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吉川洋『ケインズ 時代と経済学』要約・感想

吉川洋『ケインズ 時代と経済学』表紙

  1. ケインズの多才な知性
  2. 思想の現代的意義
  3. 本書の読みやすさと魅力
  4. ケインズから学ぶ姿勢

吉川洋の略歴・経歴

吉川洋(よしかわ・ひろし、1951年~)
経済学者。
東京都の生まれ。東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現在の筑波大学附属駒場中学校・高等学校)、東京大学経済学部経済学科を卒業。
イェール大学で経済学の博士号を取得。専攻はマクロ経済学。

ジョン・メイナード・ケインズの略歴・経歴

ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883年~1946年)
経済学者、ジャーナリスト、貴族、投資家。
イングランドのケンブリッジ出身。イートン・カレッジを経て、ケンブリッジ大学キングス・カレッジで数学を専攻して卒業。学業優秀で両校ともに奨学金を得ている。
卒業後、インド省に入省。ケンブリッジ大学キングス・カレッジの研究員。大蔵省に入省。
代表作に『雇用・利子および貨幣の一般理論』(原題は『The General Theory of Employment, Interest and Money』)など。

『ケインズ 時代と経済学』の目次

まえがき
Ⅰ エコノミスト誕生
Ⅱ 第一次世界大戦
Ⅲ 『貨幣論』まで
Ⅳ 『一般理論』
Ⅴ 五十年の後
読書案内

『ケインズ 時代と経済学』の概要・内容

1995年6月20日に第一刷が発行。ちくま新書。206ページ。

題名は『ケインズ』。副題は「時代と経済学」。

『ケインズ 時代と経済学』の要約・感想

  • 知性の輝き:ケインズと日本古典の共鳴、非凡なる才能の源流
  • 第一次世界大戦とケインズの多面性:芸術への愛と実践的才覚
  • 『一般理論』:旧き殻を破る知的格闘と現代への示唆
  • 物質的豊かさの先にあるもの:ケインズの究極のヴィジョン
  • 現代に生きるケインズの知恵:本書が照らし出す道

本書『ケインズ 時代と経済学』は、現代日本を代表する経済学者の一人である吉川洋(よしかわ・ひろし、1951年~)による著作である。

題名の通り、20世紀において世界に最も大きな影響を与えた経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883年~1946年)を描いている。

その生涯、その輝かしい思想、そして彼が生きた激動の時代を、深い洞察と現代的な視点から鮮やかに描き出した記念碑的労作である。

ケインズ経済学と聞くと、数式や専門用語が飛び交う難解な世界を想像するかもしれない。

しかし、本書を紐解けば、ケインズという一人の人間が持つ類稀なる魅力や、彼の思想が今なお現代社会に鋭く投げかける普遍的な問いに触れることができ、知的好奇心を大いに刺激されるはずだ。

知性の輝き:ケインズと日本古典の共鳴、非凡なる才能の源流

著者の吉川洋は、本書の冒頭、プロローグにおいて、自身がオックスフォード大学に滞在していた折の印象的な経験から筆を起こしている。

それは、オックスフォード大学日本学研究所の新棟起工式でのこと。一人の英国人による、日本と英国の文化や精神性について述べたスピーチに深く感銘を受けた。

その場面で、吉川は平安時代の偉大な歌人であり、『古今和歌集』の仮名序を執筆したことでも知られる紀貫之(きのつらゆき、872年頃~945年頃)の言葉を静かに引用する。

『古今集』の序で紀貫之は、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」るものこそが歌だと云っているが、真の知性とはこのようなものではあるまいか。(P.14「Ⅰ エコノミスト誕生」)

この一節は、単に美しい修辞に留まらない。

本書が目指すものが、ケインズという経済学者の業績を乾燥した事実として列挙することではなく、彼のうちに燃え盛っていた「真の知性」が持つ深遠な力を。

そしてその知性が時代や文化の壁を軽々と乗り越えて、後世の人々の心をも動かし、社会を根底から揺るがすほどの変革をもたらす様を描こうとしていることを、読者に強く予感させるのである。

吉川洋自身の深い学識と日本文化への造詣が自然と滲み出るこの導入は、我々読者をケインズの豊潤な知的世界へと誘う、実に見事な序章と言えるだろう。

経済学者が人文科学、特に古典文学に深い造詣を持つことは、決して稀有な例ではない。

例えば、日本におけるマルクス経済学の泰斗、向坂逸郎(さきさか・いつろう、1897年~1985年)も、その著書『資本論入門』のなかで、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644年~1694年)について触れている。

