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冲方丁『にすいです。冲方丁対談集』要約・感想

冲方丁『にすいです。冲方丁対談集』表紙

  1. 多様な対談による知の探求
  2. ジャンルの枠を超える挑戦
  3. 身体性と実学の重要性
  4. 自由と社会のバランス

冲方丁の略歴・経歴

冲方丁(うぶかた・とう、1977年~)
小説家。
岐阜県各務原市の生まれ。シンガポール、ネパールで育つ。
埼玉県立川越高等学校を卒業。早稲田大学第一文学部を中退。
『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞、舟橋聖一文学賞、北東文芸賞を受賞し、第143回(2010年上半期)直木賞にノミネート。『光圀伝』で第3回山田風太郎賞受賞。

『にすいです。冲方丁対談集』の目次

かわぐちかいじ マンガで「日本」と「日本人」を写し出す 2005.2.17収録
富野由悠季 アニメ、小説、それぞれの媒体の「性能」と「未来」 2010.3.19収録
井上雄彦 描きながら考え、道が見えてくる 2010.5.3収録
養老孟司 「江戸時代」という時代の面白さ 2010.6.24収録
夢枕獏 書く自由を獲得するために 2010.7.6収録
伊坂幸太郎 小説にしか出来ないこと 2010.8.18収録
天野喜孝 ジャンルを変えればまたゼロに戻れる 2010.9.6収録
鈴木一義 江戸時代の科学技術と精神性 2012.7.3収録
中野美奈子 「泰姫」という生き方 2012.7.18収録
滝田洋二郎 どの時代も人間関係、感情でしか世の中は動かない 2012.8.30収録
山本淳子 千年経っても共感できるもの 2012.11.6収録
あとがき

『にすいです。冲方丁対談集』の概要・内容

2013年1月31日に第一刷が発行。角川書店。153ページ。ソフトカバー。127mm×188mm。四六判。

以下、対談の相手となる人物たちの紹介。

かわぐちかいじ(かわぐち・かいじ、1948年~)…漫画家。広島県尾道市の出身。広島県立尾道北高等学校、明治大学文学部日本文学科を卒業。代表作に『沈黙の艦隊』『ジパング』など。

富野由悠季(とみの・よしゆき、1941年~)…アニメーション監督、小説家、作詞家。神奈川県小田原市の出身。相洋高等学校、日本大学芸術学部映画学科を卒業。代表作に『機動戦士ガンダム』など。

井上雄彦(いのうえ・たけひこ、1967年~)…漫画家。鹿児島県伊佐市の出身。鹿児島県立大口高等学校を卒業。熊本大学を中退。代表作に『SLAM DUNK』『バガボンド』など。

養老孟司(ようろう・たけし、1937年~)…解剖学者。神奈川県鎌倉市の出身。栄光学園中学・高等学校、東京大学医学部を卒業。代表作に『バカの壁』など。

夢枕獏(ゆめまくら・ばく、1951年~)…小説家。神奈川県小田原市の出身。神奈川県立山北高等学校、東海大学文学部日本文学科を卒業。代表作に『餓狼伝』『陰陽師』など。

伊坂幸太郎(いさか・こうたろう、1971年~)…小説家。千葉県松戸市の出身。東北大学法学部を卒業。代表作に『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』など。

天野喜孝(あまの・よしたか、1952年~)…画家・キャラクターデザイナー・イラストレーター。静岡県静岡市の出身。代表作に『ファイナルファンタジー』のキャラクターデザインを担当。

鈴木一義(すずき・かずよし、1957年~)…科学技術史研究者、国立科学博物館理工学研究部科学技術史グループ長。新潟県出身。東京都立大学工学部機械工学科を卒業、同大学院工学研究科材料力学専攻修士課程を修了。監修した書籍に『八百八知恵 江戸の科学』など。

中野美奈子(なかの・みなこ、1979年~)…フリーアナウンサー(元フジテレビアナウンサー)・タレント。香川県丸亀市出身。香川県立丸亀高等学校、慶應義塾大学商学部を卒業。

滝田洋二郎(たきた・ようじろう、1955年~)…映画監督。富山県高岡市の出身。富山県立高岡商業高等学校を卒業。代表作に『陰陽師』『おくりびと』など。

山本淳子(やまもと・じゅんこ、1960年~)…平安文学研究者。石川県金沢市の出身。金沢大学附属高等学校、京都大学文学部を卒業、同大学院人間・環境学研究科博士課程を修了。著作に『紫式部ひとり語り』『枕草子のたくらみ』など。

