『二十歳の火影』宮本輝

宮本輝の略歴

宮本輝(みやもと・てる、1947年~)
小説家。
兵庫県神戸市の生まれ。私立関西大倉中学校・高等学校を卒業。追手門学院大学文学部を卒業。広告代理店で勤務後、1977年『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞しデビュー。1978年に『螢川』で、第78回芥川賞を受賞。本名は、宮本正仁(みやもと・まさひと)。

『二十歳の火影』の目次



夜空の赤い灯
曽根崎警察署横の露路
私と富山
能登の虹
拝啓アラビア馬・ゴドルフィン様
夕刊とたこ焼き
正月の、三つの音
雪とれんげ畑


青春の始まりの日
押し入れの中
正月の静寂
土曜日の迷路
過ぎし日の二日酔い
途中下車
恥かしい時代
二十歳の火影
地獄の数
スパルタカスのテーマ
二十代の履歴書


「道頓堀川」のこと
蜥蜴
雨やどり
不思議な花火
海ぞいの道
手紙
蟹になりそこねる
五十肩


越前海岸
「泥の河」の周辺
黯い道
文学のテーマとは、と問われて
宿命という名の物語
闘病記
母と子
花火のあと
快食、快眠、快便
うまく行かなかったら

あとがき
初出一覧

概要

1980年4月24日に第一刷が発行。講談社。213ページ。ハードカバー。127mm×188mm。四六判。

作家・宮本輝の初めてのエッセイ集。幼少期から青春期、そして作家デビュー、芥川賞受賞のその後のことなど。1977年~1980年の間に書かれた随筆がまとめられている。

1983年には、講談社文庫として文庫化。2005年は、新装版として、再び講談社文庫から刊行され、電子書籍版も発売されている。

事業に失敗し続け、借金をつくり、妻と子供を顧みずに、愛人のところへ入り浸る父親。

母親や友人たちとの触れ合い。文学の目覚め。学生時代。広告代理店での勤務。作家への道。作家デビュー後のことなど。

叙情感の溢れる筆致で、さまざまなエピソードが語られる第一のエッセイ集。ちなみに、火影は“ほかげ”と読む。

感想

宮本輝のエッセイや随筆が好きである。

小説も好きではあるけれど、より作家のことを知りたいという思いがあるので、エッセイや随筆の方が自ずと熱を帯びながら読んでしまう。

小説などの場合は、スペースの都合上、誰かにあげたり、売ったりなどすることがある。

ただエッセイや随筆は、基本的に手元に残している。時々、読み返したりもする。

そういった中の一つが今回の宮本輝の初めてのエッセイ集『二十歳の火影』である。

最初に読んだのは、まさに自分が二十歳くらいの時。タイトルがそのまま、魅力となったのだろう。

ちなみ宮本輝が30~33歳くらいの時に書かれたものが本書である。

いくつかを引用しながら内容を紹介。

私が初めて文学というものに触れたのは、中学二年の終り頃である。井上靖の「あすなろ物語」であった。私はそれを押し入れの中で夜っぴて読んだ。(P.70「押し入れ中」)

宮本輝は、両親のいさかいの渦中にいた。

六畳一間の借家で、親子三人が暮らしていた。となると、逃げ場は、便所か押し入れの中。

押し入れの中での読書が救いだったのである。

この「押し入れの中」の前に「青春の始まりの日」という文章がある。

近所の青年から貸してもらった『あすなろ物語』と母親の自殺未遂事件。

そのような壮絶な流れというのも、凄い。

初めての文学は井上靖(いのうえ・やすし、1907年~1991年)の『あすなろ物語』

そこから宮本輝の読書好きが始まり、学校の小さな図書館の読みたい本は読み切ってしまう。

さらに中之島にある大阪府立の図書館で、本を読み漁っていく。

ここで、宮本輝の文学的な素養が培われたのだろう。

「こうなったら、とことん行こうか!」セールスマン氏は言って、自分の頬を両手でびしゃびしゃ叩いた。それから凄い目つきで「さあ、地獄やぞォ」と呟いた。(P.107「地獄の数」)

いつもは焼飯を食べるためだけに立ち寄っていた雀荘。

どんなに誘われても断っていたが、ある日、半荘だけ麻雀に加わってしまう。

その時のエピソード。

セールスマン氏は、月給の三カ月ぐらいを、その半荘だけで負けた。

だが、さらにポケットから一万円札のぎっしり詰まった封筒を取り出して、麻雀を続けようとする。

上記は、その時の発言である。

さらに話は続く。仏教の話である。

仏教では、八熱地獄と八寒地獄がある。それがさらに細かく分かれて、最終的に136個の地獄になる。

そして、麻雀牌の数も、136個である、というオチ。

自分も学生時代に麻雀をしていたが、確かにある種の地獄のような時もある。

それでも続けたいという魔力のようなものが麻雀にはあるのかもしれない。

恐ろしい話である。

そんなことをわざわざ小説で教えてもらわなくとも、読者はもっと修羅場で息をしている。だから誰も純文学なるものを読もうとしなくなったのだと私は思った。何よりも“おもしろく”なかったのである。(P.142「雨やどり」)

この「雨やどり」という文章もお気に入りである。

引用の前の部分では、有名な広告制作者である杉山登志(すぎやま・とし、1936年~1973年)の自死を報じる新聞記事を目にしたエピソード。

自らも同じ業界である広告代理店で、コピーライターをしていた当時の宮本輝。

小説家を夢みた頃のことを思い出す。亡くなった父親の借金の完済も終わった時期。

雨やどりで入った地下街。

本屋で文芸誌を手に取って巻頭の短編小説を読んだ歳の感想が、上述の引用。

この流れや構成が非常に素晴らしい。

もちろん、その感想も。

だって、実際に苦節はありながらも、太宰治賞でデビューして、翌年に芥川賞を受賞している宮本輝である。

引用のような発言があっても充分に納得できる。

その他にも短編小説のような随筆が数多く掲載されている本書。

宮本輝ファンのみならず、文学好き、随筆好き、エッセイ好きな人には非常にオススメの本である。

さらに読む順番としては、この『二十歳の火影』の後に、『命の器』へと進むのが良いかも。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

宮本輝ミュージアム

宮本輝ミュージアムは、大阪府茨木市の追手門学院大学付属図書館にある宮本輝の文化施設。学校法人追手門学院の創立120周年を記念して2008年に開設。宮本輝は、追手門学院大学の第一期の卒業生。

公式サイト:宮本輝ミュージアム

以前に行ったことがある。なかなか綺麗な感じの館内。宮本輝の講演会の映像を個別で借りて、館内で視聴できたのは、とても良かった。

ファンであれば、一度は訪問してみるのが良いかと思う場所である。

大阪府立中之島図書館

大阪府立中之島図書館は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある1904年に開館の公共図書館。

宮本輝は浪人生時代に通って、ロシア文学とフランス文学に耽溺したという。

実際に訪問したことがあるが、ルネッサンス様式の外観もバロック様式の内観も、非常に素晴らしく、知的な雰囲気に満ち溢れた場所。

公式サイト:大阪府立中之島図書館