『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』金森誠也

金森誠也の略歴

金森誠也(かなもり・しげなり、1927年~2018年)
ドイツ文学者、翻訳家。
東京都の生まれ。東京大学文学部独文学科を卒業。東京大学大学院修士課程を修了。
日本放送協会を経て、広島大学教授、静岡大学教授、日本大学教授を歴任。専門は、ドイツ文学、ドイツ思想。

カール・フォン・クラウゼヴィッツの略歴

カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz、1780年~1831年)
プロイセン王国(ドイツ)の陸軍軍人、軍事学者。1832年の死後に刊行された『戦争論』(独『Vom Kriege』、英『On War』)が有名。

『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』の目次

監修者まえがき
第一章 『戦争論』から戦争の本質を学ぶ
1 いまなぜ『戦争論』なのか
2 戦争とはなにか
3 戦争は暴力の無制限の行使
4 戦争と政治の関係
5 戦争は博打のようなもの?
6 戦争の賭けのような性質は、一般の人心にもかなう
7 三位一体をなす戦争の傾向
第二章 『戦争論』から戦略の重要性を学ぶ
8 戦術と戦略との違い
9 クラウゼヴィッツのいう優れた軍人とは
10 熱血漢は軍事的天才たりえず
11 戦略遂行における情報の意味
第三章 『戦争論』から戦い方を学ぶ
12 戦略の諸要素を複合的にとらえることから戦い方は生まれる
13 数の優位性についてどうとらえるか
14 クラウゼヴィッツが評価した戦略家は誰?
15 奇襲作戦をどう考えるか
16 クラウゼヴィッツも認めるナポレオンの奇襲作戦
17 策略とはなにか
18 個々の戦闘があってこその戦略
19 戦争における勝者とは?
20 ポエニ戦争に見る戦闘の意味とは
21 大会戦の必要性と臨む際の心構え
22 日露開戦に見る司令官の器
23 大会戦に求められる状況を冷静に分析する能力
24 クラウゼヴィッツの考える最良の退却法は
第四章 『戦争論』に見る防御と攻撃
25 防御は攻撃よりも強し
26 防御専従でも敵を凌駕するケースはあるのか?
27 クラウゼヴィッツが防御を重視する理由
28 国内への自発的退却を有効に戦略に組みこむ
29 国内退却による防御戦の難点
30 戦略は攻撃と防御の結合である
第五章 クラウゼヴィッツの生涯
名もない没落貴族の家に生まれる
十二歳の初出征
第ニの父と慕うシャルンホルストとの出会い
伯爵令嬢マリーとの出会いと屈辱的な捕虜生活
国外追放からプロイセンへ帰国する
シャルンホルストの右腕に
クラウゼヴィッツ、ロシア政府と結ぶ
プロイセン復帰が認められぬ日々
プロイセン軍に復帰をはたす
軍団参謀長から一般士官学校長へ
ついに『戦争論』の執筆を開始
砲兵部隊への転任と病死
終章 『戦争論』が及ぼした影響
『戦争論』に学んだ名将モルトケ
第二次世界大戦後のドイツで再び陽の目を見る
レーニンが革命理論に『戦争論』を利用する
『戦争論』と日本の軍部
<参考文献>

概要

2003年1月20日に第一刷が発行。2013年11月20日に電子書籍が製作。PHP文庫。246ページ。文庫書き下ろし作品。

感想

USJをV字回復させたマーケターの森岡毅(もりおか・つよし、1972年~)が著書の中で、『戦争論』を愛読していたと知って、興味を持った。

かなり難解な書物ということは聞いていたので、分かりやすく解説した本を購入。

だが、その解説書すらも難解で挫折してしまった。もっとシンプルで理解できそうな入門書的なものを探して見つけたのが、こちらの『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』

kindle unlimitedにあったので、早速読んでみた。

その当面の目的は、敵を完全に打倒して、それによって以後の抵抗を不可能ならしめることである。
つまり戦争とは、敵をしてわれらの意志に屈服せしめることを目的とする暴力行為のことである。(No.248「2 戦争とはなにか」)

クラウゼヴィッツの戦争の定義を示している部分。『戦争論』の第一章の冒頭で定義している。

ここでは例えとして、個々人の集まった集団ではなく、シンプルに、一対一の決闘者を想定して戦争の本質を語る。

要は、戦争は、相手を物理的に倒して、言うことを聞かせる、ってこと。

現代でも、物理的な戦争はあるけれど、経済的、精神的な戦争の方が多いかも。

ビジネスも戦争だし。

だから、トップ経営者はやたらと、このクラウゼヴィッツの『戦争論』『孫子』などを読んでいるし。

学ぶべきことは多いというのは確か。

「3 戦争は暴力の無制限の行使」でも触れられているが、現実の戦争においては、どのような制限もない。この点が非常に恐ろしい。

動物的である。また同時に理性的に残虐行為をすることでもある。

「7 三位一体をなす戦争の傾向」では、戦争の本質の三段階を解説。

第一段階は、憎悪や対立といったもので、国民レベル。第二段階は、賭けの要素で、兵士レベル。第三段階は、政治的道具であり、政治家レベル。

この三つが一体となって、戦争の本質を形成しているという。

国民レベルでは、大衆心理。兵士レベルでは、最高司令官から一兵士までの士気。政治家レベルでは、外交や条約、賠償なども。

どれも上手く調整しながら有利に動かしていく必要性があるというもの。

クラウゼヴィッツが何度も話しているように、戦争には偶然があちこちに待ちうけている。だからこそ、偶然を冷静に受けとめる理性の持ち主が軍事的天才であると論じているのである。(No.633「10 熱血漢は軍事的天才たりえず」)

