
- ネトゲでの戦闘哲学
- 直感と情報処理能力
- 知的好奇心と集中力
- 裁判での戦略的思考
暇空茜の略歴・経歴・本名
暇空茜(ひまそら・あかね、1982年~)
作家、YouTuber。
大阪府の出身。東大寺学園高等学校を中退。大学入学資格検定合格後、近畿大学に入学し卒業。セガ等での勤務を経て、ゲーム会社の共同創業者となる。本名は、水原清晃(みずはら・きよてる)。
『ネトゲ戦記』の目次
はじめに
第一部 ネトゲ編
第二部 起業編
第三部 裁判編
あとがき
※第一部は12まで、第二部は11まで、第三部は24まで分かれている。
『ネトゲ戦記』の概要・内容
2024年2月21日に第一刷が発行。KADOKAWA。191ページ。ソフトカバー。127mm✕188mm。四六判。
編集人は松井健太。編集企画がアライブ編集部。
帯には「共同創業者の裏切りで会社を追放された”彼”による復讐の実話」、「一般人男性が最高裁で6億円を勝ち取るまでの実話」と書かれている。
もともとはnote等のウェブ上に掲載されていた内容を編集したもの。
『ネトゲ戦記』の要約・感想
作者・暇空茜の本『ネトゲ戦記』
本書『ネトゲ戦記』は、作家でありYouTuberとしても活動する暇空茜(ひまそら・あかね、1982年~)、本名・水原清晃(みずはら・きよてる)による自伝的色彩の濃い一冊である。
東大寺学園高等学校を中退後、大学入学資格検定を経て近畿大学を卒業し、株式会社セガをはじめとする複数のゲーム会社での勤務経験を持つ彼は、後にゲーム会社の共同創業者ともなった。
本書は、そんな彼の半生を「ネトゲ編」「起業編」「裁判編」という三部構成で描き出しており、その特異な思考と行動力、そして尋常ならざる知性が垣間見える内容となっている。
題名は、カエサル(Gaius Julius Caesar、前100年~前44年)が、自らのガリア遠征を記した『ガリア戦記』へのオマージュであり、『ガリア戦記』と同様に、物語の中で自分のことを三人称の「彼」と客観的に表記していのるも特筆すべきポイントである。
この記事では、その中でも特に印象的な記述を引用しつつ、本書の魅力に迫りたい。
読者諸賢においては、一人の人間が持つ多面的な才能と、困難な状況を乗り越えていくための独自の哲学に触れる機会となるだろう。
ネトゲの戦場で培われた勝利への執念
『ネトゲ戦記』の第一部は、暇空茜の原点とも言えるネットゲームの世界での経験が語られる。そこで彼は、単なる遊戯を超えた、生存競争にも似た厳しい戦いの本質を学んだようだ。
戦争とは「終わらせる」ことが必要であること。終わらせるためには「相手の心をへし折る」ことが必要であること。心をへし折るためには「お作法どおりに普通に戦っていては不可能で、圧倒的な差や恐怖を叩き込む必要があること」。多くのことに彼は気づいた。はじめて「仕留めた」経験が、彼を育てた。(P.22「第一部 ネトゲ編:4.GuildWar」)
この一節は、単にゲームの攻略法を語っているのではない。
ここには、目標達成のためには手段を選ばず、相手を徹底的に打ちのめすという、ある種の冷徹なまでの合理性と攻撃性が凝縮されている。
二十歳前後という若さでこのような境地に至った彼の思考は、まるで乱世を生き抜いた剣豪、例えば宮本武蔵(みやもと・むさし、1584年~1645年)の兵法にも通じる峻厳さを感じさせる。
あるいは、『葉隠』で知られる山本常朝(やまもと・つねとも/じょうちょう、1659年~1719年)の武士道のような、一度定めたことへの徹底した姿勢も見え隠れする。
生半可な対応はせず、相手が舐めた態度を取れば即座に切り捨てる。
このような徹底した姿勢と、それを可能にする能力が、後の彼の人生における様々な局面で発揮されることになるのは想像に難くない。
