大倉喜八郎『致富の鍵』

大倉喜八郎の略歴

大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837年~1928年)
実業家、武器商人。大倉財閥の創設者。
越後国新発田(現在の新潟県新発田市)の出身。幕末の江戸で銃砲店を営み、明治維新後に陸海軍の御用商人として成功。1873年に大倉組商会を設立し、外国貿易、用達事業を発展。軍需品用達商人として成功。帝国劇場、帝国ホテル、大倉集古館、大倉商業学校(現在の東京経済大学)なども設立。その他、多くの企業の創立、経営に携わる。

『致富の鍵』の目次

編者言
第1編 奮闘積富の生涯
第2編 国民致富策
第3編 商戦必勝法
第4編 積富立身策
第5編 立身出世策
第6編 処世の要道
第7編 人物の偉力
第8編 国富と国力
第9編 経済界振興策

『致富の鍵』の概要

2015年に電子書籍が配信。パンローリング。197ページ。

1911年10月に丸山舎から刊行された単行本を電子書籍化したもの。大倉喜八郎が74歳の時に発売された内容。

各編に、さらに5~10の小見出しが付いている構成。

編者は、編集者の菊池暁汀(きくち・ぎょうてい、生没年不詳)。調べてみたが、いまいち人物の詳細が分からなかった。

大倉喜八郎が口述し、菊池暁汀が筆記・編集して、本にしている形。

ちなみに同じような形式で、菊池暁汀は、実業家・安田善次郎(やすだ・ぜんじろう、1838年~1921年)の『富の活動』、哲学者・三宅雪嶺(みやけ・せつれい、1860年~1945年)の『青年訓』、政治家・高橋是清(たかはし・これきよ、1853年~1936年)の『立身の経路』などを手掛けている。

『致富の鍵』の感想

1800年代から1900年代に掛けて活躍した人物たちにハマっていた時期がある。

実業家・岩崎弥太郎(いわさき・やたろう、1835年~1885年)。
教育者・福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835年~1901年)。
政治家・大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838年~1922年)。
実業家・森村市左衛門(もりむら・いちざえもん、1839年~1919年)。
実業家・渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840年~1931年)。

などなど。

そういった人物たちの物語の中で出てきたのが、大倉喜八郎。調べてみたら、kindle unlimitedにこの『致富の鍵』があったので読んでみた。

100年以上前の本ではあるが、人間社会って本当に変わらないんだな、といった感想になった。

基本的に、人間の根源というのは成長せずに、変わらないといった方が正確か。

表現や事柄が、100年以上前ということで古っぽいが、本質的な内容は2020年代の現在と変わらない。なんだか悲しみと共に、おかしみというか、軽やかな滑稽さを感じる。

私の経験によれば、富と幸福とは全然別物であるように思う。いかに巨万の富を積んだところで自らその境地に満足し、常に心底から天命を楽しまなかったならば、富は何らの幸福をももたらすものではない。(No.646「第二編 国民致富策:真の幸福は富と人爵の以外にあり」)

「人爵」(じんしゃく)は、人から与えられた地位や名誉のこと。

お金があっても不幸せな人もいるし、お金が無くても幸せな人もいる。もちろん、お金があって幸せな人もいるし、お金が無くて不幸せな人も。

沢山のお金があったところで、必ずしも幸せにはなれない。幸せか不幸せかは、自らの人生をしっかりと楽しんでいるかどうか、という感じか。

さらに文章は続いて、限りある短い人生なので、不平不満を言うのではなく、日々を満足しながら心から楽しむのが、人生の最大幸福である、といった旨も。

まぁ、お金も、現在の満足も大切だな。

だからこれら世人のいうた言葉などには頓着せず、単に自己の良心の指図に従うということにせなければならぬのである。非難はいずれの時、いずれの人も到底免るる事は出来ない。(No.707「第二編 国民致富策:世人より受くる誤解を意とするなかれ」)

人は立場や主義、価値観などによって、さまざまな意見が出てくる。

そのため、非難から逃れることは出来ない。であるならば、自分の良心に従って行動するのみ、といった姿勢。

今だと特にインターネット上の誹謗中傷とかに当てはまるか。現代だと、より可視化されているから、その影響は大きいのだろうか。

人間は昔も今も他人にとやかく言いたい動物なんだろうな。面白いやら、悲しいやら。

詰まる所、自分の良心、道徳、倫理観に従うしかないわけで。それで、楽しく満足できる人生を歩めば良い。

一体事業家として最も必要なる資格といえば、数字的の頭脳と帳簿検閲の活眼のある事であろうと思うのである。この二が欠けていたならば所詮事業家とか商人とかの資格はないと思うのである。(No.960「第三編 商戦必勝法:使用人監督の困難と呼吸」)

ここでは、組織を運営するためのポイントを話している。

その中で、事業家や商人の必須の資質として、数字に強く、帳簿に正確、の2点を挙げている。

当たり前と言えば、当たり前だけれど。

でそのような能力を持った人物たちを、数十に及ぶ支店や代理店の監督に当てているといった話が続く。

損益計算書や貸借対照表、キャッシュフロー計算書とかあるし。さらに商法や税法などのいろいろな法律も加わってくるし。

自分も、この辺りはもっと勉強していかないとな。

『治にいて乱を忘れず』という故人の金言は真に我を欺かないと思うのである。(No.1030「第三編 商戦必勝法:私はここにも出世の秘訣を発見せり」)

