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大森靖子『超歌手VIP』要約・感想

大森靖子『超歌手VIP』表紙

  1. 独自の生き方と信念と個性
  2. 日常の大切さと手作りの人生
  3. 音楽と孤独と芸術観
  4. 率直な人間味と深い哲学

大森靖子の略歴・経歴

大森靖子(おおもり・せいこ、1987年~)
シンガー・ソングライター、超歌手。
愛媛県松山市の出身。武蔵野美術大学を卒業。

『超歌手VIP』の目次

まえがき 清くなくても、正しくなくても、ただ美しく
第一章 IN MY CASE
第二章 朝を迎えるの楽勝じゃない
第三章 音楽で会いましょう
あとがき 永遠の帰結
大森靖子に一〇八の質問

『超歌手VIP』の概要・内容

2018年6月15日に第一刷が発行。毎日新聞出版。224ページ。ハードカバー。外形は、135mm✕195mm。

『超歌手VIP』は、豪華版で価格は、3,520円。以下の仕様・特典が付く。

– ハードカバー布張り(ピンクサテン生地)&金色箔による超豪華仕上げ)
– 撮り下ろしフォト48ページ(フルカラー)
– オリジナル特典3点封入
「大森靖子自撮り写メシール」
「超歌手VIPサイン帳カード」(大森靖子記入アリ)
「超歌手VIPサイン帳カード」(大森靖子記入ナシ)

上記の無い、価格の異なる1,650円の通常版『超歌手』もある。

『超歌手VIP』の要約・感想

  • 初単著のエッセイ集・豪華版「超歌手VIP」記事紹介
  • 大森靖子は、どんな人物なのか
  • 大森靖子の歌詞とハンドメイドの日常
  • 音楽で会いましょう
  • あとがきと時代の流れ
  • 大森靖子への質問と回答
  • まとめ:大森靖子のエッセイの魅力

初単著のエッセイ集・豪華版「超歌手VIP」記事紹介

大森靖子の初単著のエッセイ集『超歌手VIP』を取り上げ、その魅力と個性的な表現、そして彼女が残してきた伝説とも言える軌跡を紹介する記事である。大森靖子は、音楽シーンで多くのファンに支持され、天才、人気といったキーワードが示すように、独自の世界観と生き様で多くの人々を魅了してきた。この記事では、エッセイの各章から抜粋した引用と、それに対する具体的な感想を盛り込みながら、解説していく。

エッセイは、「まえがき 清くなくても、正しくなくても、ただ美しく」から始まり、第一章「IN MY CASE」、第二章「朝を迎えるの楽勝じゃない」、第三章「音楽で会いましょう」、あとがき「永遠の帰結」、そして「大森靖子に一〇八の質問」といった構成で、彼女自身の生き様、音楽観、そしてクリエイターとしての姿勢が余すところなく描かれている。以下、各章ごとに見どころと深いメッセージを詳述していく。

大森靖子は、どんな人物なのか

第一章「IN MY CASE」では、大森靖子のアーティストとしての信念と独自の生き方にフォーカスしている。ここでは、ライブパフォーマンスや音楽活動に関するエピソードを通して、自分らしさを失わずに生きる大切さが語られている。

全員同じになってはならない。自分の踊りを忘れてはいけない。アーティストが拳をあげろと言ったからという理由で全員が同じように拳をあげるのならば気持ち悪くて吐きそうだ。楽しんだもん勝ち? 知るか、奴隷になるくらいなら私は負けでいいし、死にたい。(P.25「#二〇一七のジハード」)

この引用文は、大森靖子がアーティストとして提唱する個性の尊重と、全体主義的な流れに対する強い拒絶感をそのまま表している。ライブでの一体感を感じながらも、彼女は決して他人に流されることなく、自分自身のリズムやスタイルを守ろうとする姿勢を強く打ち出している。

ライブでの一体感は、アーティスト側とオーディエンス側が互いに影響し合いながら高まるものだが、全体主義に流されるのは決して望ましくない。実際、筆者自身もライブで拳をあげるかどうかは個人の判断に任せるべきだと感じたのである。

eastern youth(イースタン・ユース)の吉野寿(よしの・ひさし、1968年~)も「音楽でひとつになるな。音楽でひとりになれ」といった発言をしている。自分の好きなアーティストは、似たような感性、思考を持っているのかもしれない。

一九歳でギターを始めたので、遅すぎるという思いで一日中弾いていたし、そのまま抱いて寝るという厨二バンドマンみたいなこともしていた。(P.36「#ライブ・イズ・デッド」)

この部分は、若い頃から音楽に没頭し、自らの限界や常識に挑戦し続けたエピソードが描かれている。私は19歳からギターを始めたという事実に驚きを隠せず、中学生や高校生の頃からの熱意を期待していた気持ちもあった。音楽への情熱と努力が、後の成功に繋がっていく。

ちなみにHi-STANDARD(ハイ・スタンダード)のギタリスト・横山健(よこやま・けん、1969年~)も、若い頃にギターを抱えて一緒に寝たりしたことがあるという話をしていた。それくらいの思い入れというか、気持ちがアーティストには必要なのかもしれない。

