- 運命を切り開く主体性
- 正道と学び続ける精神
- 自己理解と感情の尊重
- 信頼に基づく人間関係
三輪裕範の略歴・経歴
三輪裕範(みわ・やすのり、1957年~)
経済評論家、作家。
兵庫県の生まれ。神戸大学法学部を卒業。伊藤忠商事に勤務。ハーバード・ビジネス・スクールに留学しMBAを取得。
幸田露伴の略歴・経歴
幸田露伴(こうだ・ろはん、1867年~1947年)
小説家。本名は、幸田成行(こうだ・しげゆき)。
東京都生まれ。東京府第一中学(現在の都立日比谷高校)を中退。後に東京英学校(現在の青山学院大学)に入学するが後に中退。給費生として逓信省官立電信修技学校(後の逓信官吏練習所)入学、卒業。
『努力論』は、1912年に東亜堂から出版。
『超訳 努力論 幸田露伴』の目次
まえがき
第一部 努力論
Ⅰ 努力で運命を切り開く
Ⅱ 幸福を引き寄せる
Ⅲ 目標に向かって進む
Ⅳ 無理のない生き方をする
Ⅴ 自分の「気」をコントロールする
第二部 修省論
Ⅵ 高級な感情を育てる
Ⅶ シンプルな生活を送る
Ⅷ 自分と人の能力を伸ばす
Ⅸ 事業を発展させる
Ⅹ 人間関係を築く
『超訳 努力論 幸田露伴』の概要・内容
2013年11月30日に第一刷が発行。280ページ。ディスカヴァー・トゥエンティワン。
2018年7月12日には、さらに厳選した文庫エッセンシャル版として『幸福のための努力論 エッセンシャル版』も刊行している。
『努力論』は、1912年に東亜堂から出版された幸田露伴の「努力論」と題された幸福論。
『超訳 努力論 幸田露伴』の要約・感想
【要約と名言】100年の時を超え響く、人生を切り開く普遍の教え
現代社会は、変化が激しく、将来に対する不確実性が高まっている時代である。
このような時代だからこそ、古典に立ち返り、先人たちの知恵に学ぶことの意義は大きい。
今回紹介する書籍は、明治から昭和にかけて活躍した文豪、幸田露伴(こうだ・ろはん、1867年~1947年)による『努力論』を、経済評論家であり作家の三輪裕範(みわ・やすのり、1957年~)が現代の読者にも分かりやすく読み解いた『超訳 努力論 幸田露伴』である。
本書は、1912年(明治45年)に東亜堂から出版された原著のエッセンスを凝縮し、現代人が抱える悩みや課題に光を当てる珠玉の一冊と言えるだろう。
幸田露伴が遺した力強いメッセージは、100年以上の時を超えて、今なお我々の心に深く響き渡る。
本記事では、この『超訳 努力論 幸田露伴』の内容を掘り下げ、その魅力と現代における価値を、幸田露伴の他の著作や名言にも触れながら探求していく。
著者・幸田露伴と、訳者・三輪裕範について
まず、著者である幸田露伴について触れておきたい。
幸田露伴は、本名を成行(しげゆき)といい、江戸・下谷(現在の東京都台東区)に生まれた。若き頃より漢籍や仏典に親しみ、その該博な知識と風格ある文体で、『五重塔』、『風流仏』など数々の名作を世に送り出した。
尾崎紅葉(おざき・こうよう、1868年~1903年)とともに「紅露時代」と呼ばれる一時代を築き、明治文学を代表する作家の一人として知られている。
彼の作品は、深い人間洞察と東洋的な思想に裏打ちされており、多くの読者に感銘を与え続けてきた。幸田露伴の名前の由来については、北海道から東京までの道中にできた句「里遠し いざ露と寝ん 草枕」から「露伴」の号を得たと言われています。
彼の文学的業績は数多くの短編作品にも及び、それらは今日でも文庫として多くの読者に親しまれている。彼の思想は、単なる文学の域を超え、人生哲学としての深みも湛えている。
一方、本書の訳者である三輪裕範は、経済評論家、作家として活躍している。兵庫県に生まれ、神戸大学法学部を卒業後、伊藤忠商事に勤務。その後、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得するという経歴を持つ。