「治にいて乱を忘れず」は、『易経』の「繋辞・下」の一節。

世の中が平和に治まっている時でも、戦乱の時のことを忘れないで、力を蓄えて準備をしておく、という意味。

商売でも同じだと、大倉喜八郎は説く。

何か不測の事態が生じた場合に、冷静に対応できるようにしておくというもの。物質的にも精神的にも、備えておくのが大事。

大不況や大災害、感染症の流行とか、いろいろあるからな。

準備をしておくというか、臨機応変にさばける柔軟さと強固さ、みたいな。

元来人の信用は一朝一夕に得らるるものではない。(No.1049「第四編 積富立身編:富は働く者の前にくるべし」)

信用というのは、短期間で得られるものではなく、長期間に渡って小さな部分も全て成功させて、その成功が積み上がってやっと信用になると。

信用が大事と言うけれど、簡単なものではない、といった主旨。

いつの時代も信用は重要。一時期、「信用経済」といった言葉が耳に入ったけれど、そんなの昔からじゃん、と思った。自分の予想している定義と異なる言葉だったのかな。

各種のルールに則って、着実に成果を上げていくだけだな。

全体社会は共同生活体で、自分一人で行けるものでない。また一人で行けるものなら社会がないはずである。だからこの間に処して他人と一緒に事をやらぬ、独立で行くというのは根本から間違っているのであると思うのである。(No.1077「第四編 積富立身編:独立の意義を誤解するなかれ」)

これは、確かにそう思う。なかなか面白いことが言語化されている。

社会と考えると漠然としてしまうので、シンプルに商売で考えると、売り手には買い手が必要なわけで、一人で完結するものではない。

さらに何か形のある商品を作るならば、原材料の仕入れもある。仕入れとなる取引先も必要。

他人と一緒に事をするのは、大前提。

この文章に続いて、大倉喜八郎の過去の逸話も。

乾物商をして幾ら儲けてもこれを以て酒色に費やすようなことはせなかったのである。(No.1180「第四編 積富立身編:独立の意義を誤解するなかれ」)

その先々を見越して、遊びに使わずに、お金を貯めておいたという。

しっかりと、そのお金がいつの日か資本となって大いに儲けることが出来ると考えていたとも語っているし。

やはり、人生において、耐えるというか、力を蓄えておくような時期があるんだな。

次の章でも、色情や酒色の欲で失敗する者が多いとの話が出てくる。かなり多くの人間が失敗していったのか、それとも大倉喜八郎が相当に我慢していたことの裏返しなのか。

また妻帯をするのも余程考えてから迎えねばならぬ。(No.1334「第五編 立身出世策:青年処世道」)

結婚についての言及もあるとは思わなかった。

早婚よりも晩婚の方が良いという意見。ある程度の自分の基盤が仕上がってから、結婚した方が良いというもの。

実際に、大倉喜八郎は当時としては遅い年齢の30歳で結婚していると付記している。

確か英語学者・渡部昇一(わたなべ・しょういち、1930年~2017年)も、『知的生活の方法』の中で結婚について詳しく意見を述べていた。

やっぱり、結婚というのは、かなり重要なポイントなんだろうな。

つまり私は知行合一主義であるから、王陽明が一番気に入って、常に伝承録は側を離した事がない。(No.1715「第七編 人物の偉力:私の私淑したる王陽明」)

知行合一(ちこうごういつ/ちぎょうごういつ)は、ざっくり要約すると、認識と行動は不可分である、というもの。

中国・明代の儒学者・王陽明(おう・ようめい、1472年~1529年)が起こした陽明学の基本的な思想。

『伝習録』は、弟子たちが王陽明の手紙や言行をまとめた陽明学の入門書。儒家の始祖・孔子(こうし、前552年頃~前479年)の『論語』と同様の成り立ち。

その文章の続きとして、孔子も儒学者・孟子(もうし、前372年?~前289年)も自分には合わないとの発言もある。この辺りも面白い。

大倉喜八郎としては、古いしきたりや小理屈が苦手で、陽明学の方が性に合っていたようだ。

かなり前に陽明学者・中江藤樹(なかえ・とうじゅ、1608年~1648年)について調べたことはあり、その時に軽く王陽明についても触れたけれど、ガッツリと関連書籍を読んでいないので、今度チェックしておこう。

というわけで、大倉喜八郎が仕事に打ち込んできた半生とともに、さまざまな考え方を語ったオススメの自伝的な本である。

書籍紹介

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大倉集古館

大倉集古館は、東京都港区にある1917年に開館した日本初の私立美術館。大倉喜八郎が収集した古美術や典籍類を収蔵・展示。喜八郎の死後は、嫡男である大倉喜七郎(おおくら・きしちろう、1882年~1963年)が近代日本画などの充実に尽力。

実際に訪問したことがある。建物そのものも趣があって良かったし、内観も展示品も素晴らしかった。

公式サイト:大倉集古館