『にすいです。冲方丁対談集』の要約・感想

  • ライトノベルの枠を超えて
  • 身体が答えを出す創作
  • 「世間」という名の保険
  • 書く自由と見えざる圧力
  • 日本語の力と翻訳の壁
  • 和算の精神と実学の伝統
  • 多彩な対話が織りなす知のタペストリー
  • 各界のトップクリエイターたちとの知の饗宴

現代社会は、多様な価値観が交錯し、情報が氾濫する時代である。

このような時代において、我々はどのように物事を捉え、思考を深め、そして自らの道を切り拓いていけば良いのだろうか。

そのヒントは、異なる分野で活躍する先人たちの言葉の中に見出すことができるかもしれない。

作家・冲方丁(うぶかた・とう、1977年~)が、各界の才能たちと縦横無尽に語り合った記録、それが本書『にすいです。冲方丁対談集』である。

本書は、漫画家、アニメ監督、小説家、解剖学者、絵師、映画監督、歴史学者といった、実に多彩な顔ぶれとの対話で構成されている。

冲方丁自身が持つ多方面への強い知的好奇心が、それぞれの対談相手から貴重な言葉や思考の断片を引き出し、読者を刺激的な知の冒険へと誘う。

冲方丁のペンネーム「冲」(うぶ)の部首が「にすい」であることは、読書家ならばご存じかもしれない。「さんずい」ではないのである。

このタイトルについては、「あとがき」に詳しいが、よく「にすいです」と説明していることからとのこと。

この記事では、『にすいです。冲方丁対談集』の中からいくつかの対談に焦点を当て、その内容を掘り下げながら、現代を生きる我々にとってどのような示唆を与えてくれるのかを探求していく。

ライトノベルの枠を超えて

アニメ『機動戦士ガンダム』の生みの親として知られる富野由悠季(とみの・よしゆき、1941年~)との対談では、アニメと小説という異なる媒体が持つ「性能」と「未来」について白熱した議論が交わされる。

その中で、冲方丁自身の創作活動の転換点に関する興味深い発言があった。

僕は自身がライトノベルという枠組みやっていくのがだんだんつらくなってきたんですね。その枠から自分が押し出されている感覚が強くなっていた。だったら一度そこから出て、こういう出口もあるよということを見せよう。もうそれぐらいしかライトノベルに対して貢献できないと思ったんですよ。(P.46「富野由悠季 アニメ、小説、それぞれの媒体の「性能」と「未来」」)

冲方丁は、ライトノベルというジャンルでキャリアをスタートさせた作家の一人である。

ライトノベルの定義は一概には難しいが、彼がその枠組みの中で活動することに限界を感じ、「押し出されている感覚」を抱いたという点は注目に値する。

この感覚が、彼を歴史小説や時代小説といった新たなジャンルへと向かわせた原動力の一つとなったのだろう。自らが既存の枠から飛び出すことで、後に続く者たちに新たな道筋を示す。

これは、あらゆる分野で変革を試みる者にとって、共感できる心情ではないだろうか。

この発言からは、ジャンルというものが持つ力学と、作家個人の成長や志向との間で生じる緊張関係が垣間見える。

冲方丁は、その状況を単なる停滞ではなく、新たな貢献の形を見出す機会と捉えたのである。

身体が答えを出す創作

『SLAM DUNK』や、吉川英治(よしかわ・えいじ、1892年~1962年)の小説『宮本武蔵』を原作とする漫画『バガボンド』で知られる漫画家、井上雄彦(いのうえ・たけひこ、1967年~)との対談では、創作における「身体性」の重要性が語られる。

特に『バガボンド』で剣豪たちを描くにあたり、剣道の経験はあったが、井上雄彦はさらに空手を習い始めたという。

井上 重心の置き方など、空手を習い始めて納得して描けたところもあります。
達人と言われている人間の構えやたたずまい、腹の据え方などをどう描いていくのかという点では、体が答えを出してくれますね。(P.92「井上雄彦 描きながら考え、道が見えてくる」)

