
書籍紹介
- 「面白い」を論理的に分解し、謎を設計するような知的作業や「予定通りに生きる」ことが真の自由であり満足だと説く。
- 研究とは「世界で初めて知ること」であり、検索では得られない未知への挑戦こそが最高の面白さの源泉。
- 他者の評価や流行に左右されず本質を守り、成果は売上・納税という客観的な数字だけで測るべきだと主張。
- 夢や希望より「計画」と「作業」を重視し、自分だけで静かに深く楽しむ生き方が、人生を面白く設計する実践的な方法だと結論。
森博嗣の略歴・経歴
森博嗣(もり・ひろし、1957年~)
小説家、工学者。
愛知県の生まれ。東海中学校・高等学校、名古屋大学工学部建築学科を卒業。名古屋大学大学院修士課程を修了。三重大学、名古屋大学で勤務。1990年に工学博士(名古屋大学)の学位を取得。1996年に『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。
『面白いとは何か? 面白く生きるには?』の目次
はじめに
第一章 「面白い」にもいろいろある
第二章 「可笑しい」という「面白さ」
第三章 「興味深い」という「面白さ」
第四章 「面白い」について答える
第五章 「生きる」ことは、「面白い」のか?
第六章 「面白さ」は社会に満ちているのか?
第七章 「面白く」生きるにはどうすれば良いか?
第八章 「面白さ」さえあれば孤独でも良い
第九章 「面白さ」の条件とは
おわりに
『面白いとは何か? 面白く生きるには?』の概要・内容
2019年9月25日に第一刷が発行。ワニブックスPLUS新書。253ページ。
『面白いとは何か? 面白く生きるには?』の要約・感想
- 謎を生み出す高度な頭脳と面白さ
- 自由とは予定通りに生きること
- 研究という究極の知る行為の深淵
- 本質を保ちつつ環境を観察する力
- 最高の楽しさは他人に語らない
- 納税という最も客観的な社会貢献
- 評価を客観的な数字で測る合理性
- 健全な欲望から目覚める知的好奇心
- 夢や希望を排した計画と作業の力
- 孤高に一人で静かに楽しむ境地
日常生活を送る中で、私たちはどれほど本当に「面白い」と感じる瞬間を持っているだろうか。
日々の作業に追われ、時間だけが過ぎていくことに焦りを感じることもあるはずだ。
そのような漠然とした閉塞感を打ち破るためのヒントが、ある一冊の書籍に隠されている。
それが、森博嗣(もり・ひろし、1957年~)の著書『面白いとは何か? 面白く生きるには?』である。
森博嗣は、工学部の研究者でありながら小説家としてデビューし、数々の名作を世に送り出してきた稀有な存在である。
彼の視点は常に論理的であり、感情論や曖昧な精神論に流されることがない。
物事の本質を鋭く見抜き、合理的な思考で世界を解き明かしていくその姿勢は、多くの読者を魅了し続けている。
本書では、誰もが日常的に口にする「面白い」という言葉の正体を、極めて客観的かつ緻密に分析している。
感情の動きを科学者のように観察し、いかにして自らの人生を「面白く」設計していくかという具体的な方法論が語られているのである。
本記事では、この書籍の中から特に重要ないくつかの言葉を引用し、彼が提示する哲学の深淵を探っていく。
私たちが無意識に抱えている固定観念を取り払い、まったく新しい視点で世界を捉え直すための羅針盤となるはずである。
謎を生み出す高度な頭脳と面白さ
森博嗣の小説、特にミステリィ作品に触れたことのある人ならば、その緻密な論理構成に驚かされた経験があるだろう。
物語の中に隠された謎は、単なる思いつきではなく、計算し尽くされた設計図に基づいて配置されている。
彼自身は、その創作過程における「面白さ」の源泉について、次のように語っている。
したがって、トリックや意外性を考えれば良い。クイズを作るようなものだし、ある意味、数学の問題を作るような作業である。実は、僕は大学の工学部の教官だったので、数学や物理の問題を作ることは何度も経験していたのだ。(P.37:第一章 「面白い」にもいろいろある)
ミステリィ小説には常に謎が存在し、読者はその答えを知りたいという純粋な知的好奇心に駆動されて最後までページをめくる。
この一連の読書体験を設計する側の視点として、彼はクイズや数学の問題を作る作業と同質のものだと述べているのである。
クイズや数学、物理の問題をゼロから構築できる人間というのは、特殊な能力を持っていると言わざるを得ない。
解答から逆算して、解き手がどのように考え、どこで迷い、どのようにひらめくかという全てのプロセスを予測しなければならないからだ。
この時点で、森博嗣は一般的な発想の枠組みを超えた、極めて論理的で構築的な能力を有していることがわかる。
そういった大学教官としての作問の経験を存分に活かして、彼はミステリィというジャンルに挑んでいるのである。