そして、ジョン・メイナード・ケインズその人もまた、そのような広範かつ深遠な知性と、まさに「神童」と呼ぶにふさわしい圧倒的な学才の持ち主であったことは、彼の輝かしい経歴が雄弁に物語っている。

イギリスで最も権威あるパブリックスクールの一つである名門イートン校から、世界の知の殿堂ケンブリッジ大学キングス・カレッジへと進学したケインズは、特に数学の分野でその比類なき才能を遺憾なく発揮した。

イートン校在学中から、彼は数学のみならず、古典や歴史といった幅広い科目で群を抜く優秀な成績を修め、数学においては最高の栄誉とされるトムライン賞(Tomline Prize)を受賞している。

驚くべきことに、彼はイートン校でもキングス・カレッジでも、その学費の大部分を奨学金によって賄っており、彼の卓越した知的能力は、幼い頃から周囲の誰もが認めるところであった。

現代社会を生きる我々にとっても、ケインズが示したような鋭い数学的思考力や厳密な論理的思考能力は、どのような分野に進むにせよ、複雑な問題を解きほぐし、新たな価値を創造していく上で極めて重要な武器となることは論を俟たないだろう。

彼の知性は、単に試験で高得点を取るためだけの能力ではなく、現実世界の問題に対する深い洞察力と結びついていたのである。

第一次世界大戦とケインズの多面性:芸術への愛と実践的才覚

ケインズの非凡な知性は、象牙の塔と呼ばれる学問の世界だけに留まるものではなかった。

彼は、20世紀初頭のヨーロッパ社会を根底から揺るがした第一次世界大戦(1914年~1918年)という未曾有の激動の時代を生き、理想論を唱えるだけでなく、現実の国家政策の立案と実行にも深く関与していくことになる。

特に、大戦後のパリ講和会議に英国大蔵省の首席代表として参加した経験は、彼のその後の思想形成、とりわけ国際経済や戦後復興に関する考え方に決定的とも言える大きな影響を与えた。

戦勝国、特にフランスが主張したドイツに対する天文学的な額の賠償金要求が、敗戦国ドイツの経済を破綻させるだけでなく、ヨーロッパ全体の経済的混乱を招き、ひいては将来の新たな国際紛争の火種となることを見抜いていたケインズは、この過酷な要求に真っ向から強く反対した。

しかし、彼の先見性ある主張は会議の場では受け入れられず、失意のうちに代表を辞任。

その直後に、その義憤と警世の思いを込めて執筆したのが、彼の名を一躍世界に知らしめることになった『平和の経済的帰結』(1919年)である。

この著作は、その預言的な内容と痛烈な批判精神によって、国際的に大きな反響を呼び、ケインズは若くして時代の預言者として注目される存在となった。

本書『ケインズ 時代と経済学』は、そうしたケインズの公人としての大局的な活動を描写すると同時に、彼の人間的な深みや、意外なほど豊かな芸術への深い関心にも光を当てている点が非常に興味深い。

このオークションでケインズ自身もセザンヌの静物画を買った。ケインズの絵画コレクションの第一号である。生涯絵画を愛したケインズのコレクションを、われわれは現在ケンブリッジ大学の美術館で見ることができる。(P.68「Ⅱ 第一次世界大戦」)

これは、第一次世界大戦が終結して間もない頃のフランスにおいて、敵国であったドイツ人収集家の貴重な絵画コレクションが接収され、オークションにかけられた際の逸話である。

ケインズは英国政府の資金を使って、ナショナル・ギャラリーのためにエドガー・ドガ(Edgar Degas、1834年~1917年)や、エドゥアール・マネ(Édouard Manet、1832年~1883年)といった印象派の傑作を買い付ける。

また私財を投じてポール・セザンヌ(Paul Cézanne、1839年~1906年)の静物画を購入した。これが、彼の生涯にわたる絵画コレクションの記念すべき第一号となった。

ケインズは、作家リットン・ストレイチー(Lytton Strachey、1880年~1932年)、小説家ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf、1882年~1941年)、その姉で画家のヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell、1879年~1961年)、同じく画家のダンカン・グラント(Duncan Grant、1885年~1978年)らと交流を持った。

そして、当時イギリスの文化・思想界をリードした「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる前衛的な芸術家や、知識人たちと生涯を通じて親密な交友関係を結び、芸術、特に近代絵画に対する深い愛情と鋭い審美眼を培っていった。

