- 森鷗外の吸収力と知恵
- 自己確立の重要性
- 戦略的な処世術
- 現代への応用性
出口汪の略歴・経歴
出口汪(でぐち・ひろし、1955年~)
予備校講師、実業家。
関西学院大学文学部卒業、関西学院大学大学院文学研究科修士課程を修了、博士課程を単位取得退学。
森鷗外の略歴・経歴
森鷗外(もり・おうがい、1862年~1922年)
小説家、陸軍軍医。本名は、森林太郎(もり・りんたろう)。
島根県津和野町の出身。御典医の家系に生まれる。1872年に上京。東京大学医学部を卒業。
『超訳 鷗外の知恵』の目次
はじめに
「知恵袋」序言
一 人生の英知
二 処世術の原則
三 夫婦の交際術
四 親子の交際術
五 女性との交際術
六 交際術の極意
七 会話の技術
八 手紙を書くときの心得
九 友人との交際術
十 敵
十一 出世のための交際術
十二 さまざまなタイプの人間との交際術
『超訳 鷗外の知恵』の概要・内容
2013年2月25日に第一刷が発行。ディスカヴァー・トゥエンティワン。279ページ。
ディスカヴァークラッシックシリーズのひとつ。
『超訳 鷗外の知恵』の要約・感想
- 本書を構成する二つの源流:クニッゲとグラシアン
- 自分の価値は自分が決める:他者評価からの解放
- まず自分を信じよ:信頼関係の礎
- 必要なときだけ全力を尽くせ:緩急自在の極意
- 自己の内なる基準を持て:不動の価値観を築く
- 他人の名声をかさに着るな:自ら光を放つ存在となれ
- 高慢な人間をつけあがらせるな:毅然たる反撃の重要性
- 鷗外の知恵を読むということ:現代への問いかけ
現代社会を生き抜くための指針を求める人々にとって、古典から知恵を学ぶことは非常に有益である。
今回紹介する書籍は、森鷗外(もり・おうがい、1862年~1922年)による『超訳 鷗外の知恵』である。
訳者は現代文の指導で名高い出口汪(でぐち・ひろし、1955年)であり、鷗外の言葉を現代の私たちにも分かりやすく伝えてくれる。
森鷗外は、小説家、評論家、翻訳家として文学史に名を残すだけでなく、教育者、そして陸軍軍医総監という軍の最高位にまで上り詰めた稀有な人物である。
その多岐にわたる経験と深い洞察から紡ぎ出された言葉は、時代を超えて我々の心に響く。本書は、そんな鷗外の知恵のエッセンスを凝縮した一冊と言えるだろう。
本書を構成する二つの源流:クニッゲとグラシアン
『超訳 鷗外の知恵』は、主に二つの原典から成り立っている。
出口汪による「はじめに」で解説されているように、本書に収録されている「知恵袋」と「心頭語」の原典は、アドルフ・クニッゲ(Freiherr Adolf Franz Friedrich Ludwig Knigge、1752年~1796年)が1788年、フランス革命勃発の前年に刊行した『人間交際術』(Über den Umgang mit Menschen)である。
この書は、ドイツでは広く読まれ、家庭の書棚に備えられているほどの影響力を持ったとされる。日本では森鷗外が『智恵袋』、『心頭語』として新聞に連載したことで知られるようになった。
つまり、クニッゲのドイツ語の著作を鷗外が日本語に超訳し、それをさらに出口汪が現代の読者に向けて超訳するという、二重の超訳プロセスを経ている点が興味深い。
もう一つの柱である「慧語」の原典は、スペインの哲学者でありイエズス会士であったバルタサール・グラシアン(Baltasar Gracián y Morales、1601年~1658年)の著作集に遡る。
彼の死後、友人のラスタノザが三百箇条の箴言を抽出し編集したものを、ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、1788年~1860年)がドイツ語に翻訳した。
森鷗外は、このショーペンハウアーによるドイツ語訳を日本語に超訳し、それが本書の「慧語」の基となっている。