理屈として、数学の問題を作るように小説を書くという手法は頭では納得できる。
しかし、それを実際にやってのけ、長年にわたってベストセラーを生み出し続けるというのは、かなりのトップレベルの頭脳の持ち主でなければ不可能である。
彼にとって小説を書くという作業自体が、高度なパズルを組み上げるような「面白い」知的遊戯なのかもしれない。
読者は彼の仕掛けた美しい数式のような謎解きに巻き込まれ、そこで極上の面白さを体験することになるのである。
自由とは予定通りに生きること
私たちは普段、「自由」という言葉をどのように定義しているだろうか。
多くの人は、何も縛られるものがない状態や、何もしなくてもよい時間を自由だと捉えがちである。
しかし、森博嗣は自由という概念に対して、まったく異なる視点からの明確な定義を与えている。
自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画したとおり、自分が予定したとおりに生きることであり、それが人間の満足の根源でもある。(P.64:第一章 「面白い」にもいろいろある)
これは非常に鋭く、そして納得のいく自由の定義である。
無為に時間を過ごす「暇」は、決して自由ではない。
むしろ、暇を持て余すことは、時間を主体的にコントロールできていない状態であり、そこには真の満足は存在しないのである。
彼が語るように、自分が計画したとおり、予定したとおりに生きることこそが自由の真髄である。
そして、この自ら設定した計画が順調に進み、自由へと向かっているという方向性を感じている状況こそが「面白い」という感情に直結するのではないだろうか。
ここでの「面白い」とは、単なる快楽ではなく、深い「満足できる」という意味合いを含んでいる。
まずは、自らの意志で時間と行動をコントロールするという自由についての定義が、深く心に響く。
それに付随して、あるいは関連して生じるものが「面白い」という豊かな状況なのだと理解できる。
自由を自分の手に握っているからこそ、行動のすべてに満足ができる。
そして、そのコントロール感が強いほど、人生は劇的に面白く感じられるのである。
自分の意思で計画を立て、それを実行し、自由な境地へ向かいそうだと実感できるとき、私たちは未来に対して強い期待感を抱くことができる。
それこそが、満足できそうであり、同時に面白そうであるという、最も前向きな精神状態を生み出すのである。
研究という究極の知る行為の深淵
人が何かを「知る」プロセスには、いくつかの段階が存在する。
私たちは日々、テレビやインターネットを通じて無数の情報を受け取り、新しいことを知った気になっている。
しかし、森博嗣の考える「知る」の最高峰である「研究」は、私たちが日常で行っている情報収集とは根本的に性質が異なるものである。
研究というのは、「知る」ことの究極ともいえる行為だろう。普通の「知る」は、人に教えてもらうか、調べるか、検索するかで、ほぼ実現するが、研究とは、世界で自分が初めて知るという意味だから、研究する対象は、その答が世界のどこにも存在しない。誰も知らないことだから研究するのだ。(P.104:第三章 「興味深い」という「面白さ」)
これが、彼が工学部の研究者として生涯を懸けて向き合ってきた「研究の定義」である。
既存の知識を誰かに教えてもらったり、本を読んで調べたりすることは、知識の再確認に過ぎない。
しかし研究とは、人類の知識の最前線に立ち、そこから一歩先へと未踏の地を踏み出す行為である。
世界中の誰も答えを知らない領域に足を踏み入れ、自分自身の手でその真理を明らかにする。
その途方もない過程には、研究の奥深さとともに、容易には到達できない厳しさが内在している。
そして同時に、人類史において「自分が初めて知る」という特権を得るための、壮大なロマンを感じることができる。
分からないからこそ面白い。
答えが存在しないからこそ、自らの手で探求する価値がある。
知的好奇心の限界点に挑むことの尊さと、そこから得られる圧倒的な知的興奮が、この短い文章からひしひしと伝わってくるのである。
現代は検索一つで何でも答えが分かる時代だと言われているが、それは単に他人が作った答えを借りているだけである。
真の「面白さ」は、検索窓に打ち込んでも決して答えが出てこない問いにこそ潜んでいるのだ。
本質を保ちつつ環境を観察する力
現代は、誰もが容易に意見を発信できる社会であり、他者の評価や反応を気にして自分の行動を変えてしまう人も少なくない。
しかし、森博嗣は他者の声に対して、極めて冷静で距離を置いたスタンスを保ち続けている。
人の声に左右されることは、僕にはない。
ただ、どういったところへボールを投げれば、受け取ってくれる人がいるのか、という意味で環境を観察することは重要だ。これが、ネットでいろいろな人の考え方を眺める理由である。受けるものを作る仕事になっても、自分が作り出すものの質には変化がない、ということである。(P.106:第三章 「興味深い」という「面白さ」)
