしまえば複製コストがほぼゼロに近いため、この法則が極端な形で現れる。
ユーザーが一人増えても、追加のコストはほとんどかからない。
だからこそ、先行して市場を抑えた企業は、後発企業が追いつけないほどのコスト優位性と利益を手にすることができるのだ。
この収穫逓増のメカニズムが、デジタル経済における勝者総取り(Winner-take-all)の構造を決定づけている。
しかも、その経済規模は依然として高い成長率で拡大を続けている。これは、強い者がさらに強くなるというサイクルが、今後も続いていくことを示唆している。
そして、先述の通り、この競争で勝つために求められるのは必ずしも高品質なものではなく、むしろ速度や更新頻度が重要視されるというパラドックスも存在するのだ。
アクセス解析の数字に潜む「見せかけ」
ウェブサイトの成功を測る指標として、「月間ユニークビジター数」や「月間UU(ユニークユーザー)数」といった言葉が頻繁に使われる。
メディアはこぞってこの数字の高さをアピールし、広告主はそれを重要な判断材料と見なす。しかし、本書はこの指標がいかに実態からかけ離れた、浅はかなものであるかを喝破する。
でもじつは、月間観衆到達数は、公査された発行部数とはまったく比較にならないほど浅はかな統計だ。平均的な利用者が30日の間に訪問するサイト数は巨大で、個別の訪問はどれもたいした意味はない。サイトを訪問し、30秒以下しか滞在せず、直ぐに別のところに出ていってしまうような人でも、ビジターとして計上されてしまう。(P.169「第6章 同じモノがさらに少なく ― オンライン地方ニュース:オンライン地方ニュースについてのデータ」)
従来の新聞や雑誌の「発行部数」であれば、それはお金を払って購入した読者の数であり、一定の関与度が保証されていた。
しかし、ウェブサイトの「ビジター数」は、その質が全く問われない。
誤ってリンクをクリックしただけの人、ページを開いてすぐに「戻る」ボタンを押した人、タイトルに釣られたものの内容に興味を持てなかった人、その全てが1ビジターとしてカウントされてしまう。
滞在時間が30秒にも満たないような訪問に、どれほどの価値があるだろうか。
そのユーザーは、サイトのコンテンツをほとんど読んでおらず、広告にも目を通していない可能性が高い。
にもかかわらず、見かけ上の数字だけが膨れ上がり、あたかも多くの人に支持されているかのような錯覚を生み出す。
ウェブマーケティングやメディア運営に関わる者は、こうした「見せかけの数字」に惑わされることなく、滞在時間や再訪率といった、より本質的なエンゲージメントを示す指標に目を向ける必要があるのだ。
衰退するオンライン地方ニュースの行く末
インターネットの登場は、地方のメディアにとって大きなチャンスだと思われていた。
地理的な制約から解放され、全国、いや全世界に情報を発信できる。地域の人々は、地元のニュースサイトを熱心に訪れるようになるはずだった。
しかし、現実は非情である。
ウェブ全体のトラフィックの中で、ニュースサイトが占める割合自体がごくわずかであり、そのほとんどは全国規模の大手ニュースサイトに流れてしまう。
地方のニュースサイトにたどり着くユーザーは、誤差の範囲と言えるほどに少ないのだ。
この広い背景の中で、ニュースサイトはウェブトラフィックの3%ほどしか得ていない。さらにひどいことに、その観衆のほぼすべては地方ニュース組織ではなく、全国ニュースサイトに向かう。第6章で示したように、ニューストラフィックたったの6分の1――全体の0.5%ほど――しか地方ニュース源には行かない。(P.208「第7章 ニュースの粘着性を高めるには」)
引用の前に述べられている「広い背景」とは、ウェブ利用者がグーグルやフェイスブック、YouTube、ECサイト、ポルノサイトなどで大半の時間を費やしているという現実を指す。
その限られた可処分時間の中で、わざわざニュースを読もうとする人は少なく、その中でも地方ニュースを選ぶ人はさらに少ない。
試算によれば、地方ニュースサイトへのトラフィックは全体のわずか0.5%に過ぎない。
