『保科正之』三戸岡道夫

三戸岡道夫の略歴

三戸岡道夫(みとおか・みちお、1928年~)
作家。実業家。
静岡県浜松市の生まれ。掛川西高等学校、東京大学法学部を卒業。
協和銀行で副頭取を務め、退職後に文筆活動に専念。

『保科正之』の目次

第一章 出生の秘密
第二章 高遠時代
第三章 出羽・白岩一揆
第四章 正之、会津へ入る
第五章 将軍家綱
第六章 社倉制度
第七章 明暦の大火
第八章 毒殺事件
第九章 三大美事
第十章 家訓十五条
第十一章 その晩年
関係年表
あとがき

概要

1998年7月15日に第一刷が発行。PHP文庫。397ページ。
書き下ろし作品。副題は「徳川将軍家を支えた名君」。

主人公はタイトルの通り、保科正之(ほしな・まさゆき、1611年~1673年)。

父親は、江戸幕府の第二代将軍・徳川秀忠(とくがわ・ひでただ、1579年~1632年)。母親は、側室で後の浄光院となる(志津、しず、1584年~1635年)。

第三代将軍となる徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604年~1651年)の弟であり、陰から兄を支える。

また家光の死後には、その子供であり第四代将軍・徳川家綱(とくがわ・いえつな、1641年~1680年)の後見人にもなる。

さらに会津藩主でもあるので、藩政にも大いに貢献。

飢饉に対応するための社倉制度や老人たちを敬い助けるための老養扶持制度を藩内で確立。

幕政としては、1657年の明暦の大火の後に、江戸の町割りの改革。

道幅を6間(約10.8メートル)から、9間(約16.2メートル)へと変更。

江戸城の天守の再建を却下。玉川上水の開削。殉死の禁止。末期養子の禁の緩和なども。

名君中の名君と呼ばれる保科正之の一生を知るのには最適な時代小説である。

感想

冲方丁(うぶかた・とう、1977年~)の作品『天地明察』からの流れで保科正之に興味を持った。

『天地明察』の主人公は、囲碁棋士で天文歴学者の渋川春海(しぶかわ・はるみ、1639年~1715年)。その中で、保科正之が重要な人物として登場する。

そのような経緯から、この『保科正之』を読む。

名君というのは知っていたけれど、具体的な一生を知らなかったので、とても勉強になった。物語もシンプルに面白いし。まずは、出生から波乱に満ちているのも凄い。

生まれる以前から命の危険に晒されていたとは思いもしなかった。

物語の構成も文体も素晴らしく分かりやすかったというのも大きい。PHP文庫の歴史系は当たりが多い気がする。

今まで隆慶一郎の作品などで、徳川家関連の物語を読んでいたけれど、ちょっと距離を置いた保科正之という一面から江戸幕府などを見ることが出来たのも良かった。

歴史好きな人や江戸幕府関連が好きな人には、非常にオススメの作品である。

その後には、保科正之が祀られている福島県の猪苗代町にある土津神社(はにつじんじゃ)や会津若松市にある鶴ヶ城にも行った。

「土津」という名称は、1671年に保科正之が、神道家の吉川惟足(よしかわ・これたり、1616年~1695年)から、吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来。

土津神社の奥に、保科正之の墓がある。鬱蒼と生い茂る林の中にある、なだらかな石畳の坂道を上がっていく。

熊出没注意の看板があるので、ちょっと驚くけれど、静謐な雰囲気。自然と清らかな気持ちで参拝ができる場所である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

土津神社(はにつじんじゃ)

土津神社は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社。保科正之が祀られている。猪苗代駅からバスで、“バスセンター”か“上新町”まで乗って、そこから歩いて約10分くらい。

公式サイト:土津神社

鶴ヶ城

鶴ヶ城は、福島県会津若松市にある城。1643年に保科正之が、出羽国山形藩から23万石で陸奥国会津藩へ転封している。

公式サイト:鶴ヶ城