隆慶一郎の略歴
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。
『柳生刺客状』の目次
柳生刺客状
張りの吉原
狼の眼
銚子湊慕情 中村屋/猿若町/玄冶店
死出の雪
解説 磯貝勝太郎
『柳生刺客状』の概要
1993年5月15日に第一刷が発行。講談社文庫。196ページ。
柳生一族が題材の表題作をはじめとした時代小説の短編集。1990年3月に刊行した単行本を文庫化したもの。
初出は以下の通り。
柳生刺客状「オール読物」1986年8月号。
張りの吉原「オール読物」1987年8月号。
狼の眼「小説新潮増刊号・時代小説大全集」1988年/新潮文庫「時代小説大全集」に収録。
銚子湊慕情:書き下ろし作品/長編小説の冒頭30ページ。
死出の雪「別冊歴史読本」時代小説特集号⑦1989年夏/最後の短編小説。
「柳生刺客状」は、この短編集の表題作ともなっている柳生一族の中編小説。72ページの物語。
隆慶一郎のデビュー作でもある長編時代小説『吉原御免状』とも関連してくる内容。先に『吉原御免状』を読んでいるとより楽しめる。
主要登場人物は、次の通り。
柳生宗矩(やぎゅう・むねのり、1571年~1646年)。徳川将軍家の兵法指南役。父親は石舟斎で、五男。
柳生石舟斎(やぎゅう・せきしゅうさい、1527年~1606年)。名前は、宗厳(むねよし/むねとし)。大和の柳生氏の当主。
柳生新次郎(やぎゅう・しんじろう、1552年~1616年)。名前は、厳勝(としかつ)。16歳の初陣で戦傷を受けたとされる。父親は石舟斎で、長男。
柳生兵介(やぎゅう・ひょうすけ、1579年~1650年)名前は、利厳(としとし/としよし)。父親は新次郎で、次男。
関連して登場するのが以下の人物たち。
徳川家康(とくがわ・いえやす、1543年~1616年)。江戸幕府の初代将軍。
結城秀康(ゆうき・ひでやす、1574年~1607年)。父親は家康で、次男。豊臣家を経て、結城家の養子となる。
徳川秀忠(とくがわ・ひでたた、1579年~1632年)。父親は家康で、三男。第二代目の江戸幕府将軍。
柳生宗矩は、徳川秀忠に仕えて、裏側の暗殺仕事を請け負う。裏柳生と、隆慶一郎の小説の中では呼ばれる。
柳生石舟斎、新次郎、兵介が、表柳生。さまざまな要素や時代背景が重なり、宗矩と兵介との三度の対決。そして、伝説の“無刀取り”。
それぞれの地獄が垣間見えるのが「柳生刺客状」である。
「吉原の張り」は、吉原の用心棒と太夫の物語。色恋と生死の物語。
「狼の眼」は、剣術に長けた人物が、ささいなことから“人斬り”になってしまう物語。主人公は、剣客・秋山要助(あきやま・ようすけ、1772年~1833年)。
次に注目なのが「銚子湊慕情」。漁業や海運で成功した崎山次郎左衛門(さきやま・じろうえもん、1611年~1688年)を中心として、銚子を主舞台にして描かれるはずだった作品。その冒頭の30枚。
「死出の雪」は“すべては女が悪い”という文章から始まる“崇禅寺馬場の仇討”を題材にした物語。
他の作品も、男たちの生き方、死に方、生き様、死に様、戦人、死人の模様が浮き上がる。
解説は、文芸評論家の磯貝勝太郎(いそがい・かつたろう、1935年~2016年)。東京都新宿区の生まれ、埼玉県川口市の育ち。慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業。
2014年1月15日には、新装版と同時に、電子書籍版が刊行されている。
『柳生刺客状』の感想
やはり、なんと言っても、表題作の「柳生刺客状」が、素晴らしい。柳生新次郎と柳生兵介との親子の独自の交流が、とてもお気に入りである。
前作的な短編集『柳生非情剣』に続いて読んだので、柳生家に関して、非常に関心が高まった。結局、泊まりで奈良県奈良市の柳生の里に行って、うろつき回ったけれど。
あとは、惜しまれるのは、隆慶一郎の急逝によって、複数の小説が未完で終わってしまっているという点。
この短編集にも冒頭部のみ掲載されている「銚子湊慕情」も、その続きがとても気になる。
海が関連した作品であれば向井正綱(むかい・まさつな、1557年~1625年)を主人公とした『見知らぬ海へ』も未完である。
とても面白いので、未完で終わるのは、残念至極である。
隆慶一郎の作品が好きな人、柳生家に関心のある人、歴史小説や時代小説が好きな人には、とてもオススメの短編集である。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
大和柳生古城跡(柳生の里)
大和柳生古城跡(柳生の里)は、奈良県奈良市柳生下町にある柳生家の修行地や菩提寺の芳徳寺、旧柳生藩家老屋敷などが周辺に点在する場所。
柳生観光協会:柳生の歴史
崇禅寺
崇禅寺は、大阪府大阪市東淀川区東中島にある曹洞宗の寺院。細川ガラシャ(ほそかわ・がらしゃ、1563年~1600年)の菩提寺。“崇禅寺馬場の仇討”でも有名。
公式サイト:崇禅寺