『詩のこころを読む』茨木のり子

茨木のり子の略歴

茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)
詩人、随筆家。
本名は、三浦のり子。旧姓は、宮崎のり子。
大阪府大阪市の生まれ。愛知県西尾市の育ち。西尾高等女学校(現在の西尾高等学校)を卒業。
帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現在の東邦大学)の薬学部を卒業。

『詩のこころを読む』の目次

はじめに
生まれて
恋唄
生きるじたばた

別れ

概要

1979年10月22日に第一刷が発行。岩波ジュニア新書。220ページ。

現在まで増刷が続く、隠れた名著。詩人や詩についての紹介と考察がまとめられている。

いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。(P.ⅲ「はじめに」)

著書の冒頭の言葉。詩人の言葉。

その続きで、茨木のり子は自分の好きな詩を、なぜ好きなのか、なぜ良いのか、といった検証を今回の書籍で行なったと述べる。

そして、それが若い人たちにとって、詩の魅力にふれるきっかけにもなってくれたら、という願いを込めている。

構成については、自然に浮かびあがってきた詩を、どのように並べようかと考えたら、偶然にも、誕生から死までになったと。そのため目次の章題は「生まれて」から「別れ」となっている。

因みに多くの詩人が紹介されていくが、何人か代表的な人物を以下にピックアップ。

谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう、1931年~)…詩人。東京都杉並区の出身。東京都立豊多摩高等学校を卒業。

吉野弘(よしの・ひろし、1926年~2014年)…詩人。山形県酒田市の出身。酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業。

新川和江(しんかわ・かずえ、1929年~)…詩人。茨城県結城市の出身。茨城県立結城高等女学校を卒業。

川崎洋(かわさき・ひろし、1930年~2004年)…詩人。東京生まれ。福岡県立八女中学校を卒業。西南学院専門学校英文科を中退。

金子光晴(かねこ・みつはる、1895年~1975年)…詩人。愛知県津島市の生まれ。暁星中学校を卒業。早稲田大学高等予科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予科に学ぶも、いずれも中退。本名は金子安和(かねこ・やすかず)。

石垣りん(いしがき・りん、1920年~2004年)…東京都港区の生まれ。赤坂高等小学校を卒業。日本興業銀行に勤務しながら詩作。

上記の詩人などが、目次の詳細部分にも記載されている。そのような詩人に関連して、目次に記載がない詩人たちにも触れられている。

「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」は、日本での最初の詩論ともいうべきもので、紀貫之が『古今和歌集』(九〇五年)の序文として書いています。詩論の数は世界に山ほどありますが、鳥や蛙や虫も、まったく同列の仲間として組みこんでいる詩論は珍しいんじゃないでしょうか。(P.104「生きるじたばた」)

平安時代の歌人・紀貫之(866年 or 872年?~845年?)の人間以外の生き物でも、歌を詠むという言葉を引き合いに出す。

詩の中には、さらに生き物以外の物質でも、瑞々しく生き物のように扱われることを茨木のり子が指摘。

その前の文章で、大岡信(おおおか・まこと、1931年~2017年)の詩「地名論」を紹介する。

「地名論」は「水道管はうたえよ」という第一行から始まり「お茶の水は流れて」の第二行へと続き、各種の地名などが効果的に使われている詩。

いつも思うのですが、言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、という詩でない詩が、この世にはなんと多いのでしょう。(P.122「生きるじたばた」)

ここでは、濱口國雄(はまぐち・くにお、1920年~1976年)の詩「便所掃除」を紹介。

その後に、詩とはどのようなものであるのか、ということについて、詩ではないものと照らし合わせて考察。

詩は、離陸の瞬間を持つもの、と。また「地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます」とも。

さらに続いて以下の文章。

そして、汚いものでも十分詩になり、詩語という特別なものは何もなく、ふだんの言葉が昇格するだけで、詩の美しさは結局それを書いた人間が上等かどうかが、極秘の鍵をにぎっているらしい……そんなこともいろいろ教えられます。(P.123「生きるじたばた」)