この『ネトゲ戦記』は、そうした彼の戦闘哲学の萌芽を鮮明に描き出しているのだ。
言語化を超えた直感と感覚の領域
暇空茜の思考プロセスの特異性は、ネトゲ編の別の箇所でも示されている。彼にとって、思考を逐一言語化することは、必ずしも効率的な手段ではなかったようだ。
そもそも、思考を言葉にするという無駄は、他人に説明する時くらいしか彼はしない。それはすべてのゲームにおいてそうだった。いちいち言葉にすると、たくさん抜け落ちるし、時間もかかるし、良いことがない。SLGのブラウザ三国志も感覚で遊んでたし、感覚でこいつは敵になるだろうとか決めていた。(P.30「第一部 ネトゲ編:7.ゲームと才能①」)
これは驚くべき記述である。通常、我々は複雑な思考を整理し、理解を深めるために言語化を試みる。
しかし暇空茜は、少なくともゲームにおいては、思考を言語化するプロセスで情報が抜け落ち、時間がかかるというデメリットを指摘し、感覚的な判断を重視していたという。
これは、彼が極めて高度な情報処理能力と直感力を持ち合わせていることの証左であろう。
思考を内的に処理し、最適解を瞬時に導き出す能力は、高速で状況が変化するネットゲームの世界では絶大なアドバンテージとなったに違いない。
もちろん、他者に説明する必要がある場合は言語化を行うというが、自己完結できる領域においては感覚を信じる。
このスタイルは、後に彼が手掛ける事業や、さらには法廷闘争においても、その判断の速さや的確さに影響を与えているのかもしれない。
『ネトゲ戦記』を読むと、このような常人離れした感覚を持つ人物の思考の一端に触れることができる。
起業家精神と異常なまでの知識欲
『ネトゲ戦記』の第二部は起業編であり、暇空茜がゲーム開発の世界でその才能をさらに開花させていく様が描かれる。特に、三国志をテーマにしたゲーム制作における彼の没頭ぶりは凄まじい。
このあたりはこれまでの人生で一番忙しい時期だった、ということしか覚えていない。仕様に関する質問にすべて答えられるよう、その日のMPを使い切って本を読むしかできなくなっても終電まで会社に残り、家に帰って風呂だけ済ませて寝て、また朝出社する。そんな生活だった。(P.70「第二部 起業編:6.大戦乱!!三国志バトル」)
この時期、暇空茜は三国志関連の知識を徹底的に吸収するために、
漫画『蒼天航路』から、
歴史小説の大家である吉川英治(よしかわ・えいじ、1892年~1962年)の『三国志』や、
北方謙三(きたかた・けんぞう、1947年~)の『三国志』、
さらには横山光輝(よこやま・みつてる、1934年~2004年)の漫画『三国志』に至るまで、膨大な量の書籍を読み漁ったという。
特筆すべきは、「その日のMPを使い切って本を読むしかできなくなっても」という部分である。
通常、精神的なエネルギー(MP)が尽きれば、集中力を要する読書などは困難になるはずだ。
しかし彼にとっては、MPが尽きた状態でも読書は可能であり、むしろそれが唯一できることであったかのような記述になっている。
これは、彼の知的好奇心の強さと、知識吸収に対する並外れた集中力を示している。
あるいは、読書という行為が彼にとってはMPを消費するどころか、ある種の回復手段であった可能性すら考えさせられる。
高い知能指数を持つと言われる彼の、情報処理能力や記憶力の高さがこのエピソードからも伺える。
『ネトゲ戦記』は、このような彼の知力と情熱が如何なく発揮された日々を追体験させてくれる。
裁判という名の論理と心理のゲーム
そして物語は第三部、裁判編へと進む。ここでは、暇空茜が直面した法廷闘争が克明に記されており、彼の戦略的思考が新たなステージで試されることになる。
