『光圀伝』冲方丁

冲方丁の略歴

冲方丁(うぶかた・とう、1977年~)
小説家。
岐阜県各務原市生まれ。シンガポール、ネパールで育つ。
埼玉県立川越高等学校を卒業。早稲田大学第一文学部を中退。
『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞、舟橋聖一文学賞、北東文芸賞を受賞し、第143回(2010年上半期)直木賞にノミネート。『光圀伝』で第3回山田風太郎賞受賞。

『光圀伝』の目次

【上巻】
序ノ章
天ノ章
地ノ章

【下巻】
地ノ章(承前)
人ノ章
義ノ章
解説 筒井康隆

概要

2015年6月25日に第一刷が発行。角川文庫。上下巻。上巻は520ページ。下巻は502ページ。

2012年8月に刊行した単行本を上下巻に分冊して文庫化。
文庫化の際に加筆修正を実施。

諸国漫遊、助さん、格さん、印籠などでお馴染みの「水戸黄門」。その主人公である徳川光圀(とくがわ・みつくに、1628年~1701年)の生涯を描いた作品。

ただし、テレビドラマなどで固定化してしまった好々爺的な人物ではなく、もっと激しい傾奇者であった若者時代や文事に熱中していく過程なども詳細に書かれた新たな水戸黄門伝。

徳川光圀は、常陸水戸藩の第2代の藩主。

諡号は義公、字は子龍、号は梅里。水戸藩の初代藩主・徳川頼房(とくがわ・よりふさ、1603年~1661年)の三男。儒学を奨励、彰考館を設立、『大日本史』の編纂事業を開始。

儒学者で軍学者の山鹿素行(やまが・そこう、1622年~1685年)や、会津藩の初代藩主・保科正之(ほしな・まさゆき、1611年~1673年)、儒学者の林読耕斎(はやし・どっこうさい、1624年~1661年)なども登場。

同じく冲方丁の作品『天地明察』の主人公で、後に渋川春海(しぶかわ・はるみ、1639年~1715年)と名乗る安井算哲(やすい・さんてつ)も、下巻に出てくる。

上巻が520ページ、下巻が作家・筒井康隆(つつい・やすたか、1934年~)の解説を含めて、502ページといった分量で、なかなかのボリュームのある作品。

感想

冲方丁の『天地明察』に続いて、ちょっと関連している『光圀伝』『天地明察』の中にも少しだけ登場する徳川光圀が主人公。

水戸黄門で有名だが、実は諸国漫遊はしていない。

家臣たちが日本の歴史書を編纂するために、全国各地に調査に行ったこと。

光圀が全国的に有名であり、庶民に愛されていたことから、所謂、水戸黄門の物語が創作されたのでは、といった流れのようだ。

ほとんど前提知識が無かったが、これほどまでに激しい人物だったとは思わなかった。あくまでもフィクションではあるが。

若かりし頃の傍若無人の振る舞い。詩歌への情熱。文武の人。義の人。

いやはや、無茶苦茶、面白かった。本当に、あっという間に読み切ってしまった。

親友や最愛の妻との死別。
キャラクター造形が素晴らしいから、際立つんだよな。生き様から死に様が。

父親に対する愛情の渇望。そこから屈折した若者のエネルギーの爆発。壮年まで衰えないバイタリティー。

体制、組織の構成。システムづくり。上長としての役目。兄弟愛。

複雑な人間模様。義に忠実であるためがゆえの葛藤。自らの子供。兄の子供。自分の生い立ち。

本当に素晴らしい物語だった。
その後に、水戸周辺を巡ってみたけれど、とても楽しく過ごせた。

御三家。水戸、尾張、紀伊。この辺りも色々と勉強が必要だな、と思った。

何となく「水戸黄門」を知っている人には、是非読んでもらってその固定しまったイメージを壊してもらいたい。

またシンプルにエンターテイメント時代小説として、楽しんでもらいたいオススメの作品。

書籍紹介

関連スポット

常磐神社(ときわじんじゃ)

常磐神社は、茨城県水戸市常磐町にある神社。徳川光圀と、常陸水戸藩の第9代の藩主・徳川斉昭(とくがわ・なりあき、1800年~1860年)を祀る。

公式サイト:常磐神社

義公祠堂(水戸黄門神社)

徳川光圀公の生誕の地とされている場所。茨城県水戸市三の丸。

久昌寺(きゅうしょうじ)

久昌寺は、茨城県常陸太田市新宿町にある、日蓮宗の寺院。1673年に徳川光圀は生母・久昌院(きゅうしょういん、1604年~1662年)の菩提を弔うため、一宇を建立する。1677年に久昌寺を建立。1941年に義公廟が建立。

水戸徳川家墓所・瑞龍山(ずいりゅうさん)

水戸徳川家墓所は、瑞龍山と号され、茨城県常陸太田市瑞龍町にある。中国・明の儒学者の朱舜水(しゅ・しゅんすい、1600年~1682年)の墓も。現在は、閉鎖・非公開。