外山滋比古の略歴
外山滋比古(とやま・しげひこ、1923年~2020年)
英文学者。評論家。
愛知県幡豆郡寺津町(現・西尾市)の生まれ。
東京高等師範学校英語科を卒業。東京文理科大学(現・筑波大学)文学部英文学科を卒業。
『知的創造のヒント』の目次
序-卒啄の機
1-忘却の様々
2-自力と他力
3-着想
4-比喩
5-すばらしきかな雑談
6-出家的
7-あえて読みさす
8-書くスタイル
9-酒を造る
10-メモ
11-ノート
12-頭の中の料理法
あとがき
『知的創造のヒント』の概要
私が所有しているのは、講談社現代新書の『知的創造のヒント』であるため、各種の情報や頁数などは、こちらに準拠する。
1977年11月20日に第一刷が発行。196ページ。一般的には、この著作よりも『思考の整理学』の方が有名かもしれない。
確か私も『思考の整理学』(1986年、ちくま文庫)を先に読んでから、この『知的創造のヒント』を読んだはず。
卒啄の機ということばがある。
得がたい好機の意味で使われる。比喩であって、もとは、親鶏が孵化しようとしている卵を外からつついてやる。それと卵の中から殻を破ろうとするとが、ぴったり呼吸の合うことをいったもののようである。(P.8「卒啄の機」)
卒啄の機は、“そったくのき”。
知的創造に関する活動も、迅速にメモをしたり、アイデアを寝かせたり。また自分の状況と本との出合う時期など、様々な時間との関係がある事を説く。
散歩の極地はこの空白の心理に達することにある。心は白紙状態(タブララサ)、文字を消してある黒板のようになる。
思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれるには、じゃまがあってはいけない。(P.26「忘却のさまざま」)
この記述の前には、京都市左京区にある「哲学の小径」についての言及も。因みに“タブララサ”とは、ラテン語tabula rasa(何も書かれていない書板)。
イギリスの哲学者・思想家のジョン・ロック(John Locke、1632年~1704年)が、認識論で用いた言葉。
ほかの人がどう思ってもしかたがない。神と自分だけが本当のことを知っていれば、それでたくさんだと思った。(P.113「あえて読みさす」)
これは外山滋比古が最初の本を出した際に、方々から二人の人物の影響を受けていると指摘された時の事。
実際には、その二人の著作については影響を受ける程、読んでいなかった。
読んでいたという証拠なら幾らでも出せるが、読んでいないという証拠となると困難だ。所謂、“悪魔の証明”である。
そして、外山滋比古は諦めて、上述の結論に到った。
またこの考え方は、日常生活もなかな役立ちそうな気もする。
なるべく少なく、少なく、と心掛けてノートをとるのがノートの知恵である。それがわかっていないためたいへんな労力を無駄にする。(P.168「ノート」)
ノートの章で書かれているが、メモにも通用する基本姿勢。全てを記述しようとするとノートも時間も無駄にしてしまう。
最小限に止めようと考える事で、頭も働き、理解を通じて、要約も可能になる。
『知的創造のヒント』の感想
もともとは、やはり本屋で「東大・京大の生協で非常に売れている」といった旨のキャッチコピーに興味が湧いて『思考の整理学』を手に取ったような気がする。
ちょうど知的生産系の書籍類にも関心が高かった事も理由の一つではある。
その流れで外山滋比古の他の本も読んでみようと思って、この著作に行き着いた。分かりやすく誠実さも伝わる文章も好みであった。
渡部昇一(わたなべ・しょういち、1930年~2017年)と同様に、外山滋比古も散歩の効用を語る。
私も散歩は好きである。確かに頭が空白になるというか、情報が整理されるというか、思考が明瞭になるような気がする。
またシンプルに簡易的な運動にもなる。
知らない街を散策するのも好きなので、こんな所にこんなお店が、こんな神社が、こんな寺院が、こんな石碑が、などといった感じで、程良く刺激も受ける。頭も体も適度に動かすのが大切である。
話は戻って、この著作では、古今東西の先達の事例も豊富。アイデアや企画などに煮詰まったり、考えをまとめたい時に役立つオススメの本である。
書籍紹介
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哲学の道
哲学の道は、京都府京都市左京区にある散歩道。哲学者の西田幾多郎(にしだ・きたろう、1870年~1945年)が、毎朝歩いて思索に耽っていたことから名付けられた。