実際の私が生きる世界はむしろ男が多くて、<中略>、そいつらにナメられないような態度をとり、ライブで全員潰す、しか考えていなかった。口癖は「ぶっ潰す」だった。物騒だ。(P.54「#KIMOCHI、MeeTooされたくない」)

この引用文は、音楽の現場感覚を余すところなく表している。大森靖子が自らの体験を通して、どんな困難な状況にも負けず、自己主張をしっかりと貫いてきた姿勢は、大森靖子がどんな人物であるのかという問いに対する明確な答えとなる。ただ私としては、ここまで好戦的な感じとは知らずに何となくこの文章を読んで笑みがこぼれてしまった。そして大森靖子を益々好きになった。

大森靖子の歌詞とハンドメイドの日常

エッセイの第二章「朝を迎えるの楽勝じゃない」では、日常の積み重ねと人生の真価について、彼女ならではの視点で描かれている。特に、突発的な出来事や大きな災害の際に露呈する人間性について、鋭い洞察と自身の経験が交差する内容となっている。

これは繊細な話だから言いづらいが、この本だから言うけど、大きな何かがこの国に起こったときのそれぞれの行動について、「あのときにそれぞれ人間の真価が問われたよね、誰と付き合っていくべきかがわかったよね」というような会話がなされることがしばしばある。(P.95「#急にいいやつになったね、どうせいいやつじゃなくなるし」)

この引用は、大災害や社会的な混乱のとき、人々の本当の姿が浮かび上がるという普遍的なテーマについて述べられている。特に大きな出来事においては、一見して「いいやつ」になったり、道徳的に優れた行動が求められるが、実際にはその背景にある複雑な人間ドラマがあることを示唆している。自分もこれに共感し、日常の小さな積み重ねこそが真の人生の姿であると感じたのである。

日常がいちばん大切だよ。生まれたときから死刑だし、常に毎日を手づくりしているんだよ、その積み重ねが人生だ。それを、でかいことがあったときにだけ、目立つときだけ、人生つくろうとするのはズルだよ。(P.95「#急にいいやつになったね、どうせいいやつじゃなくなるし」)

この言葉は、日常の大切さと、普段の積み重ねが人間としての深みを生むということを強く説いている。生まれた瞬間から既に「死刑」という運命に晒されながら、毎日を自分なりにクリエイトして生きることの重みを、彼女は端的に表現している。この考え方は、大好きな楽曲「ハンドメイドホーム」のような日常生活を大切にする思想とも響き合っている。以前にライブでバンドバージョンの「ハンドメイドホーム」を聴けたのは最高であった。

毎日三千字ぐらいの文章をほぼ誰も読まないのに更新し続けていたら、本をほとんど読んだことがないのに、いつの間にかこうして出版できる程度には文章が書けるようになったようだ。(P.127「#私のガチ恋」)

ここでは、彼女の執筆活動に対する驚嘆とともに、文章を書くという行為そのものの価値について語られている。筆者は銀杏BOYZの峯田和伸(みねた・かずのぶ、1977年~)への憧れを背景に、自らブログを始めるなど、日々の努力と実践が形となって現れたエピソード。毎日3,000字という記録的な執筆量は、彼女のクリエイティブな才能の高さが表れている。

読書をしないということには衝撃を受けた。自分の好きなアーティストは結構、読書家で文学好きな人も多かったため。ただ他の人物の楽曲を聴いたり、歌詞を読んだりしているからか、もしくは自分が創る側だからなのか、この語彙力や表現力の源はどこなのだろうか。ちなみに口語的なリズムと柔軟な表現が、このエッセイの魅力のひとつでもある。

音楽で会いましょう

第三章「音楽で会いましょう」では、大森靖子が音楽を通して伝えたいメッセージや、死生観に基づく独自の芸術観が色濃く表現されている。

私が告別式に行くのは珍しかった。
自分が生きてるうちに何か届けなければ意味がない、死んでから評価なんてされてもムカつくだけと思って活動している。それを人にしたくない。
死によって、必死で生きて描いたニュアンスを変えられたくないし、変えられても「おい! ちょっと待てや!」と否定できないのがつらいな、ということを自分の死後に想いを馳せた時に感じる。それを人にしたくない。
<中略>
以上の理由により、告別式は何かと理由をつけて行かなかった、行けなかった。(P.150「#ごっちんと、おばあちゃんと、ゴッホ」)

この文章は、死という避けがたい現実にどう向き合うかという、非常に重いテーマを扱っている。大森靖子は、告別式という形式に縛られることなく、自らの感情や信念を率直にぶつける。

詩人・茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)と共鳴する部分を感じた。確か、茨木のり子も基本的に葬儀や告別式などに行かなかったような話を読んだことがある。そして実際に「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません」と生前に書き綴った文章を、死んだ後に送付できるように手配をしていたエピソードを思い出した。

