『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』森功

森功の略歴

森功(もり・いさお、1961年~)
ノンフィクション作家。
福岡県の生まれ。福岡県立東筑高等学校を経て、岡山大学文学部を卒業。伊勢新聞社、『週刊新潮』編集部などを経て、フリーランスに。
『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で、第2回(2018年)大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション章の大賞を受賞。

齋藤十一の略歴

齋藤十一(さいとう・じゅういち、1914年~2000年)
編集者、出版人。
北海道の生まれ、東京の育ち。麻布中学校を卒業。早稲田大学理工学部理工科を中退。新潮社に入社。
文芸誌『新潮』の編集者を経て、『芸術新潮』、『週刊新潮』、『FOCUS』を創刊。

『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』の目次

はじめに
第一章 天才編集者の誕生
第二章 新潮社の終戦
第三章 快進撃
第四章 週刊誌ブームの萌芽
第五章 週刊誌ジャーナリズムの隆盛
第六章 作家と交わらない大編集者
第七章 タイトル作法
第八章 天皇の引き際
第九章 天才の素顔
終章 天皇の死
おわりに
齋藤十一、新潮社関連年表
参考文献一覧

概要

2021年1月15日に第一刷が発行。幻冬舎。ハードカバー。134mm×196mm。四六版。323ページ。

新潮社の編集者として活躍した齋藤十一に関連した評伝。新潮社の成り立ちの詳細をはじめ、さまざまな昭和の文豪たちも登場する内容。

「サンデー毎日」の2020年6月14日号から2020年8月2日号に掲載された「鬼才 齋藤十一」に新たな取材を加えて、大幅な加筆修正をして仕上げたもの。

章題の後には、小見出しが続く。その中で登場する人物を列挙。

山崎豊子(やまさき・とよこ、1924年~2013年)…小説家。大阪府大阪市の生まれ。京都女子専門学校国文学科を卒業。毎日新聞社を経て作家に。1958年に『花のれん』で直木賞を受賞。

小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)…評論家、作家。東京の生まれ。東京帝国大学文学部仏蘭西文学科を卒業。

坂口安吾(さかぐち・あんご、1906年~1955年)…小説家。新潟県新潟市の生まれ。東洋大学印度哲学倫理学科を卒業。

太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)…小説家。青森県五所川原市の出身。東京帝国大学文学部仏文学科を中退。

新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)…小説家、気象学者。長野県諏訪市の出身。諏訪中学校、無線電信講習所本科、神田電機学校を卒業。気象庁の職員として勤務しながら作家に。1956年に『強力伝』で直木賞、1974年に『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受賞。

谷内六郎(たにうち・ろくろう、1921年~1981年)…画家。東京の生まれ。駒沢尋常高等小学校を卒業後、独学で絵を学ぶ。『週刊新潮』の創刊号から表紙絵を担当。

吉田茂(よしだ・しげる、1978年~1967年)…外交官、政治家。東京の生まれ。東京帝国大学法科大学政治科を卒業。外務大臣や内閣総理大臣などを務める。

松本清張(まつもと・せいちょう、1909年~1992年)…小説家。広島県広島市、もしくは福岡県北九州市の生まれ。板櫃尋常高等小学校を卒業。さまざまな職を経て作家に。1953年に『或る「小倉日記」伝』で、芥川賞を受賞。

三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)…作家。東京の生まれ。東京大学法学部法律学科を卒業。大蔵省を経て作家に。

梶山季之(かじやま・としゆき、1930年~1975年)…作家。朝鮮の京城の生まれ。広島高等師範学校国語科を卒業。国語教師や喫茶店経営などを経て作家に。

筒井康隆(つつい・やすたか、1934年~)…大阪府大阪市の生まれ。同志社大学文学部文化学科心理学専攻に入学、後に美学芸術学科へ転科し卒業。会社勤務、デザイン事務所の立ち上げなどを経て作家に。

ビートたけし(びーと・たけし、1947年~)…芸人、映画監督。東京都足立区の出身。明治大学工学部機械工学科を除籍。

華原朋美(かはら・ともみ、1974年~)…歌手。東京江東区の生まれ、千葉県浦安市の育ち。私立松蔭中学校・高等学校を卒業。

池波正太郎(いけなみ・しょうたろう、1923年~1990年)…作家。東京の生まれ。下谷西町小学校を卒業。全国各地で、さまざまな職業に従事しながら作家に。1960年に『錯乱』で直木賞を受賞。

