真山知幸『文豪が愛した文豪』

真山知幸の略歴

真山知幸(まやま・ともゆき、1979年~)
作家、偉人研究家。
兵庫県の出身。同志社大学法学部法律学科を卒業。専門出版社の編集長を経て独立。

『文豪が愛した文豪』の目次

はじめに
一、あこがれの章
太宰治→芥川龍之介 自他ともに認める芥川大好き人間
堀辰雄→芥川龍之介 よき理解者との出会いと別れ
芥川龍之介→夏目漱石 尊敬する師とのハラハラする距離感
内田百閒→夏目漱石 骨の髄まで師を愛す漱石オタク
泉鏡花→尾崎紅葉 師への崇拝度は文豪随一
幸田露伴→坪内逍遥 仕事を辞めて作家を目指した明治の文学少年
永井荷風→森鷗外 境遇の似通った孤高の文学者たち
谷崎潤一郎→永井荷風 女好き作家たちの意地の張り合い
小林多喜二→志賀直哉 熱烈なファンレターが小説の神様を動かした
川端康成→菊池寛 ムチャぶりばかりの弟子と気前が良すぎる師
夢野久作→江戸川乱歩 あこがれの相手なら酷評されても感激
中原中也→宮沢賢治 型破りな詩人による型破りなあこがれ方
三好達治→萩原朔太郎 感情的な詩人に始めてできた若い友人
石川啄木→与謝野晶子 自信家の歌人が姉のように頼りにした人
寺山修司→石川啄木 作品にも啄木好きが表れる

二、友情の章
夏目漱石⇔正岡子規 恋人のようにふざけ合う特別な関係
芥川龍之介⇔佐藤春夫 他人に仲が悪いとは思われたくない
芥川龍之介⇔菊池寛 タイプは正反対だが文学で結びついた
萩原朔太郎⇔室生犀星 何があっても壊れない強すぎる絆
萩原朔太郎&室生犀星⇔北原白秋 手紙からほとばしる詩人たちの熱い交友
川端康成⇔横光利一 ピンチの友を救うのは当たり前
梶井基次郎⇔三好達治 感性豊かな作家の予期せぬ言動
太宰治⇔坂口安吾 酒を介してすぐに仲よしになる
太宰治⇔林芙美子 似た者同士だから気を許し合った?
中原中也⇔草野心平 互いに酒・喧嘩・宮沢賢治好きで意気投合
安岡章太郎⇔遠藤周作 ひねくれものたちの深い信頼

三、愛憎の章
檀一雄→太宰治 無二の親友だが遠い存在でもある
太宰治⇔中原中也 中也が気になるけどたじたじの太宰
大岡昇平⇔中原中也 言葉をぶつけ合って特別な関係へ
室生犀星→高村光太郎 カッコいい先輩へのあこがれと嫉妬
田山花袋⇔柳田國男 大切だからこそ許せないことも
三島由紀夫→太宰治 太宰嫌いを繰り返し語った理由
太宰治→井伏鱒二 時には慕い、時には反発
おわりに
出典・主要参考文献

『文豪が愛した文豪』の概要

2023年1月23日に第一刷が発行。彩図社。213ページ。電子書籍。

以下、登場人物たちについて簡易的に紹介。

太宰治(だざい・さおむ、1909年~1948年)…青森県五所川原市の出身。東京帝国大学仏文科を中退。

芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ、1892年~1927年)…東京都中央区の生まれ、墨田区の育ち。東京帝国大学英文科を卒業。

堀辰雄(ほり・たつお、1904年~1953年)…東京都千代田区の生まれ、墨田区の育ち。東京帝国大学国文科を卒業。

夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年~1916年)…東京都新宿の出身。帝国大学英文科を卒業。

