『アラスカ物語』新田次郎

新田次郎の略歴

新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)
小説家。
長野県諏訪郡上諏訪町角間新田(かくましんでん)の生まれ。本名は、藤原寛人(ふじわら・ひろと)で、気象学者。
旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)、無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)、神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)を卒業。
1956年に『強力伝』で直木賞、1974年に『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受賞。
妻は、作家の藤原てい(ふじわら・てい、1918年~2016年)、次男は数学者の藤原正彦(ふじわら・まさひこ、1943年~)。

『アラスカ物語』の目次

※実際には目次は無い。

第一章 北極光
第二章 北極海
第三章 ブルックス山脈
第四章 ユーコンのほとり
終章
アラスカ取材旅行
参考文献
解説 尾崎秀樹

概要

1980年11月25日に第一刷が発行。新潮文庫。409ページ。

1974年5月に刊行された単行本を文庫化したもの。

1868年に宮城県石巻に生れた安田恭輔。アメリカに渡り、エスキモーの女性と結婚。後に、アラスカのモーゼと呼ばれたフランク安田の生涯を描いた伝記小説。

フランク安田、または安田恭輔(やすだ・きょうすけ、1968年~1958年)…宮城県石巻の生まれ。15歳の時に両親を失い、兄弟と別れて一人で生きることに。三菱汽船の給士、外国航路の見習い船員などを経て、22歳でアメリカの沿岸警備船の雑用係に。

後にアラスカのバローに住み着き、指導者的な立場へ。麻疹や食糧不足の影響から新たな地域へと移住を計画し、ビーバー村を創立。

日本に生まれ、アメリカに渡り、日本に帰ることなく、90歳で生涯を閉じたフランク安田を描いた物語。

「第一章 北極光」、「第二章 北極海」、「第三章 ブルックス山脈」、「第四章 ユーコンのほとり」、「終章」の5つの章から構成。

北極光には、オーロラというルビが振られる。

「アラスカ取材旅行」は、あとがき的な旅行記のようなもの。『アラスカ物語』の創作の経緯や取材時のエピソードなどが綴られる。

解説は、文芸評論家の尾崎秀樹(おざき・ほつき、1928年~1999年)。台湾台北市の生まれ。台北帝国大学付属医学専門部を中退。

感想

この作品に触れるまで、全く知らなかった人物、フランク安田。

日本人でありながらも、アメリカに渡り、アラスカで地元の住民に多大な貢献をした偉人。

伝記であり、冒険記でもある。さらに歴史や文化、伝統などの勉強にもなる。

第四章には、“ユーコンのほとり”という章題。

ユーコンと言えば、思わず、水曜どうでしょうの「ユーコン川160キロ」を思い浮かべてしまう。

あのような雄大な自然が広がる場所。

さらに極寒。食糧不足。疫病。登山。移住など。

またゴールドラッシュという背景。日本人との出会い。

さまざまな要素が絡み合って物語が進んでいく。

新田次郎の作品の中でも、お気に入りである。

また「アラスカ取材旅行」では、アラスカでの取材を終えて、アメリカ本土に立ち寄る場面も。

デトロイトで飛行機を降りて外に出ると、アンナーバーに居る私の次男が迎えに来ていた。(P.390「アラスカ取材旅行」)

ここに登場してくる次男というのが、数学者でミシガン大学の研究員だった藤原正彦。

名前までは出てきていないが、アラスカでの取材旅行でかなり疲れていた新田次郎、本名・藤原寛人は、息子に会ったからか、夜が癒やしてくれたのか、かなり元気になったという。

このような場面も、新田次郎ファンや藤原正彦ファンには、関心の高いポイントかもしれない。

フランク安田や伝記小説、冒険小説、海外の地理や歴史などに興味のある人には非常にオススメの作品である。

書籍紹介

関連スポット

ポイント・バロー(バロー岬)

ポイント・バロー(Point Barrow)は、バロー岬とも呼ばれるアメリカのアラスカ州の北極海岸に位置する岬。

ビーバー

ビーバー(Beaver)は、アメリカのアラスカ州にあるフランク安田が創立した村。

ヤスダマ・ウンテン

ヤスダ・マウンテン(Yasuda Mountain)は、アメリカのアラスカ州にあるフランク安田の名前の冠せられた山。

多福院

多福院は、宮城県石巻市にある曹洞宗の寺院。安田家の菩提寺。公式サイトは特に無い。

日和山公園

日和山(ひよりやま)公園は、宮城県石巻市の丘にある公園。新田次郎をはじめ、数多くの文学碑があり、フランク安田の顕彰碑も。