経済に関する深い知見と、古典に対する造詣の深さを併せ持つ三輪の手によって、『努力論』の難解な部分が現代的な言葉で平易に解き明かされており、原著の持つ力強さを損なうことなく、現代の読者にそのメッセージを届けている。
三輪の超訳は、幸田露伴の思想を現代に蘇らせる上で、非常に大きな役割を果たしていると言えるだろう。
『努力論』とはどのような書か
『努力論』は、その名の通り、「努力」をテーマに据え、人間がいかにして自らの人生を切り開き、より良く生きていくべきかについて論じた書物である。
しかし、単なる精神論や自己啓発の書とは一線を画す。
幸田露伴自身の深い学識と人生経験に裏打ちされた言葉は、具体的かつ実践的であり、読者一人ひとりの心に強く働きかける。
本書は大きく二部構成となっており、第一部「努力論」では、運命、幸福、目標達成、生き方、気のコントロールといった側面から努力の意義と方法を説く。
第二部「修省論」では、感情、生活、能力開発、事業、人間関係といったより具体的なテーマについて、自己を修め、省みるための指針が示されている。
幸田露伴がこの書を著した明治末期は、日本が近代国家として大きく飛躍しようとしていた時代であり、個人の努力と向上心が社会全体の発展に不可欠であると考えられていた。
そのような時代背景の中で書かれた『努力論』は、現代においてもその輝きを失わず、むしろ変化の激しい現代社会を生き抜くための羅針盤となり得る。
特に、幸田露伴現代語訳として本書を読むことは、難解とされる原文に直接触れる前に、その思想の核心を掴む上で非常に有効である。
努力で未来を切り開く:占いや運命論からの解放
『超訳 努力論 幸田露伴』の第一部「努力論」の冒頭、「Ⅰ 努力で運命を切り開く」では、まず運命に対する考え方が示される。
我々はしばしば、生年月日や星座、あるいは手相や人相といったものに自らの運命を重ね合わせ、一喜一憂しがちである。
しかし、幸田露伴はこれを明確に否定する。
中国古代に書かれた『荀子』では、人相と運命が関係ないことが説かれている。同じく『論衡』という書物でも、生年月日と運命が関係ないと説かれている。二千年以上も前に、すでに「運命前提説」に反抗する考えが存在したのに、この現代に、まだそれを信じているというのは本当に情けない。そんなことで悩んだり苦しんだりしていてはいけない。(No.256「Ⅰ 努力で運命を切り開く:006 運命は生年月日や星座とは関係ない」)
この言葉は、現代に生きる我々にとっても非常に示唆に富む。
ここで言及されている『荀子』は、紀元前3世紀頃の中国の思想家、荀子(じゅんし、紀元前313年頃~紀元前238年頃)の思想をまとめた書物であり、人間の性は悪であるとする「性悪説」を唱えたことで知られる。
また、『論衡』は、後漢時代の思想家、王充(おう・じゅう、27年~97年頃)が著した思想書で、当時の迷信や俗説を批判し、合理的な思考を重んじた。
幸田露伴は、これらの古典を引いて、運命や未来があらかじめ定められたものではなく、自らの手で切り開いていくものであることを力説する。
実に2000年以上も前から、運命は固定されたものではないという考え方が存在したにもかかわらず、現代に至ってもなお、多くの人々が占いや宿命論に囚われている現状を、幸田露伴は「情けない」と一蹴する。
この指摘は、情報過多の現代において、何に価値を置き、何を信じるべきかを見失いがちな我々にとって、改めて自己の主体性を取り戻すきっかけを与えてくれるだろう。
幸田露伴が説く努力とは、まずこのような外部の不確かなものに振り回されず、自己の内に確固たる軸を持つことから始まるのである。
この考え方は、幸田露伴の幸福論とも通じる部分があり、真の幸福は外部からもたらされるのではなく、自らの内から湧き出るものであるというメッセージが込められているように感じられる。