彼は、他人の意見によって自分自身の考えや作品の本質を変えることは絶対にないと言い切っている。
しかし、それは外界との関わりを完全に断絶するという意味ではない。
最終的なアウトプットの質や核となる部分は決して変化させないが、自分の作品を受け取る環境や状況は注意深く観察しているのである。
あくまでも自身のクリエイティブな本質は強固に保ちながら、一部の戦術的な要素として、世間の状況や環境から観察したデータを取り入れているのだろう。
自分の投げたボールを、どこにいる誰が、どのような姿勢で受け取ろうとしているのかを見極めること。
それはマーケティングの視点にも通じる、極めて高度で冷静な観察眼である。
ここから分かることは、彼の中には絶対に振れることのない太い軸が存在しているということだ。
世間の流行や批判に右往左往することなく、自分が価値があると信じるものを、黙々と作り続ける。
それが森博嗣の持つ圧倒的な強さであり、揺るぎない個性とも言えるのである。
環境を観察することは、迎合することではない。
自分を曲げずに相手に届けるための、知的な工夫であり、それこそがプロフェッショナルな仕事の流儀なのである。
最高の楽しさは他人に語らない
私たちは面白いことや楽しいことを見つけると、つい誰かに話して共有したくなる生き物である。
特にSNSが普及した現代では、楽しさをアピールし、他者からの共感を得ることで満足感を高めようとする傾向が強い。
しかし、森博嗣の考え方は、そういった現代の風潮とは完全に逆行している。
僕は、自分にとって一番楽しいことは、人に伝えられないものだと考えています。人に伝えるほど陳腐になり、誤解される。結果として、その素晴らしさが損なわれて認識されてしまう、という印象を持っています。(P.116:第四章 「面白い」について答える)
これは編集者からのインタビューにおいて、「面白いもの・こと」のベスト7を聞かれた際の回答の一部である。
森博嗣は、自分にとってのベストを他人に伝えようとは決して思わないという。
無理に言葉にして他者に伝えようとすればするほど、その体験は陳腐化し、本来の輝きを失ってしまうと考えているからだ。
他者の理解というフィルターを通すことで、どうしても誤解が生じ、素晴らしさが損なわれてしまう。
だからこそ、彼は基本的に自分の中のベスト1番、2番、3番は完全に内緒にしているとのことである。
今まで一度も、いかなる媒体にも書いたことがないという徹底ぶりだ。
抽象すると、それらは研究的、探究的な深遠なテーマであるとは発言している。
自分だけのベスト1から3までは心の中に秘めておくというのは、非常に美しく、孤高の美学を感じさせる。
ちなみに彼が明かした4番目はジャイロモノレールの研究、5番目は模型飛行機、6番目は庭園鉄道、7番目は犬と遊ぶことだそうだ。
4番目以降でも十分に専門的で深い趣味の世界であるが、トップ3はこれらを凌駕するものであると想像するだけで面白い。
確かに、本当に好きなものや楽しいことの順番をつけるのは、甲乙つけ難く、簡単に決められるものではない。
自分自身の場合に置き換えてみても、音楽、読書、旅行、映画やドラマの鑑賞など、どれも等しく好きである。
音楽一つをとってみても、ただ聴くのが好きなだけでなく、自分で演奏する楽しみもある。
聴くという行為に関しても、静かな部屋で家で聴く時間もあれば、移動中の電車で聴くことも、熱気あふれるライブハウスや音響の整ったコンサートホール、あるいは開放的な野外で聴くことも、それぞれ違った質の楽しさがある。
好きなもの自体も、追求すればするほど細分化されていき、簡単に言語化できない領域へと入っていく。
楽しさという感情や行動を、綺麗に区分して他人に提示することは、本来極めて難しい作業なのである。
だからこそ、無理に共有しようとせず、自分一人の中で完結させて深く味わうことの尊さを、彼は教えてくれているのだ。
納税という最も客観的な社会貢献
「社会貢献」という言葉を聞くと、多くの人はボランティア活動や寄付、あるいは直接的に人助けをするような無償の行為を連想するだろう。
しかし、森博嗣は社会と自身の関わり方について、極めて冷静で経済的な指標を用いて説明している。
それから、もう少し穿った見方をすれば、社会への貢献を量で測るとしたら、それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て、これが一番直接的な指標である。つまり、仕事をして金を稼げば、それに応じて納税するわけで、それだけ社会貢献していることになる、というのが僕の認識でもある。(P.163:第六章 「面白さ」は社会に満ちているのか?)
