『風の呪殺陣』隆慶一郎

隆慶一郎の略歴

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

『風の呪殺陣』の目次

北嶺回峯行
風流踊り
一揆衆
叡山焼亡
観音寺
髑髏の舌
処刑
ウルガン伴天連
傀儡子女
地獄谷
川内
鬼嘯
小猿
輪中
上京焼討ち
左顧右嘯
川内根切り
叡山再見
本願寺焼亡
御馬揃え
譲位
本能寺炎上
解説 縄田一男

概要

1992年1月15日に第一刷が発行。徳間文庫。254ページ。

1990年2月に徳間書店から刊行されたものを文庫化。

雑誌に連載していたものを修正・改編してから、書籍化の予定であったが、隆慶一郎の急逝により、そのまま刊行。

この作品の大きな要素が、織田信長(おだ・のぶなが、1534年~1582年)による1571年(元亀2年)の比叡山焼き討ち。

登場人物は、比叡山東塔・無動寺の若き回峯行者の昇運。同じく無動寺の小僧で、少し間抜けな好運。山門公人衆(さんもんくにんしゅう)の若者・谷ノ坊知一郎

回峯行とは、比叡山の約300か所の聖地を礼拝して回る修行のこと。山門公人とは、俗人でありながらも得度して、比叡山を支えた人々。

三人のそれぞれの生き方と歴史の流れが大きく交錯する物語。

特に昇運は、回峯行の百日目、満行の日にこの焼き討ちを受けて、師範である高い位の僧・阿闍梨への道を閉ざされてしまう。

そこから、織田信長を呪殺するために、呪法の修行に突き進んでいく。

2000年5月1日には、光文社時代小説文庫から、2008年12月5日には新装版として徳間文庫から、新たに刊行されている。

感想

織田信長を好きになれないのは、やはり比叡山焼き討ちである。

思いっ切り、隆慶一郎の影響を受けてしまってはいるれど。どのような理由や背景があったとしても、皆殺し、ジェノサイドでしかないから。

この物語では、未来を閉ざされてしまった比叡山の修行僧が、織田信長に対して、呪法によって恨みを晴らそうとする。

もともとは、雑誌「問題小説」に1986年10月から1987年1月まで4回に分けて、連載されたもの。先述した通り、当初は修正を加えてから書籍として刊行される予定であった。

その辺りの詳細は、文芸評論家・縄田一男(なわた・かずお、1958年~)の解説を是非じっくり読んでみてもらいたい。

加えて、隆慶一郎のエッセイ『時代小説の愉しみ』も手に取ると、より理解が増すかもしれない。

宗教、祈り。仏教、読経。修験道、法。そして、呪法。

古くから伝えられてきて、歴史にも記されている呪法。確か、安部龍太郎(あべ・りゅうたろう、1955年~)の『血の日本史』の中にも、呪法の物語があった。

宗教学、民俗学、歴史学など、色々と絡まってくるので、非常に面白い。ここから実際に、アカデミックな本を深堀りしていくのも良いのかもしれない。

民俗学者・谷川健一(たにかわ・けんいち、1921年~2013年)の『魔の系譜』についての記述が解説にもあったし。

隆慶一郎の作品の中では、少し毛色が異なるオススメの時代小説である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

比叡山・延暦寺

伝教大師・最澄(さいちょう、767年~822年)が建立した滋賀県大津市坂本にある天台宗の寺院。

公式サイト:比叡山延暦寺

比叡山・無動寺明王堂

無動寺は相応(そうおう、831年~918年)が、865年に建立。比叡山延暦寺東塔無動寺谷にある塔頭。回峯行の拠点ともなる場所。