岡本太郎の略歴
岡本太郎(おかもと・たろう、1911年~1996年)
芸術家。
神奈川県川崎市の生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、東京美術学校洋画科に入学、半年後に中退。パリ大学で美学などを学ぶ。1930年~1940年までフランスで過ごす。
父親は漫画家の岡本一平(おかもと・いっぺい、1886年~1948年)、母親は歌人で小説家の岡本かの子(おかもと・かのこ、1889年~1939年)。
『今日の芸術』の目次
序文 横尾忠則
初版の序
第1章 なぜ、芸術があるのか
生きるよろこび
芸術の見方――あなたには先入観がある
第2章 わからないということ
「八の字」文化
わからない絵の魅力
鑑賞と創造の追いかけっこ
第3章 新しいということは、何か
新しいという言葉
芸術はつねに新しい
新しいものへのひがみ
近代文化の世界性
アヴァンギャルドとモダニズム
第4章 芸術の価値転換
芸術はここちよくあってはならない
芸術はいやったらしい
芸術は「きれい」であってはならない
芸術は「うまく」あってはならない
第5章 絵はすべての人の創るもの
見ることは、創ることでもある
昔、絵は見るものではなかった
下手な絵描きたち
名人芸のいらない時代
誰でも描けるし、描かねばならない
自由の実験室
子どもと絵
第6章 われわれの土台はどうか
日本文化の特殊性
芸術と芸ごと
日本的モラル
解説 赤瀬川原平
『今日の芸術』の概要
1999年3月20日に第一刷が発行。知恵の森文庫。光文社。258ページ。
副題は「時代を創造するものは誰か」。
1954年に光文社のカッパ・ブックスとして刊行されたものを文庫化。
序文は、画家の横尾忠則(よこお・ただのり、1936年~)の「岡本太郎は何者であるか」。
解説は、画家で作家の赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい、1937年~2014年)の「岡本太郎を読んだ若者」。
『今日の芸術』の感想
特に大好きというわけでもないが、展覧会を観に行ったり、南青山の岡本太郎記念館を訪れたりしたので、読んでみた。
なかなか面白い発想が豊かにあった。歴史などの教養も深いし、論理も通っている。やはり、相当な知識があり、教養のある人ってことなのか。そして、技術を持っていて、芸術と格闘した人である。
「近ごろの若いものは……」などと、かりそめにも言いたくなりだしたら、それはただちに老衰の初期徴候だと考えて、ゆめゆめ口には出さず、つつしんだほうがお身のためだと忠告しておきます。(P.54「第3章 新しいということは、何か」)
多くの偉人たちが同じことを指摘している。
英語学者の渡部昇一(わたなべ・しょういち、1930年~2017年)とかをはじめ、他の人達も言っているような気がする。
これは、他者への戒めでもあり、自分自身への戒めということか。
自分の感性、感受性への衰えに対する恐怖。時代性に合わなくなってしまう恐怖。
そのような要因からの発言かも。
新規性、進取性。先端を感じ取りたいという欲望か。
この話は少しバージョンを変えてさらに続く。「わしの若いころは、はるかにすばらしかった」的な話をするのは、現代を生きずに過去を美化して逃げ込んでいるだけ、という主張も。
なるほどな。現在を生きなければならないんだよな。
芸術家は、時代とぎりぎりに対決し、火花をちらすのです。(P.91「第3章 新しいということは、何か」)
時代に合い、そして、時代に批判的であり、新しい流れを生むのが芸術。時代的であり、反時代的でもある。
芸術。深いな。
ここ数年は色々な美術館に行ったり、美術展に観て回ったりしている。
そこまで、芸術家たちが時代と格闘しているとは思ってもみなかった。
それとも、岡本太郎が特殊なのだろうか。面白いな。
つまり、今までそういうものを、なんども見て知っているから、すうっとそのまま、その世界にひたることができます。なにも努力しないですむ、はなはだ気分がよいわけです。ところが、創造的な芸術には、けっしてそういう安心感がありません。(P.100「第4章 芸術の価値転換」)
「そういうもの」というのは、富士山の絵や綺麗な裸体画、静物画のこと。
ただ単純に見慣れているから、その世界に入っていくことができて、努力をしないで、安易に気持ち良くなれてしまう。
ああ、それだけでは駄目だったのか。
創造的な芸術は安心感がない。緊張感や不安感がある。何故なら新しいから。新しいものは、慣れていないもの。
なるほどな、芸術は深いな。
さらに続いて、岡本太郎は、そのような慣れきった心地良さを「無責任な感動」と斬る。
もっと積極的に、芸術と向き合い、責任を持って、鑑賞することが、大切ということか。これからの美術鑑賞の姿勢が大きく変わりそう。
すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。(P.119「第5章 絵はすべての人の創るもの」)
優れた作品に出逢い、鑑賞し、自らの内側と芸術を通して対峙することで、新たな自分自身を創造していく。これが芸術鑑賞という事か。
岡本太郎は、素晴らしい作品に触れることで、人間形成や精神の確立に繋がるとも。さらに、新しい自分自身の創造になるとも。
凄いな。そんなに凄いことだったのね。芸術鑑賞というものは。
また「第6章 われわれの土台はどうか」では、芸術は創造であるから、二度と繰り返してならない、昨日と同じことをしてはいけない、とも。
これってかなり辛いような気がするけれど。これをやってのけるのが天才たちっていうことか。
芸術の本質は技術であって、芸の本質は技能です。
技術は、つねに古いものを否定して、新しく創造し、発見してゆくものです。つまり、芸術について説明したのと同じに、革命的ということがその本質なのです。(P.217「第6章 われわれの土台はどうか」)
芸術の本質=技術。
芸の本質=技能。
技術は、新しいもの・未来へと向かう。
技能は、伝統・過去へと向かう。
おお、これは何となく分かるような気がする。凄いな。
革命と伝統。
この瞬間に徹底する。「自分が、現在、すでにそうである」と言わなけれならないのです。現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものならばかならず現在ある。だからこそ私は将来のことでも、現在全責任をもつのです。(P.235「第6章 われわれの土台はどうか」)
あれ、これって、フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年~1900年)じゃん。
永劫回帰。超人。
芸術は哲学に通じる。文学や音楽とかも含めて。
自分自身に当てはめるなら、現在に対して全責任を持てという感じか。現在に対して全責任を持つならば、将来にも繋がる。
芸術と哲学か。
岡本太郎、凄いな。
岡本太郎の他の著作も読んでみようかな。もしくは、母親の岡本かの子の作品もチェックしようか。
文学全集で載っていたから、読める環境は整っているし。うーん、読みたい本が大渋滞だ。
というわけで、岡本太郎の思想や哲学を知りたい人には非常にオススメの本である。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
岡本太郎記念館
東京都港区南青山にある岡本太郎の記念館。岡本太郎のアトリエ兼住居を利用している。
公式サイト:岡本太郎記念館
岡本太郎美術館
神奈川県川崎市多摩区枡形にある岡本太郎の美術館。岡本太郎は神奈川県川崎市の生まれ。
公式サイト:岡本太郎美術館