彼のコレクションは、現在、母校ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム美術館に大切に収蔵されており、その質の高さと幅広さは、専門家をも唸らせるほどのものである。

経済学者としての冷徹なまでの鋭敏な分析力と、芸術を心から愛し、その価値を深く理解する豊かな感性を、ケインズは一人の人間の中に見事に同居させていた。さらに驚くべきことに、彼は現実世界における実際的な経済感覚にも極めて優れていたのである。

大学からの給料は文字どおり細々としたものだったのである。しかし投機によりケインズは莫大な資産を成した。彼の資産は一九二四年に既に五万七〇〇〇ポンド、ピークである三七年には五〇万ポンドに達した。(P.77「Ⅱ 第一次世界大戦」)

ケインズは、ケンブリッジ大学のフェロー(研究員)としての給与は決して高額ではなかったが、その卓越した知性と先見性を駆使して、株式投資や為替投機、商品相場などで目覚ましい成功を収め、莫大な個人資産を築き上げた。

彼はアカデミズムの静謐な世界に安住することなく、現実経済の荒波が渦巻くダイナミズムの中で自らリスクを取り、実践し、そして大きな成功を収めたのである。

彼の父ジョン・ネヴィル・ケインズ(John Neville Keynes、1852年~1949年)もケンブリッジ大学の著名な経済学者であり、比較的恵まれた中流階級の家柄ではあった。

だが、それに甘んじることなく、自らの才覚と努力によって確固たる経済的基盤を確立した事実は、ケインズという人物の独立心と実践力を如実に示すものである。

また彼の経済思想における「不確実性」や「期待」の役割の重視といった側面に、少なからぬ影響を与えた可能性も否定できない。

『一般理論』:旧き殻を破る知的格闘と現代への示唆

ジョン・メイナード・ケインズの名を経済学の歴史、いや20世紀の思想史において不朽のものとした著作こそ、1936年に満を持して世に送り出された主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』(通称『一般理論』)である。

この記念碑的著作が生まれた背景には、1929年のウォール街大暴落に端を発し、瞬く間に全世界を覆い尽くした未曾有の世界恐慌があった。

数百万、数千万というおびただしい数の失業者が巷に溢れ、工場は操業を停止し、農産物は買い手がつかずに打ち捨てられるという惨状が、先進資本主義国で現出したのである。

この深刻な経済危機に対して、それまで経済学の主流を占めていた「古典派経済学」あるいは「新古典派経済学」と呼ばれる学派は、有効な説明も具体的な処方箋も提示することができなかった。

彼らは、フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイ(Jean-Baptiste Say、1767年~1832年)が唱えた「供給は自ら需要を創り出す」(セイの法則)という命題を金科玉条とし、市場メカニズムの自動調整機能によって経済は常に完全雇用に向かうと楽観的に説いていた。

だが、現実には、大量かつ長期的な非自発的失業が頑として存在し続けていた。

ケインズは、『一般理論』において、この古典派経済学の理論的前提そのものに根本的な疑問を投げかけ、その非現実性を鋭く批判した。

彼は、経済全体の有効需要、つまり実際に貨幣的支出に裏付けられた需要の水準が、生産量と雇用量を決定すると主張し、特に不況期においては、有効需要が不足することによって大量の失業が発生し得ると論じた。

そして、このような状況下では、古典派の常套手段である賃金を引き下げることはデフレを悪化させ、事態をさらに深刻にするだけであり、政府が公共投資などの財政政策を通じて積極的に有効需要を創出し、経済を刺激する必要があると説いたのである。

この「有効需要の原理」や、政府支出がその支出額以上の経済効果を生み出す「乗数効果」といった概念は、現代のマクロ経済学の根幹をなすものであり、その後の経済政策に革命的な影響を与えた。

また、「流動性の罠」、つまり金利が極端に低下すると、人々が貨幣を貯め込んでしまい、金融政策が無効になる状態、といった概念も、ケインズが『一般理論』で提示した重要な洞察の一つである。

『一般理論』で展開される新しい経済学の考え方は、まさにコペルニクス的転回とも言うべきものであった。

しかし、ケインズ自身が本書の序文で率直に述べているように、全く新しい独創的な考え方を生み出すこと以上に、長年慣れ親しみ、頭に染み付いた既存の思考の枠組みから抜け出すことの方が、遥かに困難な知的作業であった。

「本書で長々と説明する考え方は、実は非常に単純なことであり、自明とすら言いうるものである。難しさは新しい考え方の中にあるというよりは、われわれが慣れ親しんできた古い理論からいかにして抜け出せるかという所にある。」(P.136「Ⅳ 『一般理論』」)