目標に向かって進む:「正」と「大」の精神
次に、「Ⅲ 目標に向かって進む」の章では、目標達成における心構えが説かれる。特に印象的なのは、「正」と「大」という二つのキーワードである。
まず、「正」について、幸田露伴は奇を衒うことを戒めている。
奇書をよむことも、奇説を信じることも、そして、普通のことは面白くないとして怪しくて珍しいことだけを面白がることも、正を失っていることになる。(No.564「Ⅲ 目標に向かって進む:057 『正』……奇書や奇説に惑わされるな」)
これは、目標達成のためには、小手先のテクニックや裏技のようなものに頼るのではなく、正攻法で地道に取り組むことの重要性を示唆している。
情報が氾濫し、手軽な成功法則がもてはやされる現代において、この「正」の精神は特に重要である。
一見、遠回りに見えるかもしれないが、本質を見据え、着実に歩みを進めることこそが、確固たる成果に繋がるという幸田露伴のメッセージは、時代を超えた普遍的な真理と言えるだろう。
短期的な成果や目先の利益に囚われず、長期的な視点で物事に取り組む姿勢が求められる。
そして、「大」については、学ぶことの意義と、自己の可能性を信じることの大切さが説かれる。
学ぼうと思ったら、自分を卑下してはいけない。もちろん、うぬぼれることはよくないが、大きくなろうとして努力することが最も大切なのだ。
人は学べば大となり、学ばなければ永久に小となる。(No.585「Ⅲ 目標に向かって進む:061 『大』……人は学べば大となる」)
この言葉は、学び続けることの重要性を端的に表している。
幸田露伴は、自己を過小評価することも過大評価することも戒め、常にニュートラルな状態で学びに向き合う姿勢を促す。
そして、「人は学べば大となり、学ばなければ永久に小となる」という一節は、強烈なインパクトと共に、自己成長への意欲を掻き立てる。
ここで言う「大」とは、単に知識量が多いということではなく、人間的な器の大きさや、物事の本質を見抜く力の大きさを指すのであろう。
生涯学習の重要性が叫ばれる現代において、この幸田露伴の言葉は、改めて学ぶことの価値を再認識させてくれる。
幸田露伴自身が、広範な知識と深い教養を身につけた人物であったからこそ、その言葉には強い説得力が宿る。この「学ぶ姿勢」は、幸田露伴の他の名言にも通底するテーマである。
自分の「気」をコントロールする:好き嫌いに素直であること
「Ⅴ 自分の「気」をコントロールする」の章では、自己の感情、特に「好き嫌い」という感情に正直であることの重要性が説かれている。
これは、一見すると感情論に偏っているように聞こえるかもしれないが、幸田露伴の真意はもっと深いところにある。
これは当人のもって生まれた性格だから、他人がどうこう言ったところで、それを強制することはできない。
ならば逆に、それぞれの個人がもって生まれた好き嫌いを大切にし、それに素直に従うほうが、より充実した人生を送ることができるだろう。(No.842「Ⅴ 自分の『気』をコントロールする:098 自分の好き嫌いに素直に従え」)
幸田露伴は、個人の持って生まれた性質や感情を尊重し、それを無理に抑えつけるのではなく、むしろ活かすべきであると説く。
これは、現代の心理学やキャリア論でも語られる「自己理解」や「強みを活かす」という考え方に通じるものがある。
自分の「好き」という感情は、強いモチベーションの源泉となり得るし、「嫌い」という感情は、自分にとって何が重要でないか、何にエネルギーを割くべきでないかを示唆してくれる。
もちろん、単なる感情論で物事を判断するのではなく、その好き嫌いの感情を冷静に分析し、論理的に理解することも重要である。
なぜ自分はそれが好きなのか、あるいは嫌いなのか。その背景にある価値観や経験を深く掘り下げることで、より本質的な自己理解へと繋がる。
