『勉強はそれからだ』沢木耕太郎

沢木耕太郎の略歴

沢木耕太郎(さわき・こうたろう、1947年~)
ノンフィクション作家。
東京都大田区の生まれ。横浜国立大学経済学部を卒業。『テロルの決算』で、第10回(1979年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『一瞬の夏』で、第1回(1982年)新田次郎文学賞を受賞。『バーボン・ストリート』で、第1回講談社エッセイ賞を受賞。その他に数々の賞を受賞。代表作に『深夜特急』シリーズなど。

『勉強はそれからだ』の目次

旗門と逸脱 *書く
そこから始まる
死ぬ、生きる
「情報」の洪水の中で
私だけの教科書
逆恨みの日々
一本のテロップ
私にわかっていることは
敗れさること、敗れざること
してやられる
幼児のように
四千二百五十七頭の象
やがて終わる休暇の前に
短文の練習、ふたたび
夕立と幽霊
孤寒
記憶と資料
俺たちの本
おお、ムラマード!
場の魔術
スクープ
放蕩息子の逸脱
模倣不能

勉強はそれからだ *暮す
ラジオからの声
不意の声
体の奥からの声
文章の中の声
「奇妙なワシ」をめぐって
深入りできなかった仲
コロッケと豆腐と人魚
坂道
勉強はそれからだ
普通のマティーニ
振り向けば老人
自分を超える
大人になるということ
気分をかえて
ごめんなさい
王の不在
未来へのダイヤル
行きすぎる
盗電
夢の休日
酒場を出てから
春の背広
象が空を

解説 小林照幸

概要

2000年3月10日に第一刷が発行。文春文庫。278ページ。

1993年10月に刊行された単行本『象が空を』を、三分冊して、文庫化したものの第三弾。

そのため、副題的に「象が空をⅢ」と付記されている。つまり、以下の形で、文庫化されている。

「象が空をⅠ」は、『夕陽が眼にしみる』
「象が空をⅡ」は、『不思議の果実』
「象が空をⅢ」は、『勉強はそれからだ』

『勉強はそれからだ』は、ノンフィクション作家として、文章を書くことについての「旗門と逸脱 *書く」と、さまざまな日常の考察を書き記した「勉強はそれからだ *暮す」からの二部構成。

「旗門と逸脱 *書く」では、文章を書くこと、本を読むこと、仕事場でのことなど、ノンフィクション作家としての姿勢に関連することが中心。

「勉強はそれからだ *暮す」では、さまざまな日常的な事柄やテーマについての深い考察を伴う文章がまとめられている。

「象が空を」が、あとがきの役割を担っている。

解説は、ノンフィクション作家の小林照幸(こばやし・てるゆ、1968年~)。

小林照幸は、長野県長野市出身。長野県長野高等学校卒業、明治薬科大学中退、信州大学経済学部システム法学科の卒業。

『毒蛇』で、第1回(1992年)開高健賞の奨励賞を受賞。『朱鷺の遺言』で、第30回(1999年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

感想

『紙のライオン』『ペーパーナイフ』『地図を燃やす』『路上の視野』シリーズと同様に、私の好きな『象が空を』シリーズのひとつである。

「短文の練習、ふたたび」の中の「最近の三冊と読書法」では、取材時に喫茶店をよく使い、待ち合わせの時間よりも早く入店して、読書をしているという沢木耕太郎。

もしその読書法に難点があるとすれば、熱中するあまり、時として待ち合わせの相手が来ないでくれればいいのだが、と思うようになることくらいであろうか。(P.72「短文の練習、ふたたび」)

上記のような発言も。なかなか面白い。

評論家で医師の加藤周一(かとう・しゅういち、1919年~2008年)も『読書術』の中で、同様のことを言っていた。

読書に熱中してしまうと、そういう気分になる場合もある。

電車の中で本を読んでいると、目的の駅まで着かなければ良いのにと思うことや、読書に集中し過ぎて、下車するのを忘れてしまいそうになることもある。

読書好きな方なら似たような経験をしたこともあるのではないかと思う。

また同じ「短文の練習、ふたたび」の中に、「ありえなかったものへ」という小説家・三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)の『潮騒』に関する記述も。

お気に入りの作品であったので、『潮騒』に対する世間の反応に否定的であったというのは、ちょっと驚いた。

沢木耕太郎の視点だけではなく、このような情報も得られるのが読書の醍醐味でもある。

「夕立と幽霊」では、具体的には書かれていないが、ノンフィクション作家・近藤紘一(こんどう・こういち、1940年~1986年)とナウ夫人について。

仕事や人生に対する姿勢、考え方に関する文章である。

「スクープ」では、ある交通事故について。こちらも仕事や責任というものを考えさせられる内容。

「ラジオからの声」では、死生観。ラジオのディスク・ジョッキーや有名ロックシンガーの発言に対する反発心も。こちらも、人間の生き死にの根幹について、内省させられる。

「気分をかえて」では、ミュージシャンの井上陽水(いのうえ・ようすい、1948年~)や、作家の色川武大(いろかわ・たけひろ、1929年~1989年)との交流も。

ちなみに色川武大は、筆名としては同じ漢字で武大を“ぶだい”、その他に阿佐田哲也(あさだ・てつや)、井上志摩夫(いのうえ・しまお)などもある。

有名になること、スポーツ、勝負事、麻雀、そして人生論。

そういえば、沢木耕太郎の文章では、時々、色川武大が登場するな、とふと思った。かなり魅力的な人物であったのだろう。

私も阿佐田哲也の『麻雀放浪記』にハマったし、色川武大の著作も読んだことがある。井上志摩夫の名義では時代小説を書いていたようだが、まだ読んだことはないので、今度チェックしてみようと思う。

閑話休題。

また、自分の文章が大学の入試問題に使われた「ごめんなさい」も興味深い。所謂、著者自身が何故か解答できない、といった内容。

著者がその問題を何故、解けないのかについて、沢木耕太郎は、「自分の文章に対する過剰な自意識とそれと同じくらいの無意識」と結論付ける。

なるほど。これまた面白い。

といったように、さまざまなテーマについて書かれた著作。

沢木耕太郎ファンは、もちろん、ノンフィクション、エッセイ、随筆が好きな人、読書好きの方々には、オススメの作品である。

書籍紹介

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