内田百閒(うちだ・ひゃっけん、1889年~1971年)…岡山県岡山市の出身。東京帝国大学独文科を卒業。

泉鏡花(いずみ・きょうか、1873年~1939年)…石川県金沢市の出身。北陸英和学校を中退。

幸田露伴(こうだ・ろはん、1867年~1947年)…東京都台東区の生まれ、千代田区の育ち。電信修技学校を卒業。

坪内逍遥(つぼうち・しょうよう、1859年~1935年)…岐阜県美濃加茂市、愛知県名古屋市の出身。東京大学文学部政治科を卒業。

永井荷風(ながい・かふう、1879年~1959年)…東京都文京区の出身。高等商業学校附属外国語学校清語科(現在の東京外国語大学)を中退。

森鷗外(もり・おうがい、1862年~1922年)…島根県鹿足郡津和野町の出身。東京医学校本科(現在の東京大学医学部)を卒業。

谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886年~1965年)…東京都中央区の出身。東京帝国大学国文科を中退。

小林多喜二(こばやし・たきじ、1903年~1933年)…秋田県大館市の生まれ、北海道小樽市の育ち。小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)を卒業。

志賀直哉(しが・なおや、1883年~1971年)…宮城県石巻市の生まれ、東京都千代田区の育ち。東京帝国大学国文科を中退。

川端康成(かわばた・やすなり、1899年~1972年)…大阪府大阪市の出身。東京帝国大学国文学科を卒業。

菊池寛(きくち・かん、1888年~1948年)…香川県高松市の出身。京都帝国大学英文科を卒業。

夢野久作(ゆめの・きゅうさく、1889年~1936年)…福岡県福岡市の出身。 慶應義塾大学部予科文科を中退。

江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ、1894年~1965年)…三重県名張市の生まれ、愛知県名古屋市の育ち。早稲田大学大学部政治経済学科を卒業。

中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)…山口県山口市の出身。東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部を卒業。

宮沢賢治(みやざわ・けんじ、1896年~1933年)…岩手県花巻市の出身。盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業。

三好達治(みよし・たつじ、1900年~1964年)…大阪府大阪市の出身。東京帝国大学仏文科を卒業。

萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう、1886年~1942年)…群馬県前橋市の出身。慶應義塾大学部予科を中退。

石川啄木(いしかわ・たくぼく、1886年~1912年)…岩手県盛岡市の出身。岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)を中退。

与謝野晶子(よさの・あきこ、1878年~1942年)…大阪府堺市の出身。堺市立堺女学校技芸科(現在の大阪府立泉陽高等学校)を卒業。

寺山修司(てらやま・しゅうじ、1935年~1983年)…青森県弘前市の出身。早稲田大学教育学部国文学科を中退。

正岡子規(まさおか・しき、1867年~1902年)…愛媛県松山市の出身。帝国大学国文科を中退。

佐藤春夫(さとう・はるお、1892年~1964年)…和歌山県新宮市の出身。慶應義塾大学部文学科を中退。

室生犀星(むろう・さいせい、1889年~1962年)…石川県金沢市の出身。長町高等小学校(現在の金沢市立小将町中学校)を中退。

北原白秋(きたはら・はくしゅう、1885年~1942年)…熊本県玉名郡南関町の生まれ、福岡県柳川市の育ち。早稲田大学英文科予科を中退。

横光利一(よこみち・りいち、1898年~1947年)…福島県会津若松市の生まれ、滋賀県大津市、三重県伊賀市の育ち。早稲田大学政治経済学部を中退。

梶井基次郎(かじい・もとじろう、1901年~1932年)…大阪府大阪市の出身。東京帝国大学文学部英文科を中退。

坂口安吾(さかぐち・あんご、1906年~1955年)…新潟県新潟市の出身。 東洋大学印度哲学倫理学科第二科を卒業。

林芙美子(はやし・ふみこ、1903年~1951年)…山口県下関市、もしくは福岡県門司市の生まれ、九州を点々として育つ。尾道市立高等女学校(現在の尾道東高等学校)を卒業。

草野心平(くさの・しんぺい、1903年~1988年)…福島県いわき市の出身。中国広東省広州市の嶺南大学(現在の中山大学)を中退。

安岡章太郎(やすおか・しょうたろう、1920年~2013年)…高知県高知市の生まれ。各地を点々として育つ。慶應義塾大学文学部英文科を卒業。

遠藤周作(えんどう・しゅうさく、1923年~1996年)…東京都豊島区の出身。慶應義塾大学文学部仏文科を卒業。

檀一雄(だん・かずお、1912年~1976年)…山梨県都留市の生まれ、栃木、福岡の育ち。東京帝国大学経済学部を卒業。

大岡昇平(おおおか・しょうへい、1909年~1988年)…東京都新宿区の生まれ、港区、渋谷区の育ち。京都帝国大学文学部仏文科を卒業。

田山花袋(たやま・かたい、1872年~1930年)…群馬県館林市の出身。

柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)…兵庫県神崎郡福崎町の出身。東京帝国大学法科大学政治科を卒業。

