
- 山形浩生の役割:専門知識を一般人にわかりやすく伝える「翻訳者」として、経済や社会問題を解説し、専門家と非専門家の間の溝を埋める。
- 経済のわかりやすさ:ビッグマック・インデックスを用いて購買力平価を説明し、複雑な経済理論を身近な事例で理解しやすくする。
- 先見的な洞察:1996年に在宅勤務の課題を指摘し、約30年後の現代でもその分析が通用するほどの未来を見据えた視点を提供。
- 権威への批判:小室直樹などの権威ある人物の主張を論理的に批判し、批判的思考の重要性を読者に訴える。
山形浩生の略歴・経歴
山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)
コンサルタント、評論家、翻訳家。
東京都の生まれ。麻布中学校・高等学校を卒業。東京大学工学部都市工学科を卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程を経て、野村総合研究所の研究員に。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程を修了。山形浩生のX(旧Twitter)。
『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』の目次
序章 はじめに
まえがき「要するに」
第1章 ケイザイに喝!
お金を増やすことと使うことについて考えよう
株式投資を勧める人々
電子マネーは税金取られない
あなどれません、闇経済
信用って最終的には数字じゃないのよ、銀行さん
ダウ平均と日経平均と景気のからみあい
味なことやるビッグマック・インデックス
後悔と可変割引率
MBAたちの知らないテクニカル分析
お値段
アマゾンがもしつぶれたら
第2章 情報に喝!
新聞
情報投資と生産性
いながらにして……
いながらにして……part2
ブタに真珠、人にコンピュータ、サルに電脳
第3章 Hackerに喝!
Hackers On Planet Earth(世にはばかるハッカーたち)―世界ハッカー会議HOPE参加記
Hackについて―およびそこにあらわれた、哀れなAsshole野郎山形浩生の各種無知と愚かな物言い
Hackers in New York―Beyond HOPE参加記
そしてHOPE2000は……
第4章 フリーソフトに喝!
ネットワーク共産主義(その1)
ネットワーク共産主義(その2)
フリーウェア/オープンソースをめぐる各種の物言い
ノウアスフィアの開墾
オープンソース/フリーソフトpart1
フリーソフト/オープンソースpart2:インフラとしてのソフトウェア?
第5章 ネットワークに喝!
インターネットの中年化
電子コミュニティ
サイバー国防の幕開け
セキュリティ
セキュリティはコスト上げるだけ!
ネットワークのオプション価値
第6章 社会・文化に喝!
一、二人称がない
教育にコンピュータを
官僚いじめにもほどほどにね
NGOとかNPOとかボランティアとか
情報の消費者 and 規制の意義
たかる社会にたかる人々
例の写真公開がどうしたかという話
近代を超える日本の思想の可能性
『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、めぐらないのだ)
夢をみない人
死ぬこと
終章 あとがき:I’ve got the 21st Century Breathaing Down My Neck.
『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』の概要・内容
2001年3月15日に第一刷が発行。イースト・プレス。306ページ。ソフトカバー。127mm×188mm。四六判。
副題が「社会ケイザイの迷妄に喝!」。
2008年2月4日に、河出文庫から加筆・再構成をして文庫化した『要するに』が刊行されている。
『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』の要約・感想
- 専門家と素人の「すき間」を埋める翻訳者
- ビッグマックから世界経済を読み解く
- 在宅勤務は本当に理想的な働き方か?
