
書籍紹介
- 石坂泰三は旧制中学で天才たちと切磋琢磨し、厳しい家計の中で猛勉強して基礎を築く。
- 一高時代に新渡戸稲造などのもとで東西の古典を原語でも読み漁り、スポーツで心身も鍛えた。
- 第一生命・東芝再建や経団連会長として活躍し、王道の経営哲学を貫いた。
- 晩年は万博を成功させ「悔いも喜びも儚いが、ただ感謝である」と達観した境地に。
城山三郎の略歴・経歴
城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)
小説家。本名は、杉浦英一(すぎうら・えいいち)。
愛知県名古屋市の出身。名古屋市立名古屋商業学校(現在の名古屋市立向陽高等学校)を経て、1945年に愛知県立工業専門学校(現在の名古屋工業大学)に入学。大日本帝国海軍に志願入隊し、海軍特別幹部練習生として、特攻隊である伏龍部隊に配属。
1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)予科入学、1952年に一橋大学を卒業。
1957年に『輸出』で第4回文學界新人賞。
1959年に『総会屋錦城』で第40回直木賞。
1975年に『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。
石坂泰三の略歴・経歴
石坂泰三(いしざか・たいぞう、1886年~1975年)
財界人、経営者。
東京都の出身。牛込北町の愛日小学校に入学。5年次に城北中学(現在の東京都立戸山高等学校)を受けるが不合格。6年次に、東京府尋常中学(現在の東京都立日比谷高等学校)に入学。
第一高等学校独法科を経て、東京帝国大学法科大学を卒業。逓信省に入省し、貯金局へ配属。
第一生命保険、東京芝浦電気社長を経て、第2代経済団体連合会の会長に就任し、4期12年を務める。日本万国博覧会協会の会長なども。
『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』の目次
それがしの一日
善遊善学
当てはずれお転職
不思議な役員会
目標なき生活
凄い奴が来た
特別の日、特別の人
二人の首くくり
温室の中
わがまま適齢期
無所属の時間
後任人事
大成功の宵
「大いに不満」
「命を楽しむ人」
あとがき
『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』の概要・内容
1998年6月10日に第一刷が発行。文春文庫。333ページ。
1995年1月1日に毎日新聞社から刊行された単行本を文庫化したもの。
副題は「石坂泰三の世界」。
『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』のあらすじ・要約・感想
- 歴史に名を残す同級生たちとの切磋琢磨
- 東西の知に触れた果てしない知識欲
- 錚々たる財界の巨星たちが集う役員会
- 真理を貫く王道の経営哲学と自己研鑽
- 流行の思想を切り捨てる確固たる自信
- 波乱万丈の人生の果てに至った静謐な境地
- まとめ:財界総理の軌跡から学ぶ真の教養と哲学
日本という国家が近代化の荒波を乗り越え、さらには戦後の焼け野原から奇跡的とも言える経済復興を成し遂げていく過程には、数多くの傑物たちの多大なる尽力と存在があった。
その中でも、日本の経済界の総本山とも言うべき経済団体連合会の第2代会長に就任し、4期12年という長きにわたってその重責を担い、財界の総理として君臨し続けたある一人の人物の功績は、決して色褪せることなく歴史に刻まれている。
その偉大なる人物こそが、石坂泰三(いしざか・たいぞう、1886年~1975年)である。
彼は単なる一企業経営者にとどまらず、東京帝国大学法科大学を卒業したのち、逓信省に入省して貯金局へ配属されるという、当時の絵に描いたようなエリート官僚の道を歩み始めた秀才であった。
しかし、彼の真なる凄さと魅力は、官僚という安定した枠に決して収まりきらず、第一生命保険への転身を経て、労働争議などで経営危機に陥っていた東京芝浦電気の再建を社長として見事に成し遂げた点にこそあるのだ。
さらには、晩年においてもその情熱は衰えることを知らず、日本万国博覧会協会の会長という国家的な大事業の責任者をも引き受け、その超人的なエネルギーと卓越した統率力で歴史的なイベントを大成功へと導いたことは、私たちの記憶に深く留めておくべき偉業である。
