隆慶一郎『かぶいて候』

隆慶一郎の略歴

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

『かぶいて候』の目次

かぶいて候
異説 猿ヶ辻の変
わが幻の吉原
対談・日本史逆転再逆転
解説 縄田一男

『かぶいて候』の概要

1993年12月20日に第一刷が発行。集英社文庫。221ページ。

1990年5月に実業之日本社から刊行されたものを文庫化。

目次をより詳しく説明すると以下の通りの構成。

7~134ページに、未完の時代小説「かぶいて候」。
136~166ページに、短編時代小説「異説 猿ヶ辻の変」。
168~181ページに、エッセイ「わが幻の吉原」。
184~210ページに、縄田一男との「対談・日本史逆転再逆転」。
211~218ページに、縄田一男の「初刊本解説」。
219~221ページに、縄田一男の「文庫版のための付記」。

「かぶいて候」は、著者の隆慶一郎の急逝によって未完となってしまった作品。傾奇者を主題としている。

主人公は、水野成貞(みずの・なりさだ、1603年~1650年)。江戸幕府の第三代将軍・徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604年~1651年)の小姓となる。

父親は、三河国の刈谷藩主である水野勝成(みずの・かつなり、1564年~1651年)。子供は、水野成之(みずの・なりゆき、1630年~1664年)で、通称は十郎左衛門と呼ばれる旗本奴の代表的人物。

つまり、当初は、水野家三代に渡る物語の予定であったという。

「異説 猿ヶ辻の変」は、1863年7月5日(文久3年5月20日)に、攘夷派の公家である姉小路公知(あねがこうじ・きんとも、1840年~1863年)が、現在の京都御所である禁裏の朔平門外の猿ヶ辻で暗殺された事件。

朔平門外の変(さくへいもんがいのへん)とも呼ばれる。この変を題材にした幕末時代の物語。

「わが幻の吉原」は、『吉原御免状』の刊行に際しての談話を基に構成されたエッセイ。

「対談・日本史逆転再逆転」は、文芸評論家・縄田一男(なわた・かずお、1958年~)との対談。1989年9月19日に、浅草のすき焼き屋・米久で行なわれたもの。

あとの二つは、単行本版と文庫版の解説。

『かぶいて候』の感想

「かぶいて候」は、旗本奴として有名な水野成之、通称、水野十郎左衛門へと繋がる、その父親である水野成貞が主人公。

さまざまな小説やドラマでも、名前が出てくる人物は、水野十郎左衛門。

旗本奴は、江戸時代前期の、旗本の若い武士や奉公人たちの集団。いわゆる、傾奇者、かぶき者の集まりである。

では、旗本とは、というと、武士の身分の一つ。

江戸時代の徳川将軍家の直属のか診断のうち石高が一万石未満で、将軍が出席する儀式などに参列できる御目見得(おめみえ)以上の家格を持つ者の総称。

因みに、大名は一万石以上。将軍に拝謁できない御目見得未満が御家人。

なるほど、身分制度などの復習になる。閑話休題。

この『かぶいて候』は、時代小説もエッセイも対談も楽しめる一冊になっている。特に隆慶一郎のファンであれば、必読かと思う。

縄田一男の解説も非常に分かりやすく、またその他の隆慶一郎の作品を改めて読み返したくなる。歴史的な背景をさらに深く学んでいくとより味わえる。

大学教授、シナリオライターといった経歴から、時代小説家となった隆慶一郎。

それまでの過去の経験が注ぎ込まれた作品群。その一端を覗き込めるオススメの書籍である。

書籍紹介

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賢忠寺:水野家

広島県福山市にある曹洞宗の寺院。水野家の菩提寺で、初代藩主である水野勝成などの歴代の墓所がある。現在は、幼稚園も運営。お寺の公式サイトは無い。

京都御所

京都市上京区の京都御苑内にある旧皇居。

公式サイト:京都御所