井伏鱒二(いぶせ・ますじ、1898年~1993年)…広島県福山市の出身。早稲田大学文学部仏文科を中退。

『文豪が愛した文豪』の感想

文学関連の逸話が載っている本を探していたらkindle unlimitedにあったのが、この『文豪が愛した文豪』kindle unlimitedに似通った文豪系の逸話本があって、その中から面白そうで、尚且つ登場人物が多いこの作品を選んでみた。

題名の通り、文豪が愛した文豪について「あこがれ」「友情」「愛憎」の三つの章に分けて解説・紹介している本。

以下、自分の気になった部分を引用しながら、あれこれ書いていく。

なかでも中也が気に入っていたのは、賢治の詩としては一風変わった「原体剣舞連」。中也はその詩を手帳に書き移している。

蛇紋山地に篝をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
(P.74「一、あこがれの章:中原中也→宮沢賢治 型破りな詩人による型破りなあこがれ方」)

中原中也は、宮沢賢治の「原体剣舞連」(はらたいけんばいれん)の詩が気に入って、手帳に書き写し、口ずさんでもいたのか。

中原中也が宮沢賢治の詩を読んでいた程度のことは知っていたけれど、相当好んでいたとは知らなかった。

また「宮沢賢治全集」という文章も残していたとは。自分のチェック不足を痛感。中原中也自身の随筆や評論というものを、あまり読んだことがないから新鮮である。

少しページを飛ばして、中原中也と宮沢賢治の関係というか、中原中也の宮沢賢治に対する思いに関しての記述を続けてみる。

詩集の装丁について中也は、出版社の文圃堂書店にこんなリクエストをしている。
「『宮沢賢治全集』のような本にしてもらいたい」
(P.146「二、友情の章:中原中也⇔草野心平 互いに酒・喧嘩・宮沢賢治好きで意気投合」)

さらに『宮沢賢治全集』と同様に「高村光太郎さんにお願いして字を書いてもらいたい」という要望も。

で結局、中原中也と草野心平は、高村光太郎を直接訪ねて『山羊の歌』の装丁をお願いする。しかも高村光太郎は、すんなりと引き受ける。

いろいろと凄過ぎる。

ここで『宮沢賢治全集』についての前提の説明。この責任編集者は、草野心平であった。出版社の文圃堂書店の社主・野々上慶一(ののがみ・けいいち、1909年~2004年)を口説いて刊行の運びとなる。装丁は高村光太郎であった。

という経緯がありつつ、同じやり方で自分の詩集も出したいと思って行動したのが中原中也だった、ということ。宮沢賢治への入れ込みが半端ない。

以前、山口県山口市湯田温泉にある中原中也記念館に立ち寄った際には、「宮沢賢治と中原中也」という企画展のパンフレットも購入。興味深く読んだ記憶があるけれど、また読み直そうかな。

ちなみに、中原中也には「宮沢賢治の世界」という文章も残している。

あとは、今までにあまり気にしていなかった人物、草野心平に興味を抱いた。自ら詩人であり、宮沢賢治や高村光太郎、中原中也との交流があり、また関連した書籍などを書いている人物。どの詩人も好きであり、その人物たちと親睦のあったということが驚きである。いくつか書籍は購入済みなので、読み進めていきたい。

新詩社並びに与謝野家は、唯晶子女史の筆一本で支えられて居る。そして明星は今晶子女史のもので、寛氏は唯余儀なく其編集長に雇われて居るようなものだ!(明治41年5月2日付日記)
(P.84「一、あこがれの章:石川啄木→与謝野晶子 自信家の歌人が姉のように頼りにした人」)