このような途方もないスケールを持った傑物の生涯を、緻密な取材と深い人間洞察によって描き出したのが、城山三郎(しろやま・さぶろう、1927年~2007年)の著書である『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』という名作なのだ。
この作品のページをめくるたびに、私たちは一人の人間の内面に秘められた、膨大で深遠な教養と、尋常ではないレベルの体力と精神のエネルギーに圧倒されることとなる。
歴史の表舞台で華々しい活躍を見せた人物の裏側には、どのような思考の軌跡と、どのような人々との出会いがあったのかを探求することは、現代を生きる私たちにとっても極めて有益な学びの機会となるはずである。
ここからは、この著作から引用を行いながら、彼がどのような環境で育ち、どのような哲学を持って人生という荒波を乗り越えていったのかを、多角的な視点からじっくりと紐解いていくことにしよう。
歴史に名を残す同級生たちとの切磋琢磨
彼の人間形成において極めて重要な時期であった旧制中学時代のエピソードは、当時の日本のエリート教育の熱気と、そこに集った才能の豊かさを私たちに生々しく伝えてくれる。
彼は東京の出身であり、牛込北町の愛日小学校に入学したのち、5年次に城北中学を受けるが不合格となり、6年次に東京府尋常中学へ入学するという経歴を持っている。
この東京府尋常中学というのは、現在の東京都立日比谷高等学校の前身であり、当時から全国屈指の俊英たちが集う名門中の名門として知られていた場所であった。
同級生の中には、後の国文学者土岐善麿、歌人吉井勇も居たが、石坂にとって当時の吉井勇は「乱暴者で、繊細な詩歌とはかけはなれた存在」であった。さらに前後の学年には、後の英語学者市河三喜、作家谷崎潤一郎、仏文学者辰野隆が居た。(P.42「善遊善学」)
この引用部分を読むだけでも、当時の東京府尋常中学校がいかに恐ろしいまでの才能の宝庫であったかがよく理解できるであろう。
将来、日本の文化や学問の各分野において決定的な役割を果たすことになる、歴史の教科書に名を連ねるような有名になる人物たちが、これほどまでに多く同じ学び舎に揃っているという事実そのものが、非常に面白い現象である。
土岐善麿(とき・ぜんまろ、1885年~1980年)は後に国文学者として多大な功績を残し、吉井勇(よしい・いさむ、1886年~1960年)は美しくも哀愁漂う歌人として後世にその名を轟かせることになる。
また、前後の学年を見渡せば、日本の英語学の基礎を築き上げた市河三喜(いちかわ・さんき、1886年~1970年)がおり、さらに日本文学の最高峰の一人として世界的にも評価されることになる谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)までもが在籍していたというのだから驚きを禁じ得ない。
そして、特に注目すべきは、後にフランス文学者として活躍する辰野隆(たつの・ゆたか、1888年~1964年)がいわゆる不良少年として振る舞っていたという微笑ましいエピソードであろう。
彼は常に操行で四等というギリギリの成績を意図的に維持していたと伝えられているが、五等になってしまえば即座に落第となる厳しい環境の中で、その絶妙なラインを保ち続けることは、それはそれで難易度が極めて高い高等技術であると言えるかもしれない。
このような個性豊かで破天荒な才能たちがひしめき合う環境の中で、彼はただひたすらに、自らの言葉を借りるならば「クソまじめに勉強した」という青春時代を送っていたのである。
彼がこれほどまでに学業に打ち込んだ背景には、元々勉強が好きであったという知的好奇心の強さもあったことは間違いないが、それと同時に、家計的に決して豊かではないという切実な現実問題が存在していたことも見逃してはならない。
厳しい経済状況の中で上の学校へと進学し続けるためには、周囲の大人たちを完全に納得させるだけの相当に高い成績を出し続けなければならないという、逃げ場のない状況下にあったからこその猛勉強でもあったのだ。
才能あふれる友人たちが自由奔放に青春を謳歌するのを横目で見ながら、自らの責務として机に向かい続けた彼の強靭な精神力は、この時期にすでに培われていたのである。
東西の知に触れた果てしない知識欲
東京府尋常中学を卒業したのち、彼は日本の最高学府への登竜門である第一高等学校の独法科へと進学し、そこでさらに深く広大な教養の世界へと足を踏み入れていくこととなる。
この第一高等学校時代の学びの質量こそが、後に彼が財界の頂点に立ってからも決してブレることのなかった、強固な精神の土台を形成したと言っても過言ではないであろう。