- 権威を疑え!小室直樹批判の衝撃
- なぜ他人の不幸なニュースを見てしまうのか
- 30年前の未来予測、今こそ読むべき一冊
『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』は、あなたの常識を痛快に打ち破る一冊である。
本書は、著名な翻訳家であり評論家でもある山形浩生(やまがた・ひろお、1964年~)が、経済、情報、社会、文化といった我々の日常を取り巻く様々なテーマに対し、鋭いメスを入れる評論集だ。
本書のレビューを書くにあたり、まず特筆すべきは、その圧倒的な「わかりやすさ」へのこだわりである。
専門家が使う難解な言葉や理論を、山形浩生は徹底的に噛み砕き、誰もが理解できる言葉で再構築していく。
この書評を読んでいるあなたも、日々のニュースや専門家の解説に、どこか腑に落ちない感覚を覚えたことはないだろうか。
そのモヤモヤを、本書は晴らしてくれるかもしれない。
このレビューでは、『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』がなぜ今なお多くの読者を惹きつけるのか、その核心に迫っていく。
本書は2001年に刊行されたものだが、その内容は驚くほど現代的であり、むしろ未来を予見していたかのような記述に満ちている。
経済の本質から、情報社会の行く末、そして私たちの死生観に至るまで、山形浩生独自の視点から繰り出される「喝!」は、思考停止に陥りがちな私たちの頭を揺さぶり、物事の本質を見る目を養ってくれるだろう。
専門家と素人の「すき間」を埋める翻訳者
本書の著者である山形浩生は、単なる評論家ではない。
彼の真骨頂は、専門家が語る難解な理論と、我々一般人が抱く素朴な疑問との間に存在する「すき間」を埋めることにある。
多くの専門家は、自らの専門領域について語る際、どうしても専門用語を多用しがちだ。
それは正確性を期すためでもあるが、同時に、一般人との間に見えない壁を作ってしまう原因にもなる。
山形浩生は、その壁を取り払う役割を自ら買って出ているのだ。
でも、ぼくはそれをやるし、そこそこできる(つもり)。一つには、ぼくは学者じゃないので、厳密さを捨てることに何のこだわりもない、ということがあるし、それ以前の問題として、ぼくがものをあまり知らないので、そもそも厳密な話なんかできないということからきている。そして、ぼく自身がそう大して頭がよくないので、なんでも自分にはっきりわかりようにまとめ直さないと頭に入んない、ということからきている。(P.37「序章 はじめに:まえがき「要するに」」)
この一節は、山形浩生のスタンスを象徴している。
「それをやる」とは、専門的な事柄の細部を大胆に省略し、本質だけを抽出して説明することを指す。
彼は自らを「ものをあまり知らない」「大して頭がよくない」と謙遜するが、これは逆説的な表現である。
本当に頭が良くなければ、複雑な事象をここまでシンプルに、かつ的確に要約することは不可能だからだ。
2025年の著作『翻訳者の全技術』では「ぼくは自慢だけれど、多少は頭がいい。」と書いている箇所もあり、この2001年時点での自己評価からの変化は興味深い。
客観的な自己分析が、より正確になったと見ることもできるだろう。
専門家は、自身の発言に対する責任やプライドから、内容を簡略化することに抵抗を感じることがある。
あるいは、そもそも一般向けに説明する能力を持ち合わせていない場合もある。
山形浩生は、その誰もが手を付けたがらない領域に、積極的に踏み込んでいく。
それをだれかがやんなきゃいけない。非専門家の言いたいことをちょっと整理するとともに、専門家がこむずかしくしか言えなくなっていることを、説明する役目がどっかでいるだろう。(P.43「序章 はじめに:まえがき「要するに」」)
まさに、この「だれか」こそが山形浩生自身なのだ。
彼は、専門知と民衆知の間に立つ、優れた「翻訳者」なのである。
経済、情報技術、社会問題。これらの領域は、日々新しい概念や言葉が生まれ、専門家と非専門家の間の溝は深まるばかりだ。
山形浩生は、その溝を埋めることの重要性を説く。
要はいろんなところにいろんなすき間ができているみたいだってことだ。それはいろんな領域の間にある。それはおっきなお題目と具体的な事象の間のところにある。そして専門家と非専門家の間にもある。それをすこしずつでも、埋めていかなきゃいけない。この本は、及ばずながら、そんなことにほんのちょっとは貢献しようとする本だ。(P.46「序章 はじめに:まえがき「要するに」」)
『山形道場』は、まさにその「すき間」を埋めるための実践の書である。
読者は本書を通じて、これまで遠い世界の話だと思っていた経済や社会の問題が、いかに自分たちの生活と地続きであるかを実感することになるだろう。
ビッグマックから世界経済を読み解く
経済ニュースと聞くと、多くの人が「難しくてよくわからない」と感じるのではないだろうか。
ダウ平均株価や日経平均株価、為替レートといった数字が日々報じられるが、それが自分の生活にどう関係しているのか、実感するのは難しい。
山形浩生は、そんな経済のハードルをいとも簡単に飛び越えてみせる。
その代表例が、本書で紹介されている「ビッグマック・インデックス」の解説だ。
ビッグマック・インデックスを理解するには、外国為替レートのいちばん基礎の理論を知らなきゃならない。それがPPPってやつだ。PPPといってものあのダイアルアップ接続方式じゃなくて、購買力平価(Purchase Power Parity)のこと。(P.81「第1章 ケイザイに喝!:味なことやるビッグマック・インデックス」)
購買力平価(PPP)とは、ごく簡単に言えば「同じ品質のモノは、世界中どこで買っても同じ価格になるはずだ」という考え方に基づき、為替レートの妥当性を測る指標である。
しかし、「購買力平価」という言葉自体が、すでに難解な響きを持っている。
そこで登場するのが、世界中どこでもほぼ同じ品質で提供されているマクドナルドのビッグマックだ。
ビッグマック・インデックスは、このビッグマックの各国での販売価格を比較することで、各国の物価水準や為替レートが実態に見合っているのか(割高なのか、割安なのか)を直感的に理解させてくれる。
例えば、アメリカで5ドルで売られているビッグマックが、日本では700円で売られているとする。
この時の為替レートが1ドル=150円であれば、日本のビッグマックはドル換算で約4.67ドルとなり、アメリカより少し割安だ、といった具合に考えることができる。
このように、身近な商品を基準にすることで、複雑な経済理論である購買力平価の概念が、すんなりと頭に入ってくる。
山形浩生は、こうした巧みな比喩や事例を用いることで、経済学の面白さを読者に伝えてくれるのだ。
本書の経済に関する章では、他にも株式投資を勧める人々の論理の穴や、電子マネーの本質、闇経済の規模など、刺激的なテーマが満載である。
いずれのテーマも、私たちが「当たり前」だと思っている経済の常識を根底から覆し、物事を多角的に見る視点を与えてくれる。
経済の知識は、専門家だけのものではない。
『山形道場』は、誰もが経済を自分の言葉で語るための、最初の一歩となるだろう。
在宅勤務は本当に理想的な働き方か?