彼が大学の研究員として働いていた時、小説を書くという行為をある種のアルバイトとして捉えて始めたという経緯がある。
その執筆活動を始める際、彼は既に社会に対する貢献は、これまでの大学での研究や教育を通じて充分に果たしたと考えていた。
その時点で彼はまだ30代の終わりであったが、自身の役割に対する明確な認識を持っていたのである。
しかし、それでも彼は10年以上にわたって大学の教官としての仕事を続けながら、小説を書き続けた。
この書籍が書かれた時点で彼は既に還暦を過ぎており、現在も社会への貢献は充分に果たし終えていると思っているという。
その認識の上で語られたのが、上記の納税に関する文章である。
感情や善意といった曖昧なものではなく、納めた税金の額という明確な数字で社会貢献を測る。
これは、経済のシステムと国家の成り立ちを深く理解しているからこその、非常に合理的で穿った見方である。
現在も彼は作家業で莫大な収益を上げ続けていると推測される。
そうであれば、必然的に相当な額の納税を国に対して行なっているはずである。
つまり、彼は本人の主観的な感覚とは裏腹に、システム上は今もなおトップクラスの社会貢献を継続していることになる。
他人にどう思われようと、数字という冷徹な事実が、彼の社会的な存在価値を強烈に証明しているのである。
このようなドライでありながらも揺るぎない認識を持つことで、無用な罪悪感や承認欲求から解放され、より自由に、面白く生きることができるのだろう。
評価を客観的な数字で測る合理性
何か新しいものを世に生み出したとき、他者からの評価は避けては通れないものである。
称賛の声もあれば、心ない批判にさらされることもある。
そのような雑音の中で、クリエイターはどのように心の平穏を保ち、創作を続けるべきなのだろうか。
気に入らないものには難癖をつけたがる人たちが一定数いるし、売れていくほど、風当たりは強くなるだろう。褒められるか、それとも貶されるかというのは、どちらも一票、と考えることをお勧めする。僕自身がそう考えている。(P.235:第九章 「面白さ」の条件とは)
これは、精神衛生上、極めて健康的な考え方である。
世の中には他人の粗を探すことを目的としているような層が一定数存在し、作品が有名になればなるほど、批判の数も増えるのは自然の摂理である。
世間から「つまらない」と非難を浴びたとしても、それを真に受けて立ち止まる必要はないと彼は主張する。
褒める声も、貶す声も、等しく「一票」として換算するというこの思考法は、非常に合理的で優れた防衛術である。
つまり、良くも悪くも話題になっているということであり、批判の声すらも作品の宣伝として機能していると捉えることができるからだ。
さらに彼は、真に注目すべき指標についてこう断言している。
大事なことは、どれだけ売れたか、どれだけ金が集まったか、という金額だ。「面白い」の手応えは、この数字でしか測ることができない。「それほどまだ売れていないけれど評判は良い」とか「一定数売れてはいるけれど、悪口をいう人が多い」などの、不思議な評価は聞き流せば良い。(P.236:第九章 「面白さ」の条件とは)
これもまた、いかにも森博嗣らしい、明快で分かりやすい解釈と判断基準である。
言葉による評価は主観的であり、発言者の意図によって容易に歪められる。
しかし、「お金を払ってでもそれを手に入れたいと思った人がどれだけいたか」という数字の束は、決して嘘をつかない客観的な事実である。
この考え方は、小説の執筆に限らず、世の中のあらゆる仕事に関しても言える普遍的な真理である。
実態の伴わない不思議な評価や、根拠のない言説などに惑わされないこと。
自分で冷静にデータを判断し、問題があれば対処し、さらに改善を重ねて計画を立て、次の行動に移すこと。
この冷徹なまでの思考と実践のプロセスこそが、面白い仕事を持続させるための唯一の条件なのである。
健全な欲望から目覚める知的好奇心
高度な教育を受け、研究者として大学で教鞭を執り、さらに作家としても大成功を収めた人物。
そのような華麗な経歴を見ると、さぞかし幼少期から勉強が好きで、机に向かうことを苦にしなかったのだろうと想像してしまう。
しかし、本人の口から出た言葉は、予想を裏切るものだった。