「善学」はといえば、新渡戸校長の倫理学の講義に魅かれて直接に教えを受けたり、哲学教授岩元禎に導かれ、ヒルティの『幸福論』をはじめカントやヘーゲルなどを読み、一方ではシェークスピア、スコット、テニスン、ゲーテ、シラーなどの文芸書を読みふけった。(P.44「善遊善学」)
この第一高等学校の時の話には、彼の果てしない知識欲と、それを吸収していく知性の器の大きさが如実に表れており、感嘆せざるを得ない。
当時の校長であり、『武士道』の著者としても世界的に名高い新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)から直接倫理学の教えを受け、深い感銘を受けたという経験は、彼の人間としての在り方に決定的な影響を与えたはずである。
さらに、厳格な哲学教授として知られた岩元禎(いわもと・さだむ、1869年~1941年)の導きによって、当時の若きエリートたちの必読書であったカール・ヒルティ(Carl Hilty、1833年~1909年)の『幸福論』を深く読み込んだという事実もある。
それだけにとどまらず、西洋哲学の巨峰であるイマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年~1804年)や、壮大な精神の体系を築き上げたゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年~1831年)の難解な著作にまで挑んでいたというのだから、その知的な探求心の深さには恐れ入るばかりだ。
また、哲学のみならず文学の世界においても、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、1564年~1616年)の戯曲から、ウォルター・スコット(Walter Scott、1771年~1832年)の歴史小説、アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson、1809年~1892年)の詩作までを幅広く網羅している。
さらには、ドイツ文学の最高峰であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年~1832年)や、情熱的な戯曲で知られるフリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller、1759年~1805年)の作品群をも読みふけり、繰り返し読んだというのだ。
しかも驚くべきことに、これらの膨大な書物を日本語の翻訳だけで満足するのではなく、英語やドイツ語といった原語でも読みこなし、自らの日記をドイツ語で書いたりもしていたというのだから、その語学力と知的水準の高さは並大抵のものではない。
西洋の最新の思想や文学を次々と吸収していく一方で、彼は決して自らのルーツを忘れることはなく、昔から家で厳しく叩き込まれた東洋の古典である『論語』も折に触れては読み返し、精神のバランスを保っていたのである。
そしてさらに恐るべきことは、これほどまでに圧倒的な読書量と学業をこなしながらも、彼は決して書斎に引きこもるだけの青白い秀才ではなかったということだ。
遊びや課外活動においても全力で取り組み、ボートや柔道、さらには登山や海水浴といったハードなスポーツを通じて、頑強な肉体を鍛え上げていったのである。
しかも、勉強も遊びも決して無軌道に無理をするようなことはなく、自らの健康にも細心の注意を遣って、夜の23時にはきっぱりとすべての活動を打ち切って就寝していたという自己管理能力の高さも見せつけている。
生まれ持ったエネルギーの総量というか、彼に備わっていた体力と気力のレベルそのものが、常人とは全く違う次元にあったということを、この青春時代のエピソードは雄弁に物語っているのである。
錚々たる財界の巨星たちが集う役員会
東京帝国大学を卒業して逓信省の官僚として順調にキャリアをスタートさせた彼であったが、その後、第一生命保険からの熱烈な誘いを受けて民間企業へと転身することとなる。
彼が三十代半ばという若さで身を投じた当時の第一生命の経営陣は、日本経済の歴史をそのまま体現したかのような、まさに神話的な大物たちの集まりであったのだ。
三十代半ばの石坂の話に戻そう。当時の第一生命の社外重役は大物揃い。服部時計店など現セイコー・グループの創業者服部金太郎、ノリタケ・チャイナで有名な日本陶器、日本碍子グループの創業者森村市左衛門などで、おくれて加わった若手が、阪急電鉄、宝塚少女歌劇など阪急グループの創始者小林一三という有様。(P.68「不思議な役員会」)