「明星」が廃刊になる際に、与謝野寛(よさの・ひろし、1873年~1935年)は弱気。だが与謝野晶子は強気。そのことを日記に石川啄木は記しているというところ。

まずは、与謝野寛、つまり与謝野鉄幹(てっかん)と石川啄木について。

石川啄木は、啄木の筆名の前に「白蘋」(はくひん)という筆名を使っていた。「蘋」は水草の「田字草」(でんじそう)の漢名。だが与謝野鉄幹から「もっと強い印象のものに」という助言を受ける。

その助言の翌年から、啄木という名前を使い始める。つまり、石川啄木の名前の始まりは、与謝野鉄幹が切っ掛けであったということ。

次に、与謝野晶子について。石川啄木との関係性についてではないが、特筆すべき記述があった。

晶子は23歳で第一子を産んだあとに、実に40歳までに12人の子を産み、育児や家事を行いながら、60冊もの著作を出している。
(P.84「一、あこがれの章:石川啄木→与謝野晶子 自信家の歌人が姉のように頼りにした人」)

この一文の破壊力。威力。おかしい。人間の積んでいるエンジンが違う。命が違う。生命力がおかしい。違い過ぎる。

六男だけ生後二日で早逝してしまっているが、他の11人はしっかり成長している。しかも、長男は医師、次男は外交官とかで優秀だし。

当然、与謝野鉄幹のプロデュースの力もあっただろうけれども、と著者である真山知幸も指摘しているが、与謝野晶子はヤバいな。尋常ではない人物である。大阪府堺市の生家跡や、さかい利晶の杜にある与謝野晶子記念館には行ったことがあるけれど。もう少し深く読んだり、調べたりしていこうと思う。

さらに、太宰はしみじみとこうつぶやいている。
「やっぱり、天才というもんかねえ」
(P.166「三、愛憎の章:太宰治⇔中原中也 中也が気になるけどたじたじの太宰」)

上記は、太宰治の一番弟子である堤重久(つつみ・しげひさ、1917年~1999年)の『太宰治との七年間』に書かれている記述。

中原中也が太宰治のことを小馬鹿にしたり、悪口を言ったりしているのは、文学好きとかには有名だけれど、こういった太宰治から中原中也に対する具体的な感想があったとは知らなかった。

その前の部分では、やはり中原中也の書くものは、唸るほど良いものであったといった主旨の発言も。文学者たちの関係性は、なかなか面白いものである。

しかし、1943年(昭和18)年、戦争が拡大して大岡も前線に駆り出されることになると、中也の遺した詩句が不思議と心に染みるようになったという。
翌年、大岡は東京に転勤。そのときに持参したのは、中也とスタンダールの詩集だけだった。
(P.174「三、愛憎の章:大岡昇平⇔中原中也 言葉をぶつけ合って特別な関係へ」)

大岡昇平は、フランスの小説家のスタンダール(Stendhal、1783年~1842年)にも熱中し、関連した翻訳書なども出していた。

戦況が悪化する中で、中原中也とスタンダールの詩集が人生の重要なものとなっていた。

似たような話で、隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)は、中原中也の詩を書き写したノートとフランスの詩人であるアラチュール・ランボー(Arthur Rimbaud、1854年~1891年)の詩集を陸軍に入隊する時に持参したというのを思い出した。

大岡昇平は京都帝国大学文学部仏文科を、隆慶一郎は東京大学文学部仏文科を、それぞれ卒業しているからフランス系になるのは分かるけれど。

中原中也の詩人として偉大さ、そしてフランス文学の強靭さを何となく感じる話である。フランス文学とかもいろいろと読み漁ってみたいな。スタンダールもしっかりと読んだことはないと思うし。

どうも犀星は『我が愛する詩人の伝記』で光太郎のことを描くときに、事さら自分を卑下しており、事実でないことも多い。
(P.178「三、愛憎の章:室生犀星→高村光太郎 カッコいい先輩へのあこがれと嫉妬」)

マジか。これは全く予想していなかった指摘。しかも『我が愛する詩人の伝記』はかなり好きな本で、自分としてはなかなか大きな衝撃を喰らった。

文学者たちの随筆やエッセイとかは、そうなもかもしれない程度で受け留めるべきなのか。時間軸の違い、事実と異なる場合もあるとか。記憶違いか、面白くするために盛っているのか。