こちらもグラシアンのスペイン語の原文から、ラスタノザの編集、ショーペンハウアーのドイツ語訳。
鷗外の日本語超訳、そして出口汪の現代日本語超訳という、幾重もの知恵のバトンリレーを経て私たちの手元に届けられているのである。
このように、本書は東西の賢人の知恵が、時代と国境を超えて鷗外というフィルターを通して統合され、さらに現代的な視点で磨き上げられた、貴重な言葉の集積と言えるだろう。
自分の価値は自分が決める:他者評価からの解放
本書の第一章「人生の英知」には、私たちが日々の生活や仕事、人間関係において指針とすべき珠玉の言葉が散りばめられている。
その中から、特に現代を生きる我々に深く刺さるであろういくつかの言葉を紹介したい。
人間の価値は他人が決めるものではなく、自分自身が定めるものである。「知恵袋」(P.37「人生の英知:〇〇二 自分の価値は自分が決める」)
私たちは、他者からの評価を気にしすぎるあまり、自分自身の価値を見失いがちである。
SNSの「いいね」の数や、周囲からの称賛の声に一喜一憂し、それが自己肯定感の源泉となってしまうことも少なくない。
しかし、鷗外は「人間の価値は他人が決めるものではなく、自分自身が定めるものである」と断言する。
これは、他者評価を完全に無視せよということではないだろう。他者の意見は、自己を客観視するための一つの材料として有用である。
しかし、最終的な自己の価値判断は、自分自身の内なる基準によって下されるべきだ、という強いメッセージが込められている。
人生の主役は自分自身であり、その価値基準もまた、自分自身が構築していくべきなのである。
この言葉は、他者の視線に振り回されず、確固たる自己を築くための第一歩を示してくれる。
まず自分を信じよ:信頼関係の礎
自分が自分を信じること。それがあって初めて、人が自分を信じてくれる。「知恵袋」(P.40「人生の英知:〇〇五 まず自分を信じよ」)
自己信頼の重要性は、多くの場面で語られる。
しかし、この鷗外の言葉は、自己信頼が他者からの信頼を得るための前提条件であると、より明確に指摘している点が重要である。
自分自身を信じられない人間を、他者が心から信頼することは難しいだろう。
自信のなさや不安は、言動の端々に現れ、相手に不信感や頼りなさを与えてしまうからだ。
逆に、困難な状況にあっても自分を信じ、毅然とした態度を貫く人には、周囲も自然と信頼を寄せるようになる。
まず自分が自分の一番の理解者であり、応援者であること。それが、他者との良好な関係を築き、協力を得て物事を成し遂げていくための基礎となるのである。
この考え方は、リーダーシップを発揮する上でも、チームで仕事を進める上でも、不可欠な心構えと言えるだろう。
必要なときだけ全力を尽くせ:緩急自在の極意
絶えずがんばり続ける必要はない。力の節約は物理学の理法に従っているが、処世の道にもかなったことなのである。「慧語」(P.49「人生の英知:〇一四 必要なときだけ全力を尽くせ」)
常に全力疾走を続けることは、一見すると美徳のように思えるかもしれない。
しかし、人間は機械ではない。体力も気力も有限であり、際限なくエネルギーを消費し続ければ、いずれは疲弊し、パフォーマンスも低下してしまう。
鷗外は、力の節約が物理学の理法にかなうだけでなく、処世の道においても重要であると説く。
これは、いわゆる「緩急をつける」ということだろう。本当に重要な局面、ここぞという場面で最大の力を発揮するためには、普段から適切に力を温存し、休息を取ることが不可欠である。
この「緩急の見極め」は、言うは易く行うは難しである。
単なる手抜きや怠慢に陥らないためには、緩めている状態でも一定の基準を保ち、そして「全力」の際のパフォーマンスが平均を大きく上回るものでなければならない。
漫然と努力するのではなく、どこに力を集中させ、どこで力を抜くか、戦略的に判断する能力が求められる。
