- 藤沢武夫の経営哲学とホンダの成功
- 本田宗一郎とのパートナーシップ
- ホンダの組織デザインと仕組み
- 経営者に求められる資質とリーダーシップ
藤沢武夫の略歴・経歴
藤沢武夫(ふじさわ・たけお、1910年~1988年)
実業家、経営者。
茨城県結城市の生まれ。京華中学校を卒業。
本田技研工業に常務として入社し、副社長を経て、最高顧問。
販売・経理部門を担当し、本田宗一郎とともに「世界のホンダ」を築く。
『松明は自分の手で』の目次
藤沢武夫さんのこと 上野一郎
第一章◎本田宗一郎との出会い
事業を興すときは
本田宗一郎との出会い
古ぼけた製図台
五万五千軒の自転車屋
救世主“カブ”の出現
資本金六千万、設備投資十五億
先端企業を襲う苦境
銀行とつき合う法
バルトークの音楽のように
会社というよりむしろ道場
給与体系を教わる
労働組合の結成
一生に一度の団体交渉
企業はアートである
技術のフロンティア
生産管理のおくれ
ファイリング・システムをつくる
営業の贅肉をとる
国内市場を征覇する
第二章◎スーパーカブ誕生 そして世界へ
いよいよ輸出へ
アメリカへ進出
スーパーカブ誕生のいきさつ
一転、生産調整へ
アメリカ・ホンダの危機
私の教育法
スパイ事件
エキスパート制度に十五年
進歩は仕事の中から
研究所の独立
CVCC完成の秘密
SF――サービス工場
集団思考型の“重役室”
四輪スタート
欠陥車問題の直撃
ホンダの安全思想
スピードを捨てよう
私は幸運だった
第三章◎学んだこと、思うこと
桑の根っこを抜かないように
強くたくましく考えよう
世界をリードする仕組みを
ホンダ二十五周年に想う
学んだこと、思うこと
『松明は自分の手で』の概要・内容
2009年3月24日に第一刷が発行。PHP研究所。204ページ。
電子書籍は、2015年7月30日に製作。「松明」の読み方は「たいまつ」。
1974年8月に産業能率短期大学出版部から出版された『松明は自分の手で』を一部改訂したもの。
『松明は自分の手で』の要約・感想
- 潔き引き際に見る経営者の条件
- フォードを支えた男との共通点
- なぜ藤沢武夫はメモを取らなかったのか
- 本田宗一郎との「離れて立つ」関係性
- スーパーカブ誕生と世界への挑戦
- ホンダの強さを創った「仕組み」
- 経営者に求められる究極の能力
- チャーチルの戦略に経営を学ぶ
- まとめ:松明を自分の手で受け継ぐために
ホンダを創った男の経営哲学
本田技研工業、すなわちホンダを世界的な大企業へと押し上げた人物は誰かと問われれば、多くの人が創業者の本田宗一郎の名を挙げるだろう。
彼の天才的な技術力とカリスマ性は、まさにホンダのエンジンそのものであった。
しかし、その巨大なエンジンが生み出すエネルギーを正確な方向へと導き、企業という乗り物を安定して走らせ続けたもう一人の天才がいたことを忘れてはならない。
その人物こそ、ホンダの副社長として経営の全権を担った実業家、藤沢武夫(ふじさわ・たけお、1910年~1988年)である。
今回紹介するのは、その藤沢自身がホンダでの25年間を振り返り、その経営哲学と人間観を余すところなく語った一冊、『松明は自分の手で』である。
本書は単なる企業の成功物語ではない。一個の人間が、いかにして巨大な組織を動かし、前人未到の領域へと導いていったのか。
その思考の軌跡と、生々しい決断の現場が克明に記録された、経営の、そして人生の指南書と言えるだろう。
天才・本田宗一郎の傍らで、藤沢武夫は何を考え、どのように行動したのか。
なぜホンダは、数多の困難を乗り越え、世界企業へと飛躍できたのか。
この記事では、本書『松明は自分の手で』を紐解きながら、その秘密に迫っていきたい。
経営という荒波の海を渡るための羅針盤を求めるすべての人にとって、本書は、そして藤沢武夫という人物は、まさに暗闇を照らす松明となるはずである。
潔き引き際に見る経営者の条件
本書の冒頭には、教育者であり経営学者でもあった上野一郎(うえの・いちろう、1925年~2015年)による序文が寄せられている。
その中で、藤沢がホンダを去る決意をした際の逸話が紹介されており、これが極めて示唆に富んでいる。
