『柳生非情剣』隆慶一郎

隆慶一郎の略歴

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

『柳生非情剣』の目次

慶安御前試合(柳生連也斎)
柳枝の剣(柳生友矩)
ぼうふらの剣(柳生宗冬)
柳生の鬼(柳生十兵衛)
跛行の剣(柳生新次郎)
逆風の太刀(柳生五郎右衛門)
あとがき
解説 山口昌男

概要

1991年11月15日に第一刷が発行。講談社文庫。202ページ。

1988年12月に刊行された単行本を文庫化したもの。

目次にある通り、柳生家のそれぞれに焦点を当てて、短編が連なる構成。

柳生連也斎(やぎゅう・れんやさい、1625年~1694年)は、尾張藩士。名前は厳包(としかね)。父親・柳生利厳(やぎゅう・としよし/としとし、1579年~1650年)の跡を継ぎ、尾張藩剣術指南役を務める。

柳生友矩(やぎゅう・とものり、1613年~1639年)は、第三代将軍・徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604年~1651年)に使えて寵愛を受ける。父親は、柳生宗矩(やぎゅう・むねのり、1571年~1646年)で、次男。

柳生宗冬(やぎゅう・むねふゆ、1613年~1675年)は、将軍家の兵法指南役として、第四代将軍・徳川家綱(とくがわ・いえつな、1641年~1680年)と第五代将軍・徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646年~1709年)に仕える。父親は柳生宗矩で、三男。

柳生十兵衛(やぎゅう・じゅうべえ、1607年~1650年)は、第三代将軍・徳川家光に仕えるが、後に出仕停止となり警護を担う書院番を務める。名前は三厳(みつよし)。父親は柳生宗矩で、長男。

柳生新次郎(やぎゅう・しんじろう、1552年~1616年)。名前は、厳勝(としかつ)。16歳の初陣で戦傷を受けたとされる。父親は後に石舟斎と号する柳生宗厳(やぎゅう・むねよし/むねとし、1527年~1606年)で長男。

柳生五郎右衛門(やぎゅう・ごろうえもん、1566年~1603年)。名前は、宗章(むねあき)。武者修行の末に、小早川秀秋(こばやかわ・ひであき、1582年~1602年)に仕え、後に伯耆国米子藩(現在の鳥取県米子市)で客将となる。父親は柳生宗厳で、四男。

私はこの本の中で、私の見た、と云うより私にはこう見るしかなかった柳生一族を書いたつもりである。通説とはかなり違っているかも知れない。たが私はほしいままに彼等を創ったわけでは決してない。(P.197「あとがき」)

上記のように、作者の隆慶一郎は、あとがきで書いている。

さまざまな史料から、隆慶一郎が読み取った、感じ取った、柳生一族の「地獄変相図」が、描かれているのである。

解説は、文化人類学者の山口昌男(やまぐち・まさお、1931年~2013年)。北海道美幌町の出身。東京大学文学部国史学科を卒業。 東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程を修了している人物。

感想

隆慶一郎の他の時代小説では、どちらかというと主人公たちの敵側として設定されている柳生一族。

その柳生一族のそれぞれの人物たちが主人公となった短編集。

柳生家の人物たちから成る短編集なので、一冊を通して、柳生家に流れる歴史、背景、要素が全体として感じられる構成。

一人ひとりに、時代や柳生家としての役割が与えられるかのような運命、宿命、使命を読み取れる。

そこに、個人の葛藤や武術に生きる者の業が、立ち昇る。

非常にお気に入りの短編集である。続編的な位置づけで、『柳生刺客状』もある。

思わず、柳生一族にとても興味を抱いてしまって、奈良県奈良市にある柳生の里に行ってしまったこともある。

歴史的な伝説や跡地などが、遺っているので、気になる人は二つの短編集を読んだ後に訪れるのもオススメである。

時代小説や歴史小説、剣豪小説などが好きな人には、とてもオススメできる作品である。

書籍紹介

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大和柳生古城跡(柳生の里)

大和柳生古城跡(柳生の里)は、奈良県奈良市柳生下町にある柳生家の修行地や菩提寺の芳徳寺、旧柳生藩家老屋敷などが周辺に点在する場所。

柳生観光協会:柳生の歴史