『別冊太陽 茨木のり子』平凡社

茨木のり子の略歴

茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)
詩人。随筆家。
本名は、三浦のり子。旧姓は、宮崎のり子。
大阪府大阪市の生まれ。愛知県西尾市の育ち。西尾高等女学校(現在の西尾高等学校)を卒業。
帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現在の東邦大学)の薬学部を卒業。

『別冊太陽 茨木のり子』の目次

茨木さん 谷川俊太郎
[評伝 茨木のり子]
凛としてあり続けたひと 後藤正治
第一章 生い立ち
第二章 はたちが敗戦
第三章 詩人誕生
コラム 六〇年安保と戦争責任
第四章 はやい訣れ
第五章 ひとり暮らし
第六章 隣国語の森
第七章 晩年
[再録]
はたちが敗戦 茨木のり子
怖るべき六月 茨木のり子
金子光晴×茨木のり子 一九六二年十一月七日
[エッセイ]
のり子さん こんにちは 工藤直子
最初期の一編の詩から 高橋順子
詩のレシピ帖 山根基世
茨木のり子が住んだ家 平松洋子
『ハングルへの旅』と私 金裕鴻
伯母からのたより 宮崎治
[写真帖]
尋常小学校時代の綴方帳・図画帳
Yとのアルバムより
三年連用当用日記より
Yの箱
石垣りんさんのこと
茨木のり子の暮らし 住まい+料理レシピ
治さんへ のり子より
鳩の年賀状
お別れの手紙
[資料]
茨木のり子 略年譜

※さらに、63編の[茨木のり子・詩]が掲載。上記の目次の下段に詩の題名が列挙されている。

※上記のように、項目ごとに目次として書かれているが、実際は、一括して掲載されているのではなく、それぞれ全体的に万遍なく配置されている。

概要

2019年12月22日に第一刷が発行。平凡社。ソフトカバー。159ページ。220mm×292mm。

正確には『別冊太陽 日本のこころ277 茨木のり子 自分の感受性くらい』といった題名。

茨木のり子の原稿や手紙、資料と住宅や道具、小物などの豊富な写真と一緒に、関連した人物たちのエッセイもまとめられた作品。63編の茨木のり子の詩も掲載。

新たに写真を撮影したのは、フリーカメラマンの小幡雄嗣(おばた・ゆうじ、1962年~)。神奈川県生まれ、日本大学芸術学部写真学科を卒業。

1987年に第24回太陽賞(平凡社)、1997年に第8回コニカ写真奨励賞、1999年に日本写真協会賞新人賞を受賞している人物。

『茨木のり子の家』という作品でも撮影を担当している。

[評伝 茨木のり子]の執筆者は、ノンフィクション作家の後藤正治(ごとう・まさはる、1946年~)。

後藤正治は、京都府京都市の出身。京都大学農学部卒業。『清冽 詩人茨木のり子の肖像』も手掛けた人物。

茨木のり子と対談しているのは、詩人の金子光晴(かねこ・みつはる、1895年~1975年)。

金子光晴は、愛知県津島市生まれ、暁星中学校を卒業。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予科に学ぶも、いずれも中退。

その他の執筆者たちは、以下の通り。

谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう、1931年~)…詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を卒業。

工藤直子(くどう・なおこ、1935年~)詩人、童話作家。台湾生まれ。お茶の水女子大学文教育学部中国文学科を卒業、博報堂に勤務。

高橋順子(たかはし・じゅんこ、1944年~)…詩人。千葉県旭市の出身。東京大学文学部フランス文学科を卒業。

山根基世(やまね・もとよ、1948年~)…アナウンサー。香川県高松市生まれ、山口県育ち。早稲田大学第一文学部英文科を卒業。

平松洋子(ひらまつ・ようこ、1958年~)…エッセイスト。岡山県倉敷市出身。東京女子大学文理学部社会学科を卒業。

金裕鴻(キム・ユホン、1933年~)…アナウンサー。韓国語講師。明治大学政治経済学部を卒業、明治大学大学院修士課程を修了。茨木のり子の韓国語の先生。

宮崎治(みやざき・さおむ)…医師。聖マリアンナ医科大学を卒業。茨木のり子の甥。茨木のり子の弟で医師・宮崎英一(みやざき・えいいち、1928年~2002年)の息子。

感想

定価は、2,400円で、書籍としてはなかなかの金額の部類に入るが、カラーページが豊富で、内容も充実の一冊。

茨木のり子のファンであれば、そこまで目新しいものはないかもしれない。

ただ、写真と詩が織りなす雰囲気が素晴らしい作品。

さらに、評伝と随筆と作品で、茨木のり子の生涯を辿ることもできる。

それぞれの資料が、重なり合い、相乗効果を得て、上質な作品となっている。

その人の気圧のなかでしか
生きられぬ言葉もある
(P.108「言いたくない言葉」)

改めて読んでみて、本当に凄い詩人だなと思う。

この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして
(P.119「この失敗にもかかわらず」)

茨木のり子の場合、いろいろと有名な詩があるけれど、この辺りの詩が、今回はとても胸に迫った。

もちろん、他にも好きな詩は沢山ある。

「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」、「倚りかからず」、「時代おくれ」なども。

この書籍にも掲載されている。

自らの言葉を司る部分や、心が洗われる気分になる。

評伝もとても良かった。『清冽 詩人茨木のり子の肖像』よりもコンパクトにまとめられている。

より詳しい評伝を読みたいという人には、『清冽 詩人茨木のり子の肖像』が非常にオススメである。

茨木のり子が尊敬し、深い交流を持っていた詩人・石垣りん(いしがき・りん、1920年~2004年)についての文章も、その敬慕の念が伝わってくる。

石垣りんは、東京生まれの詩人。赤坂高等小学校を卒業し、銀行員として働きながら詩を発表した人物。

110ページには、石垣りんからの手紙、石垣りんへの手紙が掲載されている。

その他に、茨木のり子の直筆の手紙、日記、料理レシピ、絵なども。

幼少時から晩年までの各時代の写真も豊富。

茨木のり子に興味のある人、初心者からコアなファンまで満足できる、オススメの一冊。

いつか山形県鶴岡市にあるお墓へとお参りに行こうと思う。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

宮崎医院

愛知県西尾市にある病院・宮崎医院。茨木のり子の父・宮崎洪(みやざき・ひろし、1897年~1963年)が開業。茨木のり子が育った場所。

公式サイト:宮崎医院

根府川駅

神奈川県小田原市にある東海道本線の根府川(ねぶかわ)駅。詩「根府川の海」の題材。

浄禅寺

山形県鶴岡市の浄土真宗本願寺派の寺院。公式サイトは特に無い。

夫・三浦安信(みうら・やすのぶ、1918年~1975年)と供に、茨木のり子のお墓がある。

ちなみに山形県鶴岡市は三浦安信の生まれ故郷。また鶴岡市の北側に隣接する東田川郡三川町は、茨木のり子の母であり、旧姓・大滝勝(おおたき・かつ、1905年~1937年)の生まれ故郷。

勝は鶴岡高等女学校(現・鶴岡北高等学校)を卒業している。