この引用に記された役員会のメンバーの顔ぶれを見るだけで、日本の近代産業史を学んだことのある者ならば、誰もが本当に大物揃いで驚きを隠せないはずである。
日本の時計産業を世界的なレベルにまで引き上げた服部時計店、つまり現在のセイコー・グループの創業者である服部金太郎(はっとり・きんたろう、1860年~1934年)がそこに座っていたのである。
さらに、ノリタケ・チャイナで世界中にその名を知られる日本陶器や、TOTOなどを含む日本碍子グループという巨大な産業コンツェルンを築き上げた森村市左衛門(もりむら・いちざえもん、1839年~1919年)も重役として名を連ねていたのだ。
極めつけは、少し遅れて若手としてこの重役会に加わってきたのが、独自の沿線開発と娯楽事業を融合させて阪急電鉄や宝塚少女歌劇団という巨大な阪急グループを創設した、あの小林一三(こばやし・いちぞう、1873年~1957年)であったという事実である。
私たちが普段の生活の中で親しんでいる製品やサービスの源流を創り出した歴史的な人物たちが、まるで日常の風景の一部であるかのように普通に登場しているという状況は、当時の彼がどれほど高いレベルの環境に身を置いていたかを示している。
若き日の彼が、このような日本の近代資本主義の礎を築いた巨人たちと直接テーブルを囲み、彼らの息遣いや経営判断の機微を肌で感じながら議論を交わしていたという経験は、計り知れない財産となったに違いない。
彼らのような超一流の経営者たちがどのような哲学に基づいて事業を展開し、どのような大局観を持って危機を乗り越えていくのかを間近で観察し続けたことが、後の「財界総理」としての彼を形作る最も重要な血肉となっていったのである。
真理を貫く王道の経営哲学と自己研鑽
数々の修羅場を潜り抜け、第一生命の発展や東芝の再建という目覚ましい成果を挙げた彼は、やがて経済団体連合会の会長という日本経済の舵取り役を任されることとなる。
その激動の時代を経て経団連の名誉会長という立場になった頃、彼は自らの経営哲学の真髄とも言える言葉を、親しくしていた記者に対して率直に語っている。
「小細工を弄するなかれ。経営に秘訣なし、ただ、よく勉強することだ」(P.259「後任人事」)
この極めて短く簡潔な言葉の中にこそ、彼が長い生涯を通じて証明し続けてきた圧倒的な強さの秘密と、人生の真理が凝縮されていると言っても良いであろう。
彼がよく取材をしていた記者に真剣な眼差しで伝えていたこの言葉は、変化の激しい現代を生きる私たちにとっても、決して忘れてはならない普遍的な教訓を含んでいるのだ。
経営という複雑怪奇な世界において、手っ取り早い魔法のような解決策や、他者を出し抜くための裏技のようなものは決して存在しないということを、彼は実体験として誰よりも深く理解していたのである。
やはり、自らを信じて王道をしっかりと真っ直ぐに歩むしかないってことなんだよな、という深い納得感が、この力強い言葉からはひしひしと伝わってくる。
困難な状況を一瞬で覆すような都合の良い一発逆転劇などは現実の厳しいビジネスの世界にはなく、ただひたすらに地道な努力と自己研鑽の積み重ねがあるのみだという冷徹な事実を突きつけているのだ。
しかし、その一見すると遠回りに思える日々の退屈な地道な積み重ねこそが、長い年月を経たときに途方もない実力の差となって累積していくのであり、それこそが唯一無二の盤石な経営基盤を作り上げるのである。
青春時代から東西の古典を読み漁り、徹底的に学び続ける姿勢を生涯崩さなかった彼だからこそ、「ただ、よく勉強することだ」という極めてシンプルな言葉が、重厚な真実味を伴って響いてくるのである。
流行の思想を切り捨てる確固たる自信
常に学び続ける姿勢を大切にしていた彼であるが、それは決して世間の流行に流されて、手当たり次第に新しい情報を鵜呑みにするという軽薄な態度とは全く異なるものであった。
彼がいかに独自の厳しい基準で情報を取捨選択し、自らの内なる知性のフィルターを通して物事の本質を判断していたかを示す、非常に痛快で興味深いエピソードが残されている。
それは石坂にとって、勉強の対象にならぬ本であり、「こういったハウ・ツウものを読むのは、ウェイスト・オブ・タイム(時間の浪費)」だと思っているので、読まなかったことをそれほど気にもとめなかった」としている。(P.259「後任人事」)
これは、現代の経営学の父とも称されるピーター・ドラッカー(Peter Drucker、1909年~2005年)の著書である『断絶の時代』が、世界的な大ベストセラーになった当時の発言である。