藤沢さんがやめる決心をされたのは、「人間六十をこすと、考え方が保守的になる」ということだけだった。潔く後進に道を譲られた。御立派という他ない。(No.22「藤沢武夫さんのこと 上野一郎」)
「考え方が保守的になる」という、ただそれだけの理由で、自分が育て上げた大企業のトップの座から退く。
この決断は、並大抵のことではない。
企業経営において、あるいはどのような組織においても、トップの思考が硬直化し、変化を恐れるようになることは、停滞、ひいては衰退への第一歩である。
藤沢は、そのことを誰よりも深く理解していた。だからこそ、自らが組織の足枷になる可能性を察知した瞬間に、身を引くことを選んだのである。
これは、現代の我々にとっても重い問いを投げかける。
成功体験が長くなればなるほど、人は過去のやり方に固執しがちになる。しかし、ビジネス環境も市場も、常に変化し続けている。
その中で生き残るためには、常に自己を客観視し、必要であれば過去の自分を否定してでも、新しい考え方や方法論を取り入れる勇気が必要だ。
藤沢のこの潔い引き際は、リーダーたる者、常に自らの「鮮度」を問い続けなければならないという、厳しい戒めなのである。
フォードを支えた男との共通点
上野一郎はまた、藤沢の姿に、かつてアメリカのフォード・モーター・カンパニーの発展を支えた一人の男を重ね合わせている。
私は藤沢さんにお会いしているうちに、ふとフォード社のジェームズ・クーザンを思い出した。(No.35「藤沢武夫さんのこと 上野一郎」)
ジェームズ・クーザン(James Joseph Couzens、1872年~1936年)は、天才的な技術者であったヘンリー・フォード(Henry Ford、1863年~1947年)のパートナーとして、フォード社の財務および経営管理を一手に引き受けた人物である。
フォードがT型フォードという革新的な製品を生み出すことに集中できたのは、クーザンがその背後で、生産体制の整備、販売網の構築、そして強固な財務基盤の確立といった、事業の根幹を支える仕組みを作り上げたからに他ならない。
まさに、技術のフォードと経営のクーザンという両輪が噛み合ったことで、フォード社は20世紀を代表する巨大企業へと成長できたのである。
この関係性は、本田宗一郎と藤沢武夫の姿に見事に重なる。
技術に情熱を燃やす本田が自由にその才能を発揮できたのは、藤沢がカネとヒトの差配、市場戦略、そして組織全体の舵取りという、経営の全てを引き受けていたからだ。
藤沢の存在なくして、本田の夢が現実の「世界のホンダ」になることはなかっただろう。
この二人の関係は、偉大な事業を成し遂げるためには、異なる才能が互いを尊重し、補完し合うパートナーシップがいかに重要であるかを教えてくれる。
ちなみにフォードとクーザンは後に、徐々に疎遠になったとか……。
なぜ藤沢武夫はメモを取らなかったのか
本書の中で、藤沢は自身の仕事のスタイルについて、驚くべき告白をしている。
それは、経営のトップとして無数の判断を下してきた人物の言葉とは思えないものだった。
最初にことわっておきますが、私は、生涯、手帳と覚え書きなど書いたことのない人間で、記憶だけが頼りだから、間違いもあるかもしれません。(No.153「第一章◎本田宗一郎との出会い」)
生涯、手帳もメモも持たずに、膨大な情報を記憶だけで処理してきたという。
常人には到底真似のできない芸当であるが、これは単なる記憶力自慢ではないだろう。ここには、彼の情報に対する姿勢、そして思考法が隠されているように思える。
メモを取らないということは、一つ一つの情報をその場で深く理解し、本質を掴み取り、自らの血肉としなければならないということだ。
断片的な情報を書き留めるのではなく、全体の文脈の中で物事を捉え、その核心部分を頭脳に刻み込む。このプロセスを経ることで、情報は単なるデータではなく、いつでも引き出せる生きた知恵となる。
あるいは、些末な情報に惑わされず、常に大局を見失わないための訓練であったのかもしれない。
経営判断とは、無数の情報の中から、本当に重要な要素だけを抽出し、未来を予測して決断を下す作業である。