本書が書かれたのは1990年代後半から2000年代初頭にかけてである。
しかし、その記述には、まるで現代社会を予見していたかのような鋭い洞察が随所に見られる。
特に、情報社会の進展に関する考察は、今読んでも全く色褪せない。
その一つが、テレコミューティング、つまり在宅勤務に関する議論だ。
あるいはテレコミューティングや在宅勤務の話でもそうだ。「家にいながらにして仕事をする」というのが、一向に成果をあげていないにもかかわらず、なぜ十年一日のごとく議論として繰り返され、「今度こそは!」と復活するのか。(P.114「第2章 情報に喝!:いながらにして……」)
この記事が書かれたのは、なんと1996年である。
今から約30年も前に、山形浩生は在宅勤務という働き方が、理想論として語られ続ける一方で、現実にはなかなか普及しないことの本質を見抜いていた。
2020年からの世界的なパンデミックにより、在宅勤務は多くの企業で強制的に導入され、一気に普及した。
当時は「新しい働き方のスタンダードになる」ともてはやされたが、社会が平時を取り戻すにつれて、多くの企業が再び出社を基本とする方針に回帰しているのは、周知の事実である。
グーグルやアマゾンといった、テクノロジーを牽引するはずの巨大IT企業でさえ、従業員にオフィスへの出社を促している。
なぜ、在宅勤務は理想通りにはいかないのか。
山形浩生は、その理由を「家で仕事をする」という行為が、提供する側(企業)にとっても、される側(従業員)にとっても、必ずしもメリットばかりではないからだと示唆している。
コミュニケーションの質の低下、生産性の問題、公私の区別が曖昧になるストレスなど、私たちが近年になってようやく実感した課題を、彼は30年近くも前に指摘していたのだ。
権威を疑え!小室直樹批判の衝撃
山形浩生の文章の魅力は、そのわかりやすさだけではない。
彼の真骨頂は、世間で「権威」とされている人物や思想に対しても、一切の忖度なく、論理的な批判を加える点にある。
その切れ味は、読んでいて痛快ですらある。
本書の中でも特に刺激的なのが、社会学者の小室直樹(こむろ・なおき、1932年~2010年)に対する批判だ。
小室直樹といえば、難解な社会科学の理論を大衆向けに解説し、多くのベストセラーを生み出した人物として知られ、一部ではカリスマ的な人気を誇っていた。
しかし、山形浩生は、その著作『日本人のための経済原論』を、容赦なく斬り捨てる。
たとえば小室直樹という人の『日本人のための経済原論』という本がある。ひどい本で、前半では経済学の勉強をしないとダメといいつつ、後半になると、日本はちゃんとした資本主義じゃないから、ふつうの市場を前提にした経済学は適用できないと平気でのたまう。だったら前半のご託はなんだったんだ!(P.218「第6章 社会・文化に喝!:官僚いじめにもほどほどにね」)
これは強烈な一撃である。
本の構成そのものに、自己矛盾があると喝破しているのだ。
山形浩生によれば、小室直樹は最終的に「日本の官僚がすべて悪い」という単純な結論に読者を誘導しているにすぎないという。
「〇〇が悪い」という単純な犯人探しの言説は、分かりやすく、大衆に受け入れられやすい。しかし、複雑な社会問題をそのような単純な構図に落とし込むことは、思考停止以外の何物でもない。
山形浩生は、そうした安易な言説の危険性を鋭く指摘する。
小室直樹に限らず、大前研一(おおまえ・けんいち、1943年~)のような著名な経営コンサルタントや、浅田彰(あさだ・あきら、1957年~)のような現代思想の旗手に対しても、山形浩生の批判の刃は向けられる。
こうした権威への批判は、単なる悪口や揚げ足取りとは全く異なる。
それは、彼らの主張の論理的な矛盾や、事実誤認を的確に指摘する、知的な作業である。
読者は、山形浩生の批判を通じて、権威の言葉を鵜呑みにするのではなく、自らの頭でその妥当性を検証する「批判的思考」の重要性を学ぶことになる。
世の中には、高名な学者や評論家が言うことだからという理由だけで、その言葉を無条件に信じてしまう人が少なくない。
『山形道場』は、そんな私たちに「本当にそうだろうか?」と疑う勇気を与えてくれる。
それは、情報が氾濫する現代社会を生き抜く上で、不可欠なスキルと言えるだろう。
なぜ他人の不幸なニュースを見てしまうのか
『山形道場』が扱うテーマは、経済や社会といったマクロな問題だけにとどまらない。