まあ実際に戦い抜いたからわかることだが、基本的に裁判という“裁判官に信じてもらうゲーム”は、たとえば詐欺師が口八丁で裁判官を騙そうとする可能性もあるわけで、基本的には“矛盾を誘って矛盾を崩し、信頼を損なわせる”ゲームなんだろうなと思う。(P.112「第三部 裁判編:7.収益金配分請求訴訟②」)
暇空茜は裁判を「裁判官に信じてもらうゲーム」と捉え、その本質を「矛盾を誘って矛盾を崩し、信頼を損なわせるゲーム」だと喝破する。
この視点は、彼がネトゲやビジネスで培ってきた戦略的思考が、法廷という異なるルールセットの場においても有効に機能していることを示唆している。
さらに彼は、裁判官も人間であり、多くの案件を並行して処理する中で理解力には限界があり、ミスを犯す可能性もあると推察する。
このような冷静な分析と、相手、この場合では司法システム全体の特性を見抜く洞察力は、凡百の人間が持ち合わせるものではないだろう。
『ネトゲ戦記』の裁判編は、法律の専門家でなくとも、論理と証拠に基づいた攻防の緊張感と、その中で繰り広げられる知略の一端を感じ取ることができる。
教養が裏打ちする揺るぎない判断基準
裁判編の中には、暇空茜の教養の深さを示す興味深い記述も存在する。ある提案に対する彼の絶対的な拒絶の意思は、次のような比喩で表現される。
彼がそんな提案に乗ることは、時計の材料を箱に入れて振ったら時計が組み上がるよりもありえない。(P.126「第三部 裁判編:10.収益金配分請求訴訟⑤」)
この「時計の材料を箱に入れて振ったら時計が組み上がる」という表現は、イギリスの進化生物学者・動物行動学者であるリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins、1941年~)の1986年の著作『盲目の時計職人』で論じられた内容である。
ちなみに、原題は『The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design.』。
それは、イギリスの聖職者のウィリアム・ペイリー(William Paley、1743年~1805年)の『自然神学』(『Natural Theology: or, Evidences of the Existence and Attributes of the Deity』)の「時計職人のアナロジー」に対する反論を踏まえたものだ。
ペイリーは、複雑な構造を持つ時計が偶然にできることはありえないように、精巧な自然界もまた設計者(神)の存在なしにはありえないと論じた。
ドーキンスはこれを批判的に検討したわけだが、暇空茜がこの比喩を用いることで、その提案がいかにあり得ないことか、論理的整合性や蓋然性の観点から全く受け入れられないものであるかを強調している。
このような知的なアナロジーをさらりと用いるあたりに、彼の幅広い教養と思考の深度が感じられる。
他に、藤原道長(ふじわらのみちなが、966年~1027年)が残した名言「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」なども。
『ネトゲ戦記』には、こうした彼の知性が光る瞬間が随所に散りばめられている。
金銭を超越した「判決を見たい」という渇望
暇空茜の裁判闘争における動機は、単なる金銭的な回収に留まらなかった。彼の強い意志を示す象徴的な発言がある。
彼は「回収できるかとかじゃなくて、私は“判決が見たい”と言っているんです」と言った。裁判官はドン引きしてた。(P.155「第三部 裁判編:16.損害賠償請求訴訟⑤」)
この言葉は強烈である。経済的な合理性や損得勘定を超えて、「判決が見たい」という純粋な欲求、あるいは真実を明らかにしたいという渇望がここには表れている。
もちろん、別の案件で相当額の資金を回収していたという背景も影響しているのかもしれないが、それ以上に、彼自身の内なる「掟」や譲れない「軸」のようなものが強く働いているように感じられる。