近年、ビジネスの世界でも、経営学者の楠木建(くすのき・けん、1964年~)が、『「好き嫌い」と経営』、『「好き嫌い」と才能』といった書籍を出しているように「好き嫌い」を経営や仕事における重要な要素として考えている。
この直感的な感覚は、論理だけでは捉えきれない重要な判断軸となり得る。
また、好き嫌いと似た感覚として、直観や第六感、あるいは「何となく感じる違和感」といったものも、自分の内なる声として大切にすべきであろう。
幸田露伴のこの教えは、情報や他者の意見に流されず、自分自身の内なる声に耳を傾け、主体的に人生を選択していくことの重要性を教えてくれる。
高級な感情を育てる:現代にも通じる「三毒」への警鐘
第二部「修省論」の「Ⅵ 高級な感情を育てる」では、幸田露伴が「現代の三毒」として警鐘を鳴らすものがある。それは「老毒」「壮毒」「自覚毒」である。
今は昔と比べものにならないほどよくなっているというのは、今の人のうぬぼれにすぎないし、昔は今と比べものにならないほどよかったというのも、昔を好む人の思い込みにすぎない。
昔の人だってそれほど愚かだったわけではなく、今だって必ずしも昔に劣っているわけでもない。(No.1172「Ⅵ 高級な感情を育てる:144 現代の三毒は『老毒』『壮毒』『自覚毒』だ」)
この引用文自体は、過去と現在を比較する際の偏見について述べているが、ここから派生して幸田露伴が指摘する「三毒」は非常に興味深い。
- 「老毒」:やみくもに過去を賛美し、新しいものを受け入れられない頑迷さ。変化を恐れ、過去の成功体験に固執する姿勢。
- 「壮毒」:若さゆえの過信や未熟さからくる失敗。経験不足を自覚せず、無謀な行動に走ってしまうこと。
- 「自覚毒」:中途半端な知識や理解で、すべてを分かったつもりになってしまう自己満足。他者の意見に耳を貸さず、自己中心的になること。
これらの「毒」は、幸田露伴が生きた時代だけでなく、現代社会においても多くの人々が陥りやすい罠と言えるだろう。
特に「自覚毒」は、情報が容易に手に入る現代において、表面的な知識だけで満足してしまい、本質的な理解や深い洞察を欠いてしまう危険性を示唆している。
幸田露伴は、ここでもまた、中庸、つまり偏りのないニュートラルな精神状態の重要性を説いている。
人間は、古代からその本質的な部分は大きく変わっていないという認識を持つことが、これらの「毒」に侵されず、健全な自己を保つ上で不可欠である。
技術は進歩し、社会のあり方も変化するが、人間の喜びや悲しみ、欲望や葛藤といった根源的な感情や性質は、時代を超えて普遍的なものである。
この視点を持つことで、過去の知恵を現代に活かし、未来への洞察を深めることができる。幸田露伴の『努力論』は、このような人間理解に基づいた深い洞察に満ちている。
人間関係を築く:人を信じることの覚悟
最後の章「Ⅹ 人間関係を築く」では、人間関係における極めて重要な、そして時に困難なテーマである「人を信じる」ということについて、幸田露伴は踏み込んだ提言をしている。
ここが大切なところだ。実際、人を信じることによって生じる災難は多い。それでも、そうした災難は受け入れるべきなのだ。いずれはそれが自分のために生きてくることになるのだから。(No.1776「Ⅹ 人間関係を築く:232 人を信じて災難にあってもいい」)
この言葉は、非常に重い。
人を信じることは、裏切りや失望といったリスクを伴う。それでもなお、幸田露伴は「災難は受け入れるべき」であり、それが「自分のために生きてくる」と説く。
これは、単なる性善説や楽観論ではない。
むしろ、人間関係の複雑さと厳しさを十分に理解した上での、覚悟を持った信頼の勧めである。人を信じることで傷つく経験は、誰しも一度や二度はあるだろう。
しかし、その経験を通じて、人は他者への理解を深め、自己の器を広げ、より成熟した人間へと成長していくことができる。もちろん、これは無防備に全てを信じろということではない。