時代の先端を行く経済団体の名誉会長として、記者から「このごろ流行の“断絶”ということ、どう考えますか」という時事的な質問を受けた際、彼は充分な返事をしなかったというのである。
なぜ彼が明確な回答を避けたのかといえば、それは単なる知識不足などではなく、そもそも世間がこぞって絶賛しているその流行の本を、彼自身が意図的に一切読んでいなかったからという話なのだ。
現代の日本では、経営者や知識人たちの間でそれなりに偉大な思想家・人物として崇められているドラッカーの本であり、また当時の社会においても爆発的な話題を呼んだベストセラーの著作に対するこの冷めた態度は見事である。
そのような世の中が持て囃す権威ある書物を、単なる経営の小手先の技術を説いたものと見做し、一刀両断に時間の浪費と切り捨ててしまった彼の知的な傲慢さすら感じさせる態度は、なかなかに面白いものである。
確かに、カントやヘーゲルのような人類の根源的な思考の深淵に触れ、シェイクスピアやゲーテによって人間の業の深さを幾度も疑似体験してきた石坂泰三という巨大な知性の持ち主からしたら、最新の経営理論などというものは大したことのない表層的な内容かもしれないのである。
本質的な人間の幸福や社会の在り方について、古典を通じてすでに自らの中に確固たる答えを築き上げていた彼にとっては、時代の流行に合わせてパッケージされた知識を取り入れる必要性など微塵も感じられなかったのだろう。
このエピソードは、真の教養というものが、新しい情報をむやみにありがたがるのではなく、自らの足で立ち、自らの目で本質を見極めるための強靭な批判精神を与えてくれる武器であることを教えてくれるのである。
波乱万丈の人生の果てに至った静謐な境地
官僚としての出発から始まり、企業の再建、そして日本経済全体の牽引役として、常に時代の最前線で凄まじいプレッシャーと闘い続けてきた彼の人生は、まさに波乱万丈そのものであった。
その巨大なエネルギーの塊のような人物が、人生の最終コーナーに差し掛かった晩年において、自らの日記にどのような言葉を書き記していたのかを知ることは、非常に感慨深い体験である。
<前略>。悔も喜びも何と果かない事よ。喜び事もないし悔む事もない様な気がする。併しこの世での私は誠に幸せ者で唯々感謝に堪へない気がする」(昭和四七・一・八)(P.308「「大いに不満」」)
これは、1972年の新年を迎えたばかりの1月8日に記された、彼の個人的な日記の一節である。
この時、彼はすでに85歳という高齢に達しており、まさに86歳になるという年の日記の記述の中に、これほどまでに澄み切った心境が綴られていたのである。
数え切れないほどの修羅場を乗り越え、巨大な権力と責任を背負い、常人には想像もつかないような歓喜と絶望の波を経験してきた男が到達した境地が、「悔も喜びも何と果かない事よ」という無常観であったという事実には深く胸を打たれる。
80代の半ばともなれば、人間の営みのすべてを高い次元から見下ろすことができるようになり、上記のようなすべてを受け入れた達観した感想を自然と抱くようになるのであろう。
しかし、単なる虚無主義に陥るのではなく、「併しこの世での私は誠に幸せ者で唯々感謝に堪へない気がする」と、自らの人生に対する深い感謝の念で結ばれているところに、彼の人間としての器の大きさと温かさが滲み出ているのだ。
幼き日に読み親しんだ『論語』の教えや、青年時代に触発された西洋の哲学が、長い人生の風雪に耐えて彼の中で完全に熟成され、このような美しく静謐な精神の結晶となって現れたのではないかと推測される。
これほどまでに凄い教養人であり、最後まで闘い抜いた強者であっても、最後には万物への感謝という穏やかな境地へと帰っていくという人生の軌跡は、私たちに生きるということの深い意味を静かに問いかけてくる。
まとめ:財界総理の軌跡から学ぶ真の教養と哲学
城山三郎が執筆した『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』という著作全体を通じて浮かび上がってくるのは、規格外のスケールを持った一人の傑物の姿である。
揺るぎない古典の知識と深い人間洞察に基づいた判断基準があったからこそ、彼は周囲の意見や時代の空気に決して流されることなく、常に正しい決断を下し続けることができたのである。
晩年になって日本万国博覧会という巨大な国家プロジェクトの責任者を引き受け、大成功へと導いたその尋常ではないエネルギーの源泉も、日々の地道な自己研鑽の積み重ねの中にあったと言えるだろう。