自分も実際に生きているうちにできる限りのことをしようと考えさせられた。大森靖子がライブで放つ熱いエネルギーの背景にあるものを何となく感じられたような気がした。

「孤独は財産」くらいに思っていますからね、私は。
人は基本、人のことをわかることなんてできないんですよ、当たり前に孤独な生き物だから。絶対に完全には無理です。でもだからこそ面白さがうまれる。孤独だからこそ、自由がある。じゃないと、なんとなくみんなが言うことに合わせて生きていくしかできないですから。(P.173「#孤独力」)

この言葉は、彼女の内面の自由さと独自性、そして孤独を恐れない精神を象徴している。人と同じになろうとするのではなく、孤独であっても自分らしく生きることの大切さが、ライブの熱気にも見事に表れている。孤独は時に厳しい現実を突きつけるが、その中でこそ個性が輝き、結果として音楽や詩、歌詞に独自の深みを与えているのかもしれない。

私は、絵を描くように歌をうたいたい。声も、詞も。
「大森靖子が歌詞を書いた」と表現されている原稿を、いつもわざわざ「歌詞を描いた」に直してもらっている。(P.189「#歌を描く」)

この一節は、単なる作詞活動に留まらず、歌自体を一つの芸術作品として描き出すという、彼女ならではの独創的な発想が垣間見える。まるでキャンバスに自由に色を乗せる画家のように、音楽、歌詞をも絵画として捉えるその感性は、彼女の表現方法のユニークさに他ならない。

あとがきと時代の流れ

エッセイの最後の章、あとがき「永遠の帰結」では、これまでの経験や思索の集大成とも言える深いメッセージが込められている。

一万時間幸せでも、一秒大不幸だったら潰れる。それぐらい人間は弱い。その弱さを知らなければとても危険だと思う。死ぬこと以外かすり傷なんて論外。かすり傷だと思っていた傷が致命傷となって、なんでもないときにどうなるかわからない。 (P.203「あとがき 永遠の帰結」)

この言葉は、生きることの厳しさと、日常の中でいかに自分を守り、クリエイティブなエネルギーに変えていくかという問いかけである。

さらに、丁度この本が発売されてから約2ヵ月後の2018年8月28日に編集者・箕輪厚介(みのわ・こうすけ、1985年~)の『死ぬこと以外かすり傷』が発売されたという時代背景は、当時の社会状況や、芸術家としてのメッセージが交錯していたことを物語っている。なかなか面白い時代の流れを感じられる。

大森靖子への質問と回答

エッセイの締めくくりとして掲載されている「大森靖子に一〇八の質問」では、大森靖子自身の趣味や考え、そして音楽に対する率直な思いが垣間見える。

100 好きな洋楽は?
MUSE、weezer、Bjork (P.217「大森靖子に一〇八の質問」)

この短い質問と回答からも、彼女のセンスや音楽に対する広い視野が読み取れる。

私は、この本の中で一番衝撃を受けたかもしれない。アメリカのバンド・weezer(ウィーザー)が大好きだからである。本当に驚いた。weezerも凄いし、大森靖子も凄いと思った。

その他、普段の活動とはまた違う一面を知ることができる。こうしたエピソードは、彼女の人間味あふれる側面と、時代に流されずに自分を貫く姿勢を如実に表しており、大森靖子に対する理解を深める大きな鍵となっている。

まとめ:大森靖子のエッセイの魅力

『超歌手VIP』を通して感じられるのは、大森靖子が根っからのクリエイターであり、音楽という芸術を生き抜くための強い意志と独自の哲学を持っているということである。彼女は、自らの経験をそのまま言葉にして、多くの読者に共感と衝撃を与えた。

文章は口語的でありながら、哲学的な深みも併せ持っており、読みながら自然と自分の生き方や音楽に対する情熱を問い直させられる。スマホでポチポチと打ち込んだその文章は、時に突っ走りすぎるほどの情熱と、時に鋭い洞察力で、読者を引き込む力を持っている。というか、スマホで書いたことが凄過ぎるけれど。

また、彼女のエッセイは、時に過激で、時に繊細な表現を交えながらも、一貫して「自分らしさ」を貫くというメッセージが貫かれている。これは、現代の多くの音楽シーンにおいて、形式や常識に縛られずに自由に表現することの重要性を示している。特に彼女の音楽はライブパフォーマンスでその真価が発揮され、彼女の生き方や言葉がより一層強く感じられるのである。

さらに、エッセイ全体を通じて散見されるのは、日常の尊さや、誰もが抱える孤独に対する独自の視点である。日々の小さな積み重ねが大切なのである。歌詞の一つひとつに込められた深い意味は、単なる言葉以上の力を持ち、聴く者に多くの感動や共感を呼び起こす。こうした部分は、彼女がなぜこれほどまでに人気を得て、支持され続けているのかを示すものでもある。

今後の大森靖子の歩みも非常に楽しみである。次々と生み出される新たな作品やライブパフォーマンスは、彼女の進化する芸術性を証明しており、それが多くのファンにとっての希望や刺激となっている。誰もが自分らしく生きるための一つの指針として、そして音楽という普遍的なテーマに対する深い洞察として、『超歌手VIP』は重要な一冊である。

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