隆慶一郎の略歴
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)
時代小説家。脚本家。
東京の生まれ。東京市赤坂尋常小学校を卒業。同志社中学校を卒業。第三高等学校文科丙類を繰り上げ卒業。東京大学文学部仏文科を卒業。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。
『鬼麿斬人剣』の目次
一番勝負 氷柱折り
二番勝負 古釣瓶
三番勝負 片車
四番勝負 面割り
五番勝負 雁金
六番勝負 潜り袈裟
七番勝負 摺付け
八番勝負 眉間割り
『鬼麿斬人剣』の概要
1990年4月25日に第一刷が発行。新潮文庫。358ページ。
1987年5月に新潮社から刊行されたものを文庫化。
作品の題名は『鬼麿斬人剣』で、“おにまろざんじんけん”と読む。
江戸時代の後期に活躍した名刀工・源清麿(みなもと・きよまろ、1813年~1855年)。本名は、山浦環(やまうら・たまき)。
その弟子となる主人公の鬼麿が、師匠が不本意ながら仕上げてしまった粗雑な刀を探し求めて、折っていくという物語。
第十一代将軍・徳川家斉(とくがわ・いえなり、1773年~1841年)の側室と、源清麿の情事。
水野忠邦(みずの・ただくに、1794年~1851年)による大奥の粛正。その配下となる伊賀の忍びたち。
師である清麿の遺志を受けて、恥となる粗雑な刀を全国各地で探し回る。
それを阻もうとする伊賀の忍びたちとの闘いを描いた作品である。
『鬼麿斬人剣』の感想
源清麿は実在の人物。
名刀工として、水心子正秀(すいしんし・まさひで、1750年~1825年)、大慶直胤(たいけい・なおたね、1779年~1857年)と並んで、“江戸三作”と称されている。
また四谷北伊賀町(現在の新宿区三栄町の付近)に定住していたことから“四谷正宗”とも呼ばれていた。
百振りの刀の仕事を、一振りだけ仕上げて、約二年の間、江戸を離れて、長州の萩に。また江戸に戻って、最終的には自ら命を絶った。
そのような波乱万丈の人生を歩んだために、吉川英治(よしかわ・えいじ、1892年~1962年)や、柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)などの作品の題材や素材にもなっている。
物語の主人公となる弟子の鬼麿は、隆慶一郎が作り上げた架空の人物である。
鬼麿は厳冬の山中に捨てられ、山間を漂泊した人々である山窩(さんか)の一族に育てられたという設定である。「二番勝負」では、旅の道中で山窩出身の少年“たけ”と知り合う。
隆慶一郎の好きな要素である、自由民である“道々の輩”や“公界の者”たちも、ちりばめられている。
そして、死と生が描かれている。
文芸評論家・縄田一男(なわた・かずお、1958年~)の解説も分かりやすいので、非常にオススメ。
シンプルに、剣術ものや忍者ものの物語が好きな人も楽しめる。もちろん、歴史好きな人も、充分に味わえる作品である。
伊賀や甲賀などの忍者関連の史跡や文化施設などには、まだ行った事がないので、今度訪問してみようと思う。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
宗福寺:源清麿
宗福寺(そうふくじ)は、東京都新宿区にある曹洞宗の寺院。源清麿をはじめ、水心子正秀などの墓がある。
伊賀流忍者博物館
三重県伊賀市にある伊賀流忍者の博物館。
公式サイト:伊賀流忍者博物館。