なるほどな。これは現実世界でも重要なポイントだな。信じ過ぎないという点で。思考停止に陥らないように注意ということか。いやはや、驚いた。

文学が死に誘うことはちっとも構わない。文学はお薬じゃなし、栄養剤じゃありませんから。でも、そっから作者が蘇らなかったら、なんのために文学があるのかっていうふうなことを考えるね。太宰は作品だけの問題だけではなくて、作家と作品の関係の仕方が、僕には好きではない……ですね。
才能は非常にある人ですよ。近代日本文学のなかで、あれだけ才能のある作家はそんなにいません。
(NHKラジオ番組「国語研究 作家訪問 三島由紀夫」昭和39年5月29日)
(P.191「三、愛憎の章:三島由紀夫→太宰治 太宰嫌いを繰り返し語った理由」)

三島由紀夫が太宰治を、めっちゃ褒めてる!
認めているけれど、苦手だということ。また関心が無いのではなく、嫌いという大きな興味を持ってしまっているとも言える。

作品の点でも嫌いであり、作家と作品の関係も嫌いなのか。太宰治は私小説だからな。系統が違うけれど、表裏のような二人だな。弱さと強さに関して、考察すると面白そうだ。

あとは、前半の「作者が蘇らなかったら」というのは盛大なブーメランになっている。

昭和39年というのは、西暦では1964年である。太宰は1948年に亡くなっているが、三島もこの話をした6年後である1970年に亡くなる。

「なんのために文学があるのかっていうふうなことを考える」ことになるじゃないか、大勢の読者たちが。

というわけで、非常に多くの文豪たちの逸話が豊富に掲載された非常にオススメの本である。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

太宰治記念館「斜陽館」

青森県五所川原市金木町にある太宰治の生家を利用し記念館。

公式サイト:太宰治記念館「斜陽館」

堀辰雄文学記念館

堀辰雄文学記念館は、長野県北佐久郡軽井沢町にある堀辰雄の文化施設。堀辰雄は、1944年から定住し亡くなるまで過ごした。

公式サイト:堀辰雄文学記念館

漱石山房記念館

東京都新宿区早稲田南町にある夏目漱石を記念した博物館。夏目漱石は新宿の生まれ育ちで、1916年に亡くなるまでの9年間を現在の新宿区早稲田南町で過ごした。

公式サイト:漱石山房記念館

泉鏡花記念館

石川県金沢市下新町にある泉鏡花の文学館。生家跡に建つ邸宅を増築、改修した施設。

公式サイト:泉鏡花記念館

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、早稲田大学構内にある演劇を専門に扱う博物館。2階には逍遙記念室もある。

雑誌『早稲田文学』の成立に貢献した坪内逍遥の古稀・70歳と、1909年から19年間の歳月をかけた『シェークスピヤ全集』全40巻の翻訳事業の完成を記念して、1928年に早稲田大学早稲田キャンパス内に設立。

公式サイト:早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

市川市文学ミュージアム:永井荷風

千葉県市川市鬼高にある文学博物館。永井荷風をはじめ市川市にゆかりのある文学者や作品などを紹介。

公式サイト:市川市文学ミュージアム

森鴎外記念館(観潮楼跡・東京都)

東京都文京区千駄木にある森鴎外の記念館。森鴎外が晩年を過ごした旧宅・観潮楼の跡地。

公式サイト:森鴎外記念館

森鷗外記念館(島根県)

島根県鹿足郡津和野町にある森鴎外の記念館。森鴎外の生まれ育った場所であり、森鴎外旧宅もある。

公式サイト:森鷗外記念館

谷崎潤一郎記念館

兵庫県芦屋市伊勢町にある谷崎潤一郎の記念館。

公式サイト:谷崎潤一郎記念館

川端康成文学館

川端康成文学館は、川端康成が幼少期を過ごした大阪府茨木市にある文学館。著書や遺品、書簡など約400点を展示。

公式サイト:川端康成文学館

湯沢町歴史民俗資料館・雪国館:川端康成

湯沢町歴史民俗資料館・雪国館は、新潟県南魚沼郡湯沢町にある文化施設。湯沢が舞台となった川端康成の小説『雪国』と雪国である湯沢の暮らしや歴史を中心とした展示をする。