この言葉は、まさにケインズ自身が、既存の経済学の権威や常識と格闘し、それを乗り越えるためにどれほどの知的エネルギーを注ぎ込んだかを物語っていると言えるだろう。

既存の権威や広く受け入れられた常識に対して、盲目的に従うのではなく、常に批判的な精神を持ち、現実を曇りなき眼で直視し、そこから新たな理論や解決策を構築しようとするケインズの真摯な姿勢は、現代を生きる我々にとっても、学ぶべき点の多い、大いに示唆に富むものである。

社会のあらゆる場面において、私たちは知らず知らずのうちに、過去の成功体験や既成の概念、いわゆる「古い理論」や固定観念に思考を縛られていることがあるのではないだろうか。

そこから意識的に脱却し、新しい視点や柔軟な発想を持つことの重要性と、その困難さを、ケインズの言葉は痛切に教えてくれるのである。

現代社会が直面する地球環境問題への対応の遅れや、急速な技術革新が生み出す社会システムの変化に対する適応の難しさなども、ある意味でこの「古い理論からの脱却の困難さ」の表れと言えるかもしれない。

『一般理論』は、確かにその専門的な内容や独創的な分析手法のゆえに、経済学の予備知識がない読者にとっては、いささか難解に感じられる部分もあるかもしれない。

しかし、その理論的構築物の核心部分に脈打っているのは、目の前で苦しむ人々を救いたいという強いヒューマニズムと、人間社会の複雑な現実に対する深い洞察力である。

本書『ケインズ 時代と経済学』は、そうした『一般理論』が持つ現代的な意義と、その思想の核心を、著者・吉川洋ならではの明晰かつ平易な筆致で解き明かしてくれる、優れた案内書となっている。

物質的豊かさの先にあるもの:ケインズの究極のヴィジョン

ジョン・メイナード・ケインズの深遠な関心は、単に目先の経済変動を安定させ、失業問題を解決するといった短期的な経済政策論だけに留まるものではなかった。

彼は、経済発展の究極的な目標とは何か、すなわち、物質的な豊かさがある程度実現された後に、人類社会は、そして個々人は何を求め、どのような生き方を目指すべきなのかという、より根源的で哲学的な問いにも、その鋭い知性で思索を巡らせていた。

特に彼の晩年において、1930年に発表された「われらの孫たちの経済的可能性(Economic Possibilities for our Grandchildren)」と題する先見性に満ちたエッセイなどで、彼は、将来の物質的に豊かな社会における人間の生き方や価値観について、壮大なヴィジョンを描き出している。

物質的「豊かさ」を実現した後の倦怠と退嬰に代わるものがあるとすればそれは何か。ケインズの頭の中にはっきりと描かれていたヴィジョンは、「書物」と「芸術」であった。(P.200「Ⅴ 五十年の後」)

これは、吉川洋がケインズの思想の核心の一つとして取り上げている、極めて示唆に富む指摘である。

経済的な問題、すなわち食うに困るというような生存のための必要性が解決され、人々が日々の糧を得るためのあくせくとした労働からある程度解放されたとき、人間はその増大した余暇時間をどのように使うべきか、何に価値を見出すべきか。

ケインズは、そこにこそ、文化的な活動、とりわけ良質な書物を読み、深遠な思索に耽ること、そして優れた芸術作品を鑑賞し、美的な感動を味わい、さらには自らも何らかの形で創造的な活動に携わることの決定的な重要性を見出していた。

彼にとって、物質的な豊かさの追求は、あくまで人間がより人間らしい、精神的に充足した質の高い生活を送るための手段であり、それ自体が究極的な目的ではあり得なかった。

その先にある、真に人間的な価値の実現こそが重要であるという、ケインズの深い人間観と文明観がここにはっきりと表明されている。

21世紀の現代社会は、ケインズが生きた時代から比較すれば、多くの国々で物質的にはるかに豊かになった側面があることは間違いない。

しかしその一方で、多くの人々が依然として過度な競争や長時間労働に追われ、精神的なゆとりや真の充足感を見出しにくい状況に置かれているとも言えるのではないだろうか。

また、経済成長の負の側面としての環境破壊や格差の拡大といった問題も深刻化している。

そのような混迷を深める現代において、ケインズが半世紀以上も前に提示した「書物」と「芸術」というヴィジョンは、我々自身の生き方や社会が追求すべき価値観を根本から問い直すための一つの力強い光を投げかけてくれる。