この強靭な精神力、自己の信念を貫徹しようとする姿勢こそが、彼が数々の困難な戦いを勝ち抜いてきた原動力なのではないだろうか。
それはまさに、目的のためには全てを賭ける覚悟を持った、一種の戦闘民族のような凄みを感じさせる。
『ネトゲ戦記』は、このような彼の個の強さと、それがいかに周囲を圧倒するかを描き出している。
人生そのものを壮大なゲームと捉える視点
暇空茜は、ネットゲーム、仕事、そして裁判という異なるフィールドでの戦いを通じて、それら全てに通底するある種の普遍的な構造を見出しているようだ。
ちなみに、そういうゲームは死滅したのかというと、最も大きなものが残っているし、人類社会が続く限り存在する。それは社会であり、仕事であり、人生だ。ゲームは、それらのシミュレーションに過ぎず、ゲームを遊び尽くして飽きたなら、仕事というゲームを遊ぶべきなのだ。(P.184「第三部 裁判編:23.ゲームと才能③」)
この言葉は、暇空茜の人生観を端的に示している。
彼にとって、ネットゲームは社会や仕事、ひいては人生そのもののシミュレーションであった。そして、それぞれの「ゲーム」において、彼は異なる戦い方をしてきた。
ネトゲでは天賦の才を活かし、仕事では才能と経験を融合させ、そして裁判では主に経験と緻密な戦略で戦い抜いた。
特に裁判では、ネトゲのような直感が利きにくい場面もあったようだが、それを経験と論理でカバーしてきたという。
状況に応じて最適な戦術を選択し、リソースを配分する能力、そして何よりも「戦いの勘所」を見抜く力は、彼が持つ卓越した能力の一つであろう。
また、必要とあれば周囲の人間や世論をも巻き込んでいく戦略眼も、彼の強さの一翼を担っている。『ネトゲ戦記』は、彼のそうした多角的な戦いぶりを余すところなく伝えている。
『ネトゲ戦記』が描き出す暇空茜という稀有な存在
『ネトゲ戦記』を読み進める中で、著者を指す「彼」という三人称の呼称には、正直なところ、慣れるまで少々時間を要した。
特に複数の人物が登場する場面では、一瞬、誰を指しているのか戸惑うこともあった。
しかし、物語の終盤に差し掛かる頃には、この文体がむしろ著者自身を客観的に、あるいは一つのキャラクターとして描こうとする意図の表れであるかのように感じられるようになった。
本書全体を通して浮かび上がってくるのは、暇空茜という人物の並外れた多面性と強靭さである。
彼は卓越した戦略家であり、優れたマネジメント能力を発揮する起業家でもある。自己の思考や感情を客観的に把握するメタ認知能力に長け、勝負どころでは鋭い勘を働かせる。
その一方で、必要とあらば怜悧なまでに言語化された論理で相手を追い詰める。彼の発言や思考の端々からは、深い教養と高いIQ、そして驚異的な記憶力や読書量が伺える。
何よりも、強固な自我と自尊心、そしていかなる困難にも臆することのない胆力は、読む者を圧倒する。
本書は、暇空茜という一人の人間が、ネットゲーム、起業、そして裁判という三つの異なる「戦場」で、いかにしてその知力と戦略を駆使し、自らの道を切り拓いてきたかの記録である。
それは、まさに題名のオマージュであるカエサルの『ガリア戦記』のように、自身の戦いの記録を冷静かつ克明に綴った書物である。
『ネトゲ戦記』は、単なる成功譚や武勇伝ではない。そこには、現代社会を生き抜くためのヒントや、困難に立ち向かうための勇気が詰まっている。
暇空茜の生き様は、多くの読者にとって強烈な刺激となり、自らの人生や仕事に対する向き合い方を改めて問い直すきっかけを与えるだろう。
彼の思考の軌跡を辿ることは、間違いなく知的な興奮を伴う体験となるはずだ。一読を強くお勧めする。
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