『柳生宗矩』大島昌宏

大島昌宏の略歴

大島昌宏(おおしま・まさひろ、1934年~1999年)
小説家。
福井県福井市の生まれ。福井県立藤島高等学校、日本大学芸術学部を卒業。
広告制作会社に勤務し、多くのテレビCM制作を手がける。
1992年『九頭竜川』で新田次郎文学賞を受賞。1994年『罪なくして斬らる』で中山義秀文学賞を受賞。

『柳生宗矩』の目次

第一章 無刀取り
第二章 関ヶ原合戦
第三章 将軍家指南役
第四章 大坂の陣
第五章 二蓋笠
第六章 三代目
第七章 真剣白刃とり
第八章 惣目付
終章 栄達
関係年表
あとがき

概要

1999年12月15日に第一刷が発行。PHP文庫。349ページ。書き下ろし作品。副題は「徳川三代を支えた剣と智」。

主人公となるのが、題名の通り、柳生宗矩(やぎゅう・むねのり、1571年~1646年)である。

江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した人物。

父親は、後に石舟斎と号する偉大な兵法家・柳生宗厳(やぎゅう・むねよし/むねとし、1527年~1606年)。

そして、柳生宗矩は、徳川家康(とくがわ・いえやす、1543年~1616年)、徳川秀忠(とくがわ・ひでただ、1579年~1632年)、徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604年~1651年)と徳川家に三代に渡って仕える。

鉄砲が全盛となる時代の剣術の在り方を模索し、刀法から心法を重んじて、“剣禅一致”もしくは“剣禅一如”の柳生新陰流を編み出す。柳生の再興も胸に秘めながら。

その過程では、臨済宗の僧・沢庵宗彭(たくあん・そうほう、1573年~1646年)との交流もある。

柳生宗矩の一生が描かれた時代小説。

感想

もともと隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)の小説で、柳生家の概要は知っていたし、柳生の里にも行った事がある。

そのような下地があったから入りやすかったというのもあるし、最近は徳川家に関連した書物を読んでいたのも良かったのかも。

あとは、今回初めてその作品を読むことになった著者・大島昌宏の文章や構成も素晴らしかった。

作品そのものは、主人公・柳生宗矩が、徳川秀忠に仕えるというのがポイント。共に、偉大な親を持つ二代目。

その辺りの要素も面白かった。

隆慶一郎の作品では、悪役というか敵側として描かれているが、この作品では柳生宗矩の誠実さというか、組織内での生き方というか、上手いこと人柄や賢さなどが表現されている。

また同時に、徳川家の三代の歴史も垣間見えるのも良い。物語も関ヶ原の戦いの前から始まるのが、序章的な感じで構成も練られている。

柳生家や徳川家、江戸時代初期などに興味のある人には非常にオススメの作品。

柳生宗矩の『兵法家伝書』や、沢庵宗彭の『不動智神妙録』も機会があれば読んでみようと思う。

書籍紹介

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大和柳生古城跡(柳生の里)は、奈良県奈良市柳生下町にある柳生家の修行地や菩提寺の芳徳寺、旧柳生藩家老屋敷などが周辺に点在する場所。

柳生観光協会:柳生の歴史

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沢庵宗彭の墓は、住職も務めた東海寺の墓地にある。東海寺は臨済宗大徳寺派の寺院。1638年に徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山。公式サイトは無い。