『劒岳<点の記>』新田次郎

新田次郎の略歴

新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)
小説家。
本名は、藤原寛人(ふじわら・ひろと)で、気象学者。
長野県諏訪郡上諏訪町角間新田(かくましんでん)の生まれ。
旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)、無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)、神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)を卒業。
1956年に『強力伝』で直木賞、1974年に『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受賞。
妻は、作家の藤原てい(ふじわら・てい、1918年~2016年)、次男は数学者の藤原正彦(ふじわら・まさひこ、1943年~)。

『劒岳<点の記>』の目次

第一章 未踏の霊峰
第二章 地形偵察
第三章 測量旗
第四章 日暈
越中劒岳を見詰めながら
参考文献

概要

2006年1月10日に新装版の第一刷が発行。文春文庫。407ページ。

題名の読みは、劒岳(つるぎだけ)。

1981年1月に刊行された文庫の新装版。単行本は、1977年8月に第一刷が発行。

1906年に測量官の柴崎芳太郎に未踏とされていた劒岳山頂への登頂と測量の命令が下る。その登頂と測量を描いた山岳小説。

柴崎芳太郎(しばざき・よしたろう、1876年~1938年)…測量官を務めた陸軍技師。山形県大石田町生まれ。台湾守備隊、陸軍教導団を経て、参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)に配属。国内外の測量作業に従事した人物。

「点の記」というのは、三角点設定の記録。三角点というのは、三角測量によって地球上の位置、つまり経度や緯度が定められる点。三角測量というのは、三角形の内角を利用した測量方法。

1888年(明治21年)以来の「点の記」は、永久保存資料として、国土地理院に保管されている。

物語は、4つの章に分かれている。山岳信仰の根強い土地柄。悪天候といった自然の脅威。日本山岳会との関係。

そのような要素が絡まり物語は進んでいく。

「第四章 日暈」の「日暈」は、ひがさ、という読み方で、日暈は、太陽の周囲にできる光の輪のこと。

「越中劒岳を見詰めながら」は、新田次郎による長いあとがき的なもの。この作品を書くに到るまでの経緯や実地の取材に関することなどが盛り込まれている。363~405ページまで。

感想

前人未到だと思われていた劒岳への登頂。しかし、そこには「錫杖の頭」と「鉄剣」が。

ちなみに、錫杖(しゃくじょう)とは、修行をする行者(ぎょうじゃ)や僧などが持つ杖のこと。

修験者によって既に登頂が、行なわれていたという事実。その錫杖などは、奈良時代後半から平安時代初期の作と推定されるもの。

だからと言って、測量隊の功績が変わるものでもない。目的は、測量であるため。

新田次郎は、いろいろな人から測量隊の話を書くように勧められていたという。最終的には、熱心な編集者が膨大な資料を集めて、口説き落としたといった感じ。

その辺りは「越中劒岳を見詰めながら」にも、詳しく書かれている。

この作品に触れるまで、全く知らなかった柴崎芳太郎や測量隊など。なるほど、とても勉強になった。

正直、三角測量の詳細について、理解できなかったが。この部分も、ちょっと自分で勉強しておこうと思う。

新田次郎の他の山岳小説と同様に、山や天候といった自然とともに、人物の造形や心理が巧みに描かれている。

2009年には『劔岳 点の記』として映画にもなり、日本アカデミー賞などで、さまざまな賞を獲得している。

柴崎芳太郎の役は、浅野忠信(あさの・ただのぶ、1973年~)。監督は、木村大作(きむら・だいさく、1939年~)。

こちらの映画も観ているとは思うけれど、記憶が曖昧なのでまたチェックしてみようと思う。

新田次郎ファンや山岳小説の好きな人などには非常にオススメの作品。小説と一緒に映画も楽しむのも良いかもしれない。

書籍紹介

関連書籍

関連スポット

剱岳

剱岳(つるぎだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2999mの山。富山県の上市町と立山町にまたがっている。

立山博物館

富山県中新川郡立山町にある博物館。立山の自然と人間の関わりについて研究・展示。『劒岳<点の記>』にも記載のある、頂上で発見した「錫杖の頭」と「鉄剣」を所蔵している。

公式サイト:立山博物館