波乱万丈の人生の果てに到達したその澄み切った心の境地は、私たちがどのような哲学を持って日々の困難に立ち向かっていくべきかという、一つの究極の答えを提示してくれている。
知識を詰め込むだけの浅薄な学びではなく、自らの足でしっかりと立ち、本質を見極めるための武器となる真の教養こそが、いつの時代においても最も強い力となるのである。
彼の生涯は、小手先の技術に頼ることなく、自らを信じて王道を真っ直ぐに進むことの尊さを、圧倒的な説得力を持って私たちに教えてくれている。
この素晴らしい名作を通じて、かつての日本にこれほどの傑物が存在していたという歴史の事実を知ることは、未来を切り開くための大きな希望へと変わっていくはずである。
- 【選書】城山三郎のおすすめ本・書籍12選:小説、傑作、代表作
- 【選書】城山三郎のおすすめ本・書籍12選:エッセイ、随筆、対談集、代表作
- 城山三郎『少しだけ、無理をして生きる』要約・感想
- 城山三郎『わたしの情報日記』要約・感想
- 城山三郎『わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯』あらすじ・感想
- 城山三郎『ビッグボーイの生涯 五島昇その人』あらすじ・感想
- 城山三郎『百戦百勝 働き一両・考え五両』あらすじ・感想
- 城山三郎『部長の大晩年』あらすじ・感想
- 佐高信『城山三郎の昭和』要約・感想
- キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30の手紙』(訳・城山三郎)要約・感想
- ジョナサン・マレシック『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』要約・感想
- モーガン・ハウセル『サイコロジー・オブ・マネー』要約・感想
- トマス・J・スタンリー&ウィリアム・D・ダンコ『となりの億万長者』要約・感想
- マシュー・ハインドマン『デジタルエコノミーの罠』要約・感想
- ジョアン・マグレッタ『マイケル・ポーターの競争戦略〔エッセンシャル版〕』要約・感想
- ピーター・ティール『ZERO to ONE』要約・感想
- ロバート・L・ハイルブローナー『入門経済思想史 世俗の思想家たち』要約・感想
- 江上剛『電力王・福澤桃介』あらすじ・感想
- 本多静六『人生計画の立て方』要約・感想
- 竹内均『人生を最高に生きる法』要約・感想
- 大沢武志『心理学的経営』要約・感想
- 大西康之『起業の天才!』あらすじ・感想
- 藤沢武夫『経営に終わりはない』要約・感想
- 小倉昌男『小倉昌男 経営学』要約・感想
- 森岡毅『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』要約・感想
- 森岡毅『苦しかったときの話をしようか』要約・感想
- 南場智子『不格好経営』要約・感想
- 瀧本哲史『戦略がすべて』要約・感想
- 金森誠也『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』要約・感想
- 森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』要約・感想
- 楠木建『絶対悲観主義』要約・感想
- 邱永漢『お金の原則』要約・感想
- 竹内均『日本を造った男たち』あらすじ・感想
- 出口治明『戦前の大金持ち』あらすじ・感想
- 大倉喜八郎『致富の鍵』要約・感想
- 小倉昌男『小倉昌男 経営学』要約・感想
- 小林一三『私の行き方』要約・感想
- 本多静六『お金・仕事に満足し、人の信頼を得る法』要約・感想
- 木暮太一『働き方の損益分岐点』要約・感想
- 吉川洋『ケインズ 時代と経済学』要約・感想
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
石坂泰三の像
大阪府吹田市千里万博公園には、石坂泰三翁の胸像が建立されている。石坂泰三は、人選が難航していた日本万国博覧会協会の会長を引き受けた。
文化のみち二葉館:城山三郎
文化のみち二葉館(ふたばかん)は、愛知県名古屋市東区橦木町にある展示施設。旧川上貞奴邸(きゅうかわかみさだやっこてい)とも呼ばれる。2階には、名古屋にゆかりのある文学資料室があり、城山三郎の関連資料や復元された書斎なども展示されている。
公式サイト:文化のみち二葉館