ちなみに、勉強は大嫌いだったので、高校時代はほとんどしなかった。一番勉強したのは、就職してからだ。なにしろ、学生に教えなければならない立場になり、講義の予習もした。もちろん、一番の勉強は研究テーマについてだった。知りたいことが沢山あった。知りたいと思っている人間には、勉強が「面白い」ということを初めて理解することになった。(P.246:あとがき)
まず驚かされるのは、「勉強は大嫌い」だったという率直な発言である。
これはあくまでも好き嫌いの話であり、得意不得意の話ではないという点に注意が必要だ。
第一に、森博嗣は愛知県名古屋市でも有数の名門私立である東海中学校・高等学校に、厳しい中学受験を突破して入学している。
入学してからも、学年で上位の成績を常に維持していたという逸話もある。
つまり、感情としては勉強が大嫌いであっても、能力としてはかなり得意な方であったという、才能に恵まれた話なのである。
もちろん、基礎的な学力がなければ大学院に進学し、さらに研究者として大学で働くことなど不可能である。
しかし、興味深いのは、彼が真の意味での勉強の「面白さ」に気がついたのが、社会に出て働き出してからだという事実である。
学生時代の受動的な試験勉強ではなく、学生に教えるという責任感や、自分の研究テーマの謎を解き明かしたいという内発的な欲求。
「知りたい」という強力な動機が生まれたとき、かつて嫌いだった勉強が、突然「面白い」活動へと変貌したのである。
何事も、誰かに強制されて嫌々やるのではなく、自分自身の健全な欲望から自発的に動き出すとき、人は対象を心から面白く楽しめるようになる。
知的好奇心というエンジンが点火されたとき、人間の持つ本来のポテンシャルが最大限に引き出されるのである。
夢や希望を排した計画と作業の力
世の中には、夢を持つことの素晴らしさや、希望を胸に抱いて生きることの大切さを説く言葉が溢れている。
自己啓発書などを開けば、必ずと言っていいほどこれらのポジティブな単語が並んでいる。
しかし、森博嗣はそういった耳触りの良い言葉に対して、容赦のない現実的な視点を投げかける。
「夢」も「希望」も、あっても良いが、べつになくても良いものだと思っている。
必要なものは、ずばり「計画」であり、「作業」である。
実物の、建築も都市も、ピラミッドも万里の長城も、すべて「夢」や「希望」でできているのではなく、人間の「計画」と「作業」で実現したものだ。(P.253:あとがき)
夢と希望は必須ではない、本当に必要なのは計画と作業である。
この言葉は極めて論理的であり、誰も反論できないほどの説得力を持っている。
非常に実践的であり、徹底して現実的である。
私たちはしばしば、夢や希望といった美しい言葉に付着している、一種の幻想や熱狂に惑わされてしまう。
夢を思い描くだけで何かが前進したような錯覚に陥り、肝心の足元の行動がおろそかになってしまうのだ。
しかし、歴史に名を残す偉大な建築物も、途方もない規模のインフラストラクチャーも、決してフワフワとした感情だけで出来上がったわけではない。
緻密な計算に基づいた「計画」と、何万人もの人々による気の遠くなるような「作業」の積み重ねによって、現実の物理空間に立ち上がったのである。
感情の高ぶりをあてにするのではなく、ただ冷徹に計画を立て、日々の作業を淡々と進めること。
それこそが、不可能に思えるような巨大な成果を生み出す唯一の手段なのである。
人生を設計し、面白く生きるためにも、この「計画」と「作業」という言葉は常に胸に刻んでおくべき重要な真理である。
孤高に一人で静かに楽しむ境地
本書全体を通じて一貫して感じられるのは、森博嗣の自立した強靭な精神姿勢である。
彼は、他者と群れることなく、一人で静かに楽しめる趣味を持つことの豊かさを体現している。
特に、消費するだけでなく、自らの手で何かを作り出し、アウトプットする趣味を重んじている。
しかも、そのアウトプットは決して世間に公表して承認を得るためのものではない。
ただ自分一人で、自分の計画に従って作業を進め、その過程と結果を静かに楽しむという、究極の自己完結である。
そこには、現代人がSNSなどで陥りがちな、他者の評価に依存した不安定な精神状態は微塵も存在しない。
彼の語る言葉は常に冷静で、無理をしていないように感じられる。
しかし、その実績を客観的に見れば、どう考えても彼は若い頃から常人離れした努力と実行力で困難を乗り切っている。
身体は弱い方だと自称しながらも、必要とあらば3時間睡眠を当たり前のようにこなし、膨大な作業量を処理していたというエピソードもある。
