『私塾のすすめ』齋藤孝/梅田望夫

齋藤孝の略歴

齋藤孝(さいとう・たかし、1960年~)
教育学者、著述家。
静岡県静岡市の生まれ。東京大学法学部を卒業。
東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻、博士課程を満期退学。

梅田望夫の略歴

梅田望夫(うめだ・もちお、1960年~)
IT企業の経営コンサルタント。
東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾で学び、慶應義塾大学工学部電気工学科を卒業。
東京大学大学院情報理工学系研究科修士課程を修了。
父親は、劇作家・フランス文学者の梅田晴夫(うめだ・はるお、1920年~1980年)。

『私塾のすすめ』の目次

はじめに――志をデザインする(齋藤孝)
第1章 志向性の共同体
第2章 「あこがれ」と「習熟」
第3章 「ノー」と言われたくない日本人
第4章 幸福の条件
おわりに――私塾による戦い(梅田望夫)

概要

2008年5月10日に第一刷が発行。ちくま新書。206ページ。

副題は「ここから創造が生まれる」。齋藤孝と梅田望夫の対談をまとめた著作。

そして極めつけは、自分のそのときどきの年齢に強いこだわりを持ち、年齢との関係を常に意識しながら仕事のありようをデザインしているところです。(P59:第1章 志向性の共同体)

上記は、第1章の最後に書かれている梅田望夫のコラム「私のロールモデル」の部分。

梅田望夫は、作家の村上春樹(むらかみ・はるき、1949年~)を尊敬し、ライフスタイルも強く影響を受けているという。

早朝に起き、土日も関係なく、好きな仕事をコツコツと毎日一人で続ける。午前中に仕事を済ませて、午後は昼寝や読書。家にいる時間が極端に長く、大半を夫婦二人だけで過ごすなど。

そこに加えて、年齢を強く意識して、人生の基準とする。

村上春樹も梅田望夫も、基本的に組織に所属する側ではなく、独立した生活を送っているため、年齢による肉体と精神のバランスを重視して、仕事をしているのかもしれない。

仕事をする・ある職業につく・ある会社の社員である、という三つのアイデンティティがすべて合体していて安定していた、ある意味で幸せな時代だったと思います。(P.120:第3章 「ノー」と言われたくない日本人)

ここでは、齋藤孝が昭和の時代を振り返り考察。

2008年に発売された本書の中で、現在の会社員の人たちは不安感が持っているのではと推測する。不況のための倒産やリストラなど。

組織と個人の関係性が変わりつつある。その後、組織に与えるもの、組織から与えられているものの比重や自己評価、他者評価の話へと繋がっていく。

つまり、個人のアイデンティティや仕事について、深堀りされていく。

だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分自身とぴったり合ったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。(P.144:第3章 「ノー」と言われたくない日本人)

梅田望夫の発言。ITの進化によって、いつでもどこでも仕事ができてしまう。

またグローバル化によって、自分が寝ている間でも海外の拠点や取り引き先は稼働する。中には趣味のように働いている人もいる。

となると、余程、自分が好きで、得意で、長時間継続できる、といった仕事じゃないと無理という話。さらに、他者からも好評価を得られる仕事。

幅広く情報を収集しながら、自分の好きなことを意識的に探して、実行することが重要であるという結論。

「本当に対象のことが好きなのかどうか、とにかく相当勉強してみないとわからないんだよ」ということです。(P.182:第4章 幸福の条件)

ここでは、若い人たちからの質問に対する梅田望夫の答え。

特に大学に入りたての人たちから「大学生の時にどういう風に勉強していたか」という質問をよく受けていたとのこと。

梅田望夫自身は、大学院まで進学して精一杯、本気でギリギリまで勉強したという。

そこで向いていないことが分かったので、方向を転換。その当時、本気で没頭していたから、向いていなことが分かった。

もしも、その当時、のほほんと何となく過ごしていたら、向き不向きすらも分からずに、その後も続けていたかもしれない。

そうしたら、もう手遅れで、方向転換などできない状態になっていただろう、と述べる。

圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない。あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。(P183:第4章 幸福の条件)

先程の続きで、梅田望夫の発言。本当に好きなことを探すのには、もしくは見極めるのには、時間がかかる。ただし時間は無限ではなく、有限である。

そして、IT化が促進されて、情報も膨大。

情報を選ぶというよりも、捨てる技術も必要。どのような情報を得て、どのような情報は避けるのか。時間の使い方とも強く関係してくる。

その言葉に対応して、齋藤孝は「生活のなかで、これはやらないということがものすごく多い」と述べる。ある種の遮断によって、必要のないものを止めているという。

不要なものは遮り、必要なものへと向かいやすいようにという方針。行動原理はシンプルで、幸福の基準も低いので、基本的に幸せとのこと。

感想

何度か読み返しているくらい好きな書籍。「はじめに」は齋藤孝。「おわりに」は梅田望夫。

それぞれの章の最後には、同じテーマで二人が交互にコラムを書かている。この構成も、コラムそのものも面白い。

そのひとつ「私のロールモデル」で、梅田望夫は先述の村上春樹に加えて、経営コンサルタントの今北純一(いまきた・じゅんいち、1946年~2018年)、投資家のエスター・ダイソン(Esther Dyson、1951年~)を。

齋藤孝は、軍人のナポレオン(Napoléon Bonaparte、1769年~1821)、柔道家・教育者の嘉納治五郎(かのう・じごろう、1860年~1938年)、詩人のゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年~1832年)を、それぞれ挙げる。

このように、自分の一つの指針となる人物、ロールモデルの例が沢山出てくるのも、ありがたい。

他にも、途中で齋藤孝が騎手の武豊(たけ・ゆたか、1969年~)の発言を伝えている。「三千勝しているけれど、一万何回か負けている」というもの。

量をこなすことを恐れない、負けることを恐れない、というのが重要だという話。これも好きなところ。

あとは、梅田望夫は絶対的な違和感を持っていた「入社式」や「工場実習」、「同期入社」や「制服」について。

そういうのが嫌いだったから、就職活動はしなかったし、アメリカの企業に入って十年くらい勤めたが、研修を全て欠席したという。面白い。

梅田望夫も齋藤孝も、二人とも熱い志を持っている人物。前向きに積極的に能動的になれるオススメの書籍である。

書籍紹介