小泉信三『読書論』

小泉信三の略歴

小泉信三(こいずみ・しんぞう、1888年~1966年)
経済学者、教育者。
東京・三田の生まれ。慶應義塾大学部政治科を卒業。
母校で教員を務め、イギリス、ドイツ、フランスの大学に留学。

『読書論』の目次

緒言
第一章 何を読むべきか―古典について―
第二章 如何に読むべきか
第三章 語学力について
第四章 飜訳について
第五章 書き入れ及び読書覚え書き
第六章 読書と観察
第七章 読書と思索
第八章 文章論
第九章 書斎及び蔵書
第十章 読書の記憶
引用書目

『読書論』の概要

1950年10月25日に第一刷が発行。岩波新書。185ページ。1964年11月20日に第20刷で改版が発行。

改版は「新版まえ書き」にも記載がある通り、編集部に託して旧版の用字や仮名遣いを直したもの。当時の若い世代への配慮をしている。

福沢諭吉は明治の始めに学問の実用ということを強く問いた警世者であった。しかもその福沢が、学問はいわば無目的に、そのこと自体に熱中しなければ大成するものでないと訓えたのは、注意して聴くべきところである。P.13「第一章 何を読むべきか」

「訓えた」は、おしえた。私は読めなかったので、補足。

福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835年~1901年)は、啓蒙思想家で教育者、また慶應義塾の創設者である。

急がば回れではないけれど、よく学問をするには、実用目的よりも、単純な好奇心、喜びを持って熱中した方が、最終的には良いという話。

実用は、つまり利益と結び付く。利益を追うとなると、自分ではなく他者や社会、時代、流行に惑わされてしまう傾向がある。

まずは熱中する事が大切。読書も同じであると。

エブラハム・リンカンについてこんな話が伝えられている。リンカンは或るときその友人の推薦した或る人物を閣僚に採用しなかった。そうして、その顔が好きでないからといった。それは酷ではないか、彼れは顔に責任がないと、その友がいったら、彼れは答えて、イヤそうでない、四十歳以上の人間は自分の顔に責任がある、といったということである。(P.18「第一章 何を読むべきか」)

なかなかの至言。

この前段には、大著を読み終えたら、人は別人となる、と述べている。顔も変化するかもしれないと。

後段には、読書家もしかりであると。本を読んで物事を考える人と全く読書をしない人では明らかに異なるという記載も。

斯く難解の章節に屈託するな、というと共に、特にすすめたいのは難解と平易とを問わず、同じ本を再読三読することである。実際相当の大著を、ただ一度読過したばかりで理解しようとするのは無理である。(P.26「第二章 如何に読むべきか」)

この文章の前には、大著などに臆する事なく、まずは一回通読せよ、とも言っている。そして、再読三読せよ、と。

特に再読の場合には、全体の構成が分かっている、また大まかな重要な部分も把握した状態になっているので、効果的であると述べている。

何度も繰り返し読む事で、より理解が深まる。

因みに英語学者・渡部昇一(わたなべ・しょうち、1930年~2017年)も『知的生活の方法』で再読三読を推奨している。

語学力を養うには、自分の経験からいうと、二つの方法の変容が肝要であると思う。一つは一字一句丹念に辞書を引き、文法書を開き、或いは先輩に尋ねつつ進むこと。今一つは辞書や文法書などはそっち除けにドシドシ読んで、全体もしくは大体の意味を摑むことがこれである。(P.31「第三章 語学力について」)

語学力の大切さ。読書好きであれば、日本語以外にもう一つの言語を学んで楽しみなさいといった主旨。勉強法は、二種類の併用で学びなさいと。

先述した渡部昇一は、英語とドイツ語。軍医で小説家の森鴎外(もり・おうがい、1862年~1922年)も、英語とドイツ語。学者や文豪、作家の場合は、英語は当たり前で、その他の言語も扱えるようだ。

この後段には、読書においての大著と同様に、外国語に対しても構えずに、まずは着実に学び続けてみなさいといった事を伝えている。

恐れず侮らずに外国語に触れないさいと。漢文の素読と同様に、外国語の朗読も推奨している。

要するに私の言いたいのは、本を読んだら読み放しにしないで、少くとも大切な本は、その読んだことについて何か書いて置くことが、読書の感興とそうしてまた併せてその利益を一層大きくするゆえんだというにある。(P.60「第五章 書き入れ及び読書覚え書き」)

何か読んだら、それで終わりではなく、そこから何を学び取ったり、感じたりしたかを書き残しておく。

すると、記憶にも残りやすく、流用しやすいという話。

このように私が読んだ本について、ウェブに文章をまとめている理由の一つが、まさに上記の実践である。

鷗外、漱石ともに、文章の要義として浮華冗漫を嫌い、直截を尚ぶことを言っている。愛読する文章の一として鷗外がハインリヒ・フォン・クライストのそれを挙げ、漱石がガリバー旅行記の作者スウィフトを推すのは、いずれもこの理由によるものであった。(P.93「第八章 文章論」)

「尚ぶ」は、たっとぶ。

森鴎外が好んだハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist、1777年~1811年)は、ドイツの劇作家、ジャーナリスト。

小説家の夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)が好んだジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift、1667年~1745年)は、イングランド系アイルランド人の作家、随筆家。

読書論をすると自然と文章論にも及んでいくと語る。森鴎外と夏目漱石、そして福沢諭吉などを引用しながら、文章についての考察が進む。

なるほど、読書論は、文章論でもある。

『読書論』の感想

恐らく、知的生活系の書籍を読んでいて、何かの参考文献として登場。気になったので購入といった流れ。

著者・小泉信三の父親は、福沢諭吉の直接の門下生で後に慶應義塾長、横浜正金銀行支配人などを歴任した小泉信吉(こいずみ・しんきち、1888年~1966年)。

小泉信三は、幼い頃に父親を亡くすが、普通部(中学校)から慶應義塾に学ぶ。

そのため、福沢諭吉の影響も大きく、実際にこの著作の中でも度々、引用されている。私自身も興味を持って、その後に福沢諭吉の著作や関連本を読むようになった。

この書籍では、著者の人生を振り返りながら読書論が主軸として展開されている。後半には、文章論や書斎、蔵書についても。

やはり著者自身が大の読書家であるので、文章もとても読みやすく、叙情感もある。現在ではあまり使われない漢字も時々、散見されるが、それもまた勉強にもなる。

著者は、ドイツの詩人・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年~1832年)や、歌人で精神科医の斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年~1953年)なども好きなようで、詩心もある。

本文では、詩の引用なども見受けられる。

巻末には「引用書目」として、参考文献の一覧が記載されているので、この辺りを見ながらさらに読書していくのも良いと思う。

非常にオススメの読書に関する本である。

書籍紹介

関連スポット

野球殿堂博物館

プロ・アマ問わず、国内外の野球に関する資料等を展示している東京都文京区にある博物館。
小泉信三は「学徒出陣壮行早慶戦」(1943年、通称「最後の早慶戦」)実施を評価されて、1976年に特別区分で殿堂入りしている。

公式サイト:野球殿堂博物館