本書の終盤、山形浩生は「死ぬこと」という、人間にとって最も根源的なテーマに切り込んでいく。
この章は、本書の中でも特に読者の心を揺さぶり、深い内省を促す部分である。
彼は、テレビや新聞で、凄惨な事故や事件のニュースが繰り返し、そして詳細に報じられる現象に着目する。
なぜ私たちは、他人の不幸な死を、まるでエンターテインメントのように消費してしまうのか。
その心理を、山形浩生は次のように喝破する。
ほらごらん、こんなに人が死んでも、わたしだけはこうして(生きて)いるよ。あなたたちは日々そう自分に言い聞かせる。そうなんだろう。事故死や事件死が嬉々として報道されるのに、毎日それなりに起こっているはずの自然死が特に報道されないのは、死は運の悪い他人にだけ起こるもので、自然に起こるものじゃないと思っているからだ。(P.300「第6章 社会・文化に喝!:死ぬこと」)
この指摘は、多くの人の胸に突き刺さるのではないだろうか。
私たちは、他人の「非日常的」な死に触れることで、「自分はまだ大丈夫だ」と無意識のうちに安堵している。
死を自分ごととして捉えることを避け、どこか遠い世界の出来事として処理しようとする、人間の心の弱さを鋭く突いているのだ。
私たちは、自分がいずれ必ず死ぬという厳然たる事実から、目をそむけて生きている。だからこそ、他人の死を安全な場所から眺め、自らの生を確認する。
山形浩生のこの分析は、私たちの日常に潜む、死に対する欺瞞を白日の下に晒す。
この一節を読んで、武士道について説いた山本常朝(やまもと・つねとも/じょうちょう、1659年~1719年)の『葉隠』の一節「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」や、無常観を説いた吉田兼好(よしだ・けんこう、1283年頃~1352年頃)の『徒然草』を思い起こした。
死を常に意識することによって、現在の生がより輝きを増すという思想は、日本の伝統的な死生観の中に脈々と受け継がれてきた。
山形浩生の文章は、そうした古典的な思想と響き合いながらも、現代社会における死の「消費」という、より今日的な問題として我々に突きつけてくる。
本書は、社会評論の書であると同時に、私たち一人ひとりが自らの生と死にどう向き合うべきかを問う、優れた哲学書でもあるのだ。
30年前の未来予測、今こそ読むべき一冊
ここまで『山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!』の書評として、いくつかのテーマを抜粋して紹介してきた。
経済、情報、社会、そして死生観。本書が扱う領域は多岐にわたるが、そのすべてに共通しているのは、常識を疑い、物事の本質を自分の頭で考え抜こうとする、著者の揺るぎない姿勢である。
本書のレビューを締めくくるにあたり、改めて強調したいのは、この本が約30年前に書かれたとは思えないほどの普遍性と先見性を持っているという点だ。
むしろ、情報が爆発的に増え、何が真実かを見極めるのが困難になった現代においてこそ、本書の価値は増していると言えるだろう。
本書は、決して簡単なことだけが書かれているわけではない。
中には、当時の時代背景を知らないと理解しにくい部分や、専門的な議論に踏み込んだ箇所もある。
しかし、全体を貫く山形浩生の明快なロジックと、ユーモアを交えた語り口のおかげで、読者は最後まで飽きることなく読み進めることができる。
何より、この本を読む体験は、思考のトレーニングになる。提示される刺激的な見解に、同意することもあれば、反発を覚えることもあるだろう。
そのどちらであっても良い。
重要なのは、彼の「喝!」をきっかけに、自分自身の考えを深めていくことだ。この書評で触れた内容は、本書の魅力のほんの一部にすぎない。
もしあなたが、日々のニュースや世の中の出来事に対して、何か割り切れない思いを抱えているのなら、ぜひ『山形道場』の門を叩いてみてほしい。
そこには、あなたの視野を広げ、世界を見る解像度を上げてくれる、知的な興奮が待っているはずだ。
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マサチューセッツ工科大学不動産センター(MIT Center for Real Estate)は、建築環境の質の向上を目的として1983年に設立。MITとは、Massachusetts Institute of Technologyで、マサチューセッツ工科大学のこと。