この言葉は、頭で考えるだけでなく、身体を通じて理解することの深さを教えてくれる。

井上雄彦はバスケットボール経験者であり、その経験が『SLAM DUNK』のリアルな描写に繋がったことは想像に難くない。

同様に、『バガボンド』における武蔵の動きや精神性を表現するために、空手を通じて身体的な感覚を掴もうとしたのだろう。

「体が答えを出してくれる」という感覚は、スポーツに限らず、武道、芸術、あるいは職人の世界など、高度な技術や精神性が求められる多くの分野で共通して語られることである。

現代社会では、情報がデジタル化され、身体を動かす機会が減っていると感じる人も少なくないかもしれない。

しかし、物事の本質を掴むためには、知識だけでなく、身体を通じた経験や感覚が不可欠であるということを、井上雄彦の言葉は改めて認識させてくれる。

それは、例えばプレゼンテーションにおける立ち振る舞いであったり、交渉事における相手との間合いの取り方であったり、日常生活や仕事の様々な場面で応用できる考え方かもしれない。

教育学者の齋藤孝(さいとう・たかし、1960年~)も身体性の重要性を説いているが、この対談は、まさにその実践的な側面を示していると言えるだろう。

「世間」という名の保険

解剖学者であり、ベストセラー『バカの壁』の著者としても知られる養老孟司(ようろう・たけし、1937年~)との対談では、「江戸時代」という時代の面白さや、現代社会が失いつつあるかもしれない「世間」の機能について鋭い考察が展開される。

冲方 いまは干渉されない一方で、依存もできないですよね。
養老 そうです。依存だけじゃなくて、よく言うことなんですけど、「世間」の付き合いというは“保険の掛け金”なんです。(P.104「養老孟司 「江戸時代」という時代の面白さ」)

養老孟司は、かつての地域社会における近所付き合いを「保険の掛け金」と表現する。

家を建てる際や結婚といった人生の大きな出来事において、地域の「世間」が機能していれば、悪質な業者や、変な人を紹介されるリスクが低減されるというのだ。

それは、地元の地域、つまり「世間」では、親の代から子の代まで、数世代にわたる長い付き合いの中で培われた信頼関係が、一種の保証として作用するからである。

現代は、個人の自由が尊重される一方で、人間関係の希薄化が指摘されることも多い。

かつての「世間」が持っていた相互扶助的な機能は、煩わしい側面もあったかもしれないが、同時に生活の安全網としての役割も果たしていた。

養老孟司の言葉は、現代社会における人間関係のあり方や、コミュニティの意義について改めて考えさせられる。

干渉されない自由と、孤立のリスクは表裏一体であり、そのバランスをどのように取るかは、現代を生きる我々にとって重要な課題である。

書く自由と見えざる圧力

『陰陽師』シリーズなどで絶大な人気を誇る作家、夢枕獏(ゆめまくら・ばく、1951年~)との対談では、作家が「書く自由」をいかにして獲得し、守り続けるかという切実なテーマが語られる。

特に、歴史的な題材や実在の人物を扱う際に生じる可能性のある、外部からの影響について警鐘を鳴らしている。

夢枕 それは気をつけたほうがいいよ。俺も『陰陽師』がちょっと売れたときにいろんな神社とかお寺からうちの何々で書いてくださいとか、資料いくらでも提供しますなんてのがきたり、すごいのはある宗教法人が京都の神社を買い取ったから一緒に神社をやりませんかとかさ。それは自分で判断するしかないんだけど、資料を提供してもらったためにその人のマイナスになることを書けなくなっちゃうとかいうのは、避けたいよね。(P.133「夢枕獏 書く自由を獲得するために」)

この発言の背景には、冲方丁が徳川光圀(とくがわ・みつくに、1628年~1701年)を主人公とした小説『光圀伝』の取材で水戸を訪れた際、徳川宗家の代理人を名乗る人物から膨大な資料を提供されたというエピソードがある。

その資料通りに書くべきなのかというプレッシャーを感じたという冲方丁に対し、夢枕獏は自身の経験を踏まえてアドバイスを送る。

資料提供は、作家にとって有益である一方、それが無言の圧力となり、自由な創作活動を縛る足枷となる危険性も孕んでいる。

特に、歴史上の人物や特定の団体、あるいは宗教などが関わる場合、その影響力は計り知れないものがあるだろう。

夢枕獏の言葉は、創作者が中立性を保ち、自身の良心と判断に基づいて作品を生み出すことの重要性を強調している。

これは、ジャーナリズムや学術研究など、客観性や公正性が求められる他の分野にも通じる教訓と言えるだろう。

情報を得る際には、その提供者の意図を見極め、批判的な視点を持つことが不可欠なのである。

日本語の力と翻訳の壁

ファイナルファンタジーシリーズのキャラクターデザインなどで世界的に知られるアーティスト、天野喜孝(あまの・よしたか、1952年~)との対談では、言語と翻訳に関する興味深い視点が示される。