戦争では、偶発的な物事が多く生じる。それを適切に冷静に対応するのが、軍事的天才。単なる熱血漢では、駄目というもの。

明敏な頭脳や創造的な妙案ではなく、冷静な精神が重要であると。

その例として、海軍軍人の東郷平八郎(とうごう・へいはちろう、1848年~1934年)が例として挙げられる。

東郷平八郎は、鹿児島県鹿児島市の出身。薩摩藩士として薩英戦争に従軍。戊辰戦争にも参加。1871年~1878年に海軍士官として、イギリスのポーツマスに留学。日露戦争のバルチック艦隊の迎撃で有名。

ちなみに「東洋のネルソン」とも呼ばれる。

ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson、1758年~1805年)…イギリス海軍の提督。アメリカ独立戦争やナポレオン戦争で活躍した人物。

優れた司令官は狡猾な奇策を用いることはしないと断じている。このくだりは、非常に味わい深い。(No.1424「17 策略とはなにか」)

また「策略よりも的確に事態を明察する能力のほうが重要な資質である」とまとめている部分。

つまりは、奇策とか策略は、不要。その時点で負け。

そうならないように、前もって冷静に状況を把握して対応する必要がある。

戦争には、時間と戦力が莫大に必要になる、という記述があり、それを受けての文章。

長い時間と大量の戦力。そのぶつかり合い。

だからこそ、基本的には奇策などに頼ってはいけない。奇策はあくまでも奇策でしかない。

つまりは正攻法で勝つということか。

スキピオのとったこの作戦は、後に間接戦略と評されるようになる。正面攻撃を避けて敵の中枢を脅かし、物資などの補給路を断つ戦略のことを指し、スキピオの戦いをヒントに、イギリスの兵術家ハートが提唱したものだ。(No.2327「30 戦略は攻撃と防御の結合である」)

正面攻撃をせずに、相手の補給路などを攻撃してダメージを与える手法。兵站を断つ。供給を断つ。

登場人物について。

スキピオ・アフリカヌス(Publius Cornelius Scipio Africanus Major、前236年~前183年頃)は、共和政ローマの政治家、軍人。大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca、前247年~前183年頃)をザマの戦いで破り戦争を終結させた。

ベイジル・リデル=ハート(Basil Henry Liddell-Hart、1895年~1970年)は、イギリスの軍事評論家、軍事史研究者、戦略思想家。著書に『リデルハート戦略論 間接的アプローチ』(The strategy of indirect approach)も。

マリー夫人はあらゆる助言を与え、時には自身の将来について悲観するクラウゼヴィッツを励まし、実際に過去の戦地へと確認のために二人で旅行するなど、あらゆる面でアドバイスすることを惜しまなかった。(No.2575「第五章 クラウゼヴィッツの生涯」)

また、クラウゼヴィッツは『戦争論』を完成させずに死んでしまう。

全八編の内、六編は完成。残りの攻撃に関するニ編は骨子だけ。また全体の推敲も残っている状態。

最終的には、マリー夫人が残された原稿を整理して、一冊の著作にまとめた。

このような経緯から、『戦争論』はクラウゼヴィッツの書斎ではなく、マリー夫人の居間から誕生したとも言われている。

マリー・ソフィー・フォン・クラウゼヴィッツ(Marie Sophie von Clausewitz、1779年~1836年)は、クラウゼヴィッツの妻。テューリンゲン地方出身の貴族の家系。1810年に結婚。『戦争論』を編集、1832年に出版。

この辺りの経緯も面白い。

『戦争論』を最初に読み、日本に紹介したのは、どうやら明治の文豪森鷗外のようだ。鷗外はドイツ留学中に『戦争論』と出会い、これを訳す作業まで担当している。(No.2673「終章 『戦争論』が及ぼした影響」)

ま、まさか、ここで、小説家であり海軍軍医の森鴎外(もり・おうがい、1862年~1922年)が登場するとは思わなかった。

まぁ、当時の日本人の最先端・最高峰の知識人であることは間違い無い人物であるからな。

ただ、この辺りは推測の域を出ていないようだ。

森鴎外ではなく、血縁関係者である思想家・哲学者の西周(にし・あまね、1829年~1922年)かもしれないという話も。西周は、軍人勅諭の原案作成に携わっていて、その内容に『戦争論』に近いものが見受けられるとか。

森鴎外でも、西周でも面白い。

時代的には、西周の方が合っている感じするけれど。さまざまな逸話や業績から森鴎外でも納得。西周については、そこまで知らないので、いろいろと情報を収集してみよう。

話を元に戻す。

というわけで、『戦争論』の入門書として、かなりオススメの本である。ここからさらに別の入門書や解説書に移っていくのがベターかも。

もちろん、最初からクラウゼヴィッツの『戦争論』を読める方は、そちらを進めてもらえたらと。

書籍紹介

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