公式サイト:湯沢町歴史民俗資料館・雪国館

菊池寛記念館

菊池寛記念館は、菊池寛の出身地である香川県高松市にある記念館。サンクリスタル高松の3階にある。1・2階は高松市中央図書館、4階は高松市歴史資料館。

公式サイト:菊池寛記念館

中原中也記念館

中原中也記念館は、中原中也の出身地である山口県山口市湯田温泉にある記念館。近くには中原中也誕生之地の石碑も。

公式サイト:中原中也記念館

宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館は、宮沢賢治の出身地である岩手県花巻市にある記念館。

公式サイト:宮沢賢治記念館

前橋文学館:萩原朔太郎

前橋文学館は群馬県前橋市にある文学館。常設展示室として、朔太郎展示室がある。

公式サイト:前橋文学館

萩原朔太郎記念館

萩原朔太郎記念館は、群馬県前橋市にある萩原朔太郎の文化施設。

公式サイト:萩原朔太郎記念館

石川啄木記念館

岩手県盛岡市渋民にある石川啄木を記念した文学館。

公式サイト:石川啄木記念館

三国路与謝野晶子紀行文学館

三国路与謝野晶子紀行文学館は、与謝野晶子がよく訪れていた群馬県利根郡に建てられた文学館。

公式サイト:三国路与謝野晶子紀行文学館

さかい利晶の杜:与謝野晶子記念館

さかい利晶の杜には、堺にゆかりのある茶人・千利休(せんのりきゅう、1522年~1591年)の「千利休茶の湯館」と、歌人・与謝野晶子の「与謝野晶子記念館」のある2017年に建てられた文化施設。

公式サイト:さかい利晶の杜

寺山修司記念館

寺山修司記念館は、青森県三沢市にある寺山修司の記念館。

公式サイト:寺山修司記念館

子規記念博物館

子規記念博物館は、正岡子規の出身地である愛媛県松山市にある文化施設。

公式サイト:子規記念博物館

佐藤春夫記念館

佐藤春夫記念館は、佐藤春夫の出身地の和歌山県新宮市にある文化施設。

公式サイト:佐藤春夫記念館

室生犀星記念館(石川)

室生犀星記念館は、生家跡に建つ室生犀星の文化施設。

実際に訪問したことがある。吹き抜けがあったり、庭があったり、とても上品な雰囲気の施設。

公式サイト:室生犀星記念館

室生犀星記念館(長野)

室生犀星記念館は、長野県北佐久間郡軽井沢町にある室生犀星の文化施設。春から秋までの期間限定で開館。入館料は無料。

公式サイト:室生犀星記念館

北原白秋記念館

北原白秋記念館は、福岡県柳川市にある北原白秋の文化施設。生誕百年の1985年に開館。

公式サイト:北原白秋記念館

林芙美子記念館

林芙美子記念館は、林芙美子が晩年を過ごした旧宅を利用した東京都新宿区にある文化施設。

公式サイト:林芙美子記念館

草野心平記念文学館

草野心平記念文学館は、草野心平の出身である福島県いわき市にある文化施設。

公式サイト:草野心平記念文学館

遠藤周作文学館

遠藤周作文学館は、長崎県長崎市にある遠藤周作の文化施設。

公式サイト:遠藤周作文学館

高村光太郎記念館

岩手県花巻市太田にある高村光太郎の記念館。

公式サイト:高村光太郎記念館

田山花袋記念文学館

群馬県館林市城町にある田山花袋を記念した文学館。

公式サイト:田山花袋記念文学館

柳田國男・松岡家顕彰会記念館

柳田國男・松岡家顕彰会記念館は、柳田国男をはじめとする松岡家五兄弟の出身地にある兵庫県神崎郡福崎町の文化施設。

公式サイト:柳田國男・松岡家顕彰会記念館

ふくやま文学館:井伏鱒二

ふくやま文学館は、広島県福山市にある文化施設。井伏鱒二をはじめとする福山市にゆかりの文学者たちを顕彰。

公式サイト:ふくやま文学館