隆慶一郎『駆込寺陰始末』

隆慶一郎の略歴

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

『駆込寺陰始末』の目次

第一話 畜生仲・うめ女
第二話 幼な妻・おくに
第三話 子連れ女・おるい
第四話 欠け落ち者・おかね
解説 縄田一男
隆慶一郎 著書目録

『駆込寺陰始末』の概要

1992年4月20日に第一刷が発行。光文社文庫。211ページ。

1990年2月に刊行された単行本を文庫化したもの。

縁切寺とも呼ばれる女性の避難場所の駆込寺を舞台に、出家した元許嫁を守るために武術に優れた男が陰で活躍する時代小説。

舞台となるのは、神奈川県鎌倉市にある東慶寺。1285年に創建の臨済宗円覚寺派の寺院。

開山は、覚山尼(かくさんに、1252年~1306年)。覚山尼は、鎌倉幕府の第八代執権・北条時宗(ほうじょう・ときむね、1251年~1284年)の正室である。

開基は、二人の子供で、鎌倉幕府の第九代執権・北条貞時(ほうじょう・さだとき、1272年~1311年)。

ちなみに禅宗では、開創の人物を開山、その際に資金提供を担う檀越(だんおつ)を開基と呼ぶ。

『駆込寺陰始末』の時代設定は、江戸時代で、1716年~1736年の享保(きょうほう)の頃。

主人公は、麿(まろ)と呼ばれる美剣士。実は、御所忍びと呼ばれる朝廷の隠密方の棟梁の血をひく木曽谷の忍者。

自分の許嫁が東慶寺の長である住持・玉渕尼となったことから、用心棒となり陰日向に問題を解決していく。

解説は文芸評論家の縄田一男(なわた・かずお、1958年~)。隆慶一郎に関する歴史についての考察が楽しめる。

2000年4月1日には徳間文庫から、2011年11月10日には新装版として光文社時代小説文庫から、それぞれ新たに発行されている。

『駆込寺陰始末』の感想

連作時代小説。四つの話を楽しめるコンパクトな物語。文庫で、解説なども含めて、211ページ。

隆慶一郎が好きな自由を愛する漂泊の民、“道々の輩”や“公界の人々”と同様に、世俗から隔離された場所としての駆込寺。

江戸時代に妻が駆け込んで一定の期間、寺で過ごすと離婚の効果が得られた尼寺。当時は、夫側のみに離婚の権限があったため。

そのような場所を舞台にした、男女や人間の生き方を描く作品。なかなかディープな描写などもありつつ、深く読み入ってしまう魅力がある。

縄田一男の解説にもあったが、短いながらも隆慶一郎のあらゆる要素が詰まった物語である。

『花と火の帝』では、天皇の隠密と呼ばれる八瀬童子が活躍する。『駆込寺陰始末』の主人公・麿も、朝廷の隠密方の血を汲むなど、似通った設定・構図なども見受けられる。

この辺りも隆慶一郎の他の作品群と比較したり、繋げてみたりして読むと面白いかもしれない。

男女の物語、伝奇物語、隠密物語が好きな人、歴史ものが好き人には、オススメの作品である。

ちなみに、舞台となる東慶寺の墓所には、数多くの有名人が眠っている。

作者・隆慶一郎の師匠でもある評論家・小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)や仏教哲学者・鈴木大拙(すずき・だいせつ、1870年~1966年)、哲学者・西田幾多郎(にしだ・きたろう、1870年~1945年)、出光興産の創業者・出光佐三(いでみつ・さぞう、1885年~1981年)など。

東慶寺そのものも、非常にオススメの観光というか、参拝のスポットである。

書籍紹介

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東慶寺

東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗・円覚寺派の寺院。

『駆込寺陰始末』の舞台ともなる寺院。東慶寺の五世には、後醍醐天皇の皇女・用堂尼(ようどうに、不明~1396年)。

二〇世には豊臣秀頼の息女・天秀尼(てんしゅうに、1609年~1645年)。

公式サイト:東慶寺