さらに、このトラフィックは地方新聞のサイトと地方テレビ局のサイトに分割されるため、一つあたりの割合は0.25%となる。
つまり400分の1という、とてつもなく小さなパイの奪い合いとなる。
これは、地方ジャーナリズムの存続にとって極めて深刻な事態である。
地域社会に不可欠な情報を届ける役割を担う地方メディアが、デジタルエコノミーの中で経済的に立ち行かなくなっている。
インターネットは、情報の多様性を促進するどころか、中央への一極集中を加速させ、地域の声をかき消しているのかもしれない。
動画シフトはメディアを救う戦略ではない
文字コンテンツの不振に直面した多くのニュースサイトが、起死回生の策として「動画への転回(Pivot to Video)」に活路を見出そうとした時期があった。
テキストよりも動画の方がユーザーを引きつけ、広告単価も高いと考えられたからだ。しかし、この安易な戦略は、多くの場合、成功するどころか事態をさらに悪化させた。
つまり動画への転回は成長促進戦略ではない。転回を行ったサイトの多くは、観衆が激減している。もっとひどことに、すでに見たとおり、こうした観衆喪失は1回限りではすまい。動画への転回が粘着性を下げたら、損失は時間とともに雪だるま式にふくれあがる。(P.225「第7章 ニュースの粘着性を高めるには:解決策もどき」)
なぜ動画への転回は失敗したのか。理由の一つは、ユーザー体験の悪化である。
多くのサイトが導入した動画の自動再生は、ユーザーにとっては迷惑なものでしかない。データ通信量を消費し、ページの読み込みを遅くし、静かに記事を読みたいユーザーの邪魔をする。
結果として、ユーザーはサイトから離れてしまい、重要な「粘着性」が低下する。
そして、粘着性の低下がもたらす影響は、一度きりの観衆喪失では終わらない。冒頭で述べたように、粘着性の差は「累乗」で効いてくる。
一度失われた信頼と評判を取り戻すのは極めて困難であり、損失は時間と共に雪だるま式に膨れ上がっていく。流行に飛びついて本質を見失うことが、いかに危険であるかを物語る教訓である。
ウェブサイト成功のための不変の真理
では、デジタルエコノミーの厳しい現実の中で、ウェブサイトが生き残り、成功を収めるためには、一体何に注力すべきなのだろうか。
本書は、様々な研究データを基に、いくつかの普遍的な真理を提示している。その筆頭に挙げられるのが、やはり「速度」である。
ウェブトラフィック研究すべてにおいて最も一貫性ある知見は、読み込み時間が速いとトラフィックが増える、というものだ。何十もの研究が、この結果を各種サイトや多様な範疇のコンテンツで再現している。10分の1秒でも遅れるとトラフィックが減ると示されている。(P.227「第7章 ニュースの粘着性を高めるには:デジタル観衆と粘着性――何が成功する?」)
速度は命。
この単純明快な事実が、あらゆる研究で繰り返し証明されている。
次に重要なのが、サイトのデザインとレイアウトである。それは単に見た目の美しさだけの問題ではない。
速度以外だと、サイトデザインとレイアウトがサイトのトラフィックと購買決定に大きな影響を与える。こうした効果の一部は、単純な審美的理由からくるのかもしれない。だがドラフィック構築にデザインをことさら重要にしている他の要因もある。
一部の研究分野では、サイトデザインとレイアウトがサイトの品質と信頼度の代理指標になっていることを示している。(P.228「第7章 ニュースの粘着性を高めるには:デジタル観衆と粘着性――何が成功する?」)
優れたデザインは、ユーザーに安心感と信頼感を与える「品質の証」として機能する。
情報が探しやすいナビゲーションは、サイト内での回遊を促し、再訪意欲を高める。
そして、コンテンツそのものの工夫も欠かせない。特に重要なのが「見出し(タイトル)」と「リード文」である。
新聞はまた、すでに生産しているコンテンツをもっとうまく活用するだけで、大幅な進歩を遂げられる。特に、見出しの検定とリード文の改善は、トラフィック激増につながる。
アップワージー、バズフィード、ハフィントン・ポストといった成功した新興オンラインメディアで他と最もちがっているのは、編集者たちが見出しをつけるのにどれほど時間をかけるか、ということだ。(P.231「第7章 ニュースの粘着性を高めるには:デジタル観衆と粘着性――何が成功する?」)