詩「便所掃除」の解説。

詩語という難しい特殊なものはなく、普通の言葉を重ね合わせて、離陸の瞬間があると、詩になる。そのキーポイントとなるのが、詩人の人間そのもの。

そこで、濱口國雄が小学校高等科を卒業後、若い時には兵隊として中国、フィリピン、サイゴン、ニューギニアを転戦し、帰国してから日本国有鉄道、通称・国鉄(現・JR)に就職したことに触れる。

自分の中に一人の一番きびしい教師を育てえたとき、教育はなれり、という気がします。学校はそのための、ほんの少しの手引きをしてくれるところ。(P.186「峠」)

詩「くらし」を紹介しながら、その作者である詩人・石垣りんの人柄や略歴を紹介。

石垣りんは、高等小学校卒で日本興業銀行に定年まで勤めて、家族の生活を支えた人物。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人とも呼ばれた。

学歴に関して、劣等感を抱き続けていた石垣りん。茨木のり子は、詩やその生き方に感銘を受けていて、石垣りんを非常に尊敬。

上記の文章の後に「自分で気づいてはいないかもしれませんが、自分で自分をきびしく教育することのできた稀な人にみえます」と石垣りんを評している。

感想

茨木のり子の詩が好きで、詩集や散文なども含めて、関連著作はいろいろと読んでいる。

「自分の感受性くらい」や「わたしが一番きれいだったとき」「ぎらりと光るダイヤのような日」「倚りかかからず」「時代おくれ」など、好きな詩を数え上げたら切りがないくらい。

この著作では、茨木のり子が好きな詩や詩人を知ることができつつ、彼女の詩論や思想などにも理解が深まる。もちろん、基本的には詩について全く知らない人が、読むための入門書。

ただ茨木のり子が好きな人であれば、必読の書でもある。

また岩波ジュニア新書ということで、若い人たちが読みやすいように、基本的に分かりやすく、漢字は少なく、難しいものにはルビもある。その点も素晴らしい特徴。

ちなみに、スタジオジブリの鈴木敏夫(すずき・としお、1948年~)の著作『仕事道楽』の中でも『詩のこころを読む』の記載がある。

映画監督の高畑勲(たかはた・いさお、1935年~2018年)に、この著作を教えてもらったとのこと。

そういえば、高畑さんには岩波ジュニア新書の茨木のり子『詩のこころを読む』も教えられたなあ。(P.29「2 高畑勲・宮崎駿との出会い」『仕事道楽』

ちなみに高畑勲は、東京大学文学部仏文科の卒業。学生時代にフランスの詩人ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert、1900年~1977年)の作品に触れて感銘。

2004年には、プレヴェールの名詩集『Paroles』を『ことばたち』として日本初完訳も。高畑勲にとって詩は身近で大切なものだったのか。知らなかった。

話を戻して『詩のこころを読む』では、新たにさまざまな詩人を知った。

フランスの民衆詩人のジャック・プレヴェール(Jacques Prévert、1900年~1977年)や、阪田寛夫(さかた・ひろお、1925年~2005年)、アメリカの詩人で作家のラングストン・ヒューズ(Langston Hughes、1902年~1967年)など。

ここからさらに、それぞれの詩人の詩集や関連本などに入っていける。詩や詩人について、少しでも関心があれば、非常に楽しめる本。

また、良い言葉や良い文章に触れて、自分の言語感覚や文章能力を高めたい人にもオススメである。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

宮崎医院

愛知県西尾市にある病院・宮崎医院。茨木のり子の父・宮崎洪(みやざき・ひろし、1897年~1963年)が開業。茨木のり子が育った場所。

公式サイト:宮崎医院

根府川駅

神奈川県小田原市にある東海道本線の根府川(ねぶかわ)駅。詩「根府川の海」の題材。

浄禅寺

山形県鶴岡市の浄土真宗本願寺派の寺院。公式サイトは特に無い。

夫・三浦安信(みうら・やすのぶ、1918年~1975年)と供に、茨木のり子のお墓がある。

山形県鶴岡市は三浦安信の生まれ故郷。

また鶴岡市の北側に隣接する東田川郡三川町は、茨木のり子の母であり、旧姓・大滝勝(おおたき・かつ、1905年~1937年)の生まれ故郷。勝は鶴岡高等女学校(現・鶴岡北高等学校)を卒業している。