メモに頼ることで思考が断片化し、木を見て森を見ずの状態に陥ることを、彼は本能的に避けていたのではないだろうか。
彼の驚異的な記憶力は、情報を取捨選択し、本質を見抜くための、彼なりの思考のフレームワークだったのである。
ちなみに、政治家で教育者の大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838年~1922年)も、メモなどは書かずに、全てを記憶していったという。その理由は、字が汚かったから、とのこと。
これはこれで、凄まじい理由と能力だと思う。
本田宗一郎との「離れて立つ」関係性
天才と称された本田宗一郎と、その経営を支えた藤沢武夫。
この二人の関係は、しばしば「一心同体」と表現される。しかし、藤沢自身は、その見方を少し違う角度から捉えていた。
二人の間にささやかれた不仲説などに触れながら、彼は関係性の本質をこう語っている。
年中一体であるということは、裏返せば、お互いの意志が完全につながっていないことを示すものではありませんか。(No.412「第一章◎本田宗一郎との出会い」)
常に一緒にいなければ不安だというのは、真の信頼関係とは言えない。
互いの役割と能力を完全に信じているからこそ、物理的に離れていても、それぞれの持ち場で全力を尽くすことができる。
藤沢のこの言葉は、馴れ合いではない、プロフェッショナルとしての緊張感をはらんだ信頼関係の重要性を物語っている。
本田は技術開発の現場である研究所に、藤沢は経営戦略を司る東京の本社に。
二人は物理的な距離を保ちながら、それぞれの領域で最高のパフォーマンスを発揮した。本田は経営に口を出さず、藤沢は技術に口を出さない。
この徹底した役割分担と相互不干渉こそが、ホンダの強さの源泉だった。
お互いの専門領域を深くリスペクトし、全てを委ねる。言葉を交わさずとも、同じ頂を目指しているという確信がある。
これこそが、藤沢の言う「完全につながった」状態であり、組織における理想的なパートナーシップの一つの形であろう。
スーパーカブ誕生と世界への挑戦
ホンダの名を世界に轟かせるきっかけとなったのが、今なお多くの人々に愛される不朽の名作、スーパーカブである。
本書では、この歴史的な製品が生まれるに至った経緯や、それを武器に世界市場、特に巨大なアメリカ市場へ挑んでいった様が、臨場感たっぷりに描かれている。
藤沢は、いかにしてこの挑戦を成功に導いたのか。
彼の経営手腕が光るのは、その大胆な投資判断である。「資本金六千万、設備投資十五億」という逸話は、藤沢の先見性と度胸を象徴している。
当時のホンダの企業体力からすれば無謀とも思える巨額の設備投資を、彼はスーパーカブの爆発的な需要を予見して断行した。
これは単なる博打ではない。市場を徹底的に分析し、製品のポテンシャルを信じ抜いた上での、計算され尽くした戦略的判断だったのである。
もちろん、アメリカ進出の道は平坦ではなかった。販売不振、オイル漏れ問題、そして資金難。数々の危機がアメリカ・ホンダを襲う。
しかし、藤沢は決して諦めなかった。彼は日本から的確な指示を送り続けるとともに、現地スタッフを信頼し、権限を委譲することで、彼らの自主性を引き出した。
問題が発生すれば、その根本原因を徹底的に突き止め、二度と同じ過ちを繰り返さないための仕組みを構築する。
この危機管理能力と組織構築力こそが、ホンダをピンチから救い、アメリカ市場での成功を確固たるものにしたのである。
ホンダの強さを創った「仕組み」
藤沢武夫の功績は、個々の戦略的な成功に留まらない。
彼の真骨頂は、ホンダという企業が、持続的に成長し、革新的な技術を生み出し続けるための「仕組み」をゼロから設計し、組織に埋め込んだことにある。
彼は、企業とは個人の才能だけに依存するものではなく、優れた仕組みによってこそ強くなる「アートである」と考えていた。
その代表例が、本田技術研究所の独立である。
彼は、目先の利益や生産計画に縛られることなく、技術者が自由な発想で未来の技術を研究できる環境を保障するために、研究開発部門を本社から完全に独立させた。
