『死ぬことと見つけたり』隆慶一郎

隆慶一郎の略歴

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

『死ぬことと見つけたり』の目次

※実際の目次は「第◯話」とページ数のみ。小見出しは無い。

【上巻】
第一話 猛虎/大猪/いくさ人/くるすの旗/総攻め
第二話 祝言/百人出家/評定
第三話 悪所/かぶきもの/亡八/局女郎/首代
第四話 伯庵/龍造寺/亡霊/馬上筒/脱出行/鉄砲洲/怨霊
第五話 刺客/小城鍋島/闇討ち/一国分割
第六話 離縁/双子誕生/北山内/決闘/一人静/婚約
第七話 お目見得/おやじ/幕臣/飼熊

【下巻】
第八話 心の一方/小城/挑発
第九話 かれうた船/あんにょう/町年寄/深堀/長崎喧𠵅
第十話 大坂喧嘩/裁定/海難
第十一話 静香/光茂/太刀献上/吉原喧嘩
第十二話 葬儀/大僉議/曲射
第十三話 一つの死/死装束/早船/元茂
第十四話 婚礼/果し状/忍びの者/果合い
第十五話 夢/出府/振袖火事/吉原焼亡
結末の行方 編集部
解説 縄田一男

概要

1994年9月1日に発行。上下巻。新潮文庫。未完。上巻が341ページ。下巻が343ページ。

1990年2月に新潮社から単行本として発売されたものを文庫化。

下巻の333ページからは「結末の行方」と題して編集部による情報が記載されている。

1989年11月4日に、作者の隆慶一郎が急逝してしまったために第十五話で未完となった作品。ただ第十六話、第十七話の概要の資料は遺っているとの旨が書かれている。

もともとは「小説新潮」の1987年8月号から1989年8月号まで連載された作品。

上巻の最初、第一話の前の部分。

死は必定と思われた。つい鼻の先に、刑務所の壁のように立ち塞がっていた。
昭和十八年十二月。
僕は九月の末に二十歳になったところだった。(P.7)

といったように、作者の隆慶一郎が自分自身の戦争体験について語るところから始まる。

この作品の題名にもなっている「死ぬことと見つけたり」で始まる『葉隠聞書』(はがくれききがき)、一般的には『葉隠』と呼ばれる書を、なぜ題材にしたのかについての経緯も書かれる。

ちなみに、『葉隠聞書』は、肥前鍋島氏の家臣であった山本常朝(やまもと・つねとも、じょうちょう、1659年~1719年)の談話を、門人の田代陣基(たしろ・つらもと、1678年~1748年)が筆記したもの。

時代小説『死ぬことと見つけたり』の主要な登場人物は、佐賀鍋島藩の斎藤杢之助(さいとう・もくのすけ)と中野求馬(なかの・きゅうま)。

鍋島藩士たちの生き様が歴史とともに描かれる壮大な物語である。

解説は、文芸評論家の縄田一男(なわた・かずお、1958年~)。

感想

文庫で、上巻は341ページ。下巻は、解説も含めて343ページ。まぁ、なかなかの分量ではあるが、一気に読めてしまうくらい面白い。

未完で終わっているのは、残念ではあるが、それはそれで、読者たちの想像力に任せるような形になるので、ありなのかもしれないと思っている。

この本を読んだということもあり、佐賀を旅したこともある。

山本常朝が草庵を結んだ場所は「葉隠発祥の地」と命名されて、記念碑も建っている。近くには金立公園(きんりゅうこうえん)がある。

佐賀駅からバスでも行けるし、金立サービスエリアから直ぐなので、興味のある人であれば、立ち寄っても良い場所である。

『死ぬことと見つけたり』は、武士の生き方、死に方が描かれる。個人と組織についても。一個としての人間の生き死にに対する疑問と哲学。

そして、鮮やかな生の輝き。

そのような事項に関心を寄せながら読んでも良いし、単純に物語としても楽しめる。

歴史全般や『葉隠』に興味があったり、あるいは隆慶一郎の作品が原作のコミック『花の慶次 ―雲のかなたに―』『影武者徳川家康』が好きだったりする人には、非常にオススメの時代小説である。

書籍紹介

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関連スポット

葉隠発祥の地

葉隠発祥の地は、山本常朝が隠棲した朝陽軒(後の宗寿庵)の跡地。佐賀県佐賀市金立町。