『生きものたちの部屋』宮本輝

宮本輝の略歴

宮本輝(みやもと・てる、1947年~)
小説家。
兵庫県神戸市の生まれ。私立関西大倉中学校・高等学校を卒業。追手門学院大学文学部を卒業。広告代理店で勤務後、1977年『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞しデビュー。1978年に『螢川』で、第78回芥川賞を受賞。本名は、宮本正仁(みやもと・まさひと)。

『生きものたちの部屋』の目次

生きものたちの部屋
絵具
インクと万年筆
エーゲ海の壺
軽井沢の仕事場
腕時計
地球儀
へんてこりんな犬
ゴルフ道具
再び、ゴルフ道具
酒と酒器
耳の世界
大晦日の書斎
平成七年一月十七日からの日記

解説 俵万智
宮本輝文庫著作リスト

概要

1998年7月1日に第一刷が発行。新潮文庫。212ページ。

宮本輝のエッセイ集。仕事や家庭のこと、身の回りの品々に関する考察、そして阪神大震災の日記も掲載された作品。

1995年6月に刊行された単行本を文庫化したもの。

解説は、歌人の俵万智(たわら・まち、1962年~)。大阪府門真市生まれ、大阪府四條畷市、福井県越前市の育ち。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部日本文学専修を卒業。

挿画は、美術家・ブックデザイナーの望月通陽(もちづき・みちあき、1953年~)。静岡県静岡市の出身。静岡県立静岡工業高校工芸科を卒業。

感想

宮本輝の随筆というか、エッセイはかなりの量を読んでいる。

どれも叙情感があったり、人間味があったり、ハッとする言葉があったりする。

この『生きものたちの部屋』は、『二十歳の火影』『命の器』に比べると少しポップな雰囲気もある。

ただ、阪神大震災のことが書かれている「平成七年一月十七日からの日記」については、状況や精神状態も克明なので、緊迫感がある。

全体的には、日常の出来事や心情、身の回りの品々について書かれているが、そこから作家の視点、思想が垣間見える。

最初の「生きものたちの部屋」では、自らの家について語られる。

兵庫県伊丹市の北のはずれの場所。

1979年10月に、木造2階建ての家に引っ越しをした。

友人の建築屋さんが、かなり安い価格で請け負って建ててくれたとか。

そして、その2階にある書斎で、作家になってからのほとんどの作品を手掛けてきた。

家の者は、二階の書斎にあがって行く私のうしろ姿を見て、ときおり忍び笑いを洩らす。世の中に、これほど重い物を背負っているかに映るうしろ姿はないらしいのだが、実際、これから書斎にこもって小説を書かねばならない人間の心の重さなど、どんな言葉を駆使しても表現できないだろう。(P.12「生きものたちの部屋」)

窓のある東側と南側以外は、作り付けの本棚になっている書斎。

作家にとっては戦場でもある場所。

この部分を読んで思い出したのが、新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)の『小説に書けなかった自伝』の一節。

このころは役所から帰って来て、食事をして、七時にニュースを聞いて、いざ二階への階段を登る時、
〈戦いだ、戦いだ〉
とよく云ったものだ。自分の気持を仕事に向けるために、自分自身にはげましの言葉を掛けていたのだが、中学生の娘がこの言葉の調子を覚えこんで、私が階段に足を掛けると、戦いだ、戦いだと私の口真似をするので、それ以後は、黙って登ることにした。(P.77「メロドラマ的作品」…新田次郎『小説に書けなかった自伝』

何か通じるものがあるように感じた。

新田次郎の状況としては、昼間は役所で働き、自宅に戻って来て夜に小説を書くという生活。

後に30年勤めた役所を辞めて、専業作家となるけれど。

どのような状況であっても、小説を書くという行為は、非常に厳しい重みのある作業である。

そのような部分が、ちょっとした文章から立ち昇る。

――書は言を尽くさず言は言葉を尽くさず言葉は心を尽くさず、時々見参の時を期せん――というのがあって、私は見事な名文だと感心している。(P.31「絵具」)

これは、日蓮宗の宗祖である日蓮(にちれん、1222年~1282年)の文章を、褒め称えているところ。

恐らく日蓮のこの文章は、儒教の経典の一つである『易経』にある孔子(こうし、前552年 or 前551年~前479年)の「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」の応用といった感じか。

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」は「書いた文章では言葉で伝えたいことは表し切れない、言葉では考えていることは表し切れない」という意味。

「書は言を尽くさず言は言葉を尽くさず言葉は心を尽くさず」は「書くことは言うことを表し切れない、言うことは言葉の意味を表し切れない、言葉では心を表し切れない」といった感じだろうか。

日蓮の現代語訳版の文章を、改めて読んでみたいと思った。

その他にも、「エーゲ海の壺」などでは、詩人の三好達治(みよし・たつじ、1900年~1964年)の詩や、俳人の種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)の俳句も出てくる。

作家の読書量というか、知識量というものの凄さを感じる。

また、宮本輝の文章、作品の題名に詩情を漂わせていることの一端が見える。

「大晦日の書斎」では、父親の事業の失敗や放蕩などで苦労してきた母親が老齢となり家族に見守られて亡くなる場面も。

母親の人生を振り返る宮本輝。

失敗をしない人間などいない。ひとりの人間には、さまざまな時代がある。
私の母が、多くのことで悩み、苦しみ、酒に溺れたとて、それがどうしたというのだろう。(P.181「大晦日の書斎」)

やはり、宮本輝のこのような文章は、エッセイというよりも、随筆という名称が似合う気がする。

作家の視点や感性、宮本輝の叙情感を味わえる。

宮本輝ファンや随筆好き、文学好きな人には非常にオススメの作品である。

読む順番としては、『二十歳の火影』『命の器』の後に、この『生きものたちの部屋』に進むのが良いかも。

書籍紹介

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関連スポット

宮本輝ミュージアム

宮本輝ミュージアムは、大阪府茨木市の追手門学院大学付属図書館にある宮本輝の文化施設。学校法人追手門学院の創立120周年を記念して2008年に開設。宮本輝は、追手門学院大学の第一期の卒業生。

公式サイト:宮本輝ミュージアム

以前に行ったことがある。なかなか綺麗な感じの館内。宮本輝の講演会の映像を個別で借りて、館内で視聴できたのは、とても良かった。

ファンであれば、一度は訪問してみるのが良いかと思う場所である。

大阪府立中之島図書館

大阪府立中之島図書館は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある1904年に開館の公共図書館。

宮本輝は浪人生時代に通って、ロシア文学とフランス文学に耽溺したという。

実際に訪問したことがあるが、ルネッサンス様式の外観もバロック様式の内観も、非常に素晴らしく、知的な雰囲気に満ち溢れた場所。

公式サイト:大阪府立中之島図書館