上記のような人物たちと、直接または間接的に交流。あるいは、興味を抱く。

新潮社の関係者や親族など、数多くの証言も、まとめられた大作のノンフィクション。

感想

編集者を経て、作家などになる人物もいれば、名物・編集者として、脚光を浴びる人物もいる。

そして、業界内で有名になる人物も。

齋藤十一は、黒子に徹した編集者。新潮社では“天皇”と呼ばれていたことも。

そのような人物の評伝が『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』である。

まさか、小林秀雄との深い交流があったとは知らなかった。

小林秀雄の著作などは好きで、いろいろと読んでいたが、見逃していたのかもしれない。

山崎豊子との親交も面白い。山崎豊子の作品は、まだ読んだことはないので、今度読み進めてみたいところ。

太宰治や坂口安吾を発掘したり、新田次郎に難題を与えたりと、なかなか興味深い。

齋藤十一の生い立ち。プライベートな部分。

若い時には、国内外問わず、思想書や哲学書なども読み漁っている。

同時に、新潮社の成り立ち。

さらには、週刊誌である『週刊新潮』の流れも記述されているということで、ある種の昭和の歴史としても読める。

複合的な視点でも読める。

『週刊新潮』の立ち上げには、小林秀雄からロシアの作家・トルストイ(Lev Nikolayevich Tolstoy、1828年~1910年)の著作を読めば良い、との助言も受けている。

作家との交流も描かれるが、基本的には裏方として、一歩というか、かなり退いた立ち位置。

本筋とは関係ないが「日本史 血の年表」の連載についての逸話の真相も書かれていた。

竜崎攻(りゅうざき・おきむ、1943年~)が、第1回の雄略天皇(ゆうりゃく・てんのう、418年?~479年?)から平将門(たいら の まさかど、903年?~940年)までの古代の争乱を11回まで書き上げた。

だが、竜崎攻の責任ではないトラブルに巻き込まれてしまう。作家業ではなく、昼間の市役所の仕事において。

昼間の仕事のトラブル、作家の仕事の並行。ノイローゼ気味となり、家族から連載の休止をお願いされることになった。

ただ、別の作家を立てて連載は続けたい、と考えた齋藤十一は、担当の編集者にその旨を伝える。

編集者の頭に浮かんだのが、まだ本を出していないが『小説新潮』の新人賞に毎回のように応募していた安部龍太郎(あべ・りゅうたろう、1955年~)だった。

そして、予定通り「日本史 血の年表」は連載を継続されることに。新たな書き手として安部龍太郎が担当する。

後の1990年に『血の日本史』として刊行され、山本周五郎賞候補となり注目を集める。

連載の途中から安部龍太郎になったことは知っていたが、このような経緯があったとは。

安部龍太郎は、隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)に「最後に会いたかった作家」と言わしめた男でもある。

ちなみに、この「日本史 血の年表」の編集者は、『週刊新潮』で隆慶一郎の『吉原御免状』を担当した後だったという。

歴史が重なり、絡み合う。

話を元に戻す。

その他にも、随所に凄みを感じさせるエピソードがある。

週刊文春のインタビューで、作家・灰谷健次郎(はいたに・けんじろう、1934年~2006年)の「低俗な価値観に迎合している」というフォーカス批判に対して、以下の回答。

<「低俗な価値観? みんな低俗なんじゃないの。新聞、テレビ、高級な価値観で(意見を)出しているところ、日本にありますか。みんな低俗でしょ」>(P.292「終章 天皇の死」)

人間に対する考察というか、哲学というか、見方というか、感性が凄いな。

久し振りに、のめり込んで読んでしまった。恐らく、再読すると思う作品。

出版や編集、メディアなどに興味のある人や、上述の人物たちに関心のある人には、非常にオススメのノンフィクションである。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

建長寺

神奈川県鎌倉市にある禅宗の寺院。臨済宗建長寺派の大本山。正式には、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)。

齋藤十一のお墓がある。墓石は、齋藤家で日常的に利用していた漬物石。

公式サイト:建長寺

奈可川

神奈川県鎌倉市にある和食料理店。齋藤十一の他にも、鎌倉にゆかりの文豪が通ったという。
公式サイトは特に無い。

天ぷら ひろみ

神奈川県鎌倉市にある天ぷら料理店。齋藤十一の他にも、鎌倉にゆかりの文豪が通ったという。小林秀雄が好きな食材を使った天ぷら丼「小林丼」がある。

公式サイト:天ぷら ひろみ