隆慶一郎の略歴
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。
『見知らぬ海へ』の目次
見知らぬ海へ
※以下、見出しを列挙。実際には掲載は無い。
清水湊
持船城
海原
魚釣り侍
黒帆
嫁とり
海戦
葬送の船出
外艫
鬼作左
滅亡
初戦
冬の海
小田原攻め
小田原評定
田子攻め
接近
海戦
城攻め
田子砦
下田城
カツギ衆
詐術
急使
審問
三崎侵攻
漂着
臼杵隆慶一郎とフランス文学 羽生真名
『見知らぬ海へ』解説 縄田一男
付記 縄田一男
『見知らぬ海へ』の概要
1994年9月15日に第一刷が発行。講談社文庫。300ページ。
1990年10月に刊行された単行本を文庫化したもの。
隆慶一郎の急逝により未完の作品。
海の武将を描く時代小説。主人公は、向井正綱(むかい・まさつな、1556年~1624年)。後に向井水軍の長として頭角を現し、子供たちとともに戦に出ていく。
もともとは父親・向井正重(むかい・まさしげ、1519年~1579年)が武田氏に仕えていたことから、武田勝頼(たけだ・かつより、1546年~1582年)によって、家督継承を認めれられる。
後に武田勝頼が滅亡すると、徳川家康(とくがわ・いえやす、1543年~1616年)に帰属し、海上軍事官僚として活躍。
その際に、徳川の家臣・本多重次(ほんだ・しげつぐ、1529年~1596年)との交流も。本多重次の通称は、作左衛門(さくざえもん)。
そして、リーフデ号によって日本に漂着した、ウィリアム・アダムス(William Adams、1564年~1620年)、日本名・三浦按針(みうら・あんじん)が登場するところで、この作品は未完となる。
2015年11月13日には、「レジェンド歴史時代小説」の名称が追加され、新装版と電子書籍版が刊行。
『見知らぬ海へ』の感想
文庫版で300ページの作品。
未完で終わってしまっているので、恐らくかなりの長編時代小説になっていたであろう。
実際に文芸評論家の縄田一男(なわた・かずお、1958年~)の付記には、隆慶一郎の生前に残された構成メモが記されている。
◯伊豆攻めⅡ
◯三崎攻め 長宗我部の復讐 秀吉に(家康に)
◯三崎へ移る 四奉行、朝鮮征伐?
◯ウィリアム・アダムス 関ケ原
◯西の岬の住人
◯大船禁止令→諸国の船を集める
◯慶長使節団
◯大坂陣 息子 父は何を望むか メキシコ 又はヨーロッパの父
とあり、その雄大な構想の一端をのぞかせている。
(P.293:『見知らぬ海へ』解説 縄田一男)
また隆慶一郎の娘である羽生真名(はにゅう・まな、1951年~)による「隆慶一郎とフランス文学」と題された解説も、注目のポイントである。
隆慶一郎が好きだったフランスの作家や詩人たちとの関連も書かれている。
オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac、1799年~1850年)や、アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud、1854年~1891年)、ポール・ヴァレリー(Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry、1871年~1945年)など。
バルザックは、生きていた同時代の現実を再構築した。隆慶一郎は、過去の時代の現実を再構築した。
バルザックは、幻視者(ヴィジオネール)であり、隆慶一郎は、見者(ヴォワイヤン)としての立場から。というような箇所などは、なかなか面白かった。
縄田一男の付記では、隆慶一郎の師である批評家・小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)や、大好きな詩人・中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)についても触れられている。
また他の隆慶一郎の作品との関連を考えると今回の『見知らぬ海へ』は、『影武者徳川家康』や『捨て童子・松平忠輝』と同時代であり、海を舞台にした物語である。
他の作品との繋がりを考えながら読むとさらに立体的に楽しめる作品群である。
未完ではあるが、シンプルに『見知らぬ海へ』だけでも、歴史、時代、伝奇が好きな人、もしくは海戦ものが好きな人には特にオススメの作品である。
書籍紹介
関連書籍
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見桃寺:向井正綱
見桃寺(けんとうじ)は、神奈川県三浦市白石町にある臨済宗妙心寺派の寺院。向井正綱の菩提寺。
青柳本願寺:本多重次
青柳本願寺は、茨城県取手市青柳にある浄土宗の寺院。本多重次の菩提寺。