幼少期を海外で過ごした経験を持つ冲方丁は、日本語の特性について次のように語る。

冲方 常々思うのは、日本語というのは外国語の吸収力が非常に高い言語だということ。日本語は海外の言語を翻訳する能力に長けているけど、その反面、日本語を定格に翻訳して海外にもっていくのは意外と難しいんですよ。(P.183「天野喜孝 ジャンルを変えればまたゼロに戻れる」)

冲方丁は、英語での執筆も可能であるとしながらも、自身のSF小説『マルドゥック・スクランブル』の英訳はプロの翻訳家に依頼し、完成までに6年もの歳月を要したという。

ちなみに英語版『Mardock Scramble』も日本のAmazonで購入できる。

このエピソードは、日本語が持つ独特の表現力やニュアンスを、異なる言語体系に正確に移植することの難しさを物語っている。

日本語は、漢字、ひらがな、カタカナという複数の文字体系を併用し、主語を省略したり、文脈に依存した表現を多用したりする特徴がある。

これが、外国語の概念や言葉を柔軟に取り込み、和製英語のような新しい言葉を生み出す土壌となっている一方で、日本語の持つ繊細なニュアンスや行間を外国語で再現することを困難にしていると考えられる。

グローバル化が進む現代において、異文化コミュニケーションの重要性はますます高まっている。

しかし、言語の壁は依然として高く、単純な言葉の置き換えだけでは真の理解に至らないことも多い。

冲方丁の言葉は、自国語の特性を深く理解し、その上で他言語との違いを認識することの重要性を示唆している。

それは、国際的なビジネスシーンや学術交流の場においても、心に留めておくべき視点であろう。

和算の精神と実学の伝統

国立科学博物館の理工学研究部科学技術史グループ長であった鈴木一義(すずき・かずよし、1957年~)との対談では、江戸時代の科学技術と、その根底にあった精神性について掘り下げられる。

特に、日本の数学である「和算」と西洋数学との違いについての指摘は興味深い。

鈴木 西洋では、神が創ったこの世界の姿を理解するため、ある意味、哲学の分野として数学が発達していますが、日本は実学であり、遊びとして和算を発達させています。(P.197「鈴木一義 江戸時代の科学技術と精神性」)

西洋における数学が、宇宙の真理や神の設計図を解き明かすための形而上学的な探求として発展した。

対して、日本の和算は、測量、暦の計算、あるいは娯楽としてのパズルなど、より実用的で具体的な問題解決の手段として、また知的な遊びとして庶民にも広まったという。

この対比は、西洋と東洋の思考様式や世界観の違いを象徴しているかのようだ。

「実学」を重んじる精神は、日本のものづくりの伝統や、問題解決能力の高さにも繋がっているのかもしれない。

また、「遊び」として学問を発展させるという視点は、現代の教育や研究においても示唆に富む。

学ぶことの楽しさ、知的好奇心を満たす喜びが、創造性や革新性を育む上で重要な要素であることを、和算の歴史は教えてくれる。

多彩な対話が織りなす知のタペストリー

ここまでいくつかの対談を抜粋して見てきたが、『にすいです。冲方丁対談集』には、これ以外にも魅力的な対話が数多く収録されている。

漫画家のかわぐちかいじ(かわぐち・かいじ、1948年~)とは、マンガというメディアを通じて「日本」と「日本人」をいかに写し出すかというテーマで語り合う。

彼の代表作『沈黙の艦隊』『ジパング』などを思い浮かべれば、その議論の深さがうかがえるだろう。

小説家の伊坂幸太郎(いさか・こうたろう、1971年~)とは、旧知の友人として、リラックスした雰囲気の中で、「小説にしか出来ないこと」について意見を交わす。エンターテイメント性と文学性の両立を追求する二人の作家の言葉は、物語の可能性を改めて感じさせてくれる。