これは、短期的な収益を重視しがちな経営の論理から、技術の「聖域」を守るための画期的な決断だった。
この独立があったからこそ、世界を驚かせた低公害エンジン「CVCC」のような革新が生まれたのである。
また、顧客満足を第一に考える「SF(サービス工場)」制度の確立も藤沢の発案だ。
売って終わりではなく、購入後のメンテナンスや修理といったアフターサービスを充実させることで、顧客との長期的な信頼関係を築く。
この思想は、現代のビジネスにおけるCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)の考え方を先取りするものであり、ホンダブランドへの信頼を醸成する上で決定的な役割を果たした。
さらに、重役たちが一つの大部屋で仕事をする「集団思考型の“重役室”」もユニークな試みである。
部門間の壁を取り払い、常に情報を共有し、議論を戦わせることで、迅速かつ的確な意思決定を可能にする。
これらの仕組みはすべて、ホンダを単なるバイクメーカーから、常に新しい価値を創造し続けるイノベーション企業へと変貌させるために、藤沢が緻密に設計した組織デザインだったのである。
経営者に求められる究極の能力
企業のトップとして、幾多の重要な決断を下してきた藤沢。
彼は、経営者に求められる最も重要な資質とは何かを、自らの経験則から語っている。それは、知力や分析力といったもの以上に、もっと根源的な能力であった。
三日間くらい寝不足続きに考えても間違いのない結論が出せるようでなければ、経営者とはいえない。平常のときには問題ないが、経営者の決断場の異常事態発生のとき、年齢からくる粘りのない体での“判断の間違い”が企業を破滅させた例を多く知っている。(No.1761「第三章 学んだこと、思うこと」)
経営とは、平時ではなく有事にこそ、その真価が問われる。
事業の存続を揺るがすような異常事態において、冷静さを失わず、考えに考え抜いて、最善の一手を導き出す。
そのためには、強靭な精神力が必要不可欠であるが、その精神力を支えるのは、実は「体力」であると藤沢は喝破する。
極限のプレッシャーの中で思考し続ける粘り強さは、健康な肉体があってこそ維持できる。知力とは、体力を土台にして初めて十全に機能するものなのだ。
この言葉は、デスクワーク中心の現代のビジネスパーソンにとっても、耳の痛い真実ではないだろうか。
チャーチルの戦略に経営を学ぶ
そんな藤沢が、日々の思索の伴侶としていたものがある。それは、意外にも経営書や経済書ではなかった。
私の毎日の日課は、この室で、膨大なチャーチルの『第二次大戦回顧録』と向き合うことだった。(No.1781「第三章 学んだこと、思うこと」)
彼が対峙していたのは、イギリスを勝利に導いた偉大な政治家、ウィンストン・チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer Churchill、1874年~1965年)の回顧録であった。
一見、企業経営とは無関係に思える戦争の記録から、藤沢は一体何を学んでいたのか。
おそらく彼は、国家の存亡をかけた戦争と、企業の生き残りをかけた競争との間に、本質的な共通点を見出していたのだろう。
限られた資源をいかに配分するか。刻一刻と変化する戦況(市場)をどう読み、次の一手を打つか。敵(競合)の強みと弱みを分析し、自社の優位性をどこに確立するか。
そして何よりも、国民(社員)を鼓舞し、国全体(組織全体)を一つの目標に向かって動かすリーダーシップとは何か。
チャーチルが直面した国家レベルの課題は、そのまま企業経営の課題に置き換えることができる。
藤沢は、歴史という壮大なケーススタディから、時空を超えた普遍的な戦略とリーダーシップの本質を学んでいたのである。
文藝春秋社の編集者・新谷学(しんたに・まなぶ、1964年~)は、フランスの政治家のシャルル・ド・ゴール(Charles André Joseph Marie de Gaulle、1890年~1970年)の『剣の刃』を何度も読み返しているという。
こちらの記事「新谷学『獲る・守る・稼ぐ 週刊文春「危機突破」リーダー論』要約・感想」もぜひ。