相手を見極める目や、万が一裏切られた場合でも致命的なダメージを負わないようにするための備え、精神的な余裕や、リスクヘッジなども必要であろう。
常に視野を広く持ち、状況を冷静に判断する力も求められる。しかし、根本には「人を信じる」という姿勢がなければ、真の人間関係を築くことは難しい。
幸田露伴のこの言葉は、ともすれば疑心暗鬼になりがちな現代社会において、改めて人と人との繋がりにおける信頼の価値を問い直すきっかけを与えてくれる。
それは、ある種の幸田露伴の努力論・幸福論の実践とも言えるかもしれない。真の幸福は、孤立の中にはなく、他者との信頼に基づいた繋がりの中にこそ見出されるからである。
総論:現代に生きる『努力論』の普遍性と現代的意義
幸田露伴の『努力論』は、100年以上前に書かれたとは思えないほど、現代の我々の心に強く訴えかけてくる。
その理由は、幸田露伴が説く「努力」の本質が、時代を超えた普遍的な価値観に基づいているからであろう。
運命に翻弄されるのではなく自ら切り開く主体性、奇を衒わず正道を歩む誠実さ、学び続ける謙虚さ、自己の感情に素直であることの重要性、そして人を信じる勇気。
これらはすべて、現代社会を生きる我々が、より豊かで意義のある人生を送るために不可欠な要素である。
本書を読んで感じたのは、幸田露伴の言葉が持つ、シンプルでありながらも奥深い力強さである。
彼の言葉は、時に厳しく、しかし常に温かい眼差しに満ちている。それは、彼自身が膨大な知識と深い思索、そして何よりも豊かな人生経験に裏打ちされているからに他ならない。
本書で紹介されている内容は、ある意味では「当たり前のこと」が多いかもしれない。しかし、その「当たり前のこと」を日々実践し続けることが、いかに難しく、そして尊いことであるかを、我々は知っている。
情報が錯綜し、価値観が多様化する現代において、私たちはしばしば何が本当に大切なのかを見失いがちになる。そのような時に、『超訳 努力論 幸田露伴』は、確固たる指針を与えてくれるだろう。
本書は、単に「努力しなさい」というメッセージを繰り返すだけの書ではない。努力の方向性、心構え、そして努力を継続するための知恵が具体的に示されている。
それは、自己の成長を願うすべての人々にとって、非常に実践的な手引きとなるはずだ。特に、幸田露伴の文学作品、例えば彼の代表作である小説や数々の短編に触れたことがある読者にとっては、彼の思想的背景をより深く理解する一助となるだろう。
また、文庫などで彼の作品にこれから触れようとする読者にとっても、この『超訳 努力論 幸田露伴』は、彼の文学世界への良き導入となるに違いない。
本書で述べられた幸田露伴の言葉や名言を心に刻み、日々の生活の中で実践していくことこそが、本書を読む最大の意義であろう。
その数々の言葉を胸に、小さな一歩からでも良い、自らの人生をより良くするための「努力」を始めてみてはいかがだろうか。
本書は、その最初の一歩を踏み出す勇気と知恵を与えてくれるはずだ。
そして、本書を読んだ後には、もしかすると英語学者の斎藤兆史(さいとう・よしふみ、1958年~)が著した同名の『努力論』も手に取り、比較してみるのも面白いかもしれない。
異なる時代の、異なる専門分野の知識人が「努力」について何を語るのかを知ることは、我々の視野をさらに広げてくれることだろう。
こちらの記事「斎藤兆史『努力論』要約・感想」もご参考に。
『超訳 努力論 幸田露伴』は、人生の岐路に立つ人、日々の仕事や生活に悩みを抱える人、自己成長を願うすべての人におすすめしたい一冊である。
幸田露伴の名言に触れ、その要約されたエッセンスを吸収することで、きっと新たな気づきと活力が得られるはずだ。
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