この知恵は、持続可能な働き方や、長期的な目標達成を目指す上で、非常に示唆に富むものである。
現代社会においては、バーンアウト、いわゆる燃え尽き症候群が問題となることも多いが、この鷗外の言葉は、そうした状況を避けるための一つのヒントを与えてくれる。
バーンアウトについてはこちらの記事「ジョナサン・マレシック『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』要約・感想」もオススメである。
自己の内なる基準を持て:不動の価値観を築く
自分の内なる悪を断ち、排除しようと思うとき、その基準を法律や慣習、他人の視線など、外に求めてはいけない。真の尺度、基準は自らが自己を敬重する心にほかならない。「慧語」(P.56「人生の英知:〇二一 自己の内なる基準を持て」)
私たちは、何が正しく、何が間違っているのかを判断する際に、法律や社会規範、あるいは周囲の人々の意見といった外部の基準に頼りがちである。
もちろん、これらの外部基準は社会生活を営む上で重要であり、無視することはできない。
しかし、鷗外は、自己の内なる悪を断つ、つまり倫理的な判断や行動選択において最も根源的であるべき基準は、「自らが自己を敬重する心」、すなわち自分自身を尊重する心から生まれる内的な尺度であるべきだと主張する。
これは、先に述べた「自分の価値は自分が決める」という考え方とも通底する。
自分の中に確固たる判断基準、揺るぎない価値観を持つことが、外部の状況や他者の意見に流されず、主体的に生きるための基盤となる。
自分自身を敬い、大切に思う心があればこそ、その心に恥じない行動を選択しようという動機が生まれる。これは、単に自己中心的であることとは異なる。
むしろ、真に自己を尊重する人間は、他者をも尊重し、より高い倫理観を持つことができるのではないだろうか。
この内なる基準を持つことは、変化の激しい現代社会において、自分を見失わずに生きていくための羅針盤となるだろう。
他人の名声をかさに着るな:自ら光を放つ存在となれ
人間関係は、人生の喜びでもあり、また悩みの種ともなり得る。
鷗外の知恵は、この複雑な人間関係を円滑に、そして自己を保ちながら渡り歩くためのヒントも与えてくれる。
第六章「交際術の極意」から、一つの印象的な言葉を見てみよう。
太陽の光を反射して初めて光る月となるよりは、たとえ小さくても、自分で光を放つ灯火となれ。「知恵袋」(P.142「交際術の極意:〇九七 他人の名声をかさに着るな」)
この比喩は非常に鮮やかで、力強いメッセージを伝えてくれる。
他者の権威や名声に寄りかかり、その威光を借りて自分を大きく見せようとする生き方は、月が太陽の光を反射して輝くのに似ている。
しかし、そのような輝きは借り物であり、その他者がいなくなれば消え去ってしまう。鷗外は、たとえその光が小さくとも、自分自身の力で光を放つ「灯火となれ」と諭す。
これは、仏教で説かれる「自灯明」(じとうみょう)、「法灯明」(ほうとうみょう)と呼ばれる、自らを灯火とし、法を灯火とせよ、の教えと同じである。
投資家であり教育者でもあった瀧本哲史(たきもと・てつふみ、1972年~2016年)が、その著書でも「自灯明」についても触れている。
あるいはパンクバンドHi-STANDARDのベース・ボーカルの難波章浩(なんば・あきひろ、1970年~)の「闇にいるなら光を探せ。光がねぇなら自分が輝け!」といった言葉とも共鳴する。
自分の手で何かを成し遂げ、自分の足で道を切り開き、自分の頭で考え抜いた末に得た成果や名声こそが、真の価値を持つ。
他者の威光に頼るのではなく、自分自身の実力と努力で輝くことを目指すべきであるというこの教えは、自己の確立と自立を促す普遍的な指針と言えるだろう。
高慢な人間をつけあがらせるな:毅然たる反撃の重要性
社会に出れば、さまざまな個性を持つ人々と関わらなければならない。中には、一筋縄ではいかない相手もいるだろう。
