『小説に書かなかった話』新田次郎

新田次郎の略歴

新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)
小説家。
長野県諏訪郡上諏訪町角間新田(かくましんでん)の生まれ。本名は、藤原寛人(ふじわら・ひろと)で、気象学者。
旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)、無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)、神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)を卒業。
1956年に『強力伝』で直木賞、1974年に『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受賞。
妻は、作家の藤原てい(ふじわら・てい、1918年~2016年)、次男は数学者の藤原正彦(ふじわら・まさひこ、1943年~)。

『小説に書かなかった話』の目次

ペンの章――わたしと歴史・文学――
武田信玄の子孫――武田信玄その後
武田勝頼は凡将ではなかった
『太平記』の魅力
石積み
『小説に書けなかった自伝』の批評
何を書くべきか
小説ができるまで
私と山と小説と

ケルンの章――わたしと登山――
年寄りの冷や水
遅刻
真冬の来訪者
登山家に三種あり
大町――山屋族ラッシュ
臭い郷愁
チロルからウィーンへ

四季の章――わたしと自然――
釧路の丹頂鶴
室戸の四季
アラスカの夏
トチの実
私の新婚旅行
隠れ里
風物詩十二カ月
わたしの雑談

赤とんぼの章――わたしの郷愁――
信濃の郷愁の菓子
おんばしら
カメラ今昔
故郷の秋
白壁の家
サルの出る温泉場
『思い出の記』
青春の『上田敏詩抄』
怪獣博士
地の星 天の星

概要

1988年1月20日に第一刷が発行された光文社文庫『小説に書かなかった話』。2007年3月1日に電子書籍版を発行。198ページ。

副題は「武田信玄ほか」。

「歴史・文学」「登山」「自然」「故郷」といった4つのテーマで構成された新田次郎のエッセー集。

歴史や文学、小説に対する姿勢や意気込み、国内や海外の登山や自然、妻である藤原てい、故郷の信濃などについて、語られている。

ちなみに武田信玄(たけだ・しんげん、1521年~1573年)は、現在の山梨県である甲斐国(かいのくに)の武将。

新田次郎は、『武田信玄』『武田三代』を作品として残している。

感想

『小説に書けなかった自伝』が面白かったので、こちらのエッセイも読んでみる。

やはり、この『小説に書かなかった話』も、とても楽しめた作品。

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多くの読者からの手紙も頂戴した。この中に、私が書いた小説より面白かったと云って来た人があった。私はその手紙を悲しい気持ちで読んだ。作家にとっては、書いたものはすべて自分の責任であるから讃められるとうれしいけれど、小説に打ちこんでいる私にとって、小説より面白かったという批判はほんとうにつらいものであった。(No.443「『小説に書けなかった自伝』の批評」)

これは、とても笑ってしまった部分。笑っては失礼だけれども。

特に『小説に書けなかった自伝』が評判が良かったことで生じてしまった切ない批評という感じである。

だから完全な小説というのは書下ろし意外にはないと私は思うのです。(No.677「小説ができるまで」)

ここでは、書き下ろしの小説が完全な小説であると説く。

というのも、連載形式であると、最終的に一つの本、物語にする時の、接合点が難しいという。

特に大きな人間像を作るのには、難儀するようだ。上手く接合する人はいるようだが、新田次郎は、苦手だという。

一時期の間、私は「山岳小説」という言葉を嫌い、「山岳小説家」と云われるのを極度に恐れていた。小説は人間を書くことであって、たまたま私の場合、小説の舞台として山が選ばれるに過ぎない。私は山を書いているのではなく、飽くまでも人間を書いているのだという主張だった。(No.749「私と山と小説と」)

自らの文学全集を出版した新田次郎。

全22巻の新潮社版の新田次郎全集。そこで、分析してみたら、やはり山のものがほとんどだったという話。

最終的には「山岳小説」「山岳小説家」という呼び名には、特にこだわらなくなったという。

というか、それまで、自分の書いたものの中で、山の比重が大きいということに気付いていなかったのも凄い。

つまり、それほど、山が身近にあり過ぎたということか。

「青春の『上田敏詩抄』」では、フランスの小説家であるビクトル・ユーゴー(Victor-Marie Hugo、1802年~1885年)の『モンテ・クリスト伯』などを読んでいたという話も。

さらに上田敏(うえだ・びん、1874年~1916年)の訳詩と共に淡い恋の思い出も。

フランスの詩人であるシャルル・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年~1867年)の「信天翁」、ドイツの詩人であるカール・ブッセ(Carl Hermann Busse、1872年~1918年)の「山のあなた」、フランスの詩人であるレミ・ドゥ・グルモン(Remy de Gourmont、1858年~1915年)の「髪」などについても、具体的に書かれている。

ちなみに、“信天翁”は、アホウドリ、もしくは、しんてんおう、と読む。

確か、若い時に、そこまで大して読書をしていなかった、みたいな新田次郎の文章を読んだ記憶があるけれど、やっぱり、読んでる、といった感想を持つ。

得てして、こういったものである。逸脱した能力のある人は、自身の能力に気付かない。

もしくは、まわりの友人や同級生に、物凄い読書家がいた可能性も否定はできないけれど。

新田次郎ファンには、非常にオススメのエッセイ集である。

書籍紹介

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