また、マーケターとして有名な森岡毅(もりおか・つよし、1972年~)も同様である。
ドイツの陸軍軍人で軍事学者のカール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz、1780年~1831年)による『戦争論』を読み込んだという。
ちなみに、本筋とは外れるが、クラウゼヴィッツの『戦争論』をかなり早い段階で読み込んでいた日本人がいる。
陸軍軍医で文豪の森鴎外(もり・おうがい、1862年~1922年)である。陸軍内で講義や翻訳もしているのも面白い。
こちらの記事「金森誠也『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』要約・感想」もぜひ。
まとめ:松明を自分の手で受け継ぐために
本書『松明は自分の手で』は、1974年に産業能率短期大学出版部から刊行されたものが元になっていることが記されている。
半世紀近い時を経ても、本書が放つ輝きは少しも色褪せていない。
むしろ、変化が激しく、先の見えない現代においてこそ、藤沢武夫の言葉は重みを増しているように感じられる。
本書は、単なる一経営者の回顧録ではない。
ホンダという奇跡の企業がいかにして創られたのかという物語である。
と同時に、組織とは何か、リーダーとはどうあるべきか、そして仕事とは、人生とは何か、という根源的な問いに対する、藤沢武夫という一人の傑出した人物からの回答である。
タイトルの「松明は自分の手で」という言葉には、自律した個人としての生き方という意味以上のものが込められているように思える。
本田宗一郎から受け取った技術という松明を、藤沢武夫は経営という力でさらに大きく燃え上がらせ、世界を照らした。
そして彼は、その松明を次の世代へと手渡した。
同時に彼は、誰かに依存するのではなく、自らの頭で考え、自らの足で立ち、自らの手で未来を切り拓くことの重要性を、その生涯を通じて示し続けた。
経営の道を志す者はもちろん、組織の中でより良く生きたいと願うすべての人にとって、本書は計り知れない価値を持つ一冊である。
藤沢武夫が遺してくれたこの松明を、今度は我々が自分の手で受け取り、自らの道を照らす番である。
もう一つの著書に関する記事「藤沢武夫『経営に終わりはない』要約・感想」もぜひ。
- 藤沢武夫『経営に終わりはない』要約・感想
- 金森誠也『30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」』要約・感想
- 新谷学『獲る・守る・稼ぐ 週刊文春「危機突破」リーダー論』要約・感想
- 竹内均『日本を造った男たち』あらすじ・感想
- 大西康之『起業の天才!』あらすじ・感想
- 大沢武志『心理学的経営』要約・感想
- 児玉博『起業家の勇気』要約・感想
- 出口治明『戦前の大金持ち』あらすじ・感想
- 南原幹雄『豪商伝 薩摩・指宿の太平次』あらすじ・感想
- 小林一三『私の行き方』要約・感想
- 大倉喜八郎『致富の鍵』要約・感想
- 小倉昌男『小倉昌男 経営学』要約・感想
- 柳井正『一勝九敗』要約・感想
- 邱永漢『商売の原則』要約・感想
- 瀧本哲史『戦略がすべて』要約・感想
- 西岡杏『キーエンス解剖』要約・感想
- 谷崎潤一郎『文章読本』要約・感想
- フレデリック・アラン・マクスウェル『マイクロソフトCEO バルマー 世界「最強」の経営者』要約・感想
- トーマス・ラッポルト『ピーター・ティール』要約・感想
- ピーター・ティール『ZERO to ONE』要約・感想
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
鈴鹿サーキット
鈴鹿サーキットは、1962年に本田技研工業によって建設された、三重県鈴鹿市にある国際レーシングコースを中心としたレジャー施設。
公式サイト:鈴鹿サーキット
ツインリンクもてぎ
ツインリンクもてぎは、1997年に本田技研工業が建設し、営業を開始した栃木県芳賀郡茂木町にあるモビリティーテーマパーク。
公式サイト:ツインリンクもてぎ