新田次郎の略歴
新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)
小説家。
本名は、藤原寛人(ふじわら・ひろと)で、気象学者。
長野県諏訪郡上諏訪町角間新田(かくましんでん)の生まれ。
旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)、無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)、神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)を卒業。
1956年に『強力伝』で直木賞、1974年に『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受賞。
妻は、作家の藤原てい(ふじわら・てい、1918年~2016年)、次男は数学者の藤原正彦(ふじわら・まさひこ、1943年~)。
『槍ヶ岳開山』の目次
序章
出郷
笠ヶ岳再興
槍ヶ岳への道
鉄の鎖
飢饉と法難
終章
取材ノートより
解説 武蔵野次郎
『槍ヶ岳開山』の概要
1977年7月25日に第一刷が発行。文春文庫。365ページ。
槍ヶ岳に初登攀した修行僧・播隆上人の生涯を描いた伝記・山岳小説。
1968年5月に刊行された単行本を文庫化したもの。
主人公となるのは、播隆上人。
播隆(ばんりゅう、1840年~1782年)…江戸後期の山岳修行僧。現在の富山県である越中国(えっちゅうのくに)の生まれ。名前は、岩松。巡礼の旅に出て、山岳信仰へ。1823年に笠ヶ岳を再興。1828年に槍ヶ岳に登頂。1840年に頂上の直下に鉄鎖を付けた。
「取材ノートより」は、新田次郎による「あとがき」のようなもの。
解説は、文芸評論家の武蔵野次郎(むさしの・じろう、1921年~1997年)。福岡県福岡市の生まれ。早稲田大学法学部を卒業。主婦の友社の編集者を経て、評論家に。
『槍ヶ岳開山』の感想
この作品を読むまで、全く知らなかった人物、播隆上人。このような方がいたのかと非常に勉強になった。
山岳時代小説といった感じか。
新田次郎の山岳小説をいろいろと読んで、山登りなどにも興味を持ったけれど、意外とそのままになってしまった。
とは言っても、その後には、岐阜県岐阜市にある金華山や東京都八王子市にある高尾山くらいにしか、登ったことはないけれど。
神社や寺院巡りは好きなので、その途上で適度な山に上がったことは多々あるけれど。
そんなわけで『槍ヶ岳開山』である。
百姓一揆に巻き込まれて、その最中に誤って妻を刺殺してしまった主人公の岩松。
国を捨てて出家し、播隆と名乗る。
山岳信仰に目覚めながらも、妻への未練と懊悩。そのような深い感情が、物語の奥行きとなる。
解説で武蔵野次郎も指摘していたけれど、医者で蘭学者の高野長英(たかの・ちょうえい、1804年~1850年)が登場するのも、時代小説の面白みのポイント。
「鉄の鎖」の章で出てくる。
ちなみに、章題で言えば「飢饉と法難」の「法難」。
「法難」とは、仏語で仏法を広める際に受ける迫害や弾圧のこと。仏法の災難という意味。
それにしても、新田次郎の調査や分析、小説の構成が素晴らしい。
気象庁の職員であり、気象学者ということで、技術者でもあり科学者でもあった新田次郎。
その素養というか経験などが、小説にも存分に表れている。
播隆上人のゆかりの場所などは、まだ訪れたことがないので、機会があったら、各所を巡ってみようと思う。
山岳小説や時代小説、仏教などに興味のある人には、非常にオススメの作品である。
書籍紹介
関連書籍
関連スポット
槍ヶ岳
槍ヶ岳(やりがたけ)は、飛騨山脈南部にある標高3,180mの山。日本で5番目に高い山。長野県松本市・大町市・岐阜県高山市の境界にある。播隆上人が開山。
笠ヶ岳
笠ヶ岳(かさがたけ)は、岐阜県高山市にある飛騨山脈の標高2,898mの山。播隆上人が再興。
大山歴史民俗資料館
富山県富山市にある資料館。播隆上人の生まれ故郷であり、関連した資料が展示される。
大山地域の三賢人として、山岳ガイドの宇治長次郎(うじ・ちょうじろう、1872年~1945年)、高野山真言宗管長の金山穆韶(かなやま・ぼくしょう、1876年~1958年)と共に紹介。
近くには、播隆上人の像もある。
公式サイト:大山歴史民俗資料館
一心寺
一心寺(いっしんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町にある浄土宗鎮西派の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。山号は無く、院号は播隆院。播隆上人によって開基。
公式サイトは特に無い。
祐泉寺
祐泉寺(ゆうせんじ)は、岐阜県美濃加茂市太田本町にある臨済宗妙心寺派の寺院。播隆上人の墓碑がある。
公式サイトは特に無い。