元フジテレビアナウンサーの中野美奈子(なかの・みなこ、1979年~)との対談は、冲方丁の小説『光圀伝』に登場する女性にちなんで「『泰姫』という生き方」というテーマが掲げられており、一見異色に感じるかもしれない。

しかし、物語の登場人物の生き様を通じて、現代を生きる上での価値観や選択について考えるきっかけを与えてくれる。

映画『おくりびと』でアカデミー外国語映画賞を受賞した映画監督の滝田洋二郎(たきた・ようじろう、1955年~)は、冲方丁の原作の映画『天地明察』について。小説と映画の違いなど、時代劇から現代劇まで幅広く手掛ける監督ならではの洞察の深さを示す。

平安朝文学研究者の山本淳子(やまもと・じゅんこ、1960年~)は、「千年経っても共感できるもの」というテーマで、古典文学が持つ普遍的な力について語る。『源氏物語』などの古典が、なぜ現代の我々の心にも響くのか、その秘密に迫る。

これらの対談は、それぞれが独立した読み物として面白いだけでなく、全体を通して読むことで、冲方丁という作家の多角的な視点や、彼が創作活動を通じて探求し続けるテーマが浮かび上がってくる。

富野由悠季の強気な発言、養老孟司のユニークな視点、夢枕獏の経験に裏打ちされた言葉など、各人の個性も鮮やかであり、それが本書の大きな魅力となっている。

各界のトップクリエイターたちとの知の饗宴

『にすいです。冲方丁対談集』は、単なる有名人同士の会話の記録ではない。

それは、異なる分野の第一線で活躍する人々が、それぞれの専門領域で培ってきた知恵や哲学、そして創作の苦悩や喜びを率直に語り合う、貴重な「知の饗宴」である。

冲方丁は、これらの対話を通じて、自らの創作の糧を得るだけでなく、私たち読者にも、世界を新たな視点で見つめ直すための多くの種を蒔いてくれる。

それは、普段手に取ることのない分野への興味を喚起するものかもしれないし、自身の仕事や生き方に対する深い洞察を与えてくれるものかもしれない。

変化が激しく、先行きの見えにくい現代において、多様な価値観に触れ、自らの思考を鍛えることは極めて重要である。本書は、そのための格好のテキストとなるだろう。

ページをめくるたびに、新たな発見と刺激に満ちた言葉が待ち受けている。読後には、まるで知的なトレーニングを終えた後のような、心地よい疲労感と充実感が得られるはずだ。

この一冊が、あなたの知的好奇心を刺激し、日々の生活や仕事に新たな視点をもたらすきっかけとなることを願ってやまない。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)

東京都渋谷区にある神社。第15代天皇・応神天皇(おうじんてんのう、200年~310年)を御祭神とする。1092年に創建。併設のコンパクトな宝物館で、算額などを鑑賞できる。『天地明察』にも描かれる。

公式サイト:金王八幡宮

東海寺大山墓地

東京都品川区北品川にある墓地。『天地明察』の主人公・渋川春海(しぶかわ・はるみ、1639年~1715年)の墓もある。
東海寺は臨済宗大徳寺派の寺院。1638年に第3代将軍・徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604年~1651年)が、臨済宗の僧・沢庵宗彭(たくあん・そうほう、1573年~1646年)を招聘して開山。

常磐神社(ときわじんじゃ)

常磐神社は、茨城県水戸市常磐町にある神社。徳川光圀と、常陸水戸藩の第9代の藩主・徳川斉昭(とくがわ・なりあき、1800年~1860年)を祀る。

公式サイト:常磐神社

義公祠堂(水戸黄門神社)

徳川光圀公の生誕の地とされている場所。茨城県水戸市三の丸。

久昌寺(きゅうしょうじ)

久昌寺は、茨城県常陸太田市新宿町にある、日蓮宗の寺院。1673年に徳川光圀は生母・久昌院(きゅうしょういん、1604年~1662年)の菩提を弔うため、一宇を建立する。1677年に久昌寺を建立。1941年に義公廟が建立。

水戸徳川家墓所・瑞龍山(ずいりゅうさん)

水戸徳川家墓所は、瑞龍山と号され、茨城県常陸太田市瑞龍町にある。中国・明の儒学者の朱舜水(しゅ・しゅんすい、1600年~1682年)の墓も。現在は、閉鎖・非公開。