大学の専任教員として研究や講義をこなしながら、同時に人気小説家として次々と作品を発表するという二足のわらじを、10年以上の長きにわたって継続していたのである。
いや、そもそも小説家としてデビューした最初の1年目から、彼の作品は爆発的に売れ、確固たる地位を築いている。
この事実を直視すれば、彼がいかに並外れた才能と精神的な体力を持ち合わせているかがよく分かる。
しかし、それを単なる「天才だから」という言葉で片付けることはできない。
その背景には、常に自分の人生の主導権を握るための徹底した「計画」と、それを実行に移す無機質なまでの「作業」が存在しているからだ。
自らの内面と深く向き合い、面白さを醸成していく。
そのような孤高の生き方こそが、他者に振り回されがちな現代において、私たちが最も学ぶべき技術なのかもしれない。
『面白いとは何か? 面白く生きるには?』は、単なるエッセイではなく、人生という複雑なシステムを最適化し、最大の「面白さ」という出力を得るための、極めて実用的な工学書である。
漠然とした不安や退屈を感じている人は、ぜひこの緻密に計算された人生論に触れてみてほしい。
きっと、明日からの景色が少しだけ論理的に、そして劇的に面白く見えてくるはずである。
- 【選書】森博嗣のおすすめ本・書籍12選:エッセイや随筆など
- 【選書】森博嗣のおすすめ本・書籍12選:推理小説など読む順番も
- 森博嗣『夢の叶え方を知っていますか?』要約・感想
- 森博嗣『作家の収支』要約・感想
- 森博嗣『小説家という職業』要約・感想
- 森博嗣『新版 お金の減らし方』要約・感想
- 森博嗣『創るセンス 工作の思考』要約・感想
- 森博嗣『自分探しと楽しさについて』要約・感想
- 森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』要約・感想
- 森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』要約・感想
- 森博嗣『科学的とはどういう意味か』要約・感想
- 森博嗣『孤独の価値』要約・感想
- 森博嗣『読書の価値』要約・感想
- 森博嗣『アンチ整理術』要約・感想
- 森博嗣『勉強の価値』要約・感想
- 森博嗣『諦めの価値』要約・感想
- 森博嗣『悲観する力』要約・感想
- 森博嗣『集中力はいらない』要約・感想
- 森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』要約・感想
- 【選書】畑村洋太郎のおすすめの本・書籍12選:失敗学、数学、わかる技術
- 畑村洋太郎『失敗学のすすめ』要約・感想
- 中島義道『働くことがイヤな人のための本』要約・感想
- ジョナサン・マレシック『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』要約・感想
- ロバート・L・ハイルブローナー『入門経済思想史 世俗の思想家たち』要約・感想
- ジョン・ウッド『マイクロソフトでは出会えなかった天職』要約・感想
- スコット・ギャロウェイ『ニューヨーク大学人気講義 HAPPINESS』要約・感想
- ピーター・ティール『ZERO to ONE』要約・感想
- G・M・ワインバーグ『コンサルタントの秘密』要約・感想
- 中村哲『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』要約・感想
- 今北純一『仕事で成長したい5%の日本人へ』要約・感想
- 冲方丁『天地明察』あらすじ・感想
- 司馬遼太郎『空海の風景』あらすじ・感想
- 瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』要約・感想
- 神津朝夫『知っておきたいマルクス「資本論」』要約・感想
- 木暮太一『働き方の損益分岐点』要約・感想
- 本多静六『お金・仕事に満足し、人の信頼を得る法』要約・感想
- 竹内均『人生のヒント・仕事の知恵』要約・感想
- 藤原正彦『天才の栄光と挫折』要約・感想
- 邱永漢『生き方の原則』要約・感想
- 高橋弘樹/日経テレ東大学『なんで会社辞めたんですか?』要約・感想
- 鷲田清一『岐路の前にいる君たちに』あらすじ・感想
- 齋藤孝『座右のニーチェ』要約・感想
- 齋藤孝『日本人の闘い方』要約・感想
- 齋藤孝『最強の人生指南書』要約・感想