物質的な成功や経済的な効率性を一元的に追い求めることも、ある局面では必要なのかもしれない。

だが、それと同時に、あるいはその達成の暁には、心の豊かさや知的な探求、美的な感動、そして人間的なふれあいを真に大切にすることの価値を、ケインズは静かに、しかし確信を持って示唆しているのである。

現代に生きるケインズの知恵:本書が照らし出す道

吉川洋による力作『ケインズ 時代と経済学』は、ジョン・メイナード・ケインズという20世紀が生んだ稀代の経済思想家の生涯と、その多岐にわたる思想の核心を、歴史的文脈の中に的確に位置づけ、人間的な温かみと深い共感をもって描き出した、第一級の優れた評伝と言えるだろう。

本書を丹念に読み進めることで、読者はケインズが構築した難解とされる経済理論の骨子を理解するだけでなく、彼が生きた第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る激動のヨーロッパ社会の様相にも触れられる。

また前述のブルームズベリー・グループの知的な仲間たちとの刺激的な交流、生涯を通じて持ち続けた芸術への尽きせぬ情熱、そして人類の未来社会に対する深遠な洞察など、ケインズという巨人の実に多岐にわたる魅力的な側面に触れることができるに違いない。

ケインズの経済学、特にその主著『一般理論』は、確かにその抽象度の高さや独特の用語法ゆえに、専門的な訓練を受けていない読者にとっては、ある程度の知的努力を要求する部分もあるかもしれない。

読者の中には、「学問的部分は難しい」と感じる方もいるだろう。

しかし、本書『ケインズ 時代と経済学』の真の魅力は、仮に専門的な細部が完全に理解できなかったとしても、それを補って余りあるほど、ケインズの思想そのもの、そして彼の波乱に満ちた生き方そのものが、知的興奮に満ち、面白さに溢れているという点にある。

特に、彼が既存の権威や時代遅れの価値観、凝り固まった古い理論に対して、常に批判的な精神を失わず、現実のデータと論理を武器に果敢に挑戦し、新たな道を自ら切り開いていったその不屈の姿勢。

それは、変化の激しい現代社会を生きる我々にとっても、計り知れないほどの勇気とインスピレーションを与えてくれるはずだ。

また、著者である吉川洋の熟達した筆致は、ややもすれば難解で乾燥したものになりがちな経済学の諸テーマを、具体的な歴史的エピソードやケインズ自身の人間味あふれる言葉を巧みに織り交ぜながら解説することで、読者の興味を引きつけ、深い理解へと導いてくれる。

本書の「まえがき」から最後の「読書案内」に至るまで、全編を通じて、著者吉川洋のケインズという人物とその思想に対する深い敬愛の念と、その今日的な意義を現代の日本の読者に何とかして伝えようとする真摯な熱意が、行間からひしひしと伝わってくる。

ケインズが生きた時代から、既に半世紀以上の長い年月が経過し、世界経済の構造も、国際関係も、そして人々の価値観も大きく変化した。

しかし、彼が鋭く提起した根本的な問題群。

例えば、なぜ失業は発生するのか、貧富の格差は許容されるべきなのか、経済のグローバル化はどのような不安定性をもたらすのか、そして、物質的な豊かさを達成した先に人間は何を求めるべきなのか。

といった普遍的なテーマは、驚くほど形を変えずに、依然として21世紀の現代社会が直面する最重要課題であり続けている。

本書を通じて、ケインズが遺した豊かな知恵の泉に触れることは、これらの複雑な課題の本質を理解し、それを乗り越えてより良い未来社会を構想し、そして築き上げていくための、貴重なヒントと力強い羅針盤を与えてくれるに違いない。

激動の時代を知的に、そして情熱的に生きた一人の非凡な知性の軌跡に興味を持つすべての人々にとって、本書『ケインズ 時代と経済学』は、数多くの新たな発見と深い思索のきっかけに満ちた、忘れがたい読書体験となることを確信する。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

イェール大学:吉川洋

イェール大学(Yale University、略称YU)は、コネチカット州ニューヘイブンに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。

公式サイト:イェール大学

キングス・カレッジ(ケンブリッジ大学):ジョン・メイナード・ケインズ

キングス・カレッジ(King’s College)は、ケンブリッジ大学を構成するカレッジのひとつ。正式名称は、ケンブリッジの聖母と聖ニコラスのキングス・カレッジ (The King’s College of our Lady and Saint Nicholas in Cambridge) 。通称、キングス(King’s)。設立は1441年。

公式サイト:キングス・カレッジ