成功しているオンラインメディアは、読者の関心を引き、クリックしてもらうための見出し作りに、膨大な時間と労力をかけている。
A/Bテストを繰り返して最適な見出しを探求する。この地道な努力こそが、トラフィックを激増させる鍵なのだ。
速度、デザイン、そして見出し。
これらは、小手先のテクニックではない、サイトの価値を根本から支える不変の真理と言えるだろう。
我々が抱くインターネットの幻想と現実
本書を読み通して突きつけられるのは、私たちが抱いてきた「空想のインターネット」と、データが示す「現実のインターネット」との間にある、あまりに大きなギャップである。
私たちはインターネットを、誰もが平等で、多様な声が響き合い、ニッチな関心が満たされる理想郷のように思い描いてきた。
しかし、現実はそうではなかった。そこは、粘着性と収穫逓増の法則が支配する、勝者総取りの経済圏だった。
空想のインターネットと現実のインターネットとのギャップは、強調部分の差や、楽観的な論調や、レトリックの華やかさにとどまらない。本書が示したとおり、この二つのインターネットを混同することで、基本的な事実の誤解が引き起こされるのだ。(P.252「第8章 インターネットの「自然」」)
この「事実の誤解」は、個人から企業、そして社会全体に至るまで、様々なレベルで戦略の誤りを引き起こす。
根拠のない楽観論に基づいてウェブビジネスを立ち上げても、厳しい現実に打ちのめされるだけだ。
幻想に囚われたままでは、デジタルエコノミーがもたらす不平等やメディアの衰退といった深刻な問題に、正しく対処することもできない。
重要なのは、思い込みや理想論を一旦脇に置き、データが示す冷徹な事実を直視することである。
本書『デジタルエコノミーの罠』は、まさにそのための最良のテキストだ。なぜ勝者はいつも同じなのか。なぜ格差は広がる一方なのか。
その構造的な要因を理解することこそが、この罠から抜け出すための第一歩となる。
総論:思い込みを捨て、現実と向き合うための必読書
マシュー・ハインドマンの『デジタルエコノミーの罠』は、私たちがインターネットに対して抱いていた、漠然とした理想像や思い込みを、容赦なく打ち砕いてくれる一冊だった。
しかし、それは決して悲観的なだけの読書体験ではない。むしろ、目の前の霧が晴れ、進むべき道筋が明確になるような、知的な興奮に満ちている。
本書が繰り返し強調するのは、思い込みや感覚論ではなく、データに基づいた事実を正しく観察することの重要性である。
粘着性、応答速度、バンドリング、収穫逓増といったキーワードを通じて解き明かされるデジタル世界の力学。
その力学は、インターネットに関わる全てのビジネスパーソン、マーケター、クリエイターにとって、自らの戦略を見直す上で欠かせない視点を提供してくれる。
そして、この難解になりがちなテーマを、明快かつ刺激的に読ませる山形浩生の翻訳の見事さも特筆すべきだろう。
彼の訳文は、本書の価値を日本の読者にとって何倍にも高めている。
デジタルエコノミーの罠は、知らなければ確実に足をすくわれる、巧妙で強力なものだ。しかし、その仕組みを理解し、事実を冷静に分析すれば、対策を練ることも可能になる。
本書は、そのための思考の武器を与えてくれる。インターネットという現代社会の巨大なインフラと、どう向き合っていくべきか。
その答えを探す全ての人に、強く推薦したい。
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ウィラメット大学
ウィラメット大学(Willamette University)は、アメリカ合衆国オレゴン州セーラム市にある1842年に設立の私立大学。
公式サイト:ウィラメット大学
プリンストン大学
プリンストン大学(Princeton University)は、ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカの私立大学。1746年に創立。アイビー・リーグの一つ。
公式サイト:プリンストン大学