第十二章「さまざまなタイプの人間との交際術」では、そうした状況における具体的な心構えが示されている。
またその人のほうから高慢な態度で接近してきた場合は、突然反撃して高慢な鼻をへし折ってやるべきである。「心頭語」(P.249「さまざまなタイプの人間との交際術:一九二 高慢な人間をつけあがらせるな」)
この言葉は、一見すると過激に聞こえるかもしれない。
しかし、ここには重要な処世の知恵が含まれている。不当に高慢な態度を取る人間に対して、萎縮したり、あるいは見て見ぬふりをしたりすれば、相手はますます増長し、状況は悪化する一方になりかねない。
鷗外は、そのような場合には「突然反撃して高慢な鼻をへし折ってやるべき」と、非常に直接的な表現で対処法を示している。
これは、物理的な暴力や感情的な罵詈雑言を推奨しているわけでは決してないだろう。
むしろ、相手の不当な態度に対して、その場で、間髪を入れずに、論理的かつ毅然とした態度で反論し、自己の尊厳を守ることの重要性を説いているのである。
タイミングを逃さず、その瞬間に的確に対応することが肝要だ。この「瞬発力」と「毅然とした態度」は、理不尽な要求や不当な扱いに直面した際に、自分自身を守り、健全な人間関係を維持するために不可欠なスキルである。
今北純一(いまきた・じゅんいち、1948年~2017年)のような世界で活躍した経営コンサルタントや、元ホストの実業家のローランド(ろーらんど、1992年~)といった、全く異なる分野で活躍する人物たちも、不当な扱いには即座に、そして堂々と対処することの重要性を説いている。
この鷗外の言葉もまた、その普遍的な真理を突いていると言えるだろう。
鷗外の知恵を読むということ:現代への問いかけ
森鷗外の著作、特にこうした箴言集を読むという行為は、単に過去の偉人の言葉に触れるという以上の意味を持つ。
陸軍軍医として組織の頂点を極め、同時に日本近代文学を代表する作家としても活躍し、さらに家庭人としても複雑な人間関係の中に身を置いた鷗外。
その多面的な人生経験から抽出された知恵は、現代社会の様々な場面で応用可能な普遍性を秘めている。
本書『超訳 鷗外の知恵』は、確かに啓発的な言葉に満ちており、ハッとさせられたり、深く納得したりする箇所が多く見受けられる。
一つ一つの言葉は、日々の迷いや悩いに対して、明確な指針を与えてくれるように感じる。
しかし、個人的な読後感としては、物語のような劇的な感動や、心の奥底を揺さぶられるような強烈な衝撃というよりは、むしろ静かに、そして深く染み込んでくるような印象を受けた。
これは、本書が箴言集、アフォリズムの形式を取っているため、一つ一つの言葉が独立しており、連続した物語性やドラマチックな展開が抑制されているからかもしれない。
だが、それこそが、この種の書物の特徴であり、また魅力でもあるのだろう。
読者は、これらの言葉を絶対的な真理として鵜呑みにするのではなく、一つ一つを吟味し、自身の経験や価値観と照らし合わせながら、自分なりに解釈し、咀嚼していく。
その過程で、鷗外の知恵は読者自身の知恵へと昇華されていく。
『超訳 鷗外の知恵』は、人生の岐路に立ったとき、人間関係に悩んだとき、あるいは自分自身の生き方を見つめ直したいときに、繰り返し手に取りたい一冊である。
鷗外の言葉は、私たち一人ひとりが、より良く、より主体的に生きていくための力強い伴侶となるに違いない。
この本を通じて、森鷗外という巨人の知性に触れ、現代を生きる我々自身の「知恵」を磨いてみてはいかがだろうか。
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東京都文京区千駄木にある森鴎外の記念館。森鴎外が晩年を過ごした旧宅・観潮楼